――本書を繙かるる人達の為に――
淺野和三郎
本篇を集成したるものは私でありますが、私自身をその著者というのは当らない。私はただ入神中のT女の口から発せらるる言葉を側で筆録し、そして後で整理したというに過ぎません。
それなら本篇は寧ろT女の創作かというに、これも亦事実に当てはまっていない。入神中のT女の意識は奥の方に微かに残ってはいるが、それは全然受身の状態に置かれ、そして彼女とは全然別個の存在――小櫻姫と名告る他の人格が彼女の体躯を司配して、任意に口を動かし、又任意に物を視せるのであります。従ってこの物語の第一の責任者はむしろ右の小櫻姫かも知れないのであります。
つまるところ、本書は小櫻姫が通信者、T女が受信者、そして私が筆録者、総計三人がかりで出来上った、一種特異の作品、所謂霊界通信なのであります。現在欧米の出版界には、斯う言った作品が無数に現われて居りますが、本邦では、翻訳書以外にはあまり類例がありません。
T女に斯うした能力が初めて起ったのは、実に大正五年の春の事で、数えて見ればモー二十年の昔になります。最初彼女に起った現象は主として霊視で、それは殆んど申分なきまでに的確明瞭、よく顕幽を突破し、又遠近を突破しました。越えて昭和四年の春に至り、彼女は或る一つの動機から霊視の他に更に霊言現象を起すことになり、本人とは異った他の人格がその口頭機関を占領して自由自在に言語を発するようになりました。『これで漸くトーキーができ上がった……』私達はそんな事を言って歓んだものであります。『小櫻姫の通信』はそれから以後の産物であります。
それにしても右の所謂『小櫻姫』とは何人か? 本文をお読みになれば判る通り、この女性こそは相州三浦新井城主の嫡男荒次郎義光の奥方として相当世に知られている人なのであります。その頃三浦一族は小田原の北條氏と確執をつづけていましたが、武運拙く、籠城三年の後、荒次郎をはじめ一族の殆んど全部が城を枕に打死を遂げたことはあまりにも名高き史的事蹟であります。その際小櫻姫がいかなる行動に出たかは、歴史や口碑の上ではあまり明らかでないが、彼女自身の通信によれば、落城後間もなく病にかかり、油壺の南岸、浜磯の仮寓でさびしく帰幽したらしいのであります。それかあらぬか、同地の神明社内には現に小桜神社(通称若宮様)という小社が遺って居り、今尚お里人の尊崇の標的になって居ります。
次に当然問題になるのは小櫻姫とT女との関係でありますが、小櫻姫の告ぐる所によれば彼女はT女の守護霊、言わばその霊的指導者で、両者の間柄は切っても切れぬ、堅き因縁の羈絆で縛られているというのであります。それに就きては本邦並に欧米の名ある霊媒によりて調査をすすめた結果、ドーも事実として之を肯定しなければならないようであります。
尚お面白いのは、T女の父が、海軍将校であった為めに、はしなくも彼女の出生地がその守護霊と関係深き三浦半島の一角、横須賀であったことであります。更に彼女はその生涯の最も重要なる時期、十七歳から三十三歳までを三浦半島で暮らし、四百年前彼女の守護霊が親める山河に自分も親しんだのでありました。これは単なる偶然か、それとも幽冥の世界からのとりなしか、神ならぬ身には容易に判断し得る限りではありません。
最後に一言して置きたいのは筆録の責任者としての私の態度であります。小櫻姫の通信は昭和四年春から現在に至るまで足掛八年に跨がりて現われ、その分量は相当沢山で、すでに数冊のノートを埋めて居ります。又その内容も古今に亘り、顕幽に跨り、又或る部分は一般的、又或る部分は個人的と言った具合に、随分まちまちに入り乱れて居ります。従ってその全部を公開することは到底不可能で、私としては、ただその中から、心霊的に観て参考になりそうな個所だけを、成るべく秩序を立てて拾い出して見たに過ぎません。で、材料の取捨選択の責は当然私が引受けなければなりませんが、しかし通信の内容は全然原文のままで、私意を加へて歪曲せしめたような個所はただの一箇所もありません。その点は特に御留意を願いたいと存じます。
(十一、十、五)