8話 人形紳士
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光子さんは、書生につきとばされたとき、ひざを強くうったので、いたさに、そこにうつぶしたまま、シクシクと泣いていました。
ああ、「乞食王子」のまねなんかしなければよかった。あんな小説をおぼえていたばっかりに、とんだことになってしまった。あたしは、どうすればいいんだろう。
くよくよと、おなじことを、くりかえし、考えているうちに、ふと気がつくと、なにかおしりをつっつくものがあります。
おどろいて、うつむいていた顔をあげてみますと、いつのまにか、六人ほどの子どもたちにとりかこまれていました。
近くのいたずら小僧どもが、きたないこじきむすめがたおれているのを見て、あつまってきたのです。その中のひとりが棒きれをもって、光子さんのおしりをつっついたのです。
光子さんは、その子をにらみつけて、おきあがりました。すると、子どもたちは、ワーッといって、むこうへにげていきます。
もうこんなところに、たおれているわけにはいきません。子どもたちが、またいたずらをするにきまっているからです。
光子さんは、ひざのいたみをこらえて、たちあがり、トボトボと、歩きだしました。
「ワーイ、ワーイ、ばっちいおねえちゃんよう。どこへいくんだよう。」
あとから、子どもたちがゾロゾロついてきます。
ふりむいて、こわい顔で、にらみつけますと、子どもたちは、ワーッといって、にげますが、しばらくすると、また、ちかづいてきて、下品なことばで、からかうのです。
光子さんは、ワーッと声をあげて、泣きだしたくなりました。しかし、じっとこらえて、くちびるをかみしめて、トットと、急ぎ足に歩きました。
町かどを、まがりまがり、四百メートルも歩くと、いつのまにか、子どもたちは、あとをつけてこなくなりました。
ああ、たすかったと思いながら、バスの停留所のほうへ歩いていきます。いまから銀座のお店にいこう。そして、おとうさんにわけを話して、たすけてもらおう。そのほかにてだてはない。光子さんは、そう考えて、バスに乗るつもりでいたのですが、ふと気がつくと、一円もお金がないのです。といって、歩いて銀座までいくのは、たいへんです。どうしたらいいだろうと、思案にくれるのでした。
光子さんは、すこしも気がつきませんでしたが、さっきから、いたずら小僧たちとはべつに、光子さんのあとをつけてくる、ひとりのあやしい男がありました。ネズミ色の背広に、ネズミ色のオーバーをきて、おなじ色の鳥打帽をかぶっています。ひげのないツルッとした顔に、まんまるなめがねをかけているのですが、その顔が、なんだかへんなのです。
顔色がよくって、しわがなく、スベスベしていて、洋服屋のショーウインドーにかざってあるマネキンのような顔なのです。人形のような紳士です。
光子さんが、お金がなくて、バスに乗れないので、思案にくれて、たちどまっていますと、その人形紳士は、なにげなく、光子さんをおいこして、歩いていきましたが、そのとき、ポケットから銀貨をとりだして、そっと地面におとし、そのまま、むこうのかどをまがりました。
かどをまがったかとおもうと、そこにたちどまって、へいのかどから、目ばかり出して、そっと光子さんのほうを、のぞいているのです。
光子さんは、立ちどまっていても、しかたがないので、うなだれたまま、歩きだしましたが、目が地面にそそがれているので、すこし歩くと、さっき人形紳士がおとしていった銀貨をみつけました。ひろいあげてみると、百円銀貨です。これがあればバスにのれます。だれがおとしたのかしらないが、しばらくおかりしておこうと、心をきめました。それからは、急ぎ足になって、停留所につくと、銀座を通るバスをまって、乗りこみました。
さいわい、立っている人が多いので、車内のみんなに、きたない姿を見られることはありませんでしたが、車のすみに、ソッと立っていても、すぐ近くの人からは、ジロジロながめられました。車掌さんまでが、顔をしかめて、じっと、こちらを見ているのです。
光子さんは、そのはずかしさがいっぱいで、すこしも気づきませんでしたが、あのマネキンのような顔をした人形紳士も、このバスに乗っていました。
光子さんのあとから、乗りこんで、光子さんから、できるだけはなれて、そっぽをむいて、そしらぬ顔で、つりかわにぶらさがっているのです。ときどき、チラッ、チラッと、光子さんのほうを、ぬすみ見るのですが、光子さんは、銀座でおりるまで、気づかないでいました。
バスをおりると、光子さんは、すぐそこの玉村宝石店へいそぎましたが、人形紳士もそこでおりて、光子さんのあとをおいました。にぎやかな銀座通りのことですから、もう光子さんにかんづかれる心配はありません。
光子さんは、玉村宝石店のきらびやかなショーウインドーのあいだから、店にはいっていきました。
「おいおい、きみ、こんなとこにはいってきちゃいけない。おもらいなら、うらへまわりなさい。」
わかい店員が、光子さんのこじき姿を見て、どなりつけました。
光子さんは、その店員をよく知っていました。しかし、あいてには、こちらがわからないのです。
「ねえ、あたし、わけがあって、こんななりをしているけど、玉村光子よ。おとうさん、おくにいらっしゃるでしょう。通ってもいいわね。」
店員はびっくりして、まゆずみでよごれた光子さんの顔を、ジロジロとながめました。
「なんだって? 光子さんだって? おじょうさんが、そんなきたない服をきられるわけがないじゃないか。おどかさないでくれよ。さあ、出ていった、出ていった。」
「いいえ、どうしても、おとうさんにあいます。じゃましないで、おくにとおしておくれ。」
「いけない。いけないったら。こいつ気ちがいだな。さあ、出ていけ。出ていかないと、なぐるぞっ。」
そのさわぎをききつけたのか、そのとき、おくとのさかいのガラスのドアが、サッとひらいて、おとうさんの玉村銀之助さんの姿があらわれました。
「かまわないから、表にほうりだしてしまいな。そいつはおそろしいかたりだ。顔がにているのをさいわい、光子だといって、わしをゆするつもりなんだ。はやく、ほうりだしてしまえ。」
ああ、おとうさんまでが、と思うと、光子さんは泣きだしたくなりました。
「おとうさん、わけをはなしますから、きくだけきいてください。こんななりをしていますが、あたしは光子にちがいないのです。」
死にものぐるいで、すがりつくようにたのみましたが、玉村さんは、とりあってくれませんでした。
「そのわけは、もうちゃんと知っている。ほんとうの光子からきいている。光子、あいつに顔を見せてやりなさい。」
その声におうじて、光子さんになりすました、あのこじきむすめが、玉村さんのうしろから、美しい顔を出しました。
ああ、なんというすばやさ! にせ光子は、ほんとうの光子が、おとうさんのたすけをもとめて、ここにくることをさっして、自動車でさきまわりをしたのでしょう。そして、おとうさんをときつけて、いつほんものがあらわれても、だいじょうぶなようにしておいたのです。
それにしても、玉村さんまでが、にせものを信じるというのは、にせものが、ほんものと、すこしもちがわないからです。どうして、こんなにもよくにた人間がいたのでしょう。考えられないことです。おそろしい夢でも見ているようです。これにはなにか、ふかいわけがあるのでしょう。いままでの科学では、とけないような、おそろしい秘密があるのでしょう。
しかし、光子さんは、そこまでは考えませんでした。ただ、くやしくて、かなしくて、はらわたがにえくりかえるようです。
「ちがいます。そいつが、にせものです。服をとりかえたのです。あたしの服を、そいつがきているのです。あたしがほんとうの光子です。」
気ちがいのように、泣きわめく、こじきむすめを、玉村さんは、おそろしい顔で、にらみつけました。
「わかっている。おまえのいいぐさは、もうちゃんとわかっているのだ。おい、みんな、かまわないから、そいつを、表にほうりだしてしまえ。」
もう、どうすることもできません。光子さんのこじきむすめは、おおぜいの店員に、こづきまわされて、表につきだされてしまいました。
光子さんは、しばらく店の前に、うずくまっていましたが、やがて、あきらめはてたように、トボトボと、歩きはじめました。
すると、さっきの仮面のような顔の人形紳士が、どこからかあらわれて、光子さんに声をかけました。
「光子さん、きみが光子さんだということは、わしがよく知っている。きっとあかしをたててあげる。しかし、いまはいけない。ひとまず、わしのうちにきなさい。そして、計画をたてて、出なおすのだ。わかったね。さあ、わしのうちにいこう。」
ボソボソと、耳のそばで、ささやくようにいうのです。
「あなた、どなたですか。」
光子さんはびっくりして、ききかえしました。
「きみをよく知っているものです。あんしんしてついておいでなさい。さ、いきましょう。」
人形紳士は、そういったまま、しずかに歩きだしました。光子さんは、目に見えぬ糸でひっぱられでもするように、フラフラと、怪紳士のあとから、ついていくのでした。