黄金仮面

24話 「モロッコの蛮族」

5,767字 約12分 2021年7月28日 公開

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 お話は再び自動車の中に戻る。

 黄金仮面を取り去った明智の素顔を見ても、不二子には、それが何者であるか分らなかった。彼女は明智に会うのは今が初めであった。

「あなたは、僕を御存知ないでしょうね。併し、決して心配なさることはありません。お父様のご依頼で、あなたをお迎えに来た明智というものです」

 不二子は明智小五郎の名を知っていた。彼女の恋人である黄金仮面が――あの万能の巨人でさえも、兼々(かねがね)恐ろしい敵だと云っていた名前である。

 それと分ると、えたいの知れぬ二人の黄金仮面の恐怖は去ったけれど、其の代りに、今度は、

「この男につかまったら、もう駄目だ」という、現実的な絶望が来た。

 恐らく監禁は十倍も厳重になることであろう。恋する人ともこれっ切りお別れかも知れない。それも悲しかった。だが考えて見ると、もっと恐ろしいことがある。

「あの人はどうなったのでしょう。若しや殺されてしまったのでは……」

 不二子は袖の間からオズオズと尋ねた。

「あの人って、黄金仮面のことですか。僕は人殺ではありません。あの人はピンピンしています。今頃は(うち)に帰ってすやすやと眠っている時分ですよ」

「では、あの人は……」

「エエ、逃げられてしまったのです。……併し僕は決して失望しません。あなたにお願いすれば、あの人は誰であるか、どこに住んでいるか、すっかり教えて下さると信じていますから」

 明智はニコニコして、あっさりと、本当のことを打開けた。

「わたくし、存じません。何も存じません」

 不二子さんは、身を固くして、叫ぶ様に云った。

「イヤ、今でなくていいんです。お宅に帰って、よくお考えになれば、あなたは必ず白状したくなります。世間の為にあなたの恋を捨てるのが、正しいことだと悟る時が来ます」

 明智はやさしい口調で、駄々子をあやす様に云ったまま、黙り込んでしまった。

 不二子は益々不安になって来た。明智が怖くなった。この男の落ちつき払った自信力に何とも云えぬ圧迫を感じた。

 若しや私は、あの人を裏切る様になるのではあるまいか。みんなから「白状せよ、白状せよ」と問いつめられた時、私はあくまで口を閉じている勇気があるかしら。今度はもう、お父さまや(うち)の人ばかりではない。いずれは警察や裁判所へ呼び出されて、恐ろしい人々に責め問われるのであろう。

 怖い顔をした刑事達に、柱にしばりつけられ、コチョコチョコチョコチョと、執拗にわきの下を(くすぐ)られている、あさましい我身の姿が、幻の様に浮んで来る。

 アア、もう駄目だ。私は白状するに極っている。どうしよう、どうしよう。恋人を牢屋(ろうや)に入れる位なら、その上、あの人と永久に別れてしまう位なら、いっそのこと。そうだ。いっそのこと……

 丁度その時、不二子の惨憺(さんたん)たる懊悩(おうのう)も知らぬげに、明智は何を思いついたのか、実に突拍子もない質問を発した。

「あなた、フランス語はお出来になりますか」

 それが、お茶の会などで知合いになった紳士が、話題に尽きて、ふと尋ねて見るといった調子だったので、不二子もつり込まれて、何気なく「エエ少しばかり」と答えてしまってから、ハッとあることに気がついて、飛び上る程びっくりした。

 マア、この人は何という怖い人だろう。そ知らぬ顔をしていて、その実何もかも知りつくしているのではあるまいか。

「もう駄目だ」

 と思うと、目の前が真暗になった。

「いっそのこと、そうだ、いっそのこと」

 彼女は幾度も、幾度も、決心をしては思い返した。そして、とうとう、……

「明智さん、車をとめて下さい。私を逃がして下さい。でないと……」

 不二子の震え声が叫んだかと思うと、どこに持っていたのか、ピストルの筒口が、彼女の袖の間から首を出した。

「オヤ、妙なおもちゃをお持ちですね」

 明智はそれを見ても、平気でニコニコ笑っている。

「僕をうつのですか。ハハハハ、あなたにうてますか。人が殺せますか。サア、やってごらんなさい」

 不二子は引金に指をかけたが、相手のあまりに平気な態度に、不思議な圧迫を感じて、どうしても、それを引く力がなかった。人間の精神力には、無心な兇器をさえ征服する力がある様に見えた。

 アア駄目だ、私にはとても出来ない。

 又仮令このピストルで明智を殺し得たとしても、女の身で、果して逃げおおせることが出来るかしら。すぐ目の前に運転手がいる。運転手は見逃してくれても、町の人がいる。交番がある。(とて)も迚も助かる見込みはありゃしない。

 たった一つ残っているのは、人を(きずつ)けないで、恋人を救う方法だ。昔からの女性が、この様な場合に、いつも選んだ雄々(おお)しい方法だ。不二子も遂にその決心をかためた。

 明智は、不二子の顔色がサッと青ざめるのを見た。両眼に異様な輝きの加わるのを見た。キッと結んだ唇に、はげしい痙攣の起るのを見た。そしてピストルの筒口が徐々に方向を変えて、彼女自身の胸に向けられて行くのを見た。

「アッ、いけない。およしなさい」

 自分に向けられた筒口にはビクともしなかった明智も、これには色を変えた。何か訳の分らぬことを叫びながら、不二子のピストルに飛びついて行った。

 だが、不二子はヒョイと身を(かわ)して、恐ろしい目で明智を睨みつけながら、

「明智さん、父に一言お伝え下さい。不孝の罪は幾重(いくえ)にもお許し下さいましって。そして、不二子は、恋しい黄金仮面の悪魔を救う為に、自殺しましたって」

 アア、何ということだ。この美しい令嬢は、日本中の人がおじ恐れる黄金仮面の悪魔を救う為に、一人の父の歎きをさえ顧みようとしないのだ。あの怪賊のどこにその様な恐ろしい魔力がひそんでいるのだろう。

 流石の名探偵も、これには弱り切った。智恵も腕力も、このか弱い少女の決心を飜す力はないのだ、ピストルを奪おうとすれば、その刹那、相手は引金を引くに極っている。この場合、なまじ止めだてすることは、不二子さんの死を早めるに過ぎないのだ。

 世の中には、人力の如何(いかん)とも為し得ぬ事柄がある。いかな明智も、この恐ろしい決意の前には、みじめにも手も足も出ない有様だ。

 だが丁度その土壇場に、人力以上のものが出現した。全く予期せぬ救いの手が現われた。

 奇蹟だ。殆どあり得べからざることが起ったのだ。

 一体全体何物が、どこから救いの手を伸ばしたのか。外でもない三尺と隔たぬ自動車の運転席から、今まで向うを向いていた運転手の右腕が、ニューッと伸びたかと思うと、忽ち不二子のピストルを奪い取ってしまった。

 明智にばかり気を取られていた不二子は、不意をうたれて、もろくも敵に武器を渡してしまった。

 だが、彼は果して不二子の敵であったか。イヤイヤ決して敵ではなかった。実に驚くべきことには、その運転手は、敵どころか、味方も味方、彼女の恋人、黄金仮面であったのだ。

 今までは鳥打帽をまぶかく外套の襟を立てて、後頭部を隠していたので、少しもそれと気づかなかったけれど、ヒョイと振返ったその顔は、まぎれもない黄金仮面、ギラギラ光る金色のお能面が、例の三日月型の唇で、ニヤリと笑ったのだ。

 奇蹟だ。彼がいつの間に、本物の運転手を追い出して、この自動車に乗っていたのか。どう考えても不可能なことだ。あの部屋の窓から飛び出して、この自動車の停っていた場所へ来るのには、是非とも見通しの庭を通らねばならぬ。明智はそこを見張っていた。庭には誰もいなかったのだ。

 流石の明智も、余りの不意うちにど胆を抜かれた体である。併し、意外も意外だが、今はそれどころではない。このさし迫った危地を、如何にして脱すべきかが問題だ。

 というのは、黄金仮面は不二子から奪ったピストルを、そのまま明智にさしつけて、今にも発射しようと身構えているからである。

 主客の地位が一瞬にして顛倒した。攻めていた明智が攻められるのだ。

「車を出なさい。すぐ出なさい。出なければ、あなたを殺します」

 仮面運転手は、例の怪物独特の、極めて不明瞭な調子で、落ちつき払って命令した。

 明智は思わぬ不覚に、歯を噛み鳴らして(いか)った。さっき車に乗る時、運転手の顔を、なぜよく検べなかったか。明智小五郎の名にかけて悔んでも悔み足りない手落ちだった。

「出ませんか」

 黄金仮面の催促だ。サア降りろと云わぬばかりに車は(とめ)てある。あたりは敵にとっておあつらえ向きの淋しい工場裏だ。

 だが、「出ませんか」と云われて、意地にも「ハイ」と車を出られるものではない。明智としてそんな侮辱には耐えられぬ。

 とつおいつ、頭を風車(かざぐるま)の様に急がしく働かせて、咄嗟の手段を考えている内に、五秒十秒と時がたった。

 と、遂に、グワンと音がして、自動車がいびつになるかと疑われる、空気の激動。怪物がしびれを切らせて、とうとう第一弾を発射したのだ。

 明智と不二子の口から同時に出た、何とも云えぬ恐怖の叫び声。が、仕合わせと(たま)はそれた。後部のガラス窓を微塵に打破(うちわ)ったばかりだ。

 見ると怪物は第二弾発射の、()()程の隙もない身構えだ。

「畜生」

 明智は遂に断念した。一先ず命を(まっと)うして、再挙を計る外はない。残念ながら、彼はヒラリと身を躍らせて、車外へ飛び出した。

「サヨナラ!」

 憎々しげな捨ぜりふで、車はいきなり走り出す。同時に、又しても不気味なショック。敵は卑怯にも、走る車内から第二弾を発射したのだ。

「オット危い。危い」

 明智は快活に怒鳴りながら、ピョンピョンと兎の様に反対の方角へ走り出した。

 丸は黄金の衣裳を縫って、危うく脇腹をかすめ過ぎたのだ。

 樹蔭から赤いテイルが見えなくなるまで見送ったあとで、明智は又しても、何のことか訳の分らぬ独言を呟いた。

「畜生()、日本人を、あのモロッコの蛮族同様に心得ているんだな」

 彼が謎の様な言葉を吐くのは、これで二度目だ。一度は不二子に「フランス語が出来ますか」一度は今の「モロッコの蛮族」だ。両方とも犯罪事件にどんなつながりがあるのか、少しも見当がつかぬけれど、無論黄金仮面の正体に関する言葉に相違ない。後々に関係のある事(ゆえ)、読者はこれをよく記憶にとめて置いて頂き度い。

 賊の発砲が単なるおどかしでなくて、本当に相手を殺す気であったらしいことが、明智小五郎をびっくりさせた。非常に意外な感じがした。

 彼は逃げ出した足を止めないで、元の怪屋へ取って返した。そこにまだ、仕残した用事がある様な気がしたからだ。

 月あかりの生垣の外を、ブラブラ歩きながら、何かを発見しようとあせった。賊が庭の真中で煙の様に消え失せた奇蹟、その賊がいつの間にか明智の自動車の運転台に納まっていた、あの不思議な謎を解こうとあせった。

 生垣に沿って、浅い溝が続いていた。彼はその溝の外を、何か口の中でブツブツ呟きながら、歩いて行った。

 ふと耳をすますと、どこからか妙なうなり声が聞えて来た。確かに人間の苦悶の声だ。見渡した所、どこにも人の影さえなくて、うなり声だけが、耳のそばに聞える。又しても降りそそぐ月光の怪異だ。

「誰だ。どこにいるんだ」

 呶鳴って見ると、我が声も月にこだまして、飄々(ひょうひょう)として空に消えて行く様な気がした。

「ウウ……」

 だが、うめき声は、答える様に大きくなった。地から()く声だ。

 彼は思わず足元に目をやった。かれた溝が帯の様に続いている。月光はその溝の中にまで(しの)び入って、美しい縞を作っている。

 アア、いたいた。二間程向うの溝の中に(うごめ)いているのは確かに人間だ。とうとう彼の探し求めていたものが見つかったのだ。

 駈けつけて引起して見ると、案の定それは彼の傭った自動車の運転手であった。手足の縄を解き、猿轡(さるぐつわ)をはずしてやると、泥まみれの男はやっと口を利いた。

「旦那ですか。実にひどい目に合いましたぜ。あの屋根から飛び降りて来た、金ピカの怪物は、一体全体何者です」

 明智は黄金仮面のことも、彼がその黄金仮面に変装する事も、運転手には知らせてなかった。仮面と衣裳は風呂敷包みにして置いて、怪屋へ行ってから変装したのだし、今は又、さっきの自動車の中へその衣裳を残して来たので、元の脊広姿に戻っていた。

「エ、屋根からだって、あいつが屋根から飛び降りたって?」

 明智は運転手の異様な言葉にギョッとして聞き返した。

「エエ、屋根からですとも、まるで金色の鳥の様でした。あんまり変なので夢でも見たんじゃないかと、目をこすっている間に、そいつは生垣を越えて、鉄砲玉みたいに、僕に飛びついて来たのです。何をする隙もありやしません。それに、おっそろしく力の強い奴でね。アッと思う間に、もうぐるぐる縛られていたんです。それから、猿轡をはめて、自動車の見えないここまで担いで来て、ポイと溝の中へ抛り込みやがったんです」

 併し、明智は運転手の説明を半分も聞いていなかった。彼は矢庭に生垣を飛び越すと、さっき黄金仮面と格闘した部屋の外へ駈けつけた。見ると、その部屋は一階建てで、屋根のひさしもそんなに高くはない。

「旦那、旦那、あいつはどこの野郎です。僕の車をどこへ持って行ったんです」

 運転手は、息せき切って、明智を追駈けて来た。

「君、この窓枠へ手をかけて、尻上りに、あの屋根へ昇れると思うかね。人間業でそんな芸当が出来ると思うかね」

 明智が飛んでもない質問をしたので、運転手はびっくりして、目をパチパチさせた。

「僕には迚も出来ない。イヤ、誰だって出来ないだろう。併し、あいつ丈は例外だ。博覧会の産業塔へ昇った奴だからね。梯子乗りの名人の仕事師でさえ(かな)わなかった奴だからね」

 明智は気でも違った様に、喋りつづけた。

「アア、俺は何という馬鹿者だろう。屋根に気がつかぬとは。庭ばかり探し廻って、上の方を見もしなかったとは。君、あいつは庭へ飛び出すと見せかけて、窓枠に手をかけ、一振り振った反動で、足の先で屋根のひさしへ昇りついたんだぜ。そして、僕が庭を探している間、屋根の斜面に平べったくなって隠れていたんだぜ」

「それから、旦那の先廻りをして、表の方へ飛降りたという訳ですね。併し、あいつは一体何者です。旦那は御存じなんですか」

「オヤオヤ、君はまだ気づかないのかね。外に金色の化物があるものか。あいつだよ。あれが黄金仮面だよ」

「エッ、黄金仮面?」

 運転手は驚きの余り、白痴の様にポカンと口を開いたまま、二の句がつげなかった。

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