黄金仮面

25話 名射撃手

2,765字 約6分 2021年7月28日 公開

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 その翌日、日比谷(ひびや)公園の大車道に、一台の自動車が捨ててあった。番号によって、それが昨夜明智の傭った車であることが分った。

 それ丈けだ。黄金仮面も、不二子さんも、どこへ姿を隠したのか、いつまでたっても、見当さえつかなかった。

 同時に、その日から、明智に対する賊の執拗な迫害が始まった。彼等はあらゆる手段を講じて、この唯一の邪魔者をかたづけてしまおうと企らんでいたのだ。

 敵は決して姿を見せなかった。併し、明智の行く先々に待伏せしているとしか考えられないのだ。

 ある時は、荷馬車の馬が、突然あばれ出して、通りかかった明智を(ひづめ)にかけようとした。

 ある時は、工事中の建築物の足場から、明智の頭の上へ、鉄材が降って来た。

 用心して外出を見合わせていると、賊の手は開化アパートの内部にまで伸びて来た。ある日食堂から自室へ取寄せたコーヒーの味が変だったので、一口飲んだばかりで、検べて見ると、毒薬が調合してあることが分った。コーヒーを運んで来たボーイは、一度も見たことのない男であった。しかも、その男は、アパートの雇人ではなくて、その日だけボーイの服装をしてまぎれ込んでいたものと知れた。

 それ以来アパート内に私服刑事が入込(いりこ)んで、警戒を厳重にしたので、二度とその様なことは起らなかったけれど、往来に面した窓から、ソッと覗いて見ると、夜など、異様な人影が、建物の前をウロウロしていることが屡々(しばしば)あった。

 賊は明かに明智を殺そうとしている。先ずこの邪魔者を取除いた上、ゆるゆる次の犯罪に取りかかる計画に相違ない。

 明智ともあろうものが、なぜかこの迫害に対しては極度に臆病であった。彼は殆ど外出しないばかりか、自室のドアには内部から錠をおろし、三度の食事の外は、アパートの廊下にさえ姿を見せなかった。

 彼の綿密な注意は、郵便物にまで行届いた。返信用の封筒や切手は、皆海綿を用いて、決して口で()める様なことはしなかった。小包は凡てボーイに開かせ、何の危険な仕掛けもないことを確めて受取った。

 自室にとじこもった彼は、昼も夜も読書に余念がなかった。彼の室はアパートの二階の表に面した側にあったので、夜は用心深く締め切ったガラス窓と黄色のブラインドを通して、彼の読書する影が、表通りから眺められた。

 机が窓際に置いてあった為に、彼の影は、毎晩同じ窓に同じ形で映っていた。時々廻転椅子の向を変えたり、姿勢をくずしたりする様子が、ハッキリした影絵になって、まざまざと眺められた。

 夜の読書は八時から十時までと判で押した様に極まっていた。十時がうつと、電燈を消して彼は寝室へ退くのだ。

 賊は手も足も出なかった。こちらからアパート内に入り込むことは、最早絶対に不可能だった。といって明智の外出を待っていては際限がない。夜毎に映る窓の影、それを彼等はどうすることも出来ないのだ。玄関には番人の外に近頃では私服刑事まで張り込んでいる。それに表は電車通りだ。とても人知れず二階の窓へ昇る隙はない。仮令昇って見た所で、抜りない明智のことだ。どうせ相当防備の手段を用意しているに相違ない。ひょっとしたら、あのこれ見よがしの窓の影さえ、賊を引き寄せる恐ろしい罠でないとは云えぬのだ。

 といって、そのまま指をくわえて引込む黄金仮面ではなかった。名探偵の用意が行届けば行届く程、彼は寧ろ勇み立って、次から次へと攻撃手段を案出した。そして、遂に、あの途轍(とてつ)もない事件が起る様になったのだ。

 それは賊の迫害がはじまってから、丁度一週間目の夜であった。いつも明智が窓際の読書から寝室に退く、十時に五分前というきわどい時刻、流石の名探偵も、全く予想しなかったであろう様な、思いもかけぬ方角から、賊の最後の非常攻撃が行われ、しかもそれがまんまと効を奏したのである。

 十時五分前、一台のありふれた型の円タク自動車が、水道橋(すいどうばし)の方から、開化アパート前の電車通りを、規則一杯のフル・スピードで走って来た。見た所どこといって変った様子もなかった。ただ、テイルの番号標の白い数字に、泥がかかって、半分程全く見えなくなっていたけれど、ゴー・ストップのお巡りさんも、まさかそれが、番号を隠す為に故意に泥を塗ったものとは気づかず、何気なく見送ってしまった程だ。

 外見はその様に何のこともなかったが、若し人あって、箱の中の客席を覗き込んだなら、余りのことに、アッと驚きの叫声を立てないではいられなかったであろう。

 規定に従って、車内の豆電燈はついていたし、窓にはブラインドもおろさず、客席は見通しになっていたが、その代りに、まるで引越し荷物の様な、大風呂敷包みが、三つも四つもつめ込まれ、客の姿はその蔭に隠れて、殆ど見えないのだ。

 いや見えないばかりではない。その客は、風呂敷包みの蔭に坐り込み、一挺の銃を肩に当て、引金に指をかけ、筒口を開いた窓の隅に置いて、今にも発砲しようという身構えでいるのだ。アフリカの猛獣狩りではあるまいし、自動車の中から、いくら人通りが少いといっても、東京の真中の電車通りで、一体全体何を撃つ積りなのか。

 イヤ、もっと恐ろしいことがある。風呂敷の間から、キラリと光って見えたのは、確かに、金製のお面だ。アア、この異様な客こそ、怪賊黄金仮面であったのだ。

 車はフル・スピードのまま、開化アパートの前にさしかかった。車上の射手(いて)は、すわとばかり狙いを定めた。銃口の向う所は、アア……アパートの二階の明智の部屋だ。そこの窓に映った名探偵の黒い影だ。この日頃の習慣といい、モジャモジャ頭を初め全身の恰好といい、人違いをする気遣いはない。

 アッと思う間に、深夜の大気を揺がして、一発の銃声。だが、誰も驚くものはない。まさかそんな所で鳥打ちを始める奴もないからだ。自動車のタイヤがパンクしたんだなと、そのまま聞き過ごしてしまった。

 ただ、アパートの隣室の人々が、ちょっと驚かされた。というのは、明智の部屋の窓ガラスがひどい音を立ててわれたからだ。

 弾丸は見事に命中した。ブラインドに映る明智の影が、グラグラと揺れたかと思うと、いきなり机の上にバッタリ倒れてしまった。

 しめたッ。うまく行ったぞ。サア逃げるんだ。全速力で逃げるんだ。そして、車は一段と速力を増し、次の淋しい横町へと曲って行った。

 それにしても、何とすばらしい射手であったか。二十(マイル)の速力で疾走する車上から、たった一発で的を射当てたのだ。窓の人影を打ち倒したのだ。

 ブラインドの影は机の上に倒れたまま、背中の一部を映して、微動さえしなかった。我が明智小五郎は傷ついたのか。イヤイヤ傷ついたばかりなら、声を上げて人を呼ぶ筈だ。身悶えもする筈だ。影が少しも動かず、声も立てぬ所を見ると、若しや、アア若しや、彼は已に息が絶えたのではなかろうか。

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