27話 大夜会
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それから一週間程、警視庁のやっきの捜査も空しく、明智小五郎死体紛失事件は何等の進展を示さなかった。明智の行衛は勿論、黄金仮面の所在についても、髪の毛程の手掛りも掴むことが出来なかった。
捜査係長波越警部は、「蜘蛛男」以来無二の親友でもあり、唯一の相談相手でもあった、民間の智慧袋を失って、非常な失望を感じ、その加害者である黄金仮面に対しては、職務以上の憤激を覚えた。
それ丈けに、明智の行衛捜査については、死力を尽したが、武運つたなく、未だに何の手掛りさえ発見出来ないのだ。
彼は今日も、萎え相になる気力を奮い起して、早くから登庁した。そして、自席について、今日の捜査方針に思い耽っている所へ、刑事部長からの使だ。
「オヤ、部長さん、今日は馬鹿に早いぞ」
といぶかりながら、その部屋へ行って見ると、刑事部長の様子が普通ではない。何かしら、ひどく昂奮しているらしい。
「君、それを読んで見たまえ」
波越氏の顔を見るなり、何の前置きもなく、部長は一通の手紙様のものを差出すのだ。
受取って見ると、奉書の巻紙に、叮嚀な字で、左の様な奇怪な文句が書きつけてあった。
来る十五日夜閣下の邸宅に開かるる貴国実業家代表歓迎大夜会には、余も招かれざる客として、必ず出席致すべく候。他意あるに非ず、貴国実業家代表諸公に敬意を表し、併せて余の職業を遂行せん為に候。此段予め閣下の意を得たく一書を呈し候。
黄金仮面
F国大使 ルージェール伯爵閣下
「黄金仮面! 畜生、とうとう現われやがったな」
波越氏は思わず真赤になって怒鳴った。
「昨日おそくF国大使館から急使があったのです。総監は不在中なので、僕が代って面会した。書記官と通訳です。実業家代表の日程が極っているので、夜会を延期する事は出来ない。仮令延期したところで、賊の方では手を引く訳もないのだから、夜会は予定通り催すことに極めた。ついては、万一の場合に備える為に、警視庁の援助を願いたいという申出でだ」
刑事部長は、極めて無感動な、事務的な調子で、説明を続けた。
「御承知の通り、F国大使の邸宅は、大使館の構内にあるので、事が面倒です。黄金仮面は実に困った場所を狙ったものだ。だが、この重大な事件を抛って置く訳には行かぬので、外務省とも打合わせをした結果、当夜は、警視庁から二十名程の私服刑事を、目立たぬ様に大使邸に入り込ませ、充分警戒する手筈を定めました。そこで、従来の関係もあることだから、御苦労でも、君にその刑事隊の指揮をお頼みしたいのです。一つヘマをやると、国際問題になる重大な場合ですから、出来る丈け手抜かりのない様、慎重にやって貰わねばなりません」
ちょっと考えると、賊の手紙一通で、大使館や警視庁や外務省までが、大騒ぎを始めるというのは、おかしく思われるが、「黄金仮面」の妖しき影は、それ程深く人々の心にしみ込んでいたのだ。殊に当のF国大使ルージェール伯は、読者も知る通り、嘗つて日光の鷲尾侯爵邸で、黄金仮面の魔力を、まのあたり見ている丈けに、この一片の予告状を、可成重大に考えたのも無理ではない。
「奴は来ると云ったら、きっと来ます」
波越警部は、従来の度々の経験で、それを信じ切っていた。
「久し振りで奴にお目にかかる訳ですね。今度こそは、逃がしません。奴を引括るか、でなければ辞職です」
彼は物々しい決心の色を浮べて、云い放った。
問題の十五日までには、五日間の余裕があった。その間に波越警部は、あらん限りの智恵をしぼって、万遺漏なく警戒準備をととのえた。無論大使邸にも度々足を運んで、大使にも面会し、建物の構造をも取調べた。
庁内をすぐって、優秀なる二十名の刑事隊が組織せられた。彼等は夫々大使館の下級吏員に、或は大使邸の書生、下男などに変装して、大夜会場の内外を警戒する手筈になっていた。
十四日には、旅行から帰った警視総監が、招待客の一人として、大夜会に出席し、それとなく部下の指揮に当ることが決定された。一盗賊の黄金仮面にとって、身に余る光栄と云わねばならぬ。
さて愈々当日が来た。
麹町区Y町のF国大使館附近には、午後になると早くも、十数名の制服巡査が、配置された。F国実業家代表の一行は、この国にとって、非常に大切な賓客であったから、「黄金仮面」の一条がなくとも、この程度の警戒は当然なのだ。
定刻に近づくに従って、大使館の構内には、続々と自動車が乗り入れられ、大使館表玄関の石段を上る靴の音が、しげくなった。
その石段の上には接待係になりすました燕尾服の波越警部が、私服の二名の部下と共に頑ばっていた。
大使の二名の秘書官(その一人は通訳を兼ねた邦人秘書官であった)が、波越警部と肩を並べて来客の首実検を勤めた。
来客はF国人が最も多く、邦人それにつぎ、他の諸外国の人々も混っていた。それが多くは夫人同伴で、夫々の国語を囁き交しながら入って来る有様は、さながら人種展覧会の感じであった。
知名の人々ばかりであったから、大抵は一目でそれと分ったが、中には秘書官も、波越警部も顔を見知らぬ客があった。そういう人には、鄭重に招待状を要求し、姓名を尋ね、それが日本人である場合は、波越氏と二人の部下が、三方から、ジロジロと鋭い疑惑の視線をあびせかけるという、水も漏らさぬ警戒ぶりだ。
招待者の人数はハッキリ分っていたから、最後の客が到着すると、直様玄関の大扉を締切り、数名の私服刑事が、其内外に見張り番を勤めた。裏口にも同じく見張りがつき、建物の外側に設けられた非常階段にさえ、二人の刑事が詰めていた。つまり何人も、仮令一匹の猫さえも、刑事の目に触れないでは、建物から出ることも、そこへ入ることも、全然不可能であった。
さて、か様にして、大使邸にとじこめられた数十人の来客中には、黄金仮面の変装ではないかと疑うべき人物は一人もいなかった。招待状と来客の頭数とがピッタリ一致していた。又、来客達はお互に知合いであって、大ホールのここかしこに一団を為し、親しげに会話を取交わしている様子を見ても、その中に全く誰にも顔なじみのない、盗賊などが混っていようとは考えられなかった。
大食堂の贅沢な晩餐会がすんだのは、午後八時頃であった。そして愈々、ルージェール伯が趣向をこらした、奇怪なる七つの部屋の舞踏会が始まったのだが、その前に、晩餐の間に波越警部の注意をひいたある事実を、読者に告げて置かねばならぬ。
警部は接待係に扮していたのだから、晩餐の席へ入り込むことも自由であったが、食卓が開かれて間もなく、食堂の隅の大花瓶の蔭に佇んで、食事中の客の一人一人を、注意深く観察していた時、彼はふと妙なことに気がついた。
それは、彼の外にも、同じ様に、食卓の人々をジロジロと眺めている一人物があったことだ。
その席には、美しい制服をつけた、日本人の給仕達が、作法正しく立働いていたが、その中に一人丈け、無作法にも食事中の賓客の顔をジロジロ眺めている奴がある。しかもそれは、無心に眺め廻すのではなく、ある特定の人物を、細くした目の隅から、さも意味ありげに執念深く観察しているのだ。
特定の人物というのは、第一が主人役のルージェール伯爵だ。伯爵をチラッチラッと盗み見る、其の給仕人の目つきには、何かしら敵意に似たものが感じられた。
二番目には、警視総監だ。余りジロジロ見ているものだから、総監の方でも感づいて、二三度不思議な給仕人を見返したが、給仕人はその都度、ハッと目をあらぬ方に転じて、そしらぬ振りを装うのだ。
給仕人が盗み見る人物は、食卓のまわり丈けではなかった。彼の目は食卓を離れて、部屋の隅に佇んでいる、第三番目の人物にも、屡々注がれた。その第三番目の人物というのは、外でもない、花瓶の蔭の波越警部その人である。
その給仕人は、挙動がいぶかしいばかりでなく、風采も非常に変っていた。年配は三十五六に見えたが、給仕の癖に立派やかな口髭を貯え、気取った縁なしの近眼鏡をかけているのだ。
警部は予め給仕人等の身元をも充分取調べ、別段疑わしいものもないことは確めてあったので、まさかこの髭の給仕が黄金仮面の変装姿だとは思わぬが、それにしても、何となく気掛りな人物である。
彼は絶え間なく給仕の挙動を注意していた。給仕の方でも警部の存在を、頭の隅でいつも意識している様に見えた。
だが、これという程の出来事もなく、やがて晩餐は無事に終った。そして、奇抜な仮面舞踏会が始まった。