眉かくしの霊

4話 眉かくしの霊(4)

6,999字 約14分 2001年6月7日 公開

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「ええ、その時、この、村方で、不思議千万な、色出入り、――変な姦通(まおとこ)事件がございました。

 村入りの雁股(かりまた)と申す(ところ)に(代官(ばば))という、庄屋(しょうや)のお(ばあ)さんと言えば、まだしおらしく聞こえますが、代官婆。……渾名(あだな)で分かりますくらいおそろしく権柄(けんべい)な、家の系図を鼻に掛けて、(おら)が家はむかし代官だぞよ、と二言めには、たつみ上がりになりますので。その了簡(りょうけん)でございますから、中年から後家になりながら、手一つで、まず……(せがれ)どのを立派に育てて、これを東京で学士先生にまで仕立てました。……そこで一頃(ひところ)は東京住居(ずまい)をしておりましたが、何でも一旦(いったん)微禄(びろく)した家を、故郷(ふるさと)()(ぱだ)けて、村中の(つら)を見返すと申して、估券(こけん)(つぶ)れの古家を買いまして、両三年(ぜん)から、その伜の学士先生の嫁御、近頃で申す若夫人と、二人で引き籠もっておりますが。……菜大根、茄子(なすび)などは料理に醤油(したじ)(つい)え、だという倹約で、(ねぶか)(にら)大蒜(にんにく)辣薤(らっきょう)と申す五(うん)(たぐい)を、空地(あきち)中に、植え込んで、塩で弁ずるのでございまして。……もう遠くからぷんと、その家が(にお)います。大蒜屋敷の代官婆。……

 ところが若夫人、嫁御というのが、福島の商家の娘さんで学校をでた方だが、当世に似合わないおとなしい(やさ)しい、ちと内輪すぎますぐらい。もっともこれでなくっては代官婆と二人住居はできません。……大蒜ばなれのした(かた)で、(すき)にも、(くわ)にも、連尺にも、婆どのに追い使われて、いたわしいほどよく辛抱なさいます。

 霜月の半ば過ぎに、不意に東京から大蒜屋敷へお客人がございました。学士先生のお友だちで、この方はどこへも勤めてはいなさらない、もっとも画師(えかき)だそうでございますから、きまった勤めとてはございますまい。学士先生の方は、東京のある中学校でれっきとした校長さんでございますが。――

 で、その画師さんが、不意に、大蒜屋敷に飛び込んで参ったのは、ろくに旅費も持たずに、東京から()げ出して来たのだそうで。……と申しますのは――早い話が、細君がありながら、よそに深い馴染(なじみ)が出来ました。……それがために、首尾も義理も世の中は、さんざんで、思い余って細君が意見をなすったのを、何を! と言って、一つ横頬(よこぞっぽ)(くら)わしたはいいが、御先祖、お両親(ふたおや)位牌(いはい)にも、くらわされてしかるべきは自分の方で、仏壇のあるわが家には居たたまらないために、その場から(かど)を駈け出したは出たとして、知合(ちかづき)にも友だちにも、女房に意見をされるほどの始末で見れば、行き(どころ)がなかったので、一夜(ひとよ)しのぎに、この木曾谷まで遁げ込んだのだそうでございます、遁げましたなあ。……それに、その細君というのが、はじめ画師(えかき)さんには恋人で、晴れて夫婦になるのには、この学士先生が大層なお骨折りで、そのおかげで思いが(かな)ったと申したようなわけだそうで。……遁げ込み場所には屈竟(くっきょう)なのでございました。

 時に、弱りものの画師さんの、その深い馴染というのが、もし、何と……お艶様――手前どもへ一人でお泊まりになったその御婦人なんでございます。……ちょいと申し上げておきますが、これは画師さんのあとをたずねて、雪を分けておいでになったのではございません。その間がざっと半月ばかりございました。その間に、ただいま申しました、姦通(まおとこ)騒ぎが起こったのでございます。」

 と料理番は一息した。

「そこで……また代官(ばば)に変な癖がございましてな。癖より病で――あるもの知りの方に承りましたのでは、訴訟狂とか申すんだそうで、(ねぶか)が枯れたと言っては村役場だ、小児(こども)(にら)んだと言えば交番だ。……派出所だ裁判だと、何でも上沙汰(かみざた)にさえ持ち出せば、我に理があると、それ貴客(あなた)、代官婆だけに思い込んでおりますのでございます。

 その、大蒜(にんにく)屋敷の雁股(かりまた)へ掛かります、この街道(かいどう)棒鼻(ぼうばな)(つじ)に、巌穴(いわあな)のような窪地(くぼち)に引っ込んで、石松という猟師が、小児(がき)だくさんで()もっております。四十親仁(おやじ)で、これの小僧の時は、まだ微禄(びろく)をしません以前の……その婆のとこに下男奉公、女房(かかあ)も女中奉公をしたものだそうで。……婆がえろう家来扱いにするのでございますが、石松猟師も、堅い親仁で、はなはだしく御主人に奉っておりますので。……

 (よい)の雨が雪になりまして、その年の初雪が思いのほか、夜半(よなか)を掛けて積もりました。山の、(しし)(うさぎ)(あわ)てます。猟はこういう時だと、夜更(よふ)けに、のそのそと起きて、鉄砲しらべをして、炉端(ろばた)茶漬(ちゃづけ)()っ食らって、手製(てづくり)(さる)の皮の毛頭巾(けずきん)(かぶ)った。(むしろ)の戸口へ、白髪(しらが)を振り乱して、蕎麦切色(そばきりいろ)(ふんどし)……いやな(やつ)で、とき色の禿()げたのを不断まきます、尻端折(しりぱしょ)りで、六十九歳の代官婆が、跣足(はだし)で雪の中に突っ立ちました。(内へ()けものが出た、来てくれせえ。)と顔色(がんしょく)、手ぶりで(あえ)いで言うので。……こんな時鉄砲は強うございますよ、ガチリ、実弾(たま)をこめました。……旧主人の後室様がお跣足でございますから、石松も素跣足。街道を突っ切って(にら)辣薤(らっきょう)葱畑(ねぶかばたけ)を、さっさっと、化けものを見届けるのじゃ、静かにということで、婆が出て来ました納戸口(なんどぐち)から入って、中土間へ忍んで、指さされるなりに、板戸の節穴から(のぞ)きますとな、――何と、六枚折の屏風(びょうぶ)(なか)に、(まくら)を並べて、と申すのが、寝てはいなかったそうでございます。若夫人が()長襦袢(ながじゅばん)で、掻巻(かいまき)(えり)の肩から(すべ)った半身で、画師の(ひざ)に白い手をかけて俯向(うつむ)けになりました、背中を男が、()でさすっていたのだそうで。いつもは、もんぺを穿()いて、木綿(もめん)のちゃんちゃんこで居る嫁御が、その姿で、しかもそのありさまでございます。石松は化けもの以上に驚いたに相違ございません。(おのれ、不義もの……人畜生(にんちくしょう)。)と代官婆が土蜘蛛(つちぐも)のようにのさばり込んで、(やい、……動くな、その(ざま)を一寸でも動いて(くず)すと――鉄砲(あれ)だぞよ、弾丸(あれ)だぞよ。)と言う。にじり上がりの屏風の端から、鉄砲の銃口(すぐち)をヌッと突き出して、毛の生えた(ひきがえる)のような石松が、目を光らして(ねら)っております。

 人相と言い、場合と申し、ズドンとやりかねない勢いでごさいますから、画師さんは面喰(めんく)らったに相違ございますまい。(天罰は()(どころ)じゃ、足四本、手四つ、(つら)二つのさらしものにしてやるべ。)で、代官婆は、近所の村方四軒というもの、その足でたたき起こして廻って、石松が鉄砲を向けたままの、そのありさまをさらしました。――夜のあけ方には、派出所の巡査(おまわり)檀那寺(だんなでら)和尚(おしょう)まで立ち会わせるという狂い方でございまして。学士先生の若夫人と色男の画師さんは、こうなると、緋鹿子(ひがのこ)扱帯(しごき)(わら)すべで、彩色(さいしき)をした海鼠(なまこ)のように、雪にしらけて、ぐったりとなったのでございます。

 男はとにかく、嫁はほんとうに、うしろ手に(くく)りあげると、細引を持ち出すのを、巡査(おまわり)(しか)りましたが、叱られるとなお(たけ)り立って、たちまち、裁判所、村役場、派出所も村会も一所にして、姦通(かんつう)の告訴をすると、のぼせ上がるので、どこへもやらぬ監禁同様という趣で、ひとまず檀那寺まで引き上げることになりましたが、()証拠(じょうこ)だと言い張って、嫁に衣服(きもの)を着せることを()きませんので、巡査(おまわり)さんが、雪のかかった外套(がいとう)を掛けまして、何と、しかし、ぞろぞろと村の女小児(こども)まであとへついて、寺へ参ったのでございますが。」

 境はききつつ、ただ幾度(いくたび)歎息(たんそく)した。

「――()がしたのでございましょうな。画師さんはその夜のうちに、寺から影をかくしました。これはそうあるべきでございます。――さて、聞きますれば、――(せがれ)の親友、兄弟同様の客じゃから、伜同様に心得る。……半年あまりも留守を守ってさみしく一人で居ることゆえ、嫁女や、そなたも、伜と思うて、つもる話もせいよ、と申して、身じまいをさせて、()ものまで着かえさせ、寝る時は、にこにこ笑いながら、床を並べさせたのだと申すことで。……嫁御はなるほど、わけしりの弟分の膝に(すが)って泣きたいこともありましたろうし、芸妓(げいしゃ)でしくじるほどの画師さんでございます、背中を(さす)るぐらいはしかねますまい、……でございますな。

 代官婆の憤り方をお察しなさりとう存じます。学士先生は電報で呼ばれました。何と(なだ)めても承知をしません。ぜひとも姦通の訴訟を起こせ。いや、恥も外聞もない、代官といえば帯刀じゃ。武士たるものは、不義ものを成敗(せいばい)するはかえって名誉じゃ、とこうまで間違っては事面倒で。たって、裁判沙汰にしないとなら、生きておらぬ。咽喉笛(のどぶえ)鉄砲じゃ、鎌腹(かまばら)じゃ、奈良井川の(ふち)を知らぬか。……桔梗ヶ池(ききょうがいけ)へ身を沈める……こ、こ、この(ばばあ)め、沙汰の限りな、桔梗ヶ池へ沈めますものか、身投げをしようとしたら、池が投げ出しましょう。」

 と言って、料理番は苦笑した。

「また、今時に珍しい、学校でも、倫理、道徳、修身の方を御研究もなされば、お教えもなさいます、学士は至っての御孝心。かねて評判な方で、嫁御をいたわる(はた)の目には、ちと弱すぎると思うほどなのでございますから、(こう)じ果てて、何とも申しわけも面目(めんぼく)もなけれども、とにかく一度、この土地へ来てもらいたい。万事はその上で。と言う――学士先生から画師(えかき)さんへのお頼みでございます。

 さて、これは決闘状(はたしじょう)より可恐(おそろ)しい。……もちろん、村でも不義ものの(つら)へ、(つば)と石とを、人間の道のためとか申して騒ぐ(かた)が多い真中(まんなか)でございますから。……どの面さげて画師さんが奈良井へ二度面がさらされましょう、旦那(だんな)。」

「これは何と言われても来られまいなあ。」

「と言って、学士先生との義理合いでは来ないわけにはまいりますまい。ところで、その画師さんは、その時、どこに居たと(おぼ)()します。……いろのことから、()しからん、横頬(よこぞっぽ)()ったという細君の、(そで)のかげに、申しわけのない親御たちのお位牌(いはい)から頭をかくして、(しり)も足もわなわなと震えていましたので、弱った方でございます。……必ず、連れて参ります――と代官(ばば)に、誓って約束をなさいまして、学士先生は東京へ立たれました。

 その上京中。その間のことなのでございます、――柳橋の蓑吉(みのきち)(ねえ)さん……お艶様が……ここへお泊まりになりましたのは。……」

      六

「――どんな用事の御都合にいたせ、夜中(やちゅう)、近所が静まりましてから、お艶様が、おたずねになろうというのが、代官婆の(ところ)と承っては、一人ではお出し申されません。ただ道だけ聞けば、とのことでございましたけれども、おともが直接(じか)について悪ければ、垣根(かきね)、裏口にでもひそみまして、内々守って進じようで……帳場が相談をしまして、その人選に当たりましたのが、この、ふつつかな(てまい)なんでございました。……

 お支度(したく)がよろしくばと、(てまい)、これへ……このお座敷へ提灯(ちょうちん)を持って伺いますと……」

「ああ、二つ(どもえ)の紋のだね。」と、つい誘われるように境が言った。

「へい。」

 と暗く、含むような、(おとがい)で返事を吸って、

「よく御存じで。」

「二度まで、湯殿に()いていて、知っていますよ。」

「へい、湯殿に……湯殿に提灯を()けますようなことはございませんが、――それとも、へーい。」

 この様子では、今しがた庭を行く時、この料理番とともに提灯が通ったなどとは言い出せまい。境は話を促した。

「それから。」

「ちと変な気がいたしますが。――ええ、ざっとお支度済みで、二度めの湯上がりに薄化粧をなすった、めしものの藍鼠(あいねずみ)がお顔の影に藤色(ふじいろ)になって見えますまで、お色の白さったらありません、姿見の前で……」

 境が思わず振り返ったことは言うまでもない。

「金の吸口(くち)で、烏金(しゃくどう)で張った煙管(きせる)で、ちょっと歯を染めなさったように見えます。懐紙(かいし)をな、(まゆ)にあてて(てまい)を、おも長に御覧なすって、

 ――似合いますか。――」

「むむ、む。」と言う境の声は、氷を頬張(ほおば)ったように咽喉(のど)(つか)えた。

「畳のへりが、桔梗(ききょう)で白いように見えました。

(ええ、勿体ないほどお似合いで。)と言うのを聞いて、懐紙をおのけになると、眉のあとがいま剃立(そりた)ての真青(まっさお)で。……(桔梗ヶ池の奥様とは?)――(お姉妹(きょうだい)……いや一倍お綺麗(きれい)で)と(ばち)もあたれ、そう申さずにはおられなかったのでございます。

 ここをお聞きなさいまし。」……

(お艶さん、どうしましょう。)

「雪がちらちら雨まじりで降る中を、破れた蛇目傘(じゃのめ)で、見すぼらしい半纏(はんてん)で、意気にやつれた画師さんの細君が、男を寝取った情婦(おんな)とも言わず、お艶様――本妻が、その(てい)では、情婦(いろ)だって工面(くめん)は悪うございます。目を(わず)らって、しばらく親許(おやもと)へ、納屋(なや)同然な二階借りで引き()もって、内職に、娘子供に長唄(ながうた)なんか、さらって暮らしていなさるところへ、思い余って、細君が訪ねたのでございます。」

(お艶さん、(わたし)はそう存じます。私が、貴女(あなた)ほどお美しければ、「こんな女房がついています。何の(やど)が、木曾街道(きそかいどう)の女なんぞに。」と姦通(まおとこ)呼ばわりをするその(ばばあ)に、そう言ってやるのが一番早分りがすると思います。)(ええ、何よりですともさ。それよりか、なおその上に、「お(めかけ)でさえこのくらいだ。」と言って(わたし)を見せてやります方が、上になお奥さんという、奥行があってようございます。――「奥さんのほかに、私ほどのいろがついています。田舎(いなか)で意地ぎたなをするもんですか。」(ばばあ)にそう言ってやりましょうよ。そのお嫁さんのためにも。)――

「――あとで、お艶様の、したためもの、かきおきなどに、この様子が見えることに、何ともどうも、つい立ち至ったのでございまして。……これでございますから、何の木曾の山猿(やまざる)なんか。しかし、念のために土地の女の風俗を見ようと、山王様御参詣(ごさんけい)は、その下心だったかとも存じられます。……ところを、桔梗ヶ池の、(すご)い、美しいお方のことをおききなすって、これが時々人目にも触れるというので、自然、代官婆の目にもとまっていて、自分の容色(きりょう)の見劣りがする()には、美しさで勝つことはできない、という覚悟だったと思われます。――もっとも西洋剃刀(かみそり)をお持ちだったほどで。――それでいけなければ、世の中に(うるさ)(ばばあ)、人だすけに切っちまう――それも、かきおきにございました。

 雪道を雁股(かりまた)まで、棒端(ぼうばな)をさして、奈良井川の枝流れの、青白いつつみを参りました。氷のような月が皎々(こうこう)()えながら、山気が霧に凝って包みます。巌石(がんせき)、がらがらの細谿川(ほそたにがわ)が、寒さに水涸(みずが)れして、さらさらさらさら、……ああ、ちょうど、あの音、……洗面所の、あの音でございます。」

「ちょっと、あの水口を留めて来ないか、身体(からだ)の筋々へ()み渡るようだ。」

「御同然でございまして……ええ、しかし、どうも。」

「一人じゃいけないかね。」

貴方様(あなたさま)は?」

「いや、なに、どうしたんだい、それから。」

「岩と岩に、土橋が()かりまして、向うに(えんじゅ)の大きいのが枯れて立ちます。それが危なかしく、水で揺れるように月影に見えました時、ジイと、(てまい)の持ちました提灯(ちょうちん)蝋燭(ろうそく)が煮えまして、ぼんやり()を引きます。(暗くなると、(ともえ)が一つになって、人魂(ひとだま)の黒いのが歩行(ある)くようね。)お艶様の言葉に――(てまい)、はッとして(のぞ)きますと、不注意にも、何にも、お綺麗(きれい)さに、そわつきましたか、ともしかけが乏しくなって、かえの蝋燭が入れてございません。――おつき申してはおります、月夜だし、足許(あしもと)差支(さしつか)えはございませんようなものの、当館の紋の提灯は、ちょっと土地では幅が利きます。あなたのおためにと思いまして、道はまだ半町足らず、つい一っ走りで、()け戻りました。これが間違いでございました。」

 声も、(ことば)も、しばらく途絶えた。

裏土塀(うらどべい)から台所口へ、……まだ入りませんさきに、ドーンと天狗星(てんぐぼし)の落ちたような音がしました。ドーンと(こだま)を返しました。鉄砲でございます。」

「…………」

「びっくりして土手へ出ますと、川べりに、薄い銀のようでございましたお姿が見えません。提灯も何も()()り出して、自分でわッと言って()けつけますと、居処(いどころ)が少しずれて、バッタリと土手っ腹の雪を(まくら)に、帯腰が谿川の石に倒れておいででした。(寒いわ。)と(うつつ)のように、(ああ、冷たい。)とおっしゃると、その(くちびる)から糸のように、三条(みすじ)に分かれた血が垂れました。

 ――何とも、かとも、おいたわしいことに――(すそ)をつつもうといたします、乱れ(づま)友染(ゆうぜん)が、色をそのままに岩に凍りついて、霜の秋草に(さわ)るようだったのでございます。――人も立ち会い、抱き起こし申す縮緬(ちりめん)が、氷でバリバリと音がしまして、古襖(ふるぶすま)から錦絵(にしきえ)()がすようで、この方が、お身体(からだ)を裂く思いがしました。胸に()まった血は暖かく流れましたのに。――

 撃ちましたのは石松で。――親仁(おやじ)が、生計(くらし)の苦しさから、今夜こそは、どうでも()ものをと、しとぎ(もち)で山の神を祈って出ました。玉味噌(たまみそ)(なす)って、(くし)にさして焼いて持ちます、その握飯には、魔が寄ると申します。がりがり橋という、その土橋にかかりますと、お艶様の方では人が来るのを、よけようと、水が少ないから、つい川の岩に片足おかけなすった。桔梗ヶ池(ききょうがいけ)の怪しい奥様が、水の上を横に伝うと見て、パッと臥打(ふしう)ちに狙いをつけた。(おれ)は魔を退治たのだ、村方のために。と言って、いまもって狂っております。――

 旦那(だんな)、旦那、旦那、提灯が、あれへ、あ、あの、湯どのの橋から、……あ、あ、ああ、旦那、向うから、(てまい)が来ます、(てまい)とおなじ男が参ります。や、並んで、お艶様が。」

 境も歯の根をくいしめて、

「しっかりしろ、可恐(おそろ)しくはない、可恐しくはない。……(うら)まれるわけはない。」

 電燈の(たま)が巴になって、黒くふわりと浮くと、炬燵(こたつ)の上に提灯がぼうと掛かった。

「似合いますか。」

 座敷は一面の水に見えて、雪の気はいが、白い桔梗の(みぎわ)に咲いたように畳に乱れ敷いた。

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