3話 星女郎(3)
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「ごもっともですね。」
ちとこれが不意だったか、先達は、はたと詰って、擽たい顔色で、
「痛入ります、いやしくも行者の身として……そのしだらで、」
境は心着いて、気の毒そうに、
「いいえ、いいえ。」
「何、私もその気で仰有ったとは存じませぬがな、はッはッはッ。
笑事ではござらぬ。うむとさて、勇気を起して、そのまま駆下りれば駆下りたでありますが、せっかくの処へ運んだものを、ただ山を越えたでは、炬燵櫓を跨いだ同然、待て待て禁札を打って、先達が登山の印を残そうと存じましたで、携えました金剛を、一番突立てておこう了簡。
薄の中へぐいと入れたが、ずぶりと参らぬ。草の根が張って、ぎしぎしいう、こじったが刺りません。えいと杖の尖で捏ねる内に、何の花か、底光りがして艶を持った黄色いのが、右の突捲りで、薄なりに、ゆらゆら揺れたと思うと、……」
「おお!」
「得も言われぬ佳い匂がしました。はてな、あの一軒家の戸口を覗くと、ちらりと見えた――や、その艶麗なことと申すものは。――
時ならぬ月が廂から衝と出たように、ぱっと目に映るというと、手も足も突張りました。
必ず、どんな姿で、どんな顔立じゃなぞとお尋ね御無用。まだまだ若衆の方が間違いにもいたせ、衣服の色合だけも覚えて来たのが目っけものじゃ。いやはや、私の方はただ颯と白いものが一軒家の戸口に立ったと申すまでで――衣服が花やら、体が雪やら、さような事は真暗三宝、しかも家の内の暗い処へ立たれた工合が、牛か、熊にでも乗られたようでな、背が高い。
(鬼じゃ、)
と、私一つ大声を上げました。
(鬼じゃ、鬼じゃ。)
と、こうぬっと腕を突張った。金剛杖を棄置いて、腰の据らぬ高足を《どう》と踏んで、躍上るようにその前を通った、が、可笑い事には、対方が女性じゃに因って、いつの間にか、自分ともなく、名告が慇懃になりましてな。……
(鬼でござる。)
と夢中で喚いて、どうやら無事に、猿ヶ馬場は抜けました。で、後はこの坂一なだれ、転げるように駆下りたでございます。――
処で、先刻の不調法、」
と息を吐き、
「何とも、恥を申さぬと理が聞えませぬ、仔細はこうでござります――が、さて同一人間……も変なれども、この際……とでも申すかな、その貴辺を前に置いて、今お話をしまする段になるというと、いや、我ながらあんまりな慌て方、此方こそ異形を扮装をしましたけれども、彼方は何にせよ女体でござる。風説の通り、あの峠茶屋の買主の、どこのか好事な御令嬢が住居いたさるるでも理は聞える。よしや事あるにもせい、いざと云う時に遁出しましても可さそうなものじゃったに……
……と申すがやはり、貴辺にお目に掛りましてからの分別で。ぱっと美しいもので目が眩みました途端には、ただ我を忘れて、
(鬼じゃ。)
と拳を握りました。
これだけでは、よう御合点はなりますまいで、私のその驚き方と申すものは、変った処に艶麗な女中の姿とだけではござらぬ。日の蔭りました、倶利伽羅峠の猿ヶ馬場で、山気の凝って鼠色の靄のかかりました一軒家、廂合から白昼、時ならぬ月が出たのに仰天した、と、まず御推量が願いたい――いくらか、その心持が……お分りになりましょうかな。」
十二
「分りました。」
と三造は衣紋を合わせて、
「何ですか、その一軒家というのは、以前の茶屋なんでしょう、左側の……右側のですか。」
「御存じかな。」
「たびたび通って知っています。」
「ならば御承知じゃ。右側の二軒目で、鍵屋と申したのが焼残っておりますが。」
「鍵屋、――二軒目の。」
と云って境は俯向いた。峠に残った一軒家が、それであると聞くまでは、あるいは先達とともに、旧来た麓へ引返そうかとも迷ったのである。
が、思う処あって、こう聞くと直ぐに心が極った。
様子は先達にも見て取られて、
「ええ、鍵屋なら、お上りになりますかな。」
「別に、鍵屋ならばというのじゃありませんが。これから越します。」
と云って、別離の会釈に頭を下げたが、そこに根を生して、傍目も触らず、黙っている先達に、気を引かれずには済まなかった。
「悪いんですか、参っては。」
山伏は押眠った目を瞬いて開けた。三造を右瞻左瞻て、
「お待ち下さい。血気に逸り、我慢に推上ろうとなさる御仁なら、お肯入れのないまでも、お留め申すが私年効ではありますが、お見受け申した処、悪いと言えば、それでもとはおっしゃりそうもない。その御心得なれば別儀ござるまいで、必ず御無用とは申上げん。
峠でその婦人を見るものは……云々と恐るべき風説はいたすが、現に、私とても御覧のごとく別条はないようで、……折角じゃ、いっそのことお出が宜しい。」
「ああ、それはどうも難有い。」
と三造は礼を云う。許されたような気がしたのである。
「さ、さ、」
先達も立構えで、話の中に《むし》って落した道芝の、帯の端折目に散りかかった、三造の裾を二ツ三ツ、煽ぐように払いてくれた。
「ところで、」
顔を振って四辺を見た目は、どっちを向いても、峰の緑、処々に雲が白い。
「この日脚じゃ、暮切らぬ内峠は越せます、が坂は暗くなるでござろう。――急ぎの旅ではなかろうで、手前お守りをいたす、麓の御堂で御一泊のように願います。無事にお越しの御様子も伺いたい。留守には誰も居らず、戸棚には夜具一組、蚊帳もござる。
私は、急いで、竹の橋まで下りますで、汽車でぐるりと一廻り、直ぐに石動から御堂へ戻ると、貴辺はまだ上りがある。事に因ると、先へ帰って茶を沸して相待てます。それが宜しい、そうなさって。ああ、御承知か。重畳々々。
就きましては、」
かさかさと胸を開いて、仰向けに手に据えた、鬼の面は、紺青の空に映って、山深き径に幽なる光を放つ。
「先生方にはただの木の面形でござれども、現に私が試みました。驚破とある時、この目を通して何事も御覧が宜しい。さあ、お持ちなさるよう。」
三造は猶予いつつ、
「しかし、御重宝、」
「いや、御役に立てば本懐であります。」
すなわち取って、帽子をはずして、襟にかける、と先達の手に鐸が鳴った。
「御無事で、」
「さようなら。」
蜩の声に風颯と、背を押上げらるるがごとく境は頭を峠に上げた。雲の峰は縁を浅葱に、鼠色の牡丹をかさねた、頂白くキラキラと黄金の条の流れたのは、月がその裡に宿ったろう。高嶺の霞に咲くという、金色の董の野を、天上遥かに仰いだ風情。
西山日没東山昏。旋風吹馬馬蹈雲。――
低声に唱いかけて、耳を澄ますと、鐸の音は梢を揺って、薄暗い谷に沈む。
十三
女巫澆酒雲満空。玉炉炭火香鼕鼕。海神山鬼来座中。紙銭鳴風。相思木帖金舞鸞。
蛾一重一弾。呼星召鬼杯盤。山魅食時人森寒。
境の足は猿ヶ馬場に掛った。今や影一つ、山の端に立つのである。
終南日色低平湾。神兮長有有無間。
越の海は、雲の模様に隠れながら、青い糸の縫目を見せて、北国の山々は、皆黄昏の袖を連ねた。
「神兮長に有無の間にあり。」
胸を見ると、背中まで抜けそうな眼が濶と、鬼の面が馬場を睨んで、ここにも一人神が彳む、三造は身自から魔界を辿る思がある。
峠のこの故道は、聞いたよりも草が伸びて、古沼の干た、蘆の茂かと疑うばかり、黄にも紫にも咲交じった花もない、――それは夕暮のせいもあろう。が第一に心懸けた、目標の一軒家は靄も掛らぬのに屋根も分らぬ。
場所が違ったかとも怪しんだ、けれども、蹈迷う路続きではない。でいよいよ進むとしたが、ざわざわ分入らねばならぬ雑草に遮られて、いざ、と言う前、しばらくを猶予うて立つと、風が誘って、時々さらさらさらさらと、そこらの鳴るのが、虫の声の交らぬだけ、余計に響く。……
ひょっこり肌脱の若衆が、草鞋穿で出て来そうでもあるし、続いて、山伏がのさのさと顕われそうにもある。大方人の無い、こんな場所へ来ると、聞いた話が実際の姿になって、目前へ幻影に出るものかも知れぬ。
現にそれ、それそれ、若衆が、山伏が、ざわざわと出て、すっと通る――通ると……その形が幻を束ねた雲になって、颯と一つ谷へ飛ぶ。程もあらせず、むっくりと湧いて来て、ふいと行くと、いつの間にか、草の上へちぎれちぎれに幾つも出る。中には動かずに凝と留まって、裾の消えそうな山伏が、草の上に漂々として吹かれもやらず浮くのさえある。
またふわりと来て、ぱっと胸に当って、はっとすると、他愛もなく、形なく力もなく、袖を透かして背後へ通る。
三造は誘われて、ふらふらとなって、ぎょっとしたが、つらつら見ると、むこうに立った雲の峰が、はらはらと解けて山中へ拡がりつつ、薄の海へ波を乱して、白く飜って、しかも次第に消えるのであった。
「ああ、そうか……」
山伏は大跨で、やがて麓へ着いた時分、と、足許の杉の梢にかかった一片の雲を透かして、里可懐く麓を望んだ……時であった。
今昇った坂一畝り下た処、後前草がくれの径の上に、波に乗ったような趣して、二人並んだ姿が見える――斉く雲のたたずまいか、あらず、その雲には、淡いが彩があって、髪が黒く、俤が白い。帯の色も、その立姿の、肩と裾を横に、胸高に、細りと劃って濃い。
道は二町ばかり、間は隔ったが、翳せばやがて掌へ、その黒髪が薫りそう。直ぐ眉の下に見えたから、何となく顔立ちの面長らしいのも想像された。
同時に、その傍のもう一人、瞳を返して、三造は眉を顰めた。まさしく先刻の婆らしい。それが、黒い袖の桁短かに、皺の想わるる手をぶらりと、首桶か、骨瓶か、風呂敷包を一包提げていた。
境が、上から伸懸るようにして差覗くと、下で枯枝のような手を出した。婆がその手を、上に向けて、横ざまに振って見せた。
確に暗号に違いない、しかも自分にするのらしい。
「ええ。」
胸倉を取って小突かれるように、強く此方へ応えるばかりで、見るなか、行けか、去れだか、来いだか、その意味がさっぱり分らぬ。その癖、烏が横啣えにして飛びそうな、厭な手つきだとしみじみ感じた。
十四
その内に……婆の手の傍から薄が靡いて、穂のような手が動いた。密と招いて、胸を開くと、片袖を掻込みながら、腕をしなやかに、その裾のあたりを教えた。
そこへ下りて来よ、と三造に云うのである――
意味は明かに、しかも優しく、美しく通じたが、待て、なぜ下へ降りよ、と諭す?
峠を越すな、進んではならぬ、と言うか。自分我にしか云うものが、婦人の身でどうして来た、……さて降りたらば何とする? ずんずん行けば何とする?
すべてかかる事に手間隙取って、とこうするのが魔が魅すのである。――構わず行こう。
「何だ。」
谿間の百合の大輪がほのめくを、心は残るが見棄てる気構え。踵を廻らし、猛然と飛入るがごとく、葎の中に躍込んだ。ざ、ざ、ざらざらと雲が乱れる。
山路に草を分ける心持は、水練を得たものが千尋の淵の底を探るにも似ていよう。どっと滝を浴びたように感じながら、ほとんど盲蛇でまっしぐらに突いて出ると、颯と開けた一場の広場。前面にぬっくり立った峯の方へなぞえに高い、が、その峰は倶利伽羅の山続きではない。越中の立山が日も月も呑んで真暗に聳えたのである。ちょうど広場とその頂との境に、一条濃い靄が懸った、靄の下に、九十九谷に介まった里と、村と、神通、射水の二大川と、富山の市が包まるる。
さればこそ思い違えた、――峠の立場はここなので。今し猿ヶ馬場ぞと認めたのは、道を急いだ目の迷い、まだそこまでは進まなかったのであった。
紫に桔梗の花を織出した、緑は氈を開いたよう。こんもりとした果には、山の痩せた骨が白い。がばと、またさっくりと、見覚えた岩も見ゆる。一本の柿、三本の栗、老樹の桃もあちこちに、夕暮を涼みながら、我を迎うる風情に彳む。
と見れば鍵屋は、礎が動いたか、四辺の地勢が露出しになったためか、向う上りに、ずずんと傾き、大船を取って一艘頂に据えたるごとく、厳にかつ寂しく、片廂をぐいと、山の端から空へ離して、舳の立った形して、立山の波を漕がんとす。
境は可懐げに進み寄った。
「や!」
その門口に、美しい清水が流るる。いや、水のような褄が溢れて、脇明の肌ちらちらと、白い撫子の乱咲を、帯で結んだ、浴衣の地の薄お納戸。
すらりと草に、姿横に、露を敷いて、雪の腕力なげに、ぐたりと投げた二の腕に、枕すともなく艶かな鬢を支えた、前髪を透く、清らかな耳許の、幽に洩るる俯向き形、膝を折って打伏した姿を見た。
冷い風が、衝と薫って吹いたが、キキと鳴く鼬も聞えず、その婦人が蝦蟇にもならぬ。
耳が赫と、目ばかり冴える。……冴えながら、草も見えず、家も暗い。が、その癖、件の姿ばかりは、がっくり伸ばした頸の白さに、毛筋が揃って、後れ毛のはらはらと戦ぐのまで、瞳に映って透通る。
これを見棄てては駆抜けられない。
「もし……」
と言いもあえず、後方へ退って、
「これだ!」
とつい出た口許を手で圧える。あとから、込上げて、突ぱじけて、
「……顔を見ると……のっぺらぼう――」
と思わずまた独言。我が声ながら、変に掠れて、まるで先刻の山伏の音。
「今も今、手を掉った……ああ、頻りに留めた……」
と思うと、五体を取って緊附けられる心地がした。
十五
けれども、まだ幸に俯向けに投出されぬ。
「触らぬ神に祟なし……」
非常な場合に、極めて普通な諺が、記憶から出て諭す。諭されて、直ぐに蹈出して去ろうとしたが……病難、危難、もしや――とすれば、このまま見棄つべき次第でない。
境は後髪を取って引かれた。
洋傘を支いて、おずおずその胸に掛けた異形の彫刻物をまた視めた。――今しがた、ちぎれ雲の草を掠めて飛んだごとく、山伏にて候ものの、ここを過った事は確である。
確で、しかもその顔には、この鬼の面を被っていた。――時に、門口へ露われた婦人の姿を鼻の穴から覗いたと云うぞ。待てよ、縄張際の坂道では、かくある我も、ために尠からず驚かされた。
おお、それだと、たとい須磨に居ても、明石に居ても、姫御前は目をまわそう。
三造は心着いて、夕露の玉を鏤めた女の寝姿に引返した。
「鬼じゃ。」
試みに山伏の言を繰返して、まさしく、怯かされたに相違ないと思った。
「鬼じゃ。……」
と一足出てまた呟いたが、フト今度は、反対に、人を警むる山伏の声に聞えた。勿れ、彼は鬼なり、我に与えし予言にあらずや。
境は再び逡巡した。
が、凝と瞻めて立つと、衣の模様の白い花、撫子の俤も、一目の時より際立って、伏隠れた膚の色の、小草に搦んで乱れた有様。
手に触ると、よし蛇の衣とも変らば化れ、熱いと云っても月は抱く。
三造は重い廂の下に入って、背に盤石を負いながら、やっと婦の肩際に蹲んだのである。
耳許はずれに密と覗く。俯向けのその顔斜めなれば、鼻かと思うのがすっとある、ト手を翳しもしなかったが、鬢の毛が、霞のように、何となく、差寄せた我が眉へ触るのは、幽に呼吸がありそうである。
「令嬢。」
とちょっと低声に呼んだ――爪はずれ、帯の状、肩の様子、山家の人でないばかりか、髪のかざりの当世さ、鬢の香さえも新しい。
「嬢さん、嬢さん――」
とやや心易げに呼活けながら、
「どうなすったんですか。」
とその肩に手を置いたが、花弁に触るに斉しい。
三造は四辺を見て、つッと立って、門口から、真暗な家の内へ、
「御免。」
「ほう……」
と響いたので、はっと思うと、ううと鳴って谺と知れた。自分の声が高かった。
「誰も居ないな。」
美女の姿は、依然として足許に横わる。無慚や、片頬は土に着き、黒髪が敷居にかかって、上ざまに結目高う根が弛んで、簪の何か小さな花が、やがて美しい虫になって飛びそうな。
しかし、煙にもならぬ人を見るにつけて、――あの坂の途中に、可厭な婆と二人居て手を掉ったことを思うと、ほとんど世を隔てた感がある。同時に、渠等怪しき輩が、ここにかかる犠牲のあるを知らせまいとして、我を拒んだと合点さるるにつけて、とこう言う内に、追って来て妨しょう。早く助けずば、と急心に赫となって、戦く膝を支いて、ぐい、と手を懸ける、とぐったりした腕が柔かに動いて、脇明を辷った手尖が胸へかかった処を、ずッと膝を入れて横抱きに抱き上げると、仰向けに綿を載せた、胸がふっくりと咽喉が白い。カチリと音して、櫛が鬼の面に触ったので……慌てて、かなぐり取って、見当も附けず、どん、と背後へ投った。
「山伏め、何を言う!」
十六