星女郎

4話 星女郎(4)

6,923字 約14分 2007年8月1日 公開

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「いや、もう、先方(さき)婦人(おんな)にもいたせ、男子(おとこ)にもいたせ、人間でさえありますれば、手前は(しょう)のもの鬼でござる。――(おおかみ)法衣(ころも)より始末が悪い。世間では人の皮着た畜生と申すが、鬼の面を(かぶ)った山伏は、さて早や申訳がない。」

 御堂(みどう)の屋根を(おお)い包んだ、杉の樹立の、(ひさし)()めた影が()す、()の灰も薄蒼(うすあお)う、茶を煮る火の色の《ぱっ》と冴えて、(ほこり)は見えぬが、休息所の古畳。まちなし黒木綿の腰袴(こしばかま)で、(かしこま)った膝に、両の(かいな)の毛だらけなのを、ぬい、と突いた、(いや)しからざる先達が総髪(そうがみ)の人品は、山一つあなたへ獅噛(しかみ)を被って参りしには、ちと分別が見え過ぎる。

()しからぬ山伏め、と貴辺(あなた)がお思いなされたで好都合。その御婦人が手前の異形に驚いて、恍惚(うっとり)となられる。貴辺(あなた)は貴辺で、手前の野譫言(のたわごと)を真実と思召し、そりゃこそ鬼よ、触らぬ神に(たた)りなしの御思案で、またまたお見棄てになったとしまする、御婦人がそれなりで御覧(ごろう)じろ、手前は立派な人殺(ひとごろし)でございます。何も、げし(にん)に立派は要らぬが、承りましただけでも、冷汗になりますで。

 いや、それにつけても、」

 と山伏の肩が(そび)え、

「物事と申すは、よく分別をすべきであります。(てまえ)ども身柄、鬼神を信ぜぬと云うもいかがですが、軽忽(かるはずみ)天窓(あたま)から(あやし)くして、さる御令嬢を、(ひきがえる)、土蜘蛛の変化(へんげ)同然に心得ましたのは、俗にそれ……棕櫚箒(しゅろぼうき)が鬼、にも(まさ)った狼狽(うろた)え方、何とも恥入って退()けました。

 ――(山伏め、何を(ぬか)す。)――結構でござるとも。その御婦人をお救けなさって、手前もお(かげ)で助かりました。

 いかにも、不意に貴辺(あなた)にお出逢い申したに就いて、(てい)()い怪談をいたし、その実、手前、峠において、異変なる扮装(いでたち)して、昼強盗、追落(おいおとし)はまだな事、御婦人に対し、あるまじき無法不礼を働いたように思召したも至極の至りで。」

「まあ、お先達、貴下(あなた)、」

 対向(さしむか)いの三造は、脚絆(きゃはん)を解いた痩脛(やせずね)の、疲切(つかれき)った風していたのが、この時遮る。……

「いやいや、仰せではありますが、早い話が、これが手前なら、やっぱり貴辺をそう存ずる、……道でござる、理でございます。

 しかし笑って遣わされ。まず山中毒(やまあたり)とでも申すか、五里霧中とやらに(さまよ)いました手前、真人間から見ますると狂人の沙汰ですが、思いの外時刻が早く、汽車で時の()に立帰りましたのを、何か神通で、雲に乗つて()せ戻ったほどの意気組。その(いきおい)でな、いらだか、(いら)って、(もみ)上げ、押摺(おしす)り、貴辺が御無事に下山のほどを、先刻この森の中へ、夢のようにお立出(たちい)でになった御姿を見まするまで、明王の霊前に(いのり)を上げておりました。

 それもって、貴辺が、必定、お立寄り下さると信じましたからで。

 信じながらも、思い懸けぬ山路(やまみち)に一人(やす)んでござった、あの御様子を考えると、どうやら、遠い国で、昔々お目に(かか)ったような、(ぼう)とした気がしまして、眼前(めのまえ)()きました護摩(ごま)(はて)が霧になって森へ染み、森へ染み、峠の(かた)(おお)い隠すようにもござった。……

 何にせよ、(てまえ)どうかしていたと見えます。兎はちょいちょい、猿も時々は見懸けますが、狐狸は気もつきませぬに、穴の中からでも()りましたかな。

 明王もさぞ呆れ返って、苦笑いなされたに相違ござらん。(てまえ)のその(たわ)けさ加減、――ああ、御無事を祈るに、お年紀(とし)も分らぬ、貴辺の苗字だけでも(うかが)っておこうものを、――心着かぬことをした。」

 総髪をうしろへ撫でる。

「などと早や……」

 三造は片手をちゃんと炉縁(ろぶち)()いて、

難有(ありがと)う存じます。御厚意、何とも。」

       十七

 (あらた)めて、

「お先達、そうやって貴下(あなた)は、御自分お心得違いのようにばかりお言いですが、――その人を抱き起して美しい顔を見た時、貴下に対して心得違いしましたのは、私の方じゃありませんか。

 そして、無事、」

 と言い懸けたが、寂しい顔をした、――実は、余り無事でばかりもなかったのであるから。

「ともかくも……峠を抜けられましたのは、貴下が御祈念の功徳かも知れません――(たしか)に功徳です。

 そうでないと、今頃どうなっていたか自分で自分が解らんのです。何ともお礼の申上げようはありません。実際。

 その人だって、またそうです――あの可恐(おそろし)い面のために気絶をした。私が()かないとそのまま一命が終ったかも知れない、と言えば、貴下に取って面倒になりますけれども、ただ夢のように思ったと、彼方(あちら)で言います――それなり茫となって、まあ、すやすやと寐入(ねい)ったも同じ事で。たとい門口に倒れていたって、(じく)が枯れたというんじゃなし、姿の(しぼ)んだだけなんです……露が降りれば、ひとりでにまた、恍惚(うっとり)と咲いて覚める、……殊に不思議な花なんですもの。自然の露がその唇に点滴(したた)らなければ点滴らないで、その襟の崩れから、ほんのり花弁(はなびら)が白んだような、その人自身の乳房から、冷い甘いのを吸い上げて、人手は()らないでも、活返(いきかえ)るに疑いない。

 私は――膝へ、こう抱き起して、その顔を見た咄嗟(とっさ)にも、直ぐにそう考えました。――

 こりゃ余計な事をしたか。自分がこの人を介抱しようとするのは、眠った花を、さあ、咲け、と人間の呼吸(いき)を吹掛けるも同一(おんなじ)だと。……

 で、懐中(ふところ)の宝丹でも出すか、じたばた水でも探してからなら、まだしもな処を、その帯腰から(すそ)が、私に起こされて、柔かに揺れたと思うと、もう睫毛(まつげ)が震えて来た。糸のように目を()いたんですから、しまった! となお思ったんです――まるで、夕顔の封じ目を、不作法に指で解いたように。

 はッとしながら、玉を抱いた逆上(のぼ)せ加減で、おお、山蟻(やまあり)()ってるぞ、と真白(まっしろ)咽喉(のど)の下を手で(はた)くと、何と、小さな黒子(ほくろ)があったんでしょう。

 (さかさ)に温かな血の通うのが、指の(さき)へヒヤリとして、手がぶるぶるとなった、が、引込(ひっこ)める間もありません。(おんな)がその私の手首を、こう取ると……無意識のようじゃありましたが、下の襟を片手で取って、ぐいと胸さがりに脇へ引いて、掻合(かきあ)わせたので、災難にも、私の手は、馥郁(ふくいく)とものの薫る、襟裏へ縫留められた。

 さあ、言わないことか、花弁(はらびら)の中へ迷込んで、(あぶ)め、(もが)いても抜出されぬ。

 困窮と云いますものは、……

 黙っちゃいられませんから、

(御免なさいよ。)

 と、のっけから恐入った。――その場の成行きだったんですな。――」

「いかにも、」

 と先達は、膝に両手を重ねながら、目を据えるまで聞入るのである。

「黙っています。が、こう、水の底へ澄切ったという目を開いて、じっと膝を枕に、(かいな)後毛(おくれげ)を掛けたまま私を見詰める。眉が浮くように少し仰向(あおむ)いた形で、……抜けかかった(くし)も落さず、動きもしません。

 黙っちゃいられませんから、

(気がついたんですか。失礼を、)

 まだ(わび)をする工合(ぐあい)の悪さ。でも、やっぱり黙っています。

(気分はどうなんです。ここに倒れていなすったんだが。)

 これで分ったろう、放したまえ、早く擦抜けようと、もじつくのが、(おんな)(せな)を突いて(ゆすぶ)るようだから、慌ててまた(すく)まりましたよ。どこを糸で結んで手足になったか、女の身体(からだ)がまるで綿で……」

       十八

「綿で……重いことは膝が折れそう――もっともこの重いのは、あの昔話の、(あやし)い者が(おぶ)さると途中で(ひし)げるほどに目貫(めかた)がかかるっていう、そんなのじゃない。そりゃ私にも分っていましたが、……

 ああ、これはなぜ私が介抱したか、その人はどうしていたか、そんな事なんぞ言ってるんではまだるッこい。

(失礼しました、今何です、貴女の胸に蟻が這っていたもんですから、)

 つい払って上げよう、と触ったんだ、とてっきりそれがために、そんな様子で居るんだろう、と気が着いて、言訳をしましたがね。

 黙っています……ちっとも動かないで、私の顔を、そのまま見詰めてるじゃありませんか。」

 と三造は先達の顔を(みまも)って、

「じゃ、まだ気が遠くなったままで、何も聞えんのかと思えば、……顔よりは、私が何か言うその声の方が、かえってその人の瞳に映るような様子でしょう。梔子(くちなし)の花でないのは、一目見てもはじめから分ってます。

 弱りました。汗が冷く、慄気(ぞっ)と寒い。息が発奮(はず)んで、身内が震う処から、取ったのを放してくれない指の先へ、ぱっと火がついたように、ト胸へ来たのは、やあ!こうやって生血を吸い取る……」

「成程、成程、いずれその辺で、大慨気絶(ひきつ)けてしまうのでござろう。」

 と先達は合点(がってん)する。

転倒(てんどう)しても気は(たしか)で、そんなら、振切っても刎上(はねあが)ったかと言えば、またそうもし得ない、ここへ、」

 境は帯を(おさ)えつつ、

「天女の顔の刺繍(ほりもの)して、自分の腰から下はさながら羽衣の裾になってる姿でしょう。退()きも引きもならんです。いや、ならんのじゃない、し得なかったんです――お先達、」

 と何か()きながら言淀(いいよど)んで、

「話に聞いた人面瘡(じんめんそう)――その(かさ)の顔が窈窕(ようちょう)としているので、接吻(キッス)を……何です、その花の唇を吸おうとした馬鹿ものがあったとお思いなさい。」

 と云うと、先達は落着いた面色(おももち)で、

「人面瘡、ははあ、」

 さも知己(ちかづき)のような言いぶりで、

「はあ、人面瘡、成程、その(つら)が天人のように美しい。芙蓉(ふよう)(まなじり)、丹花の唇――でござったかな、……といたして見ると……お待ちなさい、愛着(あいじゃく)の念が起って、花の唇を……ふん、」

 と仰向(あおむ)いて目を(ねむ)ったが、半眼になって、傾きざまに膝を()と打ち、

津々(しんしん)として玉としたたる甘露の液と思うのが、実は膿汁(うみしる)といたした処で、病人の迷うのを、(あなが)白痴(たわけ)とは申されん、――むむ、さようなお心持でありましたか。」

 真顔で言われると、恥じたる色して、

「いいえ、心持と言うよりも、美人を膝に(いだ)いたなり、次第々々に化石でもしそうな、身動きのならんその形がそうだったんです。……

 段々孤家(ひとつや)の軒が暗くなって、鉄板で張ったような(ひさし)が、上から圧伏(おっぷ)せるかと思われます……そのまま地獄の底へ落ちて()くかと、心も消々(きえぎえ)となりながら、ああ、して見ると、坂下で手を()った気高い女性(にょしょう)は、我らがための仏であった。――

 この難を知って、留められたを、推して上ったはまだしも、ここに魔物の倒れたのを見た時、これをその犠牲(いけにえ)などと言う不心得。

 と俯向(うつむ)いて、(じっ)と目を(ねむ)ると……歴々(まざまざ)と、坂下に居たその(おんな)の姿、――(うすもの)衣紋(えもん)の正しい、水の垂れそうな円髷(まるまげ)に、櫛のてらてらとあるのが目前(めのまえ)へ。――

 驚いた、が、消えません。いつの間にか暮れかかる、海の()ぎたような緑の草の上へ、(なぎさ)の浪のすらすらとある(もや)を、(つま)さきの白う見ゆるまで、浅く踏んで、どうです、ついそこへ来て、それが私の目の前に立ってるじゃありませんか。私を救うためか。

 と思うと、どうして、これも敵方の女将軍(じょしょうぐん)。」

「女将軍?ええ、山賊の巣窟(そうくつ)かな。」

 と山伏はきょとんとする。

       十九

「後で聞きますと、それが山へ来る約束の日だったので、私の膝に居る女が、心待(こころまち)古家(ふるいえ)門口(かどぐち)まで出た処へ、貴下(あなた)が、例の異形で御通行になったのだそうです。

 その円髷(まげ)()った(あね)の方は、竹の橋から上ったのだと言いました。つい一条路(ひとすじみち)の、あの上りを、時刻も大抵同じくらい、貴下は途中でお逢いになりはしませんでしたか。」

 先達は怪訝(けげん)な顔して、

「されば、……ところで、その婆さんはどうしましたな、坂下に立ったのを御覧になった時は、(そば)についていたというお話続きの、」

 とかえってたずねる。

「それは峠までは来ませんでした。風呂敷包みがあったので、途中見懸けたのを、頼んで、そこまで持たして来たのだそうで。……やっぱりその婆さんは、路傍(みちばた)に二人で立っていた一人らしく思われます。その居た処は、貴下にお目にかかりました、あの縄張をした処、……」

「さよう。」

「あすこよりは、ずっと(ふもと)の方です。」

「すると、そのどちらかは分りませんが、貴辺(あなた)に分れて下山の途中で、婆さん一人にだけは逢いました。成程――承れば、何か手に包んだものを持っていた様子で――大方その従伴(とも)をして登った方のでありましょうな。

 それにしては、お話しのその円髷(まげ)()った婦人に、一条路(ひとすじみち)出会わねばならん(はず)、……何か、崖の裏、立樹の蔭へでも姿を隠しましたかな。いずれそれ人目を忍ぶという(すじ)で、」

「きっとそうでしょう。金沢から汽車で来たんだそうですから。」

 先達は目を《みは》って、

「金沢から、」

「ですから汽車へいらっしゃる、貴下と逢違う筈はありません。」

「旅をかけて働きますかな。」

「ええ、」

「いや、盗賊(どろぼう)も便利になった。汽車に乗って横行じゃ。倶利伽羅峠に立籠(たてこも)って――御時節がら()しからん……いずれその風呂敷包みも、たんまりいたした金目のものでございましょうで。」

 黙った三造は、しばらくして、

「お先達。」

「はい、」

 と澄ました風で居る。

「風呂敷の中は、綺麗な蒔絵(まきえ)の重箱でしたよ。」

「どこのか、什物(じゅうもつ)、」

「いいえ、その婦人(ひと)の台所の。」

「はてな、」

「中に入ったのは(あゆ)(すし)でした。」

「鮎の鮨とは、」

荘河(しょうがわ)の名産ですって、」

 先達は唖然(あぜん)として、

「どうもならん。こりゃ眉毛に(つば)じゃ。貴辺も一ツ穴の(むじな)ではないか。怪物(ばけもの)かと思えば美人で、人面瘡(にんめんそう)で天人じゃ、地獄、極楽、円髷(まるまげ)で、山賊か、と思えば重箱。……宝物が鮎の鮨で、荘河の名物となった。……待たっせえ、腰を円くそう坐られた体裁(ていたらく)も、森の中だけ狸に見える。何と、この囲炉裏(いろり)の灰に、手形を一つお()しなさい、ちょぼりと落雁(らくがん)の形でござろう。」

「怪しからん、」

 と笑って、気競(きお)って、

「誰も山賊の棲家(すみか)だとも、万引の隠場所(かくればしょ)だとも言わないのに、貴下が聞違えたんではありませんか。ええ、お先達?」

「はい、」

 と言って、瞬きして、たちまち呵々(からから)と笑出した。

「はッはッはッ、慌てました、いや、大狼狽(だいろうばい)。またしても獅噛(しかみ)()ったて。すべて、この心得じゃに因って、鬼の面を(かぶ)ります。

 時にお茶が沸きました。――したが鮎の鮨とは好もしい、貴下も御賞翫(ごしょうがん)なされたかな。」

       二十

「承った処では、(ふもと)からその重詰を土産に持って、右の婦人が登山されたものと見えますな――但しどうやら、貴辺(あなた)がその鮨を(あが)ると、南蛮(なんばん)秘法の痺薬(しびれぐすり)で、たちまち前後不覚、といったような気がしてなりません。早く伺いたい。鮨はいかがで?」

 その時境は煎茶(せんちゃ)に心を静めていた。

御馳走(ごちそう)は……しかも、ああ、何とか云う、ちょっと屠蘇(とそ)の香のする青い色の酒に添えて――その時は、(かけひ)の水に(ほこり)も流して、袖の長い、(ふり)の開いた、柔かな浴衣に着換えなどして、舌鼓を打ちましたよ。」

「いずれお酌で、いや、承っても、はっと酔う。」

 と日に焼けた額を押撫(おしな)でながら、山伏は破顔する。

「しかし、その倒れていた婦人ですが、」

「はあ、それがお酌を参ったか。」

「いいえ、世話をしてくれましたのは、年上の方ですよ。その倒れていた女は――ですね。」

「そうそうそう、またこれは面被(めんかぶ)りじゃ。どうもならん、我ながら慌てて不可(いか)ん。成程、それはまだ一言も口を利かずに、貴辺(あなた)の膝に抱かれていたて。何をこう先走るぞ。が、お話の不思議さ、気が気でないで急立(せきた)ちますよ、貴辺は余り落着いておいでなさる。」

「けれども、私だって、まるで夢を見たようなんですから、霧の中を探るように、こう前後(あとさき)辿(たど)り辿りしないと、(ぼう)として(つかま)えられなくなるんですよ。……お話もお話だが、御相談なんですから、よくお考えなすって下さい。

 ――その円髷(まるまげ)の、盛装した、貴婦人という姿のが、さあ、私たちの前へ立ったでしょう。――

 膝を枕にしたのが、倒れながら、それを見た……と思って下さい。

 手を放すと、そのまま、半分背を起した。――両膝を(ほっそ)りと内端(うちわ)(かが)めながら、忘れたらしく投げてた(すそ)を、すっと掻込(かいこ)んで、草へ横坐りになると、今までの様子とは、がらりと変って、活々(いきいき)した、(すずし)い調子で、

(ねえ)さん、この方を留めて下さい、帰しちゃ(いや)よ。)

 と言うが(はや)いか、すっと、戸口の土間へ、青い影がちらちらして、奥深く消え込んだ。

 私は呆気(あっけ)に取られた。

 すると、姉さんと言われた、その貴婦人が、(しま)った口許(くちもと)で、黙って、ただちょいと会釈をする、……これが貴下、その意味は分らぬけれども、峠の方へ()くな、と言って………手で教えた婦人(ひと)でしょう。

 何にも言わないだけなお気がさす。

(ええ、実は……)

 と前刻(さっき)からの様子を饒舌(しゃべ)って、ついでに(うたがい)を解こうとしたが、不可(いけ)ません。

(ああ、)

 それ(のぞ)くまでもなく、立ったままで、……今暗がりへ入った、も一人の(あと)を軒下にこう(すか)しながら、

(しばらくどうぞ。)

 坂を上って、アノ薄原(すすきはら)(くぐ)るのに、見得もなく引提(ひっさ)げていた、――重箱の――その紫包を白い手で、(うすもの)の袖へ抱え直して、片手を半開きの扉へかける、と厳重に出来たの、何の。大巌(おおいわ)の一枚戸のような奴がまた恐しく(すべ)りが良くって、発奮(はず)みかかって、がらん、からから山鳴り震動、カーンと(こだま)を返すんです。ぎょっとしました。

 その時です。

(どこへもいらしっちゃ不可(いけ)ませんよ。)

 と振返りざまに莞爾(にっこり)、美しいだけにその(すご)さと云ったら。高い敷居に(つま)(かえ)さず、裾が浮いて、これもするりと、あとは御存じの、あの奥深い、裏口まで行抜けの、一条(ひとすじ)の長い土間が、門形角形(かどなりかくがた)に、縦に真暗(まっくら)な穴で。」

 と言った、この(あたり)家の(かまえ)は、(くだん)の長い土間に添うて、一側(ひとかわ)に座敷を並べ、(かぎ)の手に鍵屋の店が一昔以前あった、片側はずらりと板戸で、外は直ちに千仭(せんじん)倶利伽羅谷(くりからだに)九十九谷(つくもだに)の一ツに臨んで、雪の備え厳重に、土の廊下が通うのである。

       二十一

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