4話 星女郎(4)
読み方を変える
「いや、もう、先方が婦人にもいたせ、男子にもいたせ、人間でさえありますれば、手前は正のもの鬼でござる。――狼が法衣より始末が悪い。世間では人の皮着た畜生と申すが、鬼の面を被った山伏は、さて早や申訳がない。」
御堂の屋根を蔽い包んだ、杉の樹立の、廂を籠めた影が射す、炉の灰も薄蒼う、茶を煮る火の色の《ぱっ》と冴えて、埃は見えぬが、休息所の古畳。まちなし黒木綿の腰袴で、畏った膝に、両の腕の毛だらけなのを、ぬい、と突いた、賤しからざる先達が総髪の人品は、山一つあなたへ獅噛を被って参りしには、ちと分別が見え過ぎる。
「怪しからぬ山伏め、と貴辺がお思いなされたで好都合。その御婦人が手前の異形に驚いて、恍惚となられる。貴辺は貴辺で、手前の野譫言を真実と思召し、そりゃこそ鬼よ、触らぬ神に祟りなしの御思案で、またまたお見棄てになったとしまする、御婦人がそれなりで御覧じろ、手前は立派な人殺でございます。何も、げし人に立派は要らぬが、承りましただけでも、冷汗になりますで。
いや、それにつけても、」
と山伏の肩が聳え、
「物事と申すは、よく分別をすべきであります。私ども身柄、鬼神を信ぜぬと云うもいかがですが、軽忽に天窓から怪くして、さる御令嬢を、蟇、土蜘蛛の変化同然に心得ましたのは、俗にそれ……棕櫚箒が鬼、にも増った狼狽え方、何とも恥入って退けました。
――(山伏め、何を吐す。)――結構でござるとも。その御婦人をお救けなさって、手前もお庇で助かりました。
いかにも、不意に貴辺にお出逢い申したに就いて、体の可い怪談をいたし、その実、手前、峠において、異変なる扮装して、昼強盗、追落はまだな事、御婦人に対し、あるまじき無法不礼を働いたように思召したも至極の至りで。」
「まあ、お先達、貴下、」
対向いの三造は、脚絆を解いた痩脛の、疲切った風していたのが、この時遮る。……
「いやいや、仰せではありますが、早い話が、これが手前なら、やっぱり貴辺をそう存ずる、……道でござる、理でございます。
しかし笑って遣わされ。まず山中毒とでも申すか、五里霧中とやらに徊いました手前、真人間から見ますると狂人の沙汰ですが、思いの外時刻が早く、汽車で時の間に立帰りましたのを、何か神通で、雲に乗つて馳せ戻ったほどの意気組。その勢でな、いらだか、苛って、揉上げ、押摺り、貴辺が御無事に下山のほどを、先刻この森の中へ、夢のようにお立出でになった御姿を見まするまで、明王の霊前に祈を上げておりました。
それもって、貴辺が、必定、お立寄り下さると信じましたからで。
信じながらも、思い懸けぬ山路に一人憩んでござった、あの御様子を考えると、どうやら、遠い国で、昔々お目に懸ったような、茫とした気がしまして、眼前に焚きました護摩の果が霧になって森へ染み、森へ染み、峠の方を蔽い隠すようにもござった。……
何にせよ、私どうかしていたと見えます。兎はちょいちょい、猿も時々は見懸けますが、狐狸は気もつきませぬに、穴の中からでも魅りましたかな。
明王もさぞ呆れ返って、苦笑いなされたに相違ござらん。私のその痴けさ加減、――ああ、御無事を祈るに、お年紀も分らぬ、貴辺の苗字だけでも窺っておこうものを、――心着かぬことをした。」
総髪をうしろへ撫でる。
「などと早や……」
三造は片手をちゃんと炉縁に支いて、
「難有う存じます。御厚意、何とも。」
十七
更めて、
「お先達、そうやって貴下は、御自分お心得違いのようにばかりお言いですが、――その人を抱き起して美しい顔を見た時、貴下に対して心得違いしましたのは、私の方じゃありませんか。
そして、無事、」
と言い懸けたが、寂しい顔をした、――実は、余り無事でばかりもなかったのであるから。
「ともかくも……峠を抜けられましたのは、貴下が御祈念の功徳かも知れません――確に功徳です。
そうでないと、今頃どうなっていたか自分で自分が解らんのです。何ともお礼の申上げようはありません。実際。
その人だって、またそうです――あの可恐い面のために気絶をした。私が行かないとそのまま一命が終ったかも知れない、と言えば、貴下に取って面倒になりますけれども、ただ夢のように思ったと、彼方で言います――それなり茫となって、まあ、すやすやと寐入ったも同じ事で。たとい門口に倒れていたって、茎が枯れたというんじゃなし、姿の萎んだだけなんです……露が降りれば、ひとりでにまた、恍惚と咲いて覚める、……殊に不思議な花なんですもの。自然の露がその唇に点滴らなければ点滴らないで、その襟の崩れから、ほんのり花弁が白んだような、その人自身の乳房から、冷い甘いのを吸い上げて、人手は藉らないでも、活返るに疑いない。
私は――膝へ、こう抱き起して、その顔を見た咄嗟にも、直ぐにそう考えました。――
こりゃ余計な事をしたか。自分がこの人を介抱しようとするのは、眠った花を、さあ、咲け、と人間の呼吸を吹掛けるも同一だと。……
で、懐中の宝丹でも出すか、じたばた水でも探してからなら、まだしもな処を、その帯腰から裾が、私に起こされて、柔かに揺れたと思うと、もう睫毛が震えて来た。糸のように目を開いたんですから、しまった! となお思ったんです――まるで、夕顔の封じ目を、不作法に指で解いたように。
はッとしながら、玉を抱いた逆上せ加減で、おお、山蟻が這ってるぞ、と真白な咽喉の下を手で払くと、何と、小さな黒子があったんでしょう。
逆に温かな血の通うのが、指の尖へヒヤリとして、手がぶるぶるとなった、が、引込める間もありません。婦がその私の手首を、こう取ると……無意識のようじゃありましたが、下の襟を片手で取って、ぐいと胸さがりに脇へ引いて、掻合わせたので、災難にも、私の手は、馥郁とものの薫る、襟裏へ縫留められた。
さあ、言わないことか、花弁の中へ迷込んで、虻め、蜿いても抜出されぬ。
困窮と云いますものは、……
黙っちゃいられませんから、
(御免なさいよ。)
と、のっけから恐入った。――その場の成行きだったんですな。――」
「いかにも、」
と先達は、膝に両手を重ねながら、目を据えるまで聞入るのである。
「黙っています。が、こう、水の底へ澄切ったという目を開いて、じっと膝を枕に、腕に後毛を掛けたまま私を見詰める。眉が浮くように少し仰向いた形で、……抜けかかった櫛も落さず、動きもしません。
黙っちゃいられませんから、
(気がついたんですか。失礼を、)
まだ詫をする工合の悪さ。でも、やっぱり黙っています。
(気分はどうなんです。ここに倒れていなすったんだが。)
これで分ったろう、放したまえ、早く擦抜けようと、もじつくのが、婦の背を突いて揺るようだから、慌ててまた窘まりましたよ。どこを糸で結んで手足になったか、女の身体がまるで綿で……」
十八
「綿で……重いことは膝が折れそう――もっともこの重いのは、あの昔話の、怪い者が負さると途中で挫げるほどに目貫がかかるっていう、そんなのじゃない。そりゃ私にも分っていましたが、……
ああ、これはなぜ私が介抱したか、その人はどうしていたか、そんな事なんぞ言ってるんではまだるッこい。
(失礼しました、今何です、貴女の胸に蟻が這っていたもんですから、)
つい払って上げよう、と触ったんだ、とてっきりそれがために、そんな様子で居るんだろう、と気が着いて、言訳をしましたがね。
黙っています……ちっとも動かないで、私の顔を、そのまま見詰めてるじゃありませんか。」
と三造は先達の顔を瞻って、
「じゃ、まだ気が遠くなったままで、何も聞えんのかと思えば、……顔よりは、私が何か言うその声の方が、かえってその人の瞳に映るような様子でしょう。梔子の花でないのは、一目見てもはじめから分ってます。
弱りました。汗が冷く、慄気と寒い。息が発奮んで、身内が震う処から、取ったのを放してくれない指の先へ、ぱっと火がついたように、ト胸へ来たのは、やあ!こうやって生血を吸い取る……」
「成程、成程、いずれその辺で、大慨気絶けてしまうのでござろう。」
と先達は合点する。
「転倒しても気は確で、そんなら、振切っても刎上ったかと言えば、またそうもし得ない、ここへ、」
境は帯を圧えつつ、
「天女の顔の刺繍して、自分の腰から下はさながら羽衣の裾になってる姿でしょう。退きも引きもならんです。いや、ならんのじゃない、し得なかったんです――お先達、」
と何か急きながら言淀んで、
「話に聞いた人面瘡――その瘡の顔が窈窕としているので、接吻を……何です、その花の唇を吸おうとした馬鹿ものがあったとお思いなさい。」
と云うと、先達は落着いた面色で、
「人面瘡、ははあ、」
さも知己のような言いぶりで、
「はあ、人面瘡、成程、その面が天人のように美しい。芙蓉の眦、丹花の唇――でござったかな、……といたして見ると……お待ちなさい、愛着の念が起って、花の唇を……ふん、」
と仰向いて目を瞑ったが、半眼になって、傾きざまに膝を密と打ち、
「津々として玉としたたる甘露の液と思うのが、実は膿汁といたした処で、病人の迷うのを、強ち白痴とは申されん、――むむ、さようなお心持でありましたか。」
真顔で言われると、恥じたる色して、
「いいえ、心持と言うよりも、美人を膝に抱いたなり、次第々々に化石でもしそうな、身動きのならんその形がそうだったんです。……
段々孤家の軒が暗くなって、鉄板で張ったような廂が、上から圧伏せるかと思われます……そのまま地獄の底へ落ちて行くかと、心も消々となりながら、ああ、して見ると、坂下で手を掉った気高い女性は、我らがための仏であった。――
この難を知って、留められたを、推して上ったはまだしも、ここに魔物の倒れたのを見た時、これをその犠牲などと言う不心得。
と俯向いて、熟と目を睡ると……歴々と、坂下に居たその婦の姿、――羅の衣紋の正しい、水の垂れそうな円髷に、櫛のてらてらとあるのが目前へ。――
驚いた、が、消えません。いつの間にか暮れかかる、海の凪ぎたような緑の草の上へ、渚の浪のすらすらとある靄を、爪さきの白う見ゆるまで、浅く踏んで、どうです、ついそこへ来て、それが私の目の前に立ってるじゃありませんか。私を救うためか。
と思うと、どうして、これも敵方の女将軍。」
「女将軍?ええ、山賊の巣窟かな。」
と山伏はきょとんとする。
十九
「後で聞きますと、それが山へ来る約束の日だったので、私の膝に居る女が、心待に古家の門口まで出た処へ、貴下が、例の異形で御通行になったのだそうです。
その円髷に結った姉の方は、竹の橋から上ったのだと言いました。つい一条路の、あの上りを、時刻も大抵同じくらい、貴下は途中でお逢いになりはしませんでしたか。」
先達は怪訝な顔して、
「されば、……ところで、その婆さんはどうしましたな、坂下に立ったのを御覧になった時は、傍についていたというお話続きの、」
とかえってたずねる。
「それは峠までは来ませんでした。風呂敷包みがあったので、途中見懸けたのを、頼んで、そこまで持たして来たのだそうで。……やっぱりその婆さんは、路傍に二人で立っていた一人らしく思われます。その居た処は、貴下にお目にかかりました、あの縄張をした処、……」
「さよう。」
「あすこよりは、ずっと麓の方です。」
「すると、そのどちらかは分りませんが、貴辺に分れて下山の途中で、婆さん一人にだけは逢いました。成程――承れば、何か手に包んだものを持っていた様子で――大方その従伴をして登った方のでありましょうな。
それにしては、お話しのその円髷に結った婦人に、一条路出会わねばならん筈、……何か、崖の裏、立樹の蔭へでも姿を隠しましたかな。いずれそれ人目を忍ぶという条で、」
「きっとそうでしょう。金沢から汽車で来たんだそうですから。」
先達は目を《みは》って、
「金沢から、」
「ですから汽車へいらっしゃる、貴下と逢違う筈はありません。」
「旅をかけて働きますかな。」
「ええ、」
「いや、盗賊も便利になった。汽車に乗って横行じゃ。倶利伽羅峠に立籠って――御時節がら怪しからん……いずれその風呂敷包みも、たんまりいたした金目のものでございましょうで。」
黙った三造は、しばらくして、
「お先達。」
「はい、」
と澄ました風で居る。
「風呂敷の中は、綺麗な蒔絵の重箱でしたよ。」
「どこのか、什物、」
「いいえ、その婦人の台所の。」
「はてな、」
「中に入ったのは鮎の鮨でした。」
「鮎の鮨とは、」
「荘河の名産ですって、」
先達は唖然として、
「どうもならん。こりゃ眉毛に唾じゃ。貴辺も一ツ穴の貉ではないか。怪物かと思えば美人で、人面瘡で天人じゃ、地獄、極楽、円髷で、山賊か、と思えば重箱。……宝物が鮎の鮨で、荘河の名物となった。……待たっせえ、腰を円くそう坐られた体裁も、森の中だけ狸に見える。何と、この囲炉裏の灰に、手形を一つお圧しなさい、ちょぼりと落雁の形でござろう。」
「怪しからん、」
と笑って、気競って、
「誰も山賊の棲家だとも、万引の隠場所だとも言わないのに、貴下が聞違えたんではありませんか。ええ、お先達?」
「はい、」
と言って、瞬きして、たちまち呵々と笑出した。
「はッはッはッ、慌てました、いや、大狼狽。またしても獅噛を行ったて。すべて、この心得じゃに因って、鬼の面を被ります。
時にお茶が沸きました。――したが鮎の鮨とは好もしい、貴下も御賞翫なされたかな。」
二十
「承った処では、麓からその重詰を土産に持って、右の婦人が登山されたものと見えますな――但しどうやら、貴辺がその鮨を召ると、南蛮秘法の痺薬で、たちまち前後不覚、といったような気がしてなりません。早く伺いたい。鮨はいかがで?」
その時境は煎茶に心を静めていた。
「御馳走は……しかも、ああ、何とか云う、ちょっと屠蘇の香のする青い色の酒に添えて――その時は、筧の水に埃も流して、袖の長い、振の開いた、柔かな浴衣に着換えなどして、舌鼓を打ちましたよ。」
「いずれお酌で、いや、承っても、はっと酔う。」
と日に焼けた額を押撫でながら、山伏は破顔する。
「しかし、その倒れていた婦人ですが、」
「はあ、それがお酌を参ったか。」
「いいえ、世話をしてくれましたのは、年上の方ですよ。その倒れていた女は――ですね。」
「そうそうそう、またこれは面被りじゃ。どうもならん、我ながら慌てて不可ん。成程、それはまだ一言も口を利かずに、貴辺の膝に抱かれていたて。何をこう先走るぞ。が、お話の不思議さ、気が気でないで急立ちますよ、貴辺は余り落着いておいでなさる。」
「けれども、私だって、まるで夢を見たようなんですから、霧の中を探るように、こう前後を辿り辿りしないと、茫として掴えられなくなるんですよ。……お話もお話だが、御相談なんですから、よくお考えなすって下さい。
――その円髷の、盛装した、貴婦人という姿のが、さあ、私たちの前へ立ったでしょう。――
膝を枕にしたのが、倒れながら、それを見た……と思って下さい。
手を放すと、そのまま、半分背を起した。――両膝を細りと内端に屈めながら、忘れたらしく投げてた裾を、すっと掻込んで、草へ横坐りになると、今までの様子とは、がらりと変って、活々した、清い調子で、
(姉さん、この方を留めて下さい、帰しちゃ厭よ。)
と言うが疾いか、すっと、戸口の土間へ、青い影がちらちらして、奥深く消え込んだ。
私は呆気に取られた。
すると、姉さんと言われた、その貴婦人が、緊った口許で、黙って、ただちょいと会釈をする、……これが貴下、その意味は分らぬけれども、峠の方へ行くな、と言って………手で教えた婦人でしょう。
何にも言わないだけなお気がさす。
(ええ、実は……)
と前刻からの様子を饒舌って、ついでに疑を解こうとしたが、不可ません。
(ああ、)
それ覗くまでもなく、立ったままで、……今暗がりへ入った、も一人の後を軒下にこう透しながら、
(しばらくどうぞ。)
坂を上って、アノ薄原を潜るのに、見得もなく引提げていた、――重箱の――その紫包を白い手で、羅の袖へ抱え直して、片手を半開きの扉へかける、と厳重に出来たの、何の。大巌の一枚戸のような奴がまた恐しく辷りが良くって、発奮みかかって、がらん、からから山鳴り震動、カーンと谺を返すんです。ぎょっとしました。
その時です。
(どこへもいらしっちゃ不可ませんよ。)
と振返りざまに莞爾、美しいだけにその凄さと云ったら。高い敷居に褄も飜さず、裾が浮いて、これもするりと、あとは御存じの、あの奥深い、裏口まで行抜けの、一条の長い土間が、門形角形に、縦に真暗な穴で。」
と言った、この辺家の構は、件の長い土間に添うて、一側に座敷を並べ、鍵の手に鍵屋の店が一昔以前あった、片側はずらりと板戸で、外は直ちに千仭の倶利伽羅谷、九十九谷の一ツに臨んで、雪の備え厳重に、土の廊下が通うのである。
二十一