三尺角拾遺 (木精)

1話 三尺角拾遺 (木精)

2,901字 約6分 2003年11月23日 公開

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「あなた、()えやしませんか。」

 お(りう)暗夜(やみ)(なか)悄然(しよんぼり)()つて、(いけ)(のぞ)むで、()(かた)(なら)べたのである。工學士(こうがくし)は、井桁(ゐげた)()んだ材木(ざいもく)(した)なる(はし)へ、窮屈(きうくつ)(こし)()けたが、口元(くちもと)近々(ちか/″\)()つた卷煙草(まきたばこ)()えて、(その)若々(わか/\)しい横顏(よこがほ)帽子(ばうし)鍔廣(つばびろ)(うら)とを()らした。

 お(りう)(をとこ)(せな)()をのせて、(よわ)いものいひながら遠慮氣(ゑんりよげ)なく、

「あら、しつとりしてるわ、夜露(よつゆ)(ひど)いんだよ。(ぢか)にそんなものに(こし)()けて、あなた(つめた)いでせう。(ほん)とに養生深(やうじやうぶか)(かた)が、(それ)御病氣(ごびやうき)擧句(あげく)だといふし、(わる)いわねえ。」

 と()つて、そつと(おさ)へるやうにして、

(なん)ともありはしませんか、(また)ぶり(かへ)すと不可(いけ)ませんわ、(きん)さん。」

 (それ)でも、ものをいはなかつた。

(ほん)とに(どく)ですよ、()えると(わる)いから()つていらつしやい、()つていらつしやいよ。(その)(はう)(まし)ですよ。」

 といひかけて、あどけない(こゑ)(かすか)(わら)つた。

「ほゝゝゝ、(とほ)(ところ)引張(ひつぱ)つて()て、草臥(くたび)れたでせう。()みませんねえ。あなたも(いや)だといふし、(それ)(わたし)も、そりや樣子(やうす)()つて()て、一所(いつしよ)苦勞(くらう)をして()れたからツたつても、《ねえ》さんには(きまり)(わる)くツて、(うち)へお()(まを)すわけには()かないしさ。我儘(わがまゝ)ばかり、お()つて()らつしやつたのを、こんな(ところ)まで()れて()()いて、(すわ)つてお(やす)みなさることさへ出來(でき)ないんだよ。」

 お(りう)はいひかけて(なみだ)ぐんだやうだつたが、しばらくすると、

「さあ、これでもお()きなさい、些少(ちつと)はたしになりますよ。さあ、」

 擦寄(すりよ)つた氣勢(けはひ)である。

(そで)か、」

「お(いや)?」

「そんな(こと)を、しなくツても()い。」

()かあありませんよ、()えるもの。」

()いよ。」

「あれ、(じやう)(こは)いねえ、さあ、えゝ、ま、()せてる(くせ)に。」と(むか)うへ()いた、(をとこ)()()いた(した)へ、片袖(かたそで)()かせると、まくれた(しろ)(うで)を、(ひざ)(すが)つて、お(りう)(ほつ)呼吸(いき)

 (をとこ)はぢつとして(うご)かず、二人(ふたり)ともしばらく默然(だんまり)

 やがてお(りう)()がしなやかに(まが)つて、(をとこ)()()れると、(むね)のあたりに()つて()卷煙草(まきたばこ)は、(こゝろ)するともなく、(はな)れて、婦人(をんな)(わた)つた。

「もう(わたし)()(ところ)だつたの。(また)(わら)ふでせうけれども、七日(なぬか)ばかり(なん)にも(しほ)()のものは(いたゞ)かないんですもの、()うやつてお()(かゝ)りたいと(おも)つて、煙草(たばこ)()つて()たんですよ。(なん)だつて一旦(いつたん)(けが)した身體(からだ)ですから、そりやおつしやらないでも、(わたし)(はう)()()けます。(それ)にあなたも(もと)(ちが)つて、(いま)のやうな御身分(おみぶん)でせう、所詮(しよせん)(かな)はないと(あきら)めても、(あきら)められないもんですから、あなた(わら)つちや(いや)ですよ。」

 といひ(よど)んで一寸(ちよつと)(をとこ)(かほ)

(あきら)めのつくやうに、(あきら)めさして(くだ)さいツて、お(ねが)(まを)した、あの、お返事(へんじ)を、()()()ないで()ツてますと、前刻(さつき)(くだ)すつたのが、あれ……ね。

 深川(ふかがは)()木場(きば)材木(ざいもく)()(しげ)つたら、夫婦(いつしよ)になつて()るツておつしやつたのね。()うしたつて出來(でき)さうもないことが出來(でき)たのは、(わたし)(ねん)(とゞ)いたんですよ。あなた、こんなに(おも)ふもの、(その)(くらゐ)なことはありますよ。」

 と(なほ)しめやかに、

「ですから、()大威張(おほゐばり)(それ)でなくツてはお(こゑ)だつて()くことの出來(でき)ないので、押懸(おしか)けて()つて、無理(むり)()材木(ざいもく)()(しげ)つた(ところ)をお()()けようと(おも)つて連出(つれだ)して()たんです。

 あなた(わか)つたでせう、(いま)あの木挽小屋(こびきごや)(まへ)(とほ)つて()たでせう。(うたが)ふもんぢやありませんよ。(ひと)(おもひ)ですわ、眞暗(まつくら)だから(わか)らないつてお(うたぐ)ンなさるのは、そりや、あなたが邪慳(じやけん)だから、邪慳(じやけん)(かた)にや(わか)りません。」

 (また)(だま)つて俯向(うつむ)いた、しばらくすると(かほ)()げて(なゝ)めに卷煙草(まきたばこ)差寄(さしよ)せて、

「あい。」

「…………」

「さあ、」

「…………」

邪慳(じやけん)だねえ。」

「…………」

「えゝ!、()らなきや()せ。」

 といふが(はや)いか、ケンドンに(はふ)()した、卷煙草(まきたばこ)()は、ツツツと橢圓形(だゑんけい)(なが)中空(なかぞら)流星(りうせい)(ごと)()()いたが、《ぱつ》と火花(ひばな)()つて、(あを)くして(くろ)(みづ)(うへ)(みだ)れて()ちた。

 (きつ)()て、

「お(りう)、」

「え、」

「およそ()(なか)にお(まへ)(ぐらゐ)なことを、(わたし)にするものはない。」

 と重々(おも/\)しく()(しづ)んだ調子(てうし)で、(をとこ)肅然(しゆくぜん)としていつた。

女房(にようばう)ですから、」

 と立派(りつぱ)()(はな)ち、お(りう)(たちま)(ふる)ひつくやうに、岸破(がば)(をとこ)(ひざ)(ほゝ)をつけたが、消入(きえい)りさうな風采(とりなり)で、

「そして同年紀(おなじとし)だもの。」

 (をとこ)(その)(うなじ)()かうとしたが、フト()()らす(みづ)(おも)、一(てん)()()()えないで(のこ)つて()たので。(おどろ)いて、じつと()れば、お(りう)()げた卷煙草(まきたばこ)(それ)ではなく、(もや)か、(きり)か、朦朧(もうろう)とした、灰色(はひいろ)溜池(ためいけ)に、(いろ)(やゝ)()く、(いかだ)()えて、天窓(あたま)(まる)(ちひさ)(かたち)一個(ひとつ)()つて(しやが)むで()たが、煙管(きせる)(くは)へたらうと(おも)はれる、()(ひかり)が、ぽツちり。

 (また)(みづ)(うへ)歩行(ある)いて()たものがある。が(ふね)()るでもなく、(すそ)(みづ)について()るでもない。()(たか)く、(きり)(おんなじ)(ねずみ)(うす)法衣(ころも)のやうなものを(まと)つて、(むかう)(きし)からひら/\と。

 ()()(みづ)(はな)れて、すれ(ちが)つて、背後(うしろ)なる木納屋(きなや)()てかけた(すう)(ぽん)材木(ざいもく)(なか)()えた、トタンに(みと)めたのは、緑青(ろくしやう)()つたやうな(おもて)()(ひか)る、(くち)(とが)つた、手足(てあし)枯木(かれき)のやうな異人(いじん)であつた。

「お(りう)。」と()ばうとしたけれども、工學士(こうがくし)(あま)りのことに(こゑ)()なくツて(ひとみ)()ゑた。

 爾時(そのとき)何事(なにごと)とも()れず(ほの)かにあかりがさし、(いけ)(へだ)てた、堤防(どて)(うへ)の、(まつ)(まつ)との(あひだ)に、すつと()つたのが婦人(をんな)(かたち)、ト(おも)ふと細長(ほそなが)()()し、此方(こなた)(きし)()だるげに指招(さしまね)く。

 學士(がくし)()まりかねて()たうとする足許(あしもと)に、(ふね)(よこ)ざまに、ひたとついて()た、爪先(つまさき)()るほどの(ところ)にあつたのを、(きり)(ふか)所爲(せゐ)()らなかつたのであらう、(たゞ)そればかりでない。

 (ふね)(どう)()嬰兒(あかご)一人(ひとり)黄色(きいろ)(うら)をつけた、(くれなゐ)()()()たのが(すべ)つて、()婦人(をんな)(まね)くにつれて、(ふね)ごと()きつけらるゝやうに、(みづ)(うへ)をする/\と(なゝ)めに()く。

 (その)道筋(みちすぢ)に、(おびたゞ)しく(しづ)めたる材木(ざいもく)は、(あたか)()()()退()ける(ごと)くに、(さん)(みだ)して(さつ)左右(さいう)(わか)れたのである。

 (それ)(むか)(ぎし)()いたと(おも)ふと、四邊(あたり)また濛々(もう/\)(そら)(いろ)(すこ)赤味(あかみ)()びて、(こと)(くろ)ずんだ水面(すゐめん)に、五六(にん)氣勢(けはひ)がする、(さゝや)くのが(きこ)えた。

「お(りう)、」と(おも)はず抱占(だきし)めた(とき)は、淺黄(あさぎ)手絡(てがら)と、(ゆき)なす(うなじ)が、(あざ)やかに、狹霧(さぎり)(なか)(ゑが)かれたが、()る/\、(いろ)があせて、(うす)くなつて、ぼんやりして、一體(いつたい)(すみ)のやうになつて、やがて、(まぼろし)()にも(とま)らず。

 (はな)して退(すさ)ると、(べつ)塀際(へいぎは)に、犇々(ひし/\)材木(ざいもく)(すぢ)()つて(なら)(なか)に、朧々(おぼろ/\)とものこそあれ、學士(がくし)自分(じぶん)(かげ)だらうと(おも)つたが、(つき)()し、()()(あし)(つち)(くぎ)づけになつてるのにも(かゝは)らず、影法師(かげぼふし)は、(うす)くなり、()くなり、()くなり、(うす)くなり、ふら/\(うご)くから(われ)にもあらず、

「お(りう)、」

 (おも)はず(また)

「お(りう)、」

 といつてすた/\と十(けん)ばかりあとを()つた。

()て。」

 あでやかな(かほ)目前(めさき)歴々(あり/\)()えて、ニツと(わら)(すゞし)()の、うるんだ(つゆ)()()るばかり、()()らうする、と(なん)にもない。(たなそこ)(さは)つたのは(さむ)(あさひ)光線(くわうせん)で、()はほの/″\と()けたのであつた。

 學士(がくし)昨夜(さくや)礫川(こいしかは)なる(その)(やしき)で、(たしか)寢床(ねどこ)(はひ)つたことを()つて、あとは(あたか)(ゆめ)のやう。(いま)(うつゝ)とも(おぼ)えず。()()れば(いけ)のふちなる()(つち)を、五六(すん)(はな)れて()(きり)(なか)に、唱名(しやうみやう)(こゑ)(りん)(おと)深川木場(ふかがはきば)のお(りう)が《あね》の(かど)(まぎ)れはない。(しか)(おもて)()一脈(いちみやく)線香(せんかう)(にほひ)に、學士(がくし)はハツと(われ)(かへ)つた。(なに)()(わす)()てて、狂氣(きやうき)(ごと)く、(その)()音信(おとづ)れて()くと、お(りう)(ちやう)爾時(そのとき)……。あはれ、草木(くさき)も、婦人(をんな)も、靈魂(たましひ)姿(すがた)があるのか。

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