3話 俘囚(3)
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その次、気がついてみると、あたしはベッドのある居間とは違って、真暗な場所に、なんだか蓆のような上に寝かされていた。背中が痛い。裸に引き剥かれているらしい。起きあがろうと思って、身体を動かしかけて、身体の変な調子にハッとした。
「あッ、腕が利かない!」
どうしたのかと思ってよく見ると、これは利かないのも道理、あたしの左右の腕は、肩の下からブッツリ切断されていた。腕なし女!
「ふッふッふッふッ」片隅から、厭な忍び笑いが聞えてきた。
「どうだ、身体の具合は?」
あッ、夫の声だ。ああ、それで解った。さっき気が遠くなってから、この両腕が夫の手で切断されてしまったのだ。憎んでも憎み足りない其の復讐心!
「起きたらしいが、一つ立たせてやろうか」夫はそういうなり、あたしの腋の下に、冷い両手を入れた。持ち上げられたが、腰から下がイヤに軽い。フワリと立つことが出来たが、それは胴だけの高さだった。大腿部から下が切断されている!
「な、なんという惨らしいことをする悪魔! どこもかも、切っちまって……」
「切っちまっても、痛味は感じないようにしてあげてあるよ」
「痛みが無くても、腕も脚も切ってしまったのネ。ひどいひと! 悪魔! 畜生!」
「切ったところもあるが、殖えているところもあるぜ。ひッひッひッ」
殖えたところ? 夫の不思議な言葉に、あたしはまた身慄いをした。あたしをどうするつもりだろう。
「いま見せてやる。ホラ、この鏡で、お前の顔をよく見ろ!」
パッと懐中電灯が、顔の正面から、照りつけた。そしてその前に差し出された鏡の中。――あたしは、その中に、見るべからざるものを見てしまった。
「イヤ、イヤ、イヤ、よして下さい。鏡を向うへやって……」
「ふッふッふッ。気に入ったと見えるネ。顔の真中に殖えたもう一つの鼻は、そりゃあの男のだよ。それから、鎧戸のようになった二重の唇は、それもあの男のだよ。みんなお前の好きなものばかりだ。お礼を云ってもらいたいものだナ、ひッひッひッ」
「どうして殺さないんです。殺された方がましだ。……サア殺して!」
「待て待て。そうムザムザ殺すわけにはゆかないよ。さア、もっと横に寝ているのだ。いま流動食を飲ませてやるぞ。これからは、三度三度、おれが手をとって食事をさせてやる」
「誰が飲むもんですか」
「飲まなきゃ、滋養浣腸をしよう。注射でもいいが」
「ひと思いに殺して下さい」
「どうして、どうして。おれはこれから、お前を教育しなければならないのだ。さア、横になったところで、一つの楽しみを教えてやろう。そこに一つの穴が明いている。それから下を覗いてみるがいい」
覗き穴――と聞いて、あたしは頭で、それを急いで探した。ああ、有った、有った。腕時計ほどの穴だ。身体を芋虫のようにくねらせて、その穴に眼をつけた。下には卓子などが見える。夫の研究室なのだ。
「なにか見えるかい」
云われてあたしは小さい穴を、いろいろな角度から覗いてみた。
あった、あった。夫の見ろというものが。椅子の一つに縛りつけられている化物のような顔を持った男の姿! 着ているものを一見して、それと判る人の姿――ああ、なんと変わり果てた松永青年! あたしの胸にはムラムラと反抗心が湧きあがった。
「あたしは、あなたの計画を遂げさせません。もうこの穴から、下を覗きませんよ。下を見ないでいれば、あなたの計画は半分以上、効果を失ってしまいます」
「はッはッはッ、莫迦な女よ」と、夫は、暗がりの中で笑った。「おれの計画しているものはそんなことじゃない。見ようと見まいと、そのうちにハッキリ、お前はそれを感じることだろう!」
「では、あたしに何を感じさせようというのです」
「それは、妻というものの道だ、妻というものの運命だ! よく考えて置けッ」
夫はそういうと、コトンコトンと跫音をさせながら、この天井裏を出ていった。
それから天井裏の、奇妙な生活が始まった。あたしは、メリケン粉袋のような身体を同じところに横えたまま、ただ夫がするのを待つより外なかった。三度三度の食事は、約束どおり夫が持って来て、口の中に入れてくれた。あたしは、両手のないのを幸福と思うようになった。手がないばかりに、鼻が二つあり、おまけに唇が四枚もある醜怪な自分の顔を触らずに済んだ。
用を達すのにも困ると思ったが、それは医学にたけた夫が極めて始末のよいものを考えて呉れたようだった。その代り、或る日、注射針を咽喉のあたりに刺し透されたと思ったら、それっきり大きな声が出なくなった。前とは似ても似つかぬ皺がれた声が、ほんの申し訳に、喉の奥から出るというに過ぎなかった。なにをされても、俘囚の身には反抗すべき手段がなかった。
鼻と唇とを殺がれた松永は、それから後どうなったか、気のついたときには、例の天井の穴からは見えなくなった。見えるのは、相変らず気味の悪い屍体や、バラバラの手足や、壜漬けになった臓器の中に埋もれて、なにかしらせっせとメスを動かしている夫の仕事振りだった。その仕事振りを、毎日朝から夜まで、あたしは天井裏から、眺めて暮した。
「なんて、熱心な研究家だろう!」
不図、そんなことを思ってみて、後で慌てて取り消した。そろそろ夫の術中に入りかけたと気が付いたからである。「妻の道、妻の運命」――と夫は云ったが、なにをあたしに知らしめようというのだろう。
しかし遂に、そのことがハッキリあたしに判る日がやって来た。
それから十日も経った或る日、もう暁の微光が、窓からさしこんで来ようという夜明け頃だった。警官を交えた一隊の検察係員が、風の如く、真下の部屋に忍びこんで来た。あたしは、刑事たちが、盛んに家探しをしているのを認めた。解剖室からすこし離れたところに、麻雀卓をすこし高くしたようなものがあって、その上に寒餅を漬けるのに良さそうな壺が載せてあった。
「こんなものがある!」
「なんだろう。……オッ、明かないぞ」
捜査隊員はその壺を見つけて、グルリと取巻いた。床の上に下ろして、開けようとするが、見掛けによらず、蓋がきつく閉まっていて、なかなか開かない。
「そんな壺なんか、後廻しにし給え」と部長らしいのが云った。刑事たちは、その言葉を聞いて、また四方に散った。壺は床の上に抛り出されたままだった。
「どうも見つからん。これア犯人は逃げたのですぜ」
彼等はたしかにあたしたち夫婦を探しているものらしい。あたしは何とかして、此処にいることを知らせたかったが、重い鎖につながれた俘囚は天井裏の鼠ほどの音も出すことが出来なかった。そのうちに一行は見る見るうちに室を出ていって、あとはヒッソリ閑として機会は逃げてしまったのだ。
それにしても、夫は何処に行ったのだろう。
「オヤ、なんだろう?」あたしはそのとき、下の部屋に、なにか物の蠢く気配を感じた。
と、いきなりカタカタと、揺れだしたものがあった。
「あッ。壺だ!」
卓子の上から、床の上に下ろされた壺が、まるで中に生きものが入っているかのように、さも焦れったそうに揺れている。何か、入っているのだろうか。入っているとすると、猫か、小犬か、それとも椰子蟹ででもあろうか。いよいよこの家は、化物屋敷になったと思い、カタカタ揺り動く壺を、楽しく眺め暮した。なにしろ、それは近頃にない珍らしい活動玩具だったから。その日も暮れて、また次の日になった。壺は少し勢を減じたと思われたが、それでも昨日と同じ様に、ときどきカタカタと滑稽な身振で揺らいだ。
夫はもう帰って来そうなものと思われるのに、どうしたものか、なかなか姿を見せなかった。あたしはお腹が空いて、たまらなくなった。もう自分の身体のことも気にならなくなった。ただ一杯のスープに、あたしの焦燥が集った。
四日目、五日目。あたしはもう頭をあげる力もない。壺はもう全く動かない。そうして遂に七日目が来た。時間のことは判らないが、不図下の部屋がカタカタする音に気がついて例の覗き穴から見下ろすと、この前に来たように一隊の警官隊が集っていた。その中でこの前に見かけなかったような一人のキビキビした背広の男が一同の前になにか云っていた。
「……博士は、絶対に、この部屋から出ていません。私はこの前に一緒に来ればよかったと思います。多分もう手遅れになったような気がします。あの××銀行の、入口の厳重に閉った金庫室へ忍びこんだのもたしかに博士だったのです。そういうと変に思われるでしょうが、実は博士は僅か十五センチの直径の送風パイプの中から、あの部屋に侵入したのです」
「それア理窟に合わないよ、帆村君」と部長らしいのが横合から叫んだ。「あの大きな博士の身体が、あんな細いパイプの中に入るなどと考えるのは、滑稽すぎて言葉がない」
「ではいまその滑稽をお取消し願うために、博士の身体を皆さんの前にお目にかけましょう」
「ナニ博士の在所が判っているのか。一体どこに居るのだ」
「この中ですよ」
帆村は腰を曲げて、足許の壺を指した。警官たちは、あまりの馬鹿馬鹿しさに、ドッと声をあげて笑った。
帆村は別に怒りもせず、壺に手をかけて、逆にしたり、蓋をいじったりしていたが、やがて、恭々しく壺に一礼をすると、手にしていた大きいハンマーで、ポカリと壺の胴中を叩き割った。中からは黄色い枕のようなものがゴロリと転り出た。
「これが我が国外科の最高権威、室戸博士の餓死屍体です!」
あまりのことに、人々は思わず顔を背けた。なんという人体だ。顔は一方から殺いだようになり、肩には僅かに骨の一部が隆起し、胸は左半分だけ、腹は臍の上あたりで切れている。手も足も全く見えない。人形の壊れたのにも、こんなにまで無惨な姿をしたものは無いだろう。
「みなさん。これは博士の論文にある人間の最小整理形体です。つまり二つある肺は一つにし、胃袋は取り去って腸に接ぐという風に、極度の肉体整理を行ったものです。こうすれば、頭脳は普通の人間の二十倍もの働きをすることになるそうで、博士はその研究を自らの肉体に試みられたのです」
人々は唖然として、帆村の話に聞き入った。
「この壺は博士のベッドだったんです。その整理形体に最も適したベッドだったんです。ところで、こんな身体で、どうして博士は往来を闊歩されたか。いまその手足をごらんに入れましょう」
帆村は立って、壺の載っていた卓子の上に行った。そして台の中央部をしきりに探していたが、やがて指をもって上からグッと押した。するとギーッという物音がすると思うと、卓子の中からニョキリと二本の腕と二本の脚が飛び出した。それは空間に、博士の両腕と両脚とを形づくってみせた。
「ごらんなさい。あの壺の蓋が明いて、博士の身体がバネ仕掛けで、この辺の高さまで飛び出して来たとすると、電磁石の働きで、この人造手足がピタリと嵌るのです。しかしこの動作は、博士が壺の底に明いている穴から、卓子の上の隠し釦を押さねばなりません。押さなければ、この壺の蓋も明きません。博士が餓死をされたのは、睡っているうちにこの壺が卓子の上から下ろされた結果です」
一座は苦しそうに揺いだ。
「しかし博士は、何かの原因で精神が錯乱せられた。そしてあの兇行を演じたのです。小さいパイプの中を抜けることは、その手足を一時バラバラに外し、一旦向う側へ抜けた上、また元のように組立てれば、苦もなく出来ることです。それを考えないと、あの金庫の部屋に忍びこんだことが信ぜられない。これで私の説が滑稽でないことがお判りでしょう」
やがて帆村は一同を促して退場をすすめた。
「あの夫人はどうしたろう?」
と部長が、あたしのことを思い出した。
「魚子夫人はアルプスの山中に締め殺してあると博士の日記に出ています。さあ、これからアルプスへ急ぐのです」
人々はゾロゾロと室を出ていった。
「待って!」
あたしは力一杯に叫んだ。しかしその声は彼等の耳に達しなかった。ああ、馬鹿、馬鹿! 帆村探偵のお馬鹿さん! ここにあたしが繋がれているのが判らないのかい。夫は、あの井戸の蓋の穴から逃げ出したのだ。呪いの大石塊は、彼に命中しなかったのだ。ああ今は、あたしには餓死だけが待っている。お馬鹿さんが引返して来る頃には、あたしはもう此の世のものじゃ無い。夫が死ねば、妻もまた自然に死ぬ! 夫の放言が今死に臨んで、始めて合点がいった。夫はいつか、こんなことの起るのを予期していたのか知れない。あたしもここで、潔く死を祝福しましょう!