1話 母子叙情(1)
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かの女は、一足さきに玄関まえの庭に出て、主人逸作の出て来るのを待ち受けていた。
夕食ごろから静まりかけていた春のならいの激しい風は、もうぴったり納まって、ところどころ屑や葉を吹き溜めた箇所だけに、狼藉の痕を残している。十坪程の表庭の草木は、硝子箱の中の標本のように、くっきり茎目立って、一きわ明るい日暮れ前の光線に、形を截り出されている。
「まるで真空のような夕方だ」
それは夜の九時過ぎまでも明るい欧洲の夏の夕暮に似ていると、かの女はあたりを珍しがりながら、見廻している。
逸作は、なかなか出て来ない。外套を着て、帽子を冠ってから、あらためて厠へ行き直したり、忘れた持物を探しはじめたりするのが、彼の癖である。
洋行中でも変りはなかった。また例のが始まったと、彼女は苦笑しながら、靴の踵の踏み加減を試すために、御影石の敷石の上に踵を立てて、こちこち表門の方へ、五六歩あゆみ寄った。
門扉は、閂がかけてある。そして、その閂の上までも一面に、蜘蛛手形に蔦の枝が匍っている。扉は全面に陰っているので、今までは判らなかったが、今かの女が近寄ってみると、ぽちぽちと紅色の新芽が、無数に蔦の蔓から生えていた。それは爬虫類の掌のようでもあれば、吹きつけた火の粉のようでもある。
かの女は「まあ!」といって、身体は臆してうしろへ退いたが、眼は鋭く見詰め寄った。微妙なもの等の野性的な集団を見ることは、女の感覚には、気味の悪いところもあったが、しかし、芽というものが持つ小さい逞しいいのちは、かの女の愛感を牽いた。
「こんな腐った髪の毛のような蔓からも、やっぱり春になると、ちゃんと芽を出すのね」
かの女は、こんな当りまえのことを考えながら、思い切って指を出し、蔦の小さい芽の一つに触れると、どういうものか、すぐ、むす子のことを連想して、胸にくっくと込み上げる感情が、意識された。
かの女は、潜り門に近い洋館のポーチに片肘を凭せて、そのままむす子にかかわる問題を反芻する切ない楽しみに浸り込んだ。
洋画家志望のかの女のむす子は、もう、五年も巴里に行っている。五年前かの女が、主人逸作と洋行するとき、一緒に連れて行って、帰国の時そのまま残して来たものだ。
今日の昼も、かの女は、賢夫人で評判のある社交家の訪問を受け、話の序に、いろいろむす子の、巴里滞在について質問をうけた。
「おちいさいのに一人で巴里へおのこしになって……厳しい立派なおしこみですねえ。それに、為替がたいへん廉いというではありませんか。大概な金持の子も引き上げさしてしまうというのに、よくもねえ、さぞ、お骨が折れましょう。その代り、いまに大した御出世をなさいましょう。おたのしみで御座いますねえ」
その中年夫人は黙っているかの女に、なおも子供の事業のため犠牲になって貢ぐ賢母である、というふうな讃辞をしきりに投げかけた。
事実、かの女自身も、むす子に送る学資のため、そうとう自身を切り詰めている。また、甘い家庭に長女として育てられて来たかの女は、人に褒められることその事自体に就いては、決して嫌いではない。で、面会中はかなり好い気持にもなって、讃めそやされていた。
だが、その賢夫人が帰って、独りになってみると、反対に、にがにがしさを持て剰した。つまり夫人がかの女を、世間普通の賢母と同列に置いた見当違いが、かの女を焦立たせた。それは遠い昔、たった一つしたかの女のいのちがけの、辛い悲しい恋物語を、ふざけた浮気筋や、出世の近道の男釣りの経歴と一緒に噂される心外な不愉快さに同じだった。
なるほど、かの女とても、むす子が偉くなるに越した事はないと思う。偉くなればそれだけ、世の中から便利を授かって暮して行ける。この意味からなら願っても、むす子に偉くなって貰いたい。しかし、親の身の誇りや満足のためなら、決してむす子はその道具になるには及ばない。実をいうとかの女も主人逸作と共に、時代の運に乗せられて、多少、知名の紳士淑女の仲間入りをしている。そして、自身嘗めた経験からみたそういう世の中というものに、親身のむす子をあてはめるため、叱ったり、気苦労さすのは引合わないような気がする。
「では、なぜ?」とかの女はその夫人には明さなかったむす子を巴里へ留学させて置く気持の真実を久し振りに、自問自答してみた。まえにはいろいろと、その理由が立派な趣意書のように、心に泛んだものだが、もうそんな理屈臭いことは考えたくなかった。かの女は悩ましそうに、帽子の鍔の反りを直して、吐き出すように自分に云った。
「つまりむす子も親もあの都会に取り憑れているのだ」
やっと、逸作が玄関から出て来た。画描きらしく、眼を細めて空の色調を眺め取りながら、
「見ろ、夕月。いい宵だな」
といって、かの女を急き立てるように、先へ潜り門を出た。
かの女と逸作は、バスに乗った。以前からかの女は、ずっと外出に自動車を用いつけていたのだが、洋行後は時々バスに乗るようになった。窓から比較的ゆっくり街の門並の景色も見渡して行けるし、三四年間居ない留守中に、がらりと変った日本の男女の風俗も、乗合い客によって、手近かに観察出来るし、一ばん嬉しいのは、何と云っても、黒い瞳の人々と膝を並べて一車に乗り合わすことだった。永らく外国人の中に、ぽつんと挟って暮した女の身には、緊張し続けていた気持がこうしていると、湯に入ってほごれるようだった。右を見ても左を見ても、日本人の顔を眺められるのは、帰朝者だけが持つ特別の悦びだった。
わけてかの女のように、一人むす子と離れて来た母親に取って、バスは、寂寥を護って呉れる団欒的な乗りものだった。この点では、電車は、まだ広漠とした感じを与えた。
バスは、ときどき揺れて、呟き声や、笑い声を乗客に立てさせながら、停留場毎に几帳面に、客を乗り降りさせて行く。山の手から下町へ向う間に二つ三つ坂があって、坂を越すほど街の灯は燦き出して来る。そして、これが最後の山の手の区域と訣れる一番高い坂へ来て、がくりと車体が前屈みになると、東京の中央部から下町へかけての一面の灯火の海が窓から見下ろせる。浪のように起伏する灯の粒々やネオンの瞬きは、いま揺り覚まされた眼のように新鮮で活気を帯びている。かの女は都会人らしい昂奮を覚えて、乗りものを騎馬かなぞのように鞭って早く賑やかな街へ進めたい肉体的の衝動に駆られたが、またも、むす子と離れている自分を想い出すと、急に萎れ返り、晴々しい気持の昂揚なぞ、とても長くは続かなかった。
バスはMの学生地区にさしかかった。五六人の学生が乗り込んだ。帽子の徽章をみると、かの女のむす子が入っていた学校の生徒たちである。なつかしいと思うよりも、困ったものが眼の前に現われたといううろたえた気持の方が、かの女の先に立った。年頃に多少の違いはあろうが、むす子の中学時代を彷彿させる長い廂の制帽や、太いズボンの制服のいでたちだけでも、かの女の露っぽくふるえている瞼には、すでに毒だった。かの女は顎を寒そうに外套の襟の中へ埋めた。塩辛い唾を咽喉へそっと呑み下した。
かの女のむす子はM地区の学校を出て、入学試験の成績もよく、上野の美術学校へ入った。それから間もなく逸作の用務を機会に、かの女の一家は外遊することになった。
在学中でもあり、師匠筋にあたる先生の忠告もあり、かの女ははじめ、むす子を学校卒業まで日本へ残して置く気だった。
「ええ、そりゃそうですとも、基礎教育をしっかり固めてから、それから本場へ行って勉強する。これは順序です。だからあたしたち、先へ行ってよく向うの様子を見て来てあげますから、あんたも留守中落着いて勉強していなさい。よくって」
かの女は賢そうにむす子にいい聞かせた。それでむす子もその気でいた。
ところが、遽しい旅の仕度が整うにつれ、かの女は、むす子の落着いた姿と見較べて憂鬱になり出した。とうとうかの女はいい出した。「永くもない一生のうちに、しばらくでも親子離れて暮すなんて……先のことは先にして――あんたどう思います」逸作は答えた。「うん、連れてこう」
親たちのこの模様がえを聞かされた時、かなり一緒に行き度い心を抑えていたむす子は「なんだい、なんだい」と赫くなって自分の苦笑にむせ乍ら云った。そして、かの女等は先のことは心にぼかしてしまって、人に羨まれる一家揃いの外遊に出た。
足かけ四年は、経った。かの女の一家は巴里にすっかり馴染んだ。けれども、かの女達はついに日本へ帰らなくてはならない。
その時かの女は歯を喰いしばって、むす子を残すことにした。むす子は若いいのちの遣瀬ない愛着を新興芸術に持ち、新興芸術を通して、それを培う巴里の土地に親しんだむす子は、東洋の芸術家の挺身隊を一人で引受けたような決心の意気に燃えて、この芸術都市の芸術社会に深く喰い入っていた。今更、これを引離すことは、勢い立った若武者を戦場から引上げさすことであり、恋人との同棲から捩ぎ外すことだった。(巴里のテーストはもはやむす子の恋人だった。)それを想像するだけで、かの女は寒気立った。むす子にその思い遣りが持てるのは、もはやかの女自身が巴里の魅力に憑かれている証拠だった。
ふだん無頓着をよそおっている逸作も、このときだけは、妙に凄い顔付きになっていった。
「巴里留学は画学生に取っていのちを賭けてもの願いだ。それを、おれは、青年時代に出来なかった。だから、おれの身代りにも、むす子を置いて行く」
だが、こう筋立った逸作の言葉の内容も、実は、かの女やむす子と同じく巴里に憑かれた者の心情を含んでいた。人間性の、あらゆる洗練を経た後のあわれさ、素朴さ、切実さ――それが馬鹿らしい程小児性じみて而も無性格に表現されている巴里。鋭くて厳粛で怜悧な文化の果てが、むしろ寂寥を底に持ちつつ取りとめもない痴呆状態で散らばっている巴里。真実の美と嘆きと善良さに心身を徹して行かなければいられない者が、魅着し憑かれずにはいられない巴里――だが、そこからは必ずしも通俗的な獲物は取り出せないのだ。むす子がどれ程深く喰い入りそこから取り出すであろう芸術も、それをあの賢夫人やその他多くの世間人達がむす子に予言するような、いわゆる偉い通俗の「出世社会」に振りかざし得ようとの期待は、親もむす子も持たなかった。置く者も置かれる者も、慾や、見栄や、期待ではなかった。もっとせっぱ詰ったあわれなあわれな心の状態だった。
所詮、かの女はむす子と離れて暮さねばならなかった。
うつし世の人の母なるわれにして
手に触る子の無きが悲しき。
むす子が巴里の北のステイションへ帰朝する親たちを送って来て、汽車の窓から、たしない小遣いの中で買ったかの女への送別品のハンケチを、汽車の窓に泣き伏しているかの女の手へ持ち添えて、顔も上げ得ず男泣きに泣いていた姿を想い出すと、彼女は絶望的になって、女ながらも、誰かと決闘したいような怒りを覚える。
だが、その恨みの相手が結局誰だか判らないので、口惜しさに今度は身体が痺れて来る。
バスは早瀬を下って、流れへ浮み出た船のように、勢を緩めながら賑やかで平らな道筋を滑って行く。窓硝子から間近い両側の商店街の強い燭光を射込まれるので、車室の中の灯りは急にねぼけて見える。その白濁した光線の中をよろめきながら、Mの学生の三四人は訣れて車を降り、あとの二人だけは、ちょうどあいたかの女の前の席を覘って、遠方の席から座を移して来た。かの女は学生たちをよく見ることが出来た。
一人は鼻の大きな色の白い、新派の女形にあるような顔をしていた。もう一人は、いくら叩いても決して本音を吐かぬような、しゃくれた強情な顔をしていた。
どっちとも、上質の洋服地の制服を着、靴を光らして、身だしなみはよかった。いい家の子に違いない。けれども、眼の色にはあまり幸福らしい光は閃いていなかった。自我の強い親の監督の下に、いのちが芽立ち損じたこどもによくある、臆病でチロチロした瞳の動き方をしていた。かの女は巴里で聞かされたピサロの子供の話を思い出した。
かの女がむす子と一緒に巴里で暮していたときのことである。かの女はセーヌ河に近いある日本人の家のサロンで、永く巴里で自活しているという日本人の一青年に出遇った。
「僕あ、ピサロの子を知っています。二十歳だが親はもう働かせながら勉強さしています」
青年が何気ない座談で聞かせて呉れたその言葉は、かの女に、自分がむす子に貢いで勉強さしとくことが、何かふしだらででもあるような危惧の念を抱かした。
しかしかの女はずっとかの女の内心でいった。なるほど、二十歳の青年で稼ぎながら勉強して行く。ピサロの子どもには感心しないものでもない。しかし、親のピサロには、どうあっても同感出来ない。印象画派生き残りの唯一の巨匠で、現在官展の元老であるピサロは貧乏ではあるまい。十分こどもに学資を与えられる身分である。たとえ、主義のためであるとしても、十九や二十の息子を、親の手から振り放って、他人の雇傭の鞭の下で稼ぐ姿を、よくも、黙って見ていられるものである。それで自分はしゃれたピジャマでも着て、匂いのいい葉巻でもくゆらしているとすれば……そんなちぐはぐな親子の情景によって、ピサロは主義遂行に満足しているのか。かの女は、それから、あのピサロの律義で詩的な、それでいてどこか偏屈な画を見ることが嫌いになり出した。そしてピサロのむす子を想像すると、いつも親に気兼ねしている、臆病で素早く動く色の薄い瞳がちらついて来る。でなければ、主義とか理想とかを丸呑み込みにして、それに盲従する単純すぎて鈍重な眼を輝かす青年が想像されて来る。かの女はまた、かりにピサロの親子間を立派なものに考えて見た。それから更に考えてかの女の、子に対する愛情の方途が間違っているとは思えなかった。彼女は、子を叱咤したり、苛酷にあつかうばかりが子の「人間成長」に役立つものとは思わない。世には切実な愛情の迫力に依って目覚める人間の魂もある。叱正や苛酷に痩せ荒む性情が却って多いとも云えようではないか。結局かの女の途方も無い愛情で手擲弾のように世の中に飛び出して行ったむす子……「だが、僕は無茶にはなり切れませんよ、僕の心の果てにはいつも母の愛情の姿がありますもの……時代は英雄時代じゃなし、親の金でいい加減に楽しんでいればそれでもいい僕等なんだけどな……偉くなれなんて云わない母の愛情が、僕をどうも偉くしそうなんです」
と、むす子はかの女の陰で或人に云ったそうである。
二人の学生はかの女の思わくも何も知らずにコソコソ話していたが、道筋が大通りに突き当って、映画館のある前の停留場へ来ると急いでバスから降りて行った。
しばらく、バスは、官庁街の広い通りを揺れて行く。夜更けのような濃い闇の色は、硝子窓を鏡にして、かの女の顔を向側に映し出す。派手な童女型と寂しい母の顔の交った顔である。むす子が青年期に達した二三年来、一にも二にもむす子を通して世の中を眺めて来た母の顔である。かの女は、向側の窓硝子に映った自分の姿を見るのが嫌になって、寒そうに外套の襟を掻き合せ、くるりと首を振り向けた。所在なさそうに、今度は背中が当っていた後側の窓硝子に、眼を近々とすり寄せて、車外を覗いてみる。
湖面を想像させる冷い硝子の発散気を透して、闇の遠くの正面に、ほの青く照り出された大きな官庁の建物がある。その建物の明るみから前へ逆に照り返されて威厳を帯びた銅像が、シルエットになって見える。銅像の検閲を受ける銃剣の参差のように並木の梢が截り込みこまかに、やはりシルエットになって見える。それはかの女が帰朝後間もない散歩の途中、東京で珍しく見つけたマロニエの木々である。日本へ帰って二タ月目に、小蝋燭を積み立てたようなそのほの白い花を見つけて、かの女はどんなに歓んだことであろう。
巴里という都は、物憎い都である。嘆きや悲しみさえも小唄にして、心の傷口を洗って呉れる。媚薬の痺れにも似た中欧の青深い、初夏の晴れた空に、夢のしたたりのように、あちこちに咲き迸るマロニエの花。巴里でこの木の花の咲く時節に会ったとき、かの女は眼を一度瞑って、それから、ぱっと開いて、まじまじと葉の中の花を見詰めた。それから無言で、むす子に指して見せた。すると、むす子も、かの女のした通り、一度眼を瞑って、ぱっと開いて、その花を見入った。二人に身慄いの出るほど共通な感情が流れた。むす子は、太く徹った声でいった。
「おかあさん、とうとう巴里へ来ましたね」
割栗石の路面の上を、アイスクリーム売りの車ががらがらと通って行った。
この言葉には、前物語があった。その頃、美男で酒徒の夫は留守勝ちであった。彼は青年期の有り余る覇気をもちあぐみ、元来の弱気を無理な非人情で押して、自暴自棄のニヒリストになり果てていた。かの女もむす子も貧しくて、食べるものにも事欠いたその時分、かの女は声を泣き嗄らしたむす子を慰め兼ねて、まるで譫言のようにいって聞かした。
「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね、シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」
その時口癖のようにいった巴里という言葉は、必ずしも巴里を意味してはいなかった。極楽というほどの意味だった。けれども、宗教的にいう極楽の意味とも、また違っていた。かの女は、働くことに無力な一人の病身で内気な稚ない母と、そのみどり子の餓えるのを、誰もかまって呉れない世の中のあまりのひどさ、みじめさに、呆れ果てた。――絶望ということは、必ずしも死を選ませはしない。絶望の極死を選むということは、まだ、どこかに、それを敢行する意力が残っているときの事である。真の絶望というものは、ただ、人を痴呆状態に置く。脱力した状態のままで、ただ何となく口に希望らしいものを譫言のようにいわせるだけだ。彼女が当時口にした巴里という言葉は、ほんの譫言に過ぎなかった。しかし譫言にもせよ、巴里と口唱するからには、たしかに、よいところとは思っていたに違いなかった。或は貧しい青年画家であった夫逸作の憧憬がその儘、かの女にそう思い込ませたのかも知れない。
将来、巴里へ行けるとか行けまいとか、そんな心づもりなどは、当時のかの女には、全然なかったのだ。第一、この先、生きて行けるものやら、そのことさえ判らなかった。だがその後ほとんど人生への態度を立て直した逸作の仕事への努力と、かの女に思わぬ方面からの物質の配分があって、十余年後に一家揃って巴里の地を踏んだときには、当然のようにも思えるし、多少の不思議さが心に泛び、運命が夢のように感じられただけであった。
しかし、この都にやや住み慣れて来ると、見るものから、聞くものから、また触れるものから、過去十余年間の一心の悩みや、生活の傷手が、一々、抉り出され、また癒されもした。巴里とはまたそういう都でもあった。
かの女は巴里によって、自分の過去の生涯が口惜しいものに顧みさせられると、同時にまた、なつかしまれさえもした。かの女はこの都で、いく度か、しずかに泣いて、また笑った。しかし、一ばんかの女の感情の根をこの都に下ろさしたのは、むす子とマロニエの花を眺めたときだった。かの女の心に貧しいときの譫言が蘇った。
「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね。シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」そして今はむす子の声が代って言う、「お母さん、とうとう巴里へ来ましたね」そうだ復讐をしたのだ。何かに対する復讐をしたのだ。そしてかの女に復讐をさして呉れたのはこのマロニエの都だ。
こういう気持からだけでも、十分かの女は、この都に、愛着を覚えた。よく、物語にある、仇打の女が助太刀の男に感謝のこころから、恋愛を惹起して行く。そんな気持だった。けれども、かの女は帰国しなくてはならない。かの女は元来、郷土的の女であって、永く郷国の土に離れてはいられなかった。旅費も乏しくなった。逸作も日本へ帰って働かなければならない。そこで、せめて、かたみに血の繋がっているむす子を残して、なおも、この都とのつながりを取りとめて置く。そんな遣瀬ない親達の欲情も手伝って、むす子は巴里に残された。
「お母さん、とうとう巴里に来ましたね」
今後何年でもむす子のいるかぎり、毎年毎年、マロニエが巴里の街路に咲き迸るであろう。そしてたとえ一人になっても、むす子は「お母さん、とうとう巴里に来ましたね」と胸の中で、いうだろう。だが、それが母と子の過去の運命に対する恨みの償却の言葉であり、あの都に対するかの女とむす子との愛のひめ言の代りとは誰が知ろう。
そうだ。むす子を巴里に残したのは一番むす子を手離し度くない自分が――そして今は自分と凡ての心の動きを同じくするようになったむす子の父が――さしたのだ。
かの女は、なおも、こんな事を考えながら、丸の内××省前の銅像のまわりのマロニエの木をよく見定め度い気持で、外套の袖で、バスの窓硝子の曇りを拭っていると、車体はむんずと乗客を揺り上げながら、急角度に曲った。そのひまに窓外の闇はマロニエの裸木を、銅像もろとも、掬い去った。かの女は席を向き直った。運転台や昇降口の空間から、眩しく、丸の内街の盛り場の夜の光が燦き入った。