4話 鶴は病みき(4)
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葉子はこの日記の終った大正十二年八月下旬以来、昭和二年春まで、足かけ五年も麻川荘之介氏に逢わなかった。昭和二年の早春、葉子は、一寸した病後の気持で、熱海の梅林が見度くなり、良人と、新橋駅から汽車に乗った。すると真向いのシートからつと立ち上って「やあ!」と懐しげに声を掛けたのは麻川荘之介氏であった。何という変り方! 葉子の記憶にあるかぎりの鎌倉時代の麻川氏は、何処か齲んだ黝さはあってもまだまだ秀麗だった麻川氏が、今は額が細長く丸く禿げ上り、老婆のように皺んだ頬を硬ばらせた、奇貌を浮かして、それでも服装だけは昔のままの身だしなみで、竹骨の張った凧紙のようにしゃんと上衣を肩に張りつけた様子は、車内の人々の注目をさえひいて居る。葉子は、麻川氏の病弱を絶えず噂には聞いて居たが、斯うまで氏をさいなみ果した病魔の所業に今更ふかく驚ろかされた。病気はやはり支那旅行以来のものが執拗に氏から離れないものらしい。だが、つくづく見れば、今の異形の氏の奥から、歴然と昔の麻川氏の俤は見えて来る。葉子は、その俤を鎌倉で別れて以来、日がたつにつれどれ程懐しんで居たか知れない。葉子の鎌倉日記に書いた氏との葛藤、氏の病的や異常が却って葉子に氏をなつかしく思わせるのは何と皮肉であろう。だが、人が或る勝景を旅する、その当時は難路のけわしさに旅愁ばかりが身にこたえるが、日を経ればその旅愁は却ってその勝景への追憶を深からしめる陰影となる。これが或る一時期に麻川荘之介氏という優れた文学者に葉子が真実接触した追憶の例証とも云えよう。
「私ずっと前から、お逢いし度かったのです。」
五年の歳月が、葉子を率直にはっきりしたものの云える女にして居た。
「僕も。」
氏の声はまた何という心の傷手から滲み出した切実な声になったことだろう。
「鎌倉時代に、私はもっと素直な気持で、あなたにおつき合いすれば好かったと思ってました。」
「僕も。」
「ゆっくりお打ち合せして、近いうちにお目にかかりましょうね。」
「是非そうして下さい。旅からお帰りなったら、お宅へいつ頃伺って好いか、お知らせ下さい。是非。」
それから葉子の良人坂本とも氏はさも懐しげに話して居た。話のうちに氏が時々立てる昔のままの豪快笑いが変り果てた現在の氏の異形から出て来るのが一種妖怪的な傷ましさを葉子に感じさせた。
汽車が氏の転地先○○駅迄進んだ時、氏は誰かと一緒にシートから立ち上った。誰か直ぐ忘れて仕舞った程葉子は氏にばかり心を奪われて居た。氏は立ち際に「あなたが二度目に××誌に書かれた僕の批判はまったく当って居ます有難かった。」と云った。それは鎌倉以後三四年たった時分葉子が××誌から書かされたもので「麻川氏はその本性、稀に見る稚純の士であり乍ら、作風のみは大人君子の風格を学び備えて居る為めにその二者の間隙や撞着矛盾が接触する者に誤解を与える。」こんな意味のものだった。葉子がより多く氏を理解して来たと自信を持ち出した頃のものだった。
汽車から降りてはっきりした早春の外光の中に立った氏の姿を葉子は更に傷ましく見た。思わず眼をそむけた。頭半分も後退した髪の毛の生え際から、ふらふらと延び上った弱々しい長髪が、氏の下駄穿きの足踏みのリズムに従い一たん空に浮いて、またへたへたと禿げ上った額の半分ばかりを撫で廻わす。
「あ、オバ○!」
不意の声をたてたのは反対側の車窓から氏を見た子供であった。葉子は暗然として息を呑んだ。
「すっかり、やられたんだな。」
葉子の良人も独言のように云ったきり黙って居た。
その日の夕刻、熱海梅林の鶴の金網前に葉子は停って居た。前年、この渓流に添って豊に張られた金網のなかに雌雄並んで豪華な姿を見せて居たのが、今は素立ちのたった一羽、梅花を渡るうすら冷たい夕風に色褪せた丹頂の毛をそよがせ蒼冥として昏れる前面の山々を淋しげに見上げて居る。私は果無げな一羽の鶴の様子を観て居るうちに途中の汽車で別れた麻川氏が、しきりに想われるのであった。「この鶴も、病んではかない運命の岸を辿るか。」こんな感傷に葉子は引き入れられて悄然とした。
その年七月、麻川氏は自殺した。葉子は世人と一緒に驚愕した。世人は氏の自殺に対して、病苦、家庭苦、芸術苦、恋愛苦或いはもっと漠然とした透徹した氏の人生観、一つ一つ別の理由をあて嵌めた。葉子もまた……だが、葉子には或いはその全てが氏の自殺の原因であるようにも思えた。
その後世間が氏の自殺に対する驚愕から遠ざかって行っても葉子の死に対する関心は時を経てますます深くなるばかりである。とりわけ氏と最後に逢った早春白梅の咲く頃ともなれば……そしてまた年毎に七八月の鎌倉を想い追懐の念を増すばかりである。
また画家K氏のT誌に寄せた文章に依れば、麻川氏はその晩年の日記に葉子を氏の知れる婦人のなかの誰より懐しく聡明なる者としてさえ書いて居る。それが葉子の思いを一層切実にさせるというのは葉子は熱海への汽車中、氏に約した会見を果さなかった、氏と約した通り氏に遇い氏が仮りにも知れる婦人の中より選び信じ懐かしんで呉れた自分が、鎌倉時代よりもずっと明るく寛闊に健康になった心象の幾分かを氏に投じ得たなら、あるいは生前の氏の運命の左右に幾分か役立ち、あるいは氏の生死の時期や方向にも何等かの異動や変化が無かったかも期し難いと氏の死後八九年経た今でもなお深く悔い惜しみ嘆くからである。これを葉子という一女性の徒らなる感傷の言葉とのみ読む人々よ、あながちに笑い去り給うな。