一人ならじ

2話 二

1,986字 約4分 2022年7月13日 公開

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 祝宴のあとで大助は東堂舎人助(とうどうとねりのすけ)に呼ばれた。舎人助は馬場信勝の足軽がしらである。いってみるとひどく不機嫌なようすで、しばらく無言のまま睨(にら)みつけていた。

「そのもとは祝いの席でこのたびの合戦に生きて帰りたいと申したそうだが、それは事実か」

「……はあ、帰りたいとは申しませんが、生きてまいりたいとは申しました」

「それはどういう意味なんだ」

 舎人助はにがい顔をしてもういちどぐいとねめつけた。大助は眼をしばしばさせたが黙っていた。

「およそもののふたる者が戦場に臨む以上、まず生きて還らぬ覚悟をかためるのが第一ではないか、しかもこのたびは味方も敵も決戦を期している、七年にわたるせりあいをこのたびこそ勝って取ろうというのだ、将も兵もない、全軍が命を抛(なげう)って戦う決意がなくてはならぬ。……そのもとは仮にも二十人頭として、さようなみれんな心得でよいと思うか」

「……はあ」

 大助は困ったようすで、骨太の逞しい肩をすぼめ、膝(ひざ)の上でぎゅっと拳(こぶし)を握りしめた。

「いったいどういう考えでそんなことを云ったのだ、なにか思案があったのか」

 舎人助はたたみかけてそう訊(き)いた、大助はいよいよ閉口したとみえて、思わず、「云わなければよかった」

 と呟(つぶや)いた。

「なに、なんだと……」

「いえ、実は……」

 彼は顔を赤くして、坐り直して、せんかた尽きたとでもいう風に云った。

「実はわたくしは、幼少の頃から、――武家に生れた男子の命は御主君のものである、と父に申し聞かされておりました。はじめから一命は御主君に捧(ささ)げてございますので、自分には死ぬべき命はない、生きぬいてお役にたつことが御奉公であると考えております。ずいぶんわかりきったことで、いまさら口にすべきではなかったのですが、……」

 どうにも問い詰められて致方なく云ってしまった、まことに恥じいった次第ですと訥々(とつとつ)として述べた。いかにもあたりまえ過ぎる言葉で、口にだして云うのは寧(むし)ろおとなげ無くさえある。しかし舎人助はなぜかしらん感動した。……そのあたりまえ過ぎる覚悟は、「生きてまいりたい」という言葉へひとすじにつながっている、理窟(りくつ)なしの、ごく単純に割り切った、性根とでもいうべきものが舎人助をうったのだ。彼はつくづくと大助の顔を見まもっていたが、やがてそっと頷(うなず)きながら云った。

「……わかった、ではおれも一緒に、お役に立つまで生きてまいろう」

 取って返されたような言葉なので、大助はもういちど顔を赤らめながらもじもじと膝をかたくした。

 川中島に出陣した甲越両軍は、その年八月から九月へかけて前後八回はげしく戦ったが、どちらも決定的な勝利を得るに至らず、九月十日の合戦をさいごに、両軍とも陣をひいて郷国へ帰った。……甲斐へ凱旋(がいせん)して間もなく、東堂舎人助は娘の初穂(はつほ)と栃木大助との婚約の披露をした。これは真冬の雷のように人々をおどろかした。東堂の娘はまだ十六ではあるが、利発な生いたちとぬきんでた縹緻(きりょう)とで評判だった、甲府の若ざむらいたちのなかには、まだ見ぬ恋にあこがれる者も少なくなかったのである。それが人もあろうに栃木大助と婚約を結んだというのだからおどろきもし呆(あき)れもした。……もういちど人々の前に、彼の名が新しく甦ったというのはこのときのことだ。「そういえばそんな男がいた」と思い当り、「だがそれにしても東堂どのはどこを見込んだのだろう、あの男のどこにそんなねうちがあるのだろうか」そういってまた暫くのあいだ栃木大助の噂が人々の口にのぼった。

 婚約はしたが祝言は一年さきということだった。大助は約束の盃(さかずき)をするとき初めて初穂に会ったが、むろん姿をちらと見たくらいのもので、評判の美しい顔かたちがどんなだったかほとんど印象に残らなかった。それから三日にいちどずつ東堂の家を訪ねるが、娘は決して姿をみせない。或るとき訪ねると遠くの部屋から横笛の音が聞えてきた、――あの娘だな、そう思って暫く耳を傾けていたが、たしかめたわけではないから事実それが初穂であったかどうかわからなかった。ただふしぎなことにはそのときその笛の音といっしょに初穂という者がはじめて心のなかへしみ込んできたのを彼は感じた。それはちょうどその人が妻戸を明けて部屋へはいってきたような感じだった、もう決して出てゆくことのない人のように。……

 おなじ年の冬のはじめから武田晴信は上野(こうずけ)のくにへ馬を入れ、しきりに諸方の城を攻めたが、明くる年の二月、国峰(くにみね)の城をやぶって箕輪(みのわ)へと取り詰めた。箕輪はやはり上杉氏に属し、長野左衛門(ながのさえもん)大夫業政(なりまさ)が城将としていた。業政は在五中将業平(なりひら)の裔(すえ)であり、智謀すぐれた人物で、七年このかた武田氏に攻められながら、好防善戦かたく守って動(ゆる)がなかった。だが晴信もこんどは必至の采配(さいはい)をとった、輝虎と川中島に五たび戦い、ついにまた勝敗を決することのできなかった彼は、その余勢を集中して上野へ殺到したのである。

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