貴婦人

2話 貴婦人(2)

2,395字 約5分 2009年5月23日 公開

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 美女(たおやめ)は炉を囲んで、少く語つて多く聞いた。()して、沢が其の故郷(ふるさと)の話をするのを、もの珍らしく喜んだのである。

 沢は、隔てなく身の上さへ話したが、しかし、十有余年(じゅうゆうよねん)崇拝する、都の文学者某君(なにがしぎみ)(もと)へ、宿望(しゅくぼう)の入門が(かな)つて、其のために急いで上京する次第は、何故(なぜ)か、天機(てんき)()らすと云ふやうにも思はれるし、又余り縁遠(えんどお)い、そんな事は分るまいと思つて言はなかつた。

 蔵屋の(かど)の戸が(しま)つて、山が月ばかり、真蒼(まっさお)に成つた時、此の鍵屋の母娘(おやこ)が帰つた。例の小女(こおんな)は其の娘で。

 二人が帰つてから、寝床は二階の十畳の広間へ、母親が設けてくれて、其処(そこ)へ寝た――(ちょう)ど真夜中過ぎである。……

 枕を削る山颪(やまおろし)は、激しく板戸(いたど)(ひし)ぐばかり、髪を(おどろ)に、藍色(あいいろ)(めん)が、(おの)を取つて襲ふかともの(すご)い。……心細さは(ねずみ)も鳴かぬ。

 其処(そこ)へ、茶を(ほう)じる、()が明けたやうな(かおり)で、沢は蘇生(よみがえ)つた気がしたのである。

 けれども、寝られぬ苦しさは、ものの可恐(おそろ)しさにも増して堪へられない。余りの人の恋しさに、起きて、身繕(みづくろ)ひして、行燈(あんどう)を提げて、便(たより)のないほど堂々広(だだっぴろ)い廊下を伝つた。

 持つて下りた行燈(あんどう)階子段(はしごだん)の下に差置(さしお)いた。下の(えん)の、ずつと奥の一室(ひとま)から、ほのかに()の影がさしたのである。

 (よこしま)な心があつて、ために(はばか)られたのではないが、一足(ひとあし)づゝ、みし/\ぎち/\と響く……(あらし)(ふき)添ふ(えん)の音は、(かか)山家(やまが)に、おのれ()と成つて、歯を()いて、人を(おど)すが如く思はれたので、忍んで(そっ)抜足(ぬきあし)で渡つた。

 (そば)へ寄るまでもなく、(おおき)な其の障子の破目(やれめ)から、立ちながら(うち)光景(ようす)は、衣桁(いこう)に掛けた羽衣(はごろも)の手に取るばかりによく見える。

 ト荒果(あれは)てたが、書院づくりの、(とこ)(わき)に、あり/\と彩色(さいしき)の残つた絵の袋戸(ふくろど)の入つた棚の上に、(やあ)! 壁を突通(つきとお)して紺青(こんじょう)(なみ)あつて月の輝く如き、表紙の(そろ)つた、背皮に黄金(おうごん)の文字を()した洋綴(ようとじ)書籍(ほん)が、ぎしりと並んで、(さん)として(あお)き光を放つ。

 美人(たおやめ)は其の横に、机を控へて、行燈(あんどう)(かたわら)に、(せな)を細く、(もすそ)をすらりと、なよやかに薄い絹の掻巻(かいまき)を肩から羽織(はお)つて、両袖(りょうそで)を下へ忘れた、(そう)の手を包んだ友染(ゆうぜん)で、清らかな(うなじ)から頬杖(ほおづえ)()いて、繰拡(くりひろ)げたペイジを(じっ)読入(よみい)つたのが、態度(ようす)経文(きょうもん)(じゅ)するとは思へぬけれども、神々(こうごう)しく、(なま)めかしく、(しか)婀娜(あだ)めいて見えたのである。

「お客様ですか。」

 沢が、声を掛けようとして、思はず行詰(ゆきづま)つた時、向うから先んじて振向(ふりむ)いた。

「私です。」

「お入んなさいましな、待つて居たの。(きっ)と寝られなくつて()らつしやるだらうと思つて、」

 障子の破れに、顔が艶麗(あでやか)に口の(ほころ)びた時に、さすがに(すご)かつた。が、(さみ)しいとも、夜半(よなか)にとも、何とも言訳(いいわけ)などするには及ばぬ。

「御勉強でございますか。」

 我ながら相応(そぐ)はない事を云つて、火桶(ひおけ)此方(こなた)へ坐つた時、違棚(ちがいだな)の背皮の文字が、稲妻(いなずま)の如く沢の(ひとみ)()た、(ほか)には何もない、机の上なるも其の中の一冊である。

 沢は思はず、(ひざまず)いて両手を()いた。やがて門生(もんせい)たらむとする師なる君の著述を続刊する、皆名作の集なのであつた。

 時に、見返つた美女(たおやめ)風采(とりなり)は、蓮葉(はすは)に見えて()つ気高く、

()うなすつたの。」

 沢は仔細を語つたのである……

 聞きつゝ、世にも嬉しげに見えて、

頼母(たのも)しいのねえ、貴下(あなた)は……えゝ、知つて居ますとも、多日(ひさしく)御一所(ごいっしょ)に居たんですもの。」

「では、あの、奥様。」

 と、片手を()きつゝ、夢を見るやうな顔して云ふ。

「まあ、嬉しい!」

 と派手な声の、あとが消えて、じり/\と身を()めた、と思ふと、ほろりとした。

「奥様と云つて下すつたお礼に、いゝものを御馳走(ごちそう)しませう……めしあがれ。」

 と云ふ。()(はれ)やかに成つて、差寄(さしよ)せる盆に折敷(おりし)いた白紙(しらかみ)の上に乗つたのは、たとへば親指の(さき)ばかり、名も知れぬ鳥の卵かと思ふもの……

(とち)の実の(もち)よ。」

 同じものを、来る(みち)(じじい)茶店(ちゃみせ)でも売つて居た。が、其の形は宛然(まるで)違ふ。

貴下(あなた)、気味が悪いんでせう……」

 と顔を見て又微笑(ほほえ)みつゝ、

真個(ほんとう)の事を言ひませうか、私は人間ではないの。」

「えゝ!」

鸚鵡(おうむ)なの、」

「…………」

「真白な鸚鵡の鳥なの。此の御本(ごほん)の先生を、()う其は……贔屓(ひいき)な夫人があつて、其の(かた)が私を飼つて、口移(くちうつ)しに()を飼つたんです。私は接吻(キッス)をする鳥でせう。()してね、先生の(とこ)へ贈りものになつて、私は行つたんです。

 先生は私に口移しが出来ないの……()うすると、其の夫人を恋するやうに成るからつて。

 私は中に立つて、其の夫人と、先生とに接吻(キッス)をさせるために生れました。()して、遙々(はるばる)東印度(ひがしインド)から渡つて来たのに……口惜(くやし)いわね。

 其で居て、(そば)に置いては、つい口をつけないでは居られないやうな気に成るからつて、私を放したんです。

 (すずめ)(つばめ)でないのだもの、鸚鵡が町家(まちや)の屋根にでも居て御覧なさい、其こそ世間騒がせだから、こゝへ来て引籠(ひきこも)つて、先生の小説ばかり読んで居ます。

 貴下(あなた)、嘘だと思ふんなら、其の証拠を見せませう。」

 と不思議な美しい其の(もち)を、ト唇に受けたと思ふと、沢の手は取られたのである。

 で、ぐいと引寄せられた。

()うして、さ。」

 と、櫛巻(くしまき)の其の水々(みずみず)とあるのを、がつくりと(ひたい)()ゆるばかり、仰いで黒目勝(くろめがち)(すずし)(ひとみ)(じっ)と、凝視(みつ)めた。白い(ほお)が、滑々(すべすべ)と寄つた時、(くちばし)が触れたのであらう、……沢は見る/\鼻のあたりから、あの女の乳房を(ひら)く、鍵のやうな、鸚鵡の嘴に変つて行く美女(たおやめ)の顔を見ながら、甘さ、()も言はれぬ其の餅を含んだ、(こころ)消々(きえぎえ)と成る。山颪(やまおろし)(ふっ)()が消えた。

 と(おんな)の全身、(ひさし)()る月影に、たら/\と人の姿の溶ける風情(ふぜい)に、輝く雪のやうな翼に成るのを見つゝ、沢は自分の胸の血潮が、同じ其の月の光に、真紅(しんく)透通(すきとお)るのを覚えたのである。

「それでは、……よく先生にお習ひなさいよ。」

 東雲(しののめ)()(さわやか)に、送つて来て別れる時、つと高く(みち)しるべの松明(たいまつ)を挙げて、前途(ゆくて)を示して云つた。其の火は朝露(あさつゆ)晃々(きらきら)と、霧を払つて、満山(まんざん)()()に映つた、松明は竜田姫(たつたひめ)が、()くて(にしき)()むる、燃ゆるが如き絵の具であらう。

 ……白い鸚鵡(おうむ)を、今も信ずる。

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