湯島詣

40話 犬張子 四十

1,273字 約3分 2018年11月4日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

「ああ、天窓(あたま)が重い、胸が痛い、体中がふらふらする、もう寝ようや、」

 蝶吉は枕を(なら)べて、着たまま横になって(すそ)を伸ばして、爪先(つまさき)(くる)んだが、玉のような(かいな)を人形の掻巻(かいまき)の上へ投げ掛けて、ぴったり寄って頬を差寄せ、

「坊や、ちょいと、どうしたの、お(っか)ちゃんは()けなくッてよ、すっかりお花を引いて負けて来たわ。二晩ちっとも寝ないんだもの、天窓が割れるようなの、悪いわねえ、穴蔵ン中でお前、六人一座でさ、(あかり)()け通しだし、息が苦しくなると、そこらへ酢を打つのよ。(わたい)はもう死ぬようだ。お前のお(とっ)ちゃんに叱られてから、お花なんざ引くまいと思って、水も(わか)したんでなくッちゃ飲まないでいたけれども、お(っか)ちゃんはお(いとま)が出たんですもの、体を大事にしたって(つま)らなくなってよ。だから、最初(はじめ)ッから、お前さんに棄てられると、(わたい)はどうなるか知れないッて、始終いっていたのにさ、打遣(うちや)ってしまってさ、そして軽忽(かるはずみ)なことをするなッて言ってくれたって(わたい)は知りません。天窓へぴんと来るような五円花でも引かなくッちゃあ、自分で生きてるのか何だか分らないもの。

 だけどもねえ、身でも投げて死んじまうと、さも面当(つらあて)にしたようで、どんなに心配を懸けるか知れないし、愛想を尽かされると、死んでからも添われないと悪いから。何も(わたい)(いや)なんじゃない、世間の義理だからって言うんだけれども、何だか自分勝手のようだわねえ。

 どうせ早く死にたいんだから、何だって、構やしない。坊や、お前でも生きてるなら()いけれど、目ばッかりぱちぱちしていて、何にも言わないんだもの、張合(はりあい)も何にもありやしない。(わたい)も死んじまったら、死んだものと、死んだものとだから、お前も口を利くだろう。少しも分らないでした事だから、堪忍することはするッて、お(とっ)ちゃんもそうお言いだから、坊や、お前も(ひど)いことをされて、鬼とも(じゃ)とも思ってようけれど、堪忍して、(かあ)ちゃんと言って頂戴な。」

 と摺着(すりつ)いたが、がッくり仰向(あおむ)き、薄い燈火(ともしび)に手を(かざ)して見た。

「おやおや、()せたわねえ。徹夜(よどおし)をして、湯にも何にも入らないから、黒くなったよ、段々痩せて消えれば可いな。」

 と袖口を(つか)んで肩の(あたり)まで、()で下げると、上へ伸ばしていた着物は飜って、二の腕もあらわになった。柔肌(やわはだ)に食い入るばかり、金金具(かなぐ)で留めた天鵝絨(びろうど)腕守(うでまもり)、内証で神月の頭字(かしらじ)一字、神というのが彫ってある。

 蝶吉は(すず)しい目をぱっちりと《みは》って、恍惚(うっとり)となったが、枕を上げると突然(いきなり)忘れたように食い付いた。腕守を()んで、(かしら)を振って、髪を(ゆす)ぶり、

「厭よ、(わたい)厭よ、別れるのは厭、厭! 厭だ、厭だ、別れるのは厭。」と、泣吃逆(ないじゃくり)をして、身を(ふる)わし、

「写真くらい見たって、可いじゃないかね、()けないかい、ええ、構うもんか。(わたい)はもう、」

 むッくり起上ろうとすると、茫然(ぼんやり)犬張子が目に着いた。

「はッ、」という溜息(ためいき)で、またばったり枕に就いたが、舌打をして、

「寝ッちまえ!」

 と(すが)り寄り、

(わたい)も端の方へ入ってよ、坊や、さあ、お乳。」

 といって、見得もなく、懐を掻開(かいあ)けて、ふッくり白いのを持ち添えて、と見ると、人形の顔はふッと消えて無かったのである。

目次に戻る

目次