40話 犬張子 四十
読み方を変える
「ああ、天窓が重い、胸が痛い、体中がふらふらする、もう寝ようや、」
蝶吉は枕を竝べて、着たまま横になって裾を伸ばして、爪先を包んだが、玉のような腕を人形の掻巻の上へ投げ掛けて、ぴったり寄って頬を差寄せ、
「坊や、ちょいと、どうしたの、お母ちゃんは可けなくッてよ、すっかりお花を引いて負けて来たわ。二晩ちっとも寝ないんだもの、天窓が割れるようなの、悪いわねえ、穴蔵ン中でお前、六人一座でさ、灯は点け通しだし、息が苦しくなると、そこらへ酢を打つのよ。私はもう死ぬようだ。お前のお父ちゃんに叱られてから、お花なんざ引くまいと思って、水も沸したんでなくッちゃ飲まないでいたけれども、お母ちゃんはお暇が出たんですもの、体を大事にしたって詰らなくなってよ。だから、最初ッから、お前さんに棄てられると、私はどうなるか知れないッて、始終いっていたのにさ、打遣ってしまってさ、そして軽忽なことをするなッて言ってくれたって私は知りません。天窓へぴんと来るような五円花でも引かなくッちゃあ、自分で生きてるのか何だか分らないもの。
だけどもねえ、身でも投げて死んじまうと、さも面当にしたようで、どんなに心配を懸けるか知れないし、愛想を尽かされると、死んでからも添われないと悪いから。何も私を厭なんじゃない、世間の義理だからって言うんだけれども、何だか自分勝手のようだわねえ。
どうせ早く死にたいんだから、何だって、構やしない。坊や、お前でも生きてるなら可いけれど、目ばッかりぱちぱちしていて、何にも言わないんだもの、張合も何にもありやしない。私も死んじまったら、死んだものと、死んだものとだから、お前も口を利くだろう。少しも分らないでした事だから、堪忍することはするッて、お父ちゃんもそうお言いだから、坊や、お前も酷いことをされて、鬼とも蛇とも思ってようけれど、堪忍して、母ちゃんと言って頂戴な。」
と摺着いたが、がッくり仰向き、薄い燈火に手を翳して見た。
「おやおや、痩せたわねえ。徹夜をして、湯にも何にも入らないから、黒くなったよ、段々痩せて消えれば可いな。」
と袖口を掴んで肩の辺まで、撫で下げると、上へ伸ばしていた着物は飜って、二の腕もあらわになった。柔肌に食い入るばかり、金金具で留めた天鵝絨の腕守、内証で神月の頭字一字、神というのが彫ってある。
蝶吉は清しい目をぱっちりと《みは》って、恍惚となったが、枕を上げると突然忘れたように食い付いた。腕守を噛んで、頭を振って、髪を揺ぶり、
「厭よ、私厭よ、別れるのは厭、厭! 厭だ、厭だ、別れるのは厭。」と、泣吃逆をして、身を顫わし、
「写真くらい見たって、可いじゃないかね、可けないかい、ええ、構うもんか。私はもう、」
むッくり起上ろうとすると、茫然犬張子が目に着いた。
「はッ、」という溜息で、またばったり枕に就いたが、舌打をして、
「寝ッちまえ!」
と縋り寄り、
「私も端の方へ入ってよ、坊や、さあ、お乳。」
といって、見得もなく、懐を掻開けて、ふッくり白いのを持ち添えて、と見ると、人形の顔はふッと消えて無かったのである。