湯島詣

8話 三両二分 八

1,104字 約2分 2018年11月4日 公開

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 源次は何の気も付かない様子で、

仔細(しさい)はないんです、喧嘩なんて何も決してそんな訳じゃあないんだけれどね、」

「ふむ、」と心ある(かしら)は返事まで物々しい。ちと応答(うけこたえ)を仰山にされたので、源次は急に(きまり)が悪そう。

「降って来たもんですから、その何なんですよ、泥でも刎上(はねあ)げちゃあ、そのね、」と今更のように懐を《みまわ》して、

「へへへへ、なに(つま)んねえ事なんで、」

「それが、」とその時、(かしら)はずッと合点(のみこ)んだ顔をして、

「あれだな、評判の。ついまだ掛違いまして手前お目通(めどおり)(つかまつ)らねえが、源坊が下駄と来ちゃあ当時名高(なだけ)えもんだ。むむ、名高えもんだよ。」

「なに詰らない。」

「馬鹿あ言え。畳算(たたみざん)より目の子算用を先に覚えようという今時の芸妓(げいしゃ)に、若干(なにがし)か自腹を切らせたなあ、大したもんだ、どれちょっと見せねえ、よ、ちょっと拝ませねえかよ。」

 思わず上から手で押えて、

(かしら)、これですか。」

「その芸妓(げいしゃ)達引(たてひ)いたやつよ。」

「へ、何、下らないことを、」と内々恐悦で、少し含羞(はにか)む。

()いやな、見せねえ、見せねえ、一番御灯明を奉ることにしようぜ、待ちねえよ。」

 と言い懸けて向直り、左側の焼芋屋の店へ、正面を切って(ゆる)いで入る。この店は古いもので、(とッ)つきの行燈(あんどう)に、――おいしくば買いに来て見よ川越(かわごえ)の、と仮名書(かながき)して、本場○焼俵藤助(たわらとうすけ)――となん。

父爺(とっ)さんや、」で(かしら)は無造作に(ことば)を懸ける。

 ぶつぶつ、……ものを読んでいた声がはたと()んで、破行燈(やれあんどう)の灯の()す土間の上の一枚の古障子を明けて、

「誰だい。」といった藤兵衛(とうべえ)は、匍匐(はらんばい)になって、胸の下に京伝の読本(よみほん)が一冊、悠々と真鍮環(しんちゅうわ)の目金を取って、読み懸けた本の上に置きながら、頬杖(ほおづえ)を突いたままで、皺面(しわづら)をぬっ!

「俺だよ、へんちっとも珍しくねえ。」

「おお、頭。」

「用じゃあねえんだ。とっさん少しばかり店を貸してくんねえ、(あかり)が欲しいでの。」

「何か、灯ッて、その(くす)ぶり返った釣洋燈(つりランプ)のことかい。」

「そうよ。まあ、」

「御念にゃあ及ばねえこッた、内証(ないしょ)(ふみ)でも読むか、」

「いんや、質札だ、構わっしゃるな。寒いから閉めてくんな。」

 戸外(おもて)に向って、

「源坊、こっちへ入らっし。おい、何を茫然(ぼんやり)石地蔵を抱いた風で突立(つッた)ってるんだ、いじけるない。」

「頭、(あた)んなさい、」と(へッつい)(うしろ)から皺嗄(しわが)れた声を懸ける。

「おお、入れ黒子(ぼくろ)のしなびたの、この節あどんな寸法、いや、寸伯(すんぱく)寸伯(すばく)か、ははは。」

串戯(じょうだん)じゃあない、ちょうど一くべ()べた処だ、(あった)けえよ。」

「豪儀だな、そいつあ、」とくるりと廻った、(かしら)法然天窓(ほうねんあたま)は竈の陰に赫々(てかてか)して、

「よ、まあこっちへ来ねえ、松の(すし)兄哥(あにい)、入れッてことよ。」

 強いられて、源さん()むことを得ず。

「御免なさい。」

「さあさあ、」と婆さんも七十ばかりだが如才ない。

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