9話 三両二分 九
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「聞きねえ、婆さん、御前なんざあ上草履で廊下をばたばたの方だったから、情人を達引くのに、どうだ、こういうものは気が付くめえ。豪儀なもんだぜ、こら、どうだ素晴しいもんじゃあねえか。」
頭は籐表を打った、繻珍の鼻緒で、桐の柾という、源次が私生児を引放して、片足打返して差出した。
「ねえ、こら。」と引くり返して鼻緒を掴んでちょっと捻る。
「どうしたんだね、」と婆さんは膝に手を乗せて蹲まったまま呆れて見ている。
頭は大袈裟に、
「どうしたどころかい、近頃評判なもんだ。これで五丁町を踏鳴すんだぜ、お前も知ってるだろう、一昨年の仁和加に狒々退治の武者修行をした大坂家の抱妓な。」
「蝶吉さんかね。」
「うむ、この節あ数寄屋町に居らあ、あの跳ッ返りめ、お先走りで、何でも来いだから、仁和加の時も、一本引ッこ抜いて使うんだからッて、それ痛い目に逢わないだけにして、本式に習いたいというので、お前ンとこの藤さんに仕込んでもらったな。
面小手で竹刀を引担いでお前、稽古着に、小倉の襠高か何かで、朴の木歯を引摺って、ここの内へ通っちゃ、引けると仲之町を縦横十文字に鳴して歩いた。ここにおわします色男も鳴すことその通り。
それがだな。あのお茶ぴいめ、ついこないだまで竹馬に乗ったり、学校の生徒に引張り出されちゃあ田圃でぶらんこをしていたっけが、どうだい、一番この男とおっこちゃあがって、それ、お歳玉に内証だよ、と遣りゃあがったんだとよ。驚くじゃあねえか、この下駄だ。」といって、また引くり返した。頭は竈の前に両足を拡げながら、片手で抜取って銀煙管を銜え、腰なる両提ふらふらと莨を捻る。
「おや、」といったきり、婆さんはかねてその蝶吉というのを知ってるほど、おっこちたと謂わるる男、すなわちこれなる源次郎のせめてそれだけでも止して頂きたい、目金を乗せた鼻の形と、件の下駄と交る交る見競べて解せない顔附。
頭は悠然と煙を吹して、
「何しろ素晴しいもんじゃあねえか、可恐しい。幾らだとか言ったっけな、んんどうだろう、うむ、豪儀な。」
言いようが余り業々しいので、取合う気もなかった婆さんも近々と目を寄せて、
「頭、こりゃ今の流行かい。」と老いたる事をまじまじと言う。
これを聞くと叱るがごとく、
「これ庫の七戸前も嘗めた口で、何だい、その言い種は、こう源坊、若い中だぜ、年紀は取るもんじゃあねえの。ここに居る婆さんは、これでも仲じゃあ葛の葉といってその昔は売ったもんだ、ずうっとそれ、」
「止しねえな、見っともない、」と穏に微笑んで目を外した、もう仏に近いのである。
「旧の直で二朱ぐらいか、源坊、幾らだとかいったっけな、二両二分。」
「頭、三円、」といって件の鼻を仰向にして澄す。
「ああ、三両二分か、何でも二分という端だけは付いてると聞いたよ。そうか、三両二分か。ふ、豪儀なもんだ、ちょっとした碁盤より直が張ってら。格子戸で、二間なら一月分の店賃だ、可恐しい、豪傑な。」と熟々見ながら、うっかりしたか、下駄の肚で吸殻をとん。
源次慌しく、
「頭、」
「ほい、これは。」