2話 二 意味の解らぬ収檻
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E達が何んの為めに収檻されたのか、その本当の理由を知つてゐるものは、其の収檻された人達以外には誰れも知らなかつた。勿論新聞紙の無責任な報道が全然あてにならないと云ふ事は、少し物わかりのいゝ人なら誰でも知つてゐる。
『何にをしたんです? 一体――』
彼女はN警察で会つたとき、食後の煙草を呑気らしく吸ひながら、何彼と差入れや其他の事を彼女に注意してくれるEの言葉のとぎれるのを待つて聞いて見た。
『何んでもない事さ――』
彼は笑つて彼女の問ひには取り合はなかつた。他の三人も、それに就いては、たゞ黙つて笑ふばかりで何んにも云はなかつた。そして、龍子も、それで重ねては何んにも聞かなかつた。
普通の人の生活では、それは決して『何んでもない事』としては通らない事だ。けれど、Eや龍子の生活にはむしろ有りがちな、と云ふよりは、始終折さへあれば、何にかの名で降つて来るにきまつた、小さな災難だつた。否災難として受取るには余りに必然的な事としてさへ考へられる程のものだつた。で、彼女は、それに就いての大げさな心配や昂奮は一切しない事にかねてから心をきめてゐた。そしてたゞ、そう云ふ際にすべき事は、出来るだけのカムレエドシップをつくして、不自由な処に拘束されてゐる人達の為めに尽すと云ふ事のみだつた。
T氏は、さうした事に対しては一番理解のある人でなくてはならなかつた、また、実際ある人だとも聞いてゐた。然し、龍子の前のT氏はさう云ふ温かさを持つた、首領らしい寛大さなどは少しも見る事は出来なかつた。Yのみよりの人から、此度の為めに持ち込まれた苦情を受ける迷惑と不快さを愚痴つぽくまた皮肉に彼女の前に並べるのだつた。そして、此の数年前の××事件も矢張りEの先立ちになつたさわぎで、皆んなは高々五六ヶ月か二三ヶ月と高をくゝつてゐたのに二年、二年半などゝ云ふやうな長い刑期を受けねばならなかつた、と云ふやうな事を、何の為めに云ふのかと怪しまれるやうな調子で、龍子に話すのだつた。取り方によつては、龍子が、さうした最初の経験に、案外平気でゐるのを小面憎くゝ思つて脅すのかとも思へるし、『Eの無茶』の結果が、此度もまた、どの位他人にたゝるか知れないのだぞ、と云ふ腹とも思はれるのだつた。龍子は、さう云ふ言葉を聞くと一層忌々しさがこみ上げて来るのだつた。例へ何んにも知らないYが巻き添へを喰つたからと云つて、それは、さう云ふ危険な人達や場所に近よつたY自身の不用意からで、何もT氏の知つた事ではない筈だ。それで迷惑を感ずるなら、その迷惑を拒絶すればいゝ。その迷惑を何にも未練らしく龍子の前に並べる事はないではないか。龍子は、眼前に腰をかけて皮肉らしい態度で話してゐるT氏に対する反感が湧き上つて来るのだつた。
それのみではない。T氏は、斯う云ふ場合に初めて出遇つた龍子が、何一つ、何にも彼もさう云ふ事に就いては知りつくしてゐるT氏に教へを受けようとせず、何処までも一人で、凡てを為やうとするのが寧ろ憎い感じを起させたらしい。差入れや、其他の細々した事に就いて、一々彼女に聞き糺した。
『飯なんか、どうするつもりか知らないが三度々々入れる必要はありませんよ、彼の中では。そんなに食べるもんぢやないし一度位は彼処のも食ふ方がいゝんだ。それに、金だつてどうせ続きはすまい、あんまり最初よくしてそれが続かないと、最初の親切が何んにもならんから――』
『えゝ――』
それはもつともな事には違ひなかつた。彼女だつて、その位の事は最初から考へてもゐたし、Eにも注意されてゐた。で、食事の差入れは朝夕二度、朝は軽いパンと牛乳、夕飯には少しいゝ弁当ときめてゐた。金――それも続くまい、と見くびられゝば猶の事、どんな事をしても、皆んなが未決にゐる間は続けなければならないと云ふ決心が固くなるのだつた。一つ一つさうしてT氏と龍子の話は龍子の反感を高めて行つた。ほんの一寸した事でも、さうした種類の侮辱を耐へる事の出来ない龍子は、自分の胸が煮えかへるやうなおもひを、此の老爺の面前に叩きつけてやらうかと思つた。しかし、はしたない真似はしまいとおもふ他の気持が、Eとの古い複雑な関係を思ひ出させて、やつとその激した心持を取しづめた。丁度、其処に、他の同志が一人顔を出して、彼女と一緒に、監獄の前まで行かうと云つてくれた。
外に出て、同志のやさしい慰さめの言葉を聞くと、龍子は今まで、耐へ/\てゐたいろいろなおもひが、一時に湧き上つて来て、熱い涙が、とめどもなく頬を伝ふのだつた。彼女は道を歩きながら、幾度もハンケチで顔を覆つた。そして、一しきり溢れ出て来た涙が皆んなが留守になつてから四五日間感じた事のない、物がなしい、たよりなさが、今はじめて、染々と感じられるのだつた。T氏に対する反感は、それ以来此の二三日の間、物にふれ事にふれて龍子の気持を熱くするのであつた。
今も、龍子は、それをおもひ出してゐた。
『どうせ、何んとか彼んとか云ひますよ。何あに、云ふ奴には勝手に云はしとくさ、Y君だつてさう悄気てもすまい。出来ちやつた事何に云つたつて仕方がない。』
Mは煙草に火をつけながら静かな調子で云つた。
『Tさんもそんなにわからない事を云ふ人ぢやないんだけどなあ、E君の事と云ふと妙に変るんだなあ。』
龍子は黙つてうつむいた。そして、せめて未決にゐる間だけは、皆んなの世話を、どうかして自分の手で続けたいと切に思ふのだつた。殊に、Yの世話は、一切T氏達の手を退けるようにしたいと云ふ気持が、次第に募る反感と一緒に強くなるのだつた。