3話 三 地獄の扉の音
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『ガタ――ン!』
控所の直ぐ近くの室の入口の重い扉が、力一杯に手荒くブツケるやうにしめる音がした。龍子は思はず眉をよせた。
『まあ何んていやな音だらう? まるで体がすくむやうな音ね』
本当に脅かすやうな音だ。あれがきつと囚人をしめ込む音なんだ、と龍子は思つた。きつと彼の音が誰れの宣告よりも確実に囚人の魂を脅かしたり冷笑したりするんだと思つた。
『…………………、あの音を聞くと実に、…………………………暫くあの音を聞かなかつたなあ。』
Mは微笑しながら、龍子の言葉をうけてさう云つた。
『しかし、彼れぢやまだ駄目だなあ、檻房の扉は、とてもこんな扉とはくらべものにはならない位あつく頑丈に出来てゐますからねえ、もつとずつと重い重い音がするんです、そして鍵の音がガチャ/\しないぢや、本当の気持は出ませんね。』
Mは遠のいた自分の獄中生活を染々今、その音で思ひ出したやうな調子で話し出した。
『狭い独房にポツンと一日中座つてゐるんですからねえ、一寸でも外に出るのはそれは楽しみなもんですよ、面会所まで出て来る途中なんか、随分遠い処がありますからねえ、ブラブラ彼方此方眺めながら歩いて来るのはそれやせいせいしていゝ気持なものですよ。』
二人が話をしてゐる処に面会を終つて帰つて来たS翁の大きな体が廊下の入口をふさいだ。
『やあー』
S爺と同志の間に呼ばれてゐる老人は、その肥つた血色のいい顔にいつものやうな穏やかな笑を見せながら石階を降りて龍子の方に近づいて来た。龍子が腰をかゞめて挨拶するのを受けて爺は叮嚀に見舞を云つた。
『何うです? Y君は。元気でゐますか?』
挨拶のすむのを待つてMが直ぐに傍から口を出した。
『え、えゝ大変に元気です。皆さんによろしく申ましたよ、それから書物を入れて欲しいと云ふ事でした。えゝと――』
『あ、それは今日持つてまゐりました。Yさんが御自身で云つてらしたモウパサンの短篇集とゴルキイのカムレエドと辞書を入れました。長くなるやうでしたらまた何か入れるつもりです。』
龍子がさう云ふとS爺は大きく肯きながら
『あゝさうですか、ではそれでいゝでせう何しろ、あゝやつて一日座つてゐるのぢやあ何うも読むものが第一ですからな』
『左様です。で、寒くはないでせうか?』
『え、えゝ着るものも充分着てゐるし、毛布もはいつてゐるんで楽だと云つてました。しかし、何しろ火がはいらないんですからな。新聞に出ましたかなんて聞いてゐましたよ、出ましたよつて云ひましたら、そいつあいゝななんて云つてましたつけ。』
『出ちやあ困るんでせうがねえ。』
Mは煙草の灰をおとしながら笑つた。
『しかし、Y君もこれが機会になつて本当の決心が出来るかもしれませんね。それから、SさんはこれからB社の方へお出ですか?』
Mは少し改まつて云つた。
『えゝ。さうしようと思つてゐます。』
『では、B社へお出になつたら、僕はY君に会ふ筈で来たんだけれど、あなたが先きに会ふ事になつてゐたんで、僕はW君に会ふ事になつたんだと云ふ事をよくさう云つておいて下さいませんか。でないとまた神経の鈍つた人達が多いから、自分達に近い者ばかり大さわぎして、此方の近い者はうつちやつておくなんて云ひかねませんからねえ』
『承知しました。よく云つときませう。何うもその、皆んな吾々の仲間の人は、普通の人よりは矢張り神経質ですからな、えゝ、承知しました、よくさう云つときませう。』
爺は幾度かうなづきながら云つた。
『何卒お願ひします。』
『えゝ確かにそ云つときます。ぢや、私はこれで失礼しますから、何卒Eさんにお会ひになりましたらよろしく仰云つて下さい。何しろ、斯う云ふ事になつて来ると、またあなたが一番お骨折りですよ。まあ何卒何分よろしくお願ひしておきます。』
爺は龍子にさう云ふと、立ち上つて出て行つた。
『アーアツ』
爺の姿が見えなくなるとMは不精らしく懐手をしたまゝで体をのばしながら大きな欠伸をした。
『雨があがつたやうだな』
たつた一つの高い窓にその時うつすらとたよりない日影が射してゐた。室の中には始めから、その窓の下の腰掛に究屈らしく座つてゐる子供を背負つた女がゐるだけでひっそりしてゐた。ぢつと腰をかけてゐる裾の方から冷えて来るのが龍子にはつきり分つてゐた。Eは風邪を引いてゐた。去年の秋の初頃からその風邪はしつこくこぢれて、ぬけないでゐた。それだのに火の気のない檻房に座つてゐてはどんなに冷えるかしれない。何よりも寒さに対しては意久地のないEはどんな格好をして座つてゐるだらう。龍子は頻りに、此度はEの体が心配になり出した。
『ねMさん、毛布は下に敷いて座つてゝもいゝの?』
『えゝ、いゝんですよ。皆んな一枚づゝはいつてるんでせう?』
『えゝ、でも、この寒さに火の気なしはたまらないわね、冷えるでせうねえ。Eはそれに去年からの風邪がまだぬけないんですからねえ。』
『大丈夫ですよ、彼処にゐる間は。とにかく気持が違ふから風邪なんか抜けてしまひますよ、それに何んと云つてももう三月ですからね。もう一と月早いと、こんなもんぢやありませんよ。丁度いゝ時だ。これから二三ヶ月や五六ヶ月なら一番いゝ時ですよ。』
Mは立ち上つて龍子の前をソロ/\往つたり来たりしながら云つた。