月夜

1話 月夜

2,781字 約6分 2021年9月7日 公開

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 (つき)(ひかり)(おく)られて、一人(ひとり)(やま)(すそ)を、(まち)はづれの大川(おほかは)(きし)()た。

 (おな)()(ひかり)ながら、(やま)樹立(こだち)(みづ)(なが)れと、(あを)く、(しろ)く、(うつす)りと(いろ)(わか)れて、(ひと)ツを(はな)れると、(ひと)ツが(むか)へる。影法師(かげぼふし)(つゆ)()れて――()(とき)夏帽子(なつばうし)單衣(ひとへ)(そで)も、うつとりとした姿(なり)で、俯向(うつむ)いて、土手(どて)(くさ)のすら/\と、()(おと)(ゆら)れるやうな風情(ふぜい)(なが)めながら、片側(かたかは)(やま)沿()空屋(あきや)(まへ)(さみ)しく歩行(ある)いた。

 以前(いぜん)は、()(へん)樣子(やうす)もこんなでは()かつた。()涼風(すゞかぜ)()時分(じぶん)でも、團扇(うちは)片手(かたて)に、手拭(てぬぐひ)()げなどして、派手(はで)浴衣(ゆかた)が、もつと川上(かはかみ)あたりまで、(きし)をちらほら《ぶら》ついたものである。

 (あき)にも()ると、山遊(やまあそ)びをする(まち)男女(なんによ)が、ぞろ/\(つゞ)いて、(さか)(かゝ)(くち)の、此處(こゝ)にあつた酒屋(さかや)で、吹筒(すひづつ)(ひさご)などに地酒(ぢざけ)()んだのを()めたもので。……(のき)(かど)(かたむ)いて、破廂(やれびさし)()月影(つきかげ)掛棄(かけす)てた、(すぎ)()が、(げん)(ふくろふ)()のやうに、がさ/\と釣下(つりさが)つて、()(ふる)びた(さま)は、大津繪(おほつゑ)(やつこ)置忘(おきわす)れた大鳥毛(おほとりげ)のやうにも()える。

狐狸(こり)棲家(すみか)()ふのだ、相馬(さうま)古御所(ふるごしよ)、いや/\、(さけ)(えん)のある(ところ)酒顛童子(しゆてんどうじ)物置(ものおき)です、(これ)は……」

 (かれ)立停(たちど)まつて、(つゆ)は、しとゞ()きながら(みづ)()れた(かはら)(ごと)き、ごつ/\と(いし)(なら)べたのが、引傾(ひつかし)いで(あぶ)なツかしい大屋根(おほやね)を、(すぎ)()(ごし)(みね)(した)にひとり(なが)めて、

店賃(たなちん)言譯(いひわけ)ばかり研究(けんきう)をして()ないで、一生(いつしやう)に一()自分(じぶん)()(いへ)()へ。(それ)東京(とうきやう)出來(でき)なかつたら、故郷(こきやう)住居(すまひ)(もと)めるやうに、是非(ぜひ)恰好(かつかう)なのを心懸(こゝろが)ける、と今朝(けさ)(いとこ)()ふから、いや、()(つかまつり)まして、とつい眞面目(まじめ)()つて叩頭(おじぎ)をしたつけ。人間(にんげん)()うした場合(ばあひ)には、實際(じつさい)謙遜(けんそん)美徳(びとく)(あらは)す。

 (それ)もお値段(ねだん)によりけり……川向(かはむか)うに二三(げん)ある空屋(あきや)なぞは、一寸(ちよつと)紙幣(さつ)一束(ひとたば)ぐらゐな(ところ)()(はひ)る、と()つて()た。(いへ)なんざ()ふものとも、()へるものとも、てんで分別(ふんべつ)()らないのだから、空耳(そらみゝ)(はし)らかしたばかりだつたが、……成程(なるほど)名所繪(めいしよづゑ)家並(いへなみ)を、ぼろ/\に(むし)()つたと()(かたち)此處(こゝ)なんです。

 ()れなら、一生涯(いつしやうがい)に一()ぐらゐ()へまいとも(かぎ)らない。()のかはり武者修行(むしやしゆぎやう)退治(たいぢ)られます。(これ)見懸(みか)けたのは難有(ありがた)い。()()(こと)(おや)()かずだつて、()兩親(りやうしん)(なん)にもないから、(わたし)()(こと)(いとこ)()かずだ。」

 と苦笑(にがわらひ)をして(また)俯向(うつむ)いた……フと()()くと、川風(かはかぜ)手尖(てさき)(つめた)いばかり、ぐつしより()らした(あたら)しい、(しろ)手巾(ハンケチ)に――闇夜(やみ)だと(はし)(むか)うからは、近頃(ちかごろ)(きこ)えた(さび)しい(ところ)卯辰山(うたつやま)(ふもと)(とほ)る、陰火(おにび)人魂(ひとだま)(たぐひ)()(おどろ)かう。(あを)(すゝき)引結(ひきむす)んで、(ほたる)(つゝ)んで()げて()た。

 (かれ)(うしろ)振向(ふりむ)いた。

 ()う、(かど)()酒屋(さかや)(へだ)てられて、此處(こゝ)からは()えないが、(やま)(のぼ)坂下(さかした)に、(がけ)(しぼ)清水(しみづ)があつて、手桶(てをけ)()けて、眞桑(まくは)西瓜(すゐくわ)などを(ひや)水茶屋(みづぢやや)が二(けん)ばかりあつた……(それ)も十(ねん)一昔(ひとむかし)()る。()茶屋(ちやや)あとの空地(あきち)()ると、(ひと)(たけ)よりも(たか)八重葎(やへむぐら)して、(すゑ)白露(しらつゆ)清水(しみづ)(なが)れに、(ほたる)は、(あみ)()眞蒼(まつさを)(なみ)()びせて、はら/\と(がけ)()(した)の、(うるし)(ごと)(かげ)()ぶのであつた。

 (これ)から(かへ)(いとこ)(うち)土産(みやげ)に、と(おも)つて、つい、あの、二軒茶屋(にけんぢやや)(あと)()つて()たんだが、()てよ……(かんが)へて()ると、(これ)()土地(とち)では(めづ)らしくも(なん)ともない。

()はじめなら()らず……()うこれ今頃(いまごろ)小兒(こども)でも玩弄(おもちや)にして澤山(たくさん)()つた時分(ころ)だ。東京(とうきやう)()て、京都(きやうと)藝妓(げいこ)に、石山寺(いしやまでら)(ほたる)(おく)られて、其處等(そこら)露草(つゆぐさ)(さが)して歩行(ある)いて、朝晩(あさばん)井戸(ゐど)(みづ)(きり)()くと()了簡(れうけん)だと(ちが)ふんです……矢張(やつぱ)故郷(ふるさと)(こと)(わす)れた所爲(せゐ)だ、なんぞと(また)厭味(いやみ)()はれてははじまりません。(はな)(こと)だ。」

 と()(おも)つて、(おと)すやうに、(かは)べりに手巾(ハンケチ)()れたのを、はらりと()いた。

 ふツくり(あを)く、(つゆ)(にじ)んだやうに、()手巾(ハンケチ)(しろ)いのを(とほ)して、土手(どて)(くさ)淺緑(あさみどり)(うつく)しく()いたと(おも)ふと、()(いつ)ツ、(じやうらふ)(ひたひ)(ゑが)いた(まゆずみ)のやうな姿(すがた)(うつ)つて、すら/\と彼方此方(かなたこなた)(ひかり)()いた。

 (さつ)と、吹添(ふきそ)蒼水(あをみづ)()(かぜ)()れて、(ながれ)(うへ)へそれたのは、()(はな)(をどし)(よろひ)()冥界(めいかい)軍兵(ぐんぴやう)が、()ツと射出(いだ)(まぼろし)()()ぶやうで、(かは)(なか)ばで、(しろ)()える。

 ずぶ(ぬれ)の、一所(いつしよ)(つゝ)んだ(くさ)()に、弱々(よわ/\)()つて、()のまゝ縋着(すがりつ)いたのもあつたから、手巾(ハンケチ)(それ)なりに土手(どて)()てて()(おこ)した。

 が、丁度(ちやうど)一本(ひともと)(ふる)(ゑんじゆ)(した)で。

 ()()(かげ)から、すらりと(むか)うへ、(くま)なき白銀(しろがね)()に、(ゆき)のやうな(はし)が、瑠璃色(るりいろ)(ながれ)(うへ)を、(あたか)(つき)投掛(なげか)けた(なが)玉章(たまづさ)風情(ふぜい)(かゝ)る。

 欄干(らんかん)横木(よこぎ)が、(みづ)(ひゞ)きで、(ひかり)()れて、(たもと)()きかゝるやうに、薄黒(うすぐろ)(ふた)()(たゝず)むのみ、四邊(あたり)人影(ひとかげ)(ひと)ツもなかつた。

 やがて、十二()(ちか)からう。

 (みゝ)()れた()(おと)が、一時(ひとしきり)ざツと(たか)い。

「……(ほたる)だ、それ露蟲(つゆむし)(つかま)へるわと、よく小兒(こども)(うち)(はし)(わた)つたつけ。()(ゑんじゆ)可恐(こは)かつた……」

 時々(とき/″\)(こずゑ)から、(赤茶釜(あかちやがま))と()ふのが()る。()(はな)()い、赤剥(あかは)げの、のつぺらぽう、三(じやく)ばかりの(なが)(かほ)で、(あへ)(くち)()ふも()えぬ(くせ)に、何處(どこ)かでゲラ/\と嘲笑(あざわら)ふ……正體(しやうたい)小兒(こども)ほどある(おほ)きな(ふくろふ)。あの(くちばし)丹念(たんねん)に、這奴(しやつ)()(むね)()(はら)()(のこ)りなく《むし》り()つて、赤裸(あかはだか)にした(ところ)を、いきみをくれて、ぬぺらと()して、葉隱(はがく)れに……へたばる人間(にんげん)をぎろりと(にら)んで、噴飯(ふきだ)(よし)

 (かたち)(おほい)なる(ふくろふ)ながら、(せい)()ものとしてある。

 ()()(した)(とほ)りがかりに、(かげ)()しても(ひかり)()らさず、(えだ)(おに)のやうな(うで)()ばした、眞黒(まつくろ)()(こずゑ)(あふ)いだ。

(いま)()るか、赤茶釜(あかちやがま)。」と(おも)ふのが、つい(こゑ)()つて(くち)()た。

「ホウ。」

 と唐突(だしぬけ)(しげり)(なか)から、宛然(さながら)應答(へんたふ)()して()たものの(ごと)く、(なに)()いた。

 (おも)はず、(かた)から(みづ)()びたやうに慄然(ぞつ)としたが、(こゑ)(つゞ)けて鳴出(なきだ)したのは(ふくろふ)であつた。

 ()()れても、()くと()ふより、(うへ)から吠下(ほえお)ろして(すさま)じい。

 (かれ)身動(みうご)きもしないで立窘(たちすく)んで、

提灯(ちやうちん)か、あゝ。」

 と(つぶや)いて(ひと)溜息(ためいき)する。……橋詰(はしづめ)から打向(うちむか)眞直(まつすぐ)前途(ゆくて)は、土塀(どべい)(つゞ)いた場末(ばすゑ)屋敷町(やしきまち)で、(かど)(のき)もまばらだけれども、(それ)でも兩側(りやうがは)家續(いへつゞ)き……

 で、(まち)便(たより)なく、すうと月夜(つきよ)(そら)()く。(うへ)から(のぞ)いて、(やま)(がけ)處々(ところ/″\)(まつ)姿(すがた)(くさび)()れて、づツしりと(おさ)へて()る。……()うでないと、あの(ふくろふ)(とな)へる呪文(じゆもん)()け、寢鎭(ねしづま)つた()うした(まち)は、ふは/\と()きて(うご)く、鮮麗(あざやか)銀河(ぎんが)吸取(すひと)られようも(はか)られぬ。

 ()(まち)の、(おく)()かす(ところ)に、(あつら)へたやうな赤茶釜(あかちやがま)が、何處(どこ)かの(ひさし)(のぞ)いて、(ちう)にぼツとして(かゝ)つた。

 (つら)(なが)さは三(じやく)ばかり、(あご)(やせ)眉間尺(みけんじやく)大額(おほびたひ)、ぬつと()て、薄霧(うすぎり)(つゝ)まれた不氣味(ぶきみ)なのは、よく()ると、(のき)()つた秋祭(あきまつり)提灯(ちやうちん)で、一(けん)取込(とりこ)むのを(わす)れたのであらう、寂寞(ひつそり)した侍町(さむらひまち)(たゞ)一箇(ひとつ)

 (それ)が、()(のこ)つた。(やが)()きがたの蝋燭(らふそく)に、ひく/\と呼吸(いき)をする。

 其處(そこ)へ、(たましひ)吹込(ふきこ)んだか、(じつ)()るうち、老槐(らうゑんじゆ)(ふくろふ)は、はたと(わす)れたやうに鳴止(なきや)んだのである。

「あゝ、毘沙門樣(びしやもんさま)祭禮(まつり)だな。」

 ()して、()提灯(ちやうちん)(あぎと)に、(すさ)まじい(かげ)(うごめ)くのは、()やら、(なに)やら、べた/\と(あか)(あを)()つた(なか)に、眞黒(まつくろ)にのたくらしたのは(おほ)きな蜈蚣(むかで)で、(これ)は、()(みや)のおつかはしめだと()ふのを(かね)()いた。……

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