即興詩人

30話 即興詩人(30)

4,401字 約9分 2005年9月18日 公開

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 ボルゲエゼ家の宮殿は今わが居處となりぬ。人々の我をもてなし給ふさまは、昔に比ぶれば優しく又親しかりき。時として我を輕んずるやうなる詞、我を(あなど)るやうなる(おこなひ)なきにしもあらねど、そはわが爲め好かれとて言ひもし行ひもし給ふなれば、憎むべきにはあらざるなるべし。

 夏は人々暑さを避けんとて餘所(よそ)(うつ)り給へば、われ獨り留まりて大廈の中にあり。涼しき風吹き()むれば人々歸り給ふ。かく我は漸く又此境遇に安んずることゝなりぬ。

 我は最早カムパニアの野の(わらは)にはあらず。最早當時の如く人の詞といふ詞を信ずること、宗教に志篤き人の信條を奉ずると同じきこと能はず。我は最早「ジエスヰタ」派學校の生徒にはあらず。最早教育の名をもてするあらゆる束縛を甘んじ受くること能はず。さるを(うら)むらくは人々、猶我を視ることカムパニアの野の童、「ジエスヰタ」派學校の生徒たる日と異ならざりき。此間に處して、我は六とせを經たり。今よりしてその生活を顧みれば、波瀾層疊たる海面を望むが如し。好くも我はその波濤の底に埋沒し(をは)らざりしことよ。讀者よ、わが物語を聞くことを(いな)まざる讀者よ。願はくは一氣に此一段の文字を讀み去れ。われは唯だ省筆を用ゐて、その大概を敍して已みなんとす。

 この六年(むとせ)の歴史はわが受けし精神上教育の歴史なり。この教育は人の師たるを好むものゝことさらに設けたる所にして、不便(ふびん)なる我はこれを身に受けざること能はざりしなり。人々は我を善人とし、我に棄て難き機根ありとして、競ひて自ら教育の任を負へり。恩人はその恩を以て我に臨みて我師たり。恩人ならぬ人はわが人好(ひとよ)きに乘じて(せん)して我師となれり。我は忍びて無量の苦を受けたり。そは教育といふを以ての故なり。

 主公はわが學の膚淺(ふせん)なるを責め給へり。我はいかに自ら勵まんも、わが一書を讀みたる後、何物か我胸中に殘れると問はゞ、そはたゞ其卷册の裡より我心に(かな)へるものを()き出し得たりといふのみにて、譬へば蜂の百花の上に翼を休めて、唯だ一味の蜜を探らんが如くなるべし。こは老侯の喜び給ふところにあらざりしなり。家の常の賓客(まらうど)、その他われを愛すといふ人々には、おの/\その理想ありて、われを測るにその合理想(がふりさう)の尺度をもてす。人々いかでかわが成績に甘んずることを得ん。數學者はアントニオあまりに空想に富みて、冷靜の資なしと云ひ、儒者はアントニオの拉甸(ラテン)語に(くは)しからざることよと云ひ、政治家は稠人(ちうじん)の前にありて、ことさらに我に問ふにわが知らざるところの政治上の事をもてし、われを苦めて自ら得たりとし、遊戲をもて性命とせる貴公子は、また我と馬相を論じて、わが馬を愛することの己れの身を愛するごとくならざるを怪み、貴族にして毒舌ある一婦人の、まことは人に超えたる智あるにあらずして、(みだ)りに批評に長ぜりと稱せられたるは、また我詩稿を刪潤(さんじゆん)せんと欲し、我に一枚づゝ寫して呈せんことを求めたり。その外、ハツバス・ダアダアの如く、むかし有望の少年たりしわが、今才盡き想涸れたるを歎ずるものあり、舞踏を善くする(なにがし)の如く、わが舞場に出でゝ姿勢の美を()くを(うら)むものあり、文法に精しき某の如く、わが往々(とう)に代ふるに句を以てするを難ずるものあり。就中(なかんづく)フランチエスカの君は、もろ人の我を襃むるに過ぎて、わが慢心のこれがために長ずべきを惜むとて、(つね)に峻嚴と威儀とをもて我に臨まんとし給へり。おほよそ此等の毒は滴々(てき/\)我心上に落ち來りて、われは我心のこれが爲めに硬結すべきか、さらずば又これが爲めにその血を(したゝ)らし盡すべきをおもひたりき。

 我心は一物に逢ふごとに、その高尚と美妙との方面よりして強く刺戟せられ深く悦懌(えつえき)す。われは獨り閑室に坐するとき、(かうべ)(めぐら)して彼の我師と稱するものを憶ふに、一種の奇異なる感の我を襲ひ來るに會ひぬ。世界は譬へば美しき少女(をとめ)の如し。その心その姿その(よそほひ)は、わが目を注ぎ心を傾くるところなり。さるを靴工は、彼の穿()ける靴を見よ、その身上第一の飾はこれぞと云ひ、縫匠(ほうしやう)は、否、彼の着たる衣を見よ、その裁ちざまの好きことよ、その色あひを吟味し、その縫際(ぬひめ)に心留むるにあらでは、少女の姿を論ずべからずと云ひ、理髮師は、否々、彼の美しき髮のいかに(わが)ねられたるかを見ずやと云ひ、語學の師はその會話の妙をたゝへ、舞の師はその擧止のけだかさを讚む。彼の我師と稱するものは、この工匠等に異ならず。されどわれ若し(はゞか)ることなくして、人々よ、我も一々の美を見ざるにあらねど、我を動かすものは彼に在らずしてその全體の美に在り、是れ我職分なりと()はゞ、人々は必ず(あらは)に、げに/\我等の教ふるところは汝詩人の目の視るところより低かるべしと曰ひつゝ、(ひそか)に我愚を笑ふなるべし。

 天地の間に生物(せいぶつ)多しと雖、その最も殘忍なるものは(けだ)し人なるべし。われ若し富人ならば、われ若し人の廡下(ぶか)に寄るものならずば、人々の旗色は忽ちにして變ずべきならん。人々の聰明ぶり博識ぶりて、自ら處世の(ざえ)()けたりげに振舞ふは、皆我が食客たるをもてにあらずや。我は泣かまほしきに笑ひ、唾せんと欲して(かへ)りて首を屈し、耳を傾けて俗士婦女の蝋を()むが如き話説を聽かざるべからず。所謂(いはゆる)教育は果して我に何物をか與へし。面從腹誹(ふくひ)、抑鬱不平、自暴自棄などの惡癖陋習(ろうしふ)の、我心の底に(きざ)しゝより外、又何の效果も無かりしなり。

 十の指は我があらゆる暗黒面を指し、却りて我をして我に一光明面なしや否やを思はしめ、我をして自ら己の長を(もと)め、自ら己の能を(てら)はしめたり。而して彼指は又この影を顧みて自ら喜ぶ情を指して、更に一の暗黒面を得たりとせり。

 人々はわが我見(がけん)の強くして固きを難ぜり。政治家のわが我見を責むるは、われ心を政況に(ゆだ)ねざればなり、馬を()づる貴公子のわが我見を責むるは、われ馬を品し馬に乘りて居諸(きよしよ)を送ること能はざればなり、曾て又一少年の審美學の(ふみ)(ふけ)るものありしが、其人は我にいかに思惟し、いかに吟詠し、いかに批評すべきを教へ、一朝わがその授くる所の規矩に(したが)はざるを見るに及びては、(たちまち)又わが我執(がしふ)を責めたり。こはわが我執あるにはあらで、人々の我執あるにはあらざるか。そを(ひるがへ)りてわれ我執ありといふは、わが人の恩蔭を被りたる貧家の(みなしご)たるを以てにあらずや。

 名よりして言はんか、我は貴族にあらず。されど心よりして觀んか、我(あに)賤人ならんや。されば我は人に侮蔑せらるゝごとに、必ず深き苦痛を忍べり。いかなれば我は赤心を棒げて人々に依頼せしに、人々は我をして鹽の柱と化すること彼ロオト(亞伯拉罕(アブラハム)(をひ))が妻の如くならしめしぞ。是に於いてや、悖戻(ぼつれい)の情は一時我心上に起り來りて、自信自重の意識は緊縛をわが(つね)の心に加へ、此緊縛の中よりして、増上慢の鬼は昂然として頭を(もた)げ、我をして平生我に師たる俗客を脚底に見下さしめ、我耳に附きて語りて曰はく。汝の名は千載の後に傳へらるべし。彼の汝に師たるものゝ名は、これに反して全く忘らるべし。縱令(たとひ)忘られざらんも、その(たま/\)存ずるは汝が囹圄(れいご)桎梏(しつこく)として存じ、汝が性命の杯中に落ちたる毒藥として存ずるならんといふ。われはタツソオの上をおもへり。矜持(きようぢ)せるレオノオレよ。驕傲(けうがう)なるフエルララの朝廷よ。その名は今タツソオによりて僅に存ずるにあらずや。當時の王者の宮殿は今瓦石の一(たい)のみ、その詩人を拘禁せし牢舍(ひとや)は今巡拜者の靈場たりなどゝおもへり。此の如き心の卑むべきは、われ自ら知る。されど所謂教育は我をして此の如き心を生ぜしめざること能はず。われ若し彼教育を受けて、此心をだに生ぜざりせば、われは性命を保ちて今に到るに由なかりしなり。わが潔白なる心、敬愛の情は、一言の奬勵、一顧の恩惠を以て雨露となしゝに、人々は却りて毒水を(そゝ)ぎてこれを槁枯(かうこ)せしめしなり。

 今の我は最早昔の如き無邪氣の人ならず。さるを人々は猶無邪氣なるアントニオと呼べり。今の我は斷えず(ふみ)を讀み、自然と人間とを觀察し、又自ら我心を顧みて己の長短利病を(つまびらか)にせんとせり。さるを人々は始終物學びせぬアントニオと呼べり。この教育は六年の間續きたり、否、七年ともいふことを得べし。されど六とせ目の年の末には、早く多少の風波の我生涯の海の面に(さわ)ぎ立つを見たり。この教育の六年の間、猶書かまほしき事なきにあらねど、今より顧みれば、皆流れて毒水一滴となり(をは)んぬ。こは門地なく金錢なき才子の常に仰ぎ常に服するところのものにして、此毒水は此類の才子の爲には、人の呼吸するに慣れたる空氣に異ならずともいふべきならん。

 われは「アバテ」となりぬ。われは又即興詩人として名を羅馬人の間に知られぬ。そは「チベリナ」學士會院(アカデミア、チベリナ)の演壇の、我が上りて詩稾(しかう)を讀み、又即興詩を吟ずることを許しゝがためなり。されどフランチエスカの君は、會院の吟誦には喝采を得ざるものなしといふをもて、わが自負の心を抑へ給へり。

 ハツバス・ダアダアは會院中の最も名高き人なり。その名の最も高きは、その演説し著述することの最も多きがためなり。院内の人々は一人としてハツバス・ダアダアの(けふろう)にして友を排し、褒貶(はうへん)並に(あやま)てるを知らざるものなし。されど人々は猶この翁の籍を會院に掲ぐるを甘んじ(ゆる)せり。ハツバス・ダアダアは愈意を得て、只管(ひたすら)書きに書き説きに説けり。ある日我詩稾を(けみ)し、評して水彩畫となし、ボルゲエゼ家の人々に謂ふやう。アントニオに才藻の萌芽ありしをば、嘗て我生徒たりしとき認め得たりしに、惜いかな、其芽は枯れて、今の作り出すところは畸形の詩のみ。アントニオは古の名家の少時の作を世に(おほやけ)にせしものあるを見て、或はおのれのをも梓行(しかう)せんとすることあらんか。そは世の(あざけり)を招くに過ぎず。願はくは人々彼を(いさ)めて、さる無謀の(くはだて)を思ひ留まらしめ給へとぞいひける。

 アヌンチヤタが上はつゆばかりも聞えざりき。アヌンチヤタは我が爲めには隔世の人たり。されどこの女子は死に臨みて、その冷なる手もて我胸を壓し、これをして事ごとに物ごとに苦痛を感ずることよの常ならざらしめしなり。ナポリの旅と當時の記憶とは、なつかしく美しきものながら、今はその美しさの(かの)メヅウザに逢ひて化石したるにはあらずやとおもはれたり。(メヅウザは希臘神話中の恐るべき處女神にして、之を視るものは忽ち石に化したりといふ。)煖き巽風(シロツコ)の吹くごとに、われはペスツムの温和なる空氣をおもひ出して意中にララが姿を畫き、ララによりて又その邂逅の處たる怪しき洞窟に想ひ及びぬ。われは(かの)物教へんとする賢き男女の人々の間に立ちて、上校の兒童の如くなるとき、心にはむかし賊寨(ぞくさい)にて博せし喝采と「サン、カルロ」座にて聞きつる讙呼(くわんこ)の聲とを思ひ、又人々の我を遇すること極めて冷なるが爲めに、身を室隅に()けたるとき、心にはむかしサンタがもろ手さし伸べて、我を棄てゝ去らんよりは寧ろ我を殺せと叫びしことをおもひぬ。六とせは此の如くに過ぎ去りて、我齡は二十六になりぬ。

   小尼公

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