即興詩人

38話 即興詩人(38)

6,146字 約12分 2005年9月18日 公開

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 その頃フアビアニ公子の書状屆きしに、文中公子のわがヱネチアに留まること四月の久しきに至るを怪み、強ひてにはあらねど、我にミラノ(もし)くはジエノワに遊ばんことを勸めたる一節あり。われつら/\(おも)ふやう。わが猶此地に留まれるは、そも/\何の故ぞや。此地にはげに兄弟に等しきポツジヨあり、姉妹に等しきロオザ、マリアあれど、是等の(まじはり)は永遠なるべきものにあらず。中にも女友二人の如きは、相見るごとに我が悲哀の記憶を喚び(さま)すことを免れず。われは悲哀を(いだ)いてヱネチアに來ぬ。而してヱネチアは更に我に悲哀を與へしなり。われは(にはか)にヱネチアを去らんと欲する心を生じて、そを告げんために、市長(ボデスタ)の家をおとづれたり。

 月光始めて渠水(きよすゐ)に落つるころほひ、我は二女と市長の家の廣間なる、水に(のぞ)める出窓ある處に坐し居たり。マリアはすでに一たび燈火(ともしび)を呼びしかど、ロオザがこの月の(あか)きにといふまゝに、主客三人は猶月光の中に相對せり。マリアはロオザに促されて、穴居洞の歌を歌ひぬ。聲と情との調和好き此一曲は、清く軟かなる少女(をとめ)(のど)に上りて、聞くものをして積水千丈の底なる美の窟宅を想見せしむ。ロオザ。この曲には音節より外、別に一種の玲瓏たる精神ありとはおぼさずや。われ。(まこと)宣給(のたま)ふごとし。若し精神といふもの形體を離れて現ぜば、(まさ)に此詩の如くなるべし。マリア。生れながらに目しひなる子の世界の美を想ふも亦是の如し。ロオザ。さらば目()きての後に、實世界に對せば、初の空想の非なることを知るならん。マリア。實世界は空想の如く美ならず。されど又空想より美なるものなきにあらず。話頭は直ちにマリアが初め盲目なりし事に入りぬ。こはポツジヨが早く我に語りしところなれども、今はわれ二女の口より此物語を聞きつ。ロオザは弟の手術を讚め、マリアも亦その恩惠を(たゝ)へたり。マリアの云ふやう。目しひなりし時の心の取像(しゆざう)ばかり()しきは()し。先づ身におぼゆるは日の暖さ、手に觸るゝは神社の圓柱(まろばしら)の大いなる、霸王樹(サボテン)の葉の(ひろ)き、耳に聞くはさま/″\の人の馨音(こわね)などなり。一の官能の()くるものは、その有るところの官能もて無きところのものを補ふ。人の天青し、海青し、(すみれ)の花青しといふを聽きて、われは董の花の香を聞き、そのめでたさを推し擴めて、天のめでたかるべきをも海のめでたかるべきをも思ひ遣りぬ。視根の光明闇きときは、意根の光明却りて明なるものにやといふ。これを聞く我は、ララが髮にみし菫の花束と、ペスツム祠の圓柱とを憶ひ起すことを禁ずること能はざりき。話頭は轉じて自然の美に入り、ロオザは拿被里(ナポリ)の山水の景の慕はしさを説き出せり。われはこの好機會を得て、ヱネチアを去る意を洩しつ。そは思ひも掛けぬ事かなとロオザ(いぶか)れば、さては最早再び此地には來給ふまじきかとマリア氣遣ふさまなり。否々、ミラノまで往かば、又此地を經て羅馬に還らんとこそ思ひ候へと我は答へつれど、實はまだこゝを立ちていづ方に往かんとも思ひ定めざりしなり。

 わがヱネチアに別るゝ涙を見せしは、アヌンチヤタが墓とマリアが居間とのみなりき。墓に詣でゝは、石上に殘れる輪飾(わかざり)の一葉を摘みて、夾袋(けふたい)の中に(をさ)めつ。われは此石の下に、唯だ一團の塵を留むるのみなるを知る、アヌンチヤタが魂の聖母(マドンナ)御許(みもと)に在り、その影の我胸中に在りて、此石の下なる塵のわが執着すべき價あるものにあらざるを知る。されどわれは猶低徊して此方數尺の地を去ること能はざりき。市長(ボデスタ)の家に往きては一家の人々とポツジヨとの餞宴(せんえん)を受けたり。市長は三鞭酒(シヤンパニエ)の盃を擧げて別を告げ、ポツジヨはめぐる車の云々(しか/″\)といふ旅の曲と、自由なる自然に遊ぶ云々といふ鳥の歌とを唱ひぬ。ロオザは、君若し妻を(めと)り給はゞ、(とも)に我家に來給へ、我は君が物語の中なる彼亡人(なきひと)を愛する如く、君の伴ひ來給はん其人をも愛せんといひ、マリアは唯だ、(すこや)かに樂しげにて、又我家をおとづれ給へといひぬ。

 ポツジヨは例の「ゴンドラ」の舟にて、フジナまで送らんとて、我と共に立出づれば、ロオザとマリアとは出窓に立ちて、(てふき)を打振りぬ。別に臨みてポツジヨは聲高く笑ひつゝ、許嫁(いひなづけ)の女()まらば、彼約束を忘るなといひぬ。われは、けふさる戲言(ざれごと)いふことかはと(いまし)めつゝも、心の中にその笑顏の涙を掩ふ假面(めん)なるをおもひて、(ひそか)に友の情誼に感じぬ。

 車は情なくして走り、一(たい)の緑を成せるブレンタの側を過ぎ、垂楊の列と美しき別業(べつげふ)とを見、又遠山の(まゆずみ)の如きを望みて、夕暮にパヅアに着きぬ。(サン)アントニウス寺の七穹窿は、恰も好し月光に耀けり。柱列の間には行人絡繹(らくえき)として、そのさまいと樂しげなれども、われは獨り心の無聊(ぶれう)に堪へざりき。

 白晝(まひる)となりてより、我無聊は愈甚だしければ、又車を驅りてこゝを立ち、一の平原に入りぬ。緑草の鬱茂せるさまはポンチニイの大澤(たいたく)に讓らず。瀑布の如くなる大柳樹は古塚を(おほ)ひ、所々に聖母(マドンナ)の像を安じたる贄卓(にへづくゑ)を見る。像の()りたるは色褪(いろあ)せて、これを圍める彩畫ある板壁さへ、半ば朽ちて地に(ゆだ)ねたれど、中には聖母兒(せいぼじ)丹粉(にのこ)(あざやか)かなるもなきにあらず。御者はその古きに逢ひては顧みだにせねど、その新なるを見るごとに、必ず脱帽して過ぐ。われはその何の心なるを知らずして、唯聖母の貴きすら、色褪せては人に(あが)めらるゝことなきを歎じたり。

 ヰチエンツアを過ぎぬれど、パラヂオ(中興時代の名ある畫師)が美術も光明を我胸の闇に投ずること能はざりき。ヱロナは始て稍我心を動したり。石級のコリゼエオに似たるありて、幸に兵燹(へいせん)を免れ、人をして小羅馬に入る感あらしむ。柱列の(あひだ)なる廣き處は、今税關となり、演戲場の中央には、板を列ね幕を張りて、假に舞臺を補理(しつら)ひ、旅役者の興行に供せり。夜に入りて我は(こゝろみ)に往きて看つ。ヱロナの市人(いちびと)石榻(せきたふ)に坐せるさまは、猶(いにしへ)のごとくにて、演ずる所の曲をば、「ラ、ジエネレントオラ」と題せり。役者の群は、ヱネチアにて見しアヌンチヤタが組なりき。アウレリアはこよひも此樂曲の主人公に扮したり。一(はり)の「コントルバス」に氣壓(けお)さるゝ若干の管絃なれど、聽衆は喝采の聲を惜まざりき。(はし)りて場を出づれば、月光(あまね)く照して一塵動かず、古の劇場の石壁石柱は(きぜん)として、今の()れ小屋のあなたに存じ、廣大なる黒影を地上に印せり。

 我はカプレツチイ(だい)を訪ひぬ。昔カプレツチイ、モンテキイの二豪族相爭ひて、少年少女の熱情を遮り斷ちしに、死は能くその合ふべからざるものを合せ得たり。シエエクスピイアがものしつる「ロメオ、エンド、ジユリエツト」の曲即ち是なり。此第はロメオが初てジユリエツトに來り(まみ)えて共に舞ひし所にして、今は一の旅館となりぬ。われはロメオの夜な/\通ひけん石の(きざはし)()みて、(かつ)て盛に聲樂を張りてヱロナの名流をつどへしことある大いなる舞臺に上りぬ。(ひろ)き窓の下鋪板(しもゆか)に達するまでに切り開かれたる、丹青(たんせい)目を(くらま)したりけん壁畫の今猶微かに(のこ)れるなど、昔の豪華の跡は思はるれど、壁の下には石灰の桶いくつともなく並べ据ゑられ、鋪板(ゆか)には芻秣(まぐさ)(わら)などちりぼひ、片隅には見苦しき馬具と農具との積み(かさ)ねられたるを見る。まことに榮枯盛衰のはかなきこと、夢まぼろしはものかは。さればこの假の世を、フラミニアの厭ひしも、アヌンチヤタの去りぬるも、なかなかに慰む方ありとやいふべき。

 月の末にミラノに着きぬ。新に交を求めん心なければ、人の(なさけ)の紹介幾通かありしを、一としてその宛名の家にとゞくることなかりき。一夜「ラ、スカラ」座に入りて樂曲を聽きたり。(とばり)を垂れたる六層の觀棚(さじき)も、(せき)あまりに大いにして客常に少ければ、却りて我をして一種の寂寥と沈鬱とを覺えしめき。奏する所の曲は「タツソオ」にして、(おも)なる女優はドニチエツチイといふものなりき。一(せつ)(をは)るごとに、客の喝采してあまたゝび幕の外に呼び出すを、愛らしき笑がほして謝し居たり。わが厭世の眼は、この(ゑみ)の底におそろしき未來の苦惱の濳めるを見て、あはれ此美人(うまびと)目前に死せよ、さらば世間もこれが爲めに泣くことなか/\に少かるべく、美人も世を恨むことおのづから淺からんとおもひぬ。「バレツトオ」の舞には玉の如き(をさな)き娘達打連れて踊りぬ。われはその美しさを見るにつけて、血を()くおもひをなしつゝ、悄然として場を出でたり。

 ミラノの客舍の無聊(ぶれう)は日にけにまさり行きて、市長の家族も、親友と稱せしポツジヨも我書に答ふることなかりき。われは或ときは蔭多き(ちまた)をそゞろありきし、或ときは一室に枯坐して新に戲曲の稿を起しつ。曲の主人公はレオナルドオ・ダ・ヰンチなりき。レオナルドオの住みしは此地なり。その不朽の名畫晩餐式はこゝに胚胎(はいたい)せしなり。その戀人の尼寺の垣内(かきぬち)に隱れて、生涯相見ざりしは、わがフラミニアに於ける情と古今同揆(どうき)なりとやいはまし。

 われは日ごとにミラノの大寺院に往きぬ。此寺はカルララの大理石もて、人の力の削り成しし山ともいふべく、月あかき夜に仰ぎ見れば、皎潔(けうけつ)雪を(あざむ)く上半の屋蓋は、高く碧空に聳えて、幾多の簷角(えんかく)、幾多の塔尖より石人の形の現れたるさま、この世に有るべきものともおもはれず。晝その堂内に入れば、採光の程度ほゞ羅馬の「サン、ピエトロ」寺に似て、五色の窓硝子より微かに洩るゝ日光は、一種の深祕世界を幻出し、人をして唯一の神こゝに(いま)すかと觀ぜしむ。ミラノに來てより一月の後、我は始て此寺の屋上(やね)に登りぬ。日は石面を射て白光身を(めぐ)り、ここの塔かしこの(がん)を見めぐらせば、宛然(さながら)立ちて一の大逵(ひろば)に在るごとし。許多(あまた)聖者(しやうじや)獻身者の像にして、下より望み見るべからざるものは、新に我目前(まのあたり)に露呈し來れり。われは絶頂なる救世主の巨像の下に到りぬ。ミラノ全都の人烟は螺紋(らもん)の如く我脚底に畫かれたり。北には暗黒なるアルピイの山聳え、南には稍低き藍色のアペンニノ横はりて、此間を(うづ)むるものは、唯だ緑なる郊原のみ。譬へばカムパニアの野を變じて一の花卉(くわき)多き園囿(ゑんいう)となしたらんが如し。われは(まなじり)を決して東のかたヱネチアを望みたるに、一群の飛鳥ありて、列を成してかなたへ飛び行くさま、一片の(きぬ)の風に翻弄せらるゝに似たり。われはマリアを憶ひ、ロオザを憶ひ、ポツジヨを憶へり。昔幼かりし時、母とマリウチアとに伴はれて、ネミの湖に往きしかへるさ、アンジエリカが我に物語りし事こそあれ。その物語は今我空想に浮び來ぬ。オレワアノにテレザといふ少女ありき。戀人なるジユウゼツペが山を()えて北の國に往きしより、戀慕の念止むことなく、日を經るに從ひて痩せ衰へぬ。フルヰアの老媼(おうな)はテレザの髮とその藏め居たりしジユウゼツペの髮とを銅銚(どうてう)に投じて、()しき藥艸と共に煮ること數日なりき。ジユウゼツペは他郷に在りしが、我毛髮の彼銚中に入ると(ひと)しく、今まで忘れ居つるテレザの慕はしくなりて、醒めては(うつゝ)に其聲を聞き、()ねては夢に其姿を視、そぞろに旅のやどりを立出でゝ、おうなが(なべ)の下に歸りぬといふ。ヱネチアには我髮を()る銚あるにあらねど、わがこれを憶ふ情は、恰も幻術の力の左右するところとなれるが如くなりき。われ若し山國(やまぐに)(うまれ)ならば、此情はやがて世に()思郷病(ノスタルジア)なるべし。(歐洲人は思郷病は山國の民多くこれを(わづら)ふとなせり。)されど又ヱネチアのわが故郷ならぬを奈何(いかに)せむ。われは悵然(ちやうぜん)として此寺の屋上(やね)より降りぬ。

 客舍に歸れば、卓上に一封の(ふみ)あるを見る。こはポツジヨが許より來れるなり。これを讀むに、袂を分ちてより第二の書を作る云々と書せり。さらば友の初の一書は我手に入るに及ばずして失はれしなるべし。ヱネチアには何の變りたる事もあらねど、マリアは病に(こや)したり。その病のさま一時は性命をさへ危くすべくおもはれぬれど、今は早や恢復に近し。猶戸外(そと)には出でずとなり。末文には、例の戲言(ざれごと)多く物して、まだミラノの少女に(とりこ)にせられずや、三鞭酒(シヤンパニエ)をな忘れそなど云へり。われは讀み畢りて、ポツジヨが滑稽の天性にして、世の人のそを假面(めん)看做(みな)すことの(あやま)れるを信ぜんとせり。さればこそ同じ無稽の巷説は、わがマリアを敬することロオザを敬すると殊ならざるを見ながら、謬りて我をもてマリアに戀するものとなすなれ。

 われは消遣(せうけん)の爲めに市の外廓より出でゝ、武具の辻(ピアツツア、ダルミイ)を過ぎ、拿破崙(ナポレオン)の凱旋塔の下に至りぬ。世のいはゆるセムピオオネの門(ポルタ、セムピオオネ)とは是なり。塔は猶未だ其工事を終らず、板がこひを(めぐ)らして、これに格子戸を裝ひたり。戸より入りて見れば、新に大理石もて()り成せる大いなる馬二頭地上に据ゑられ、青艸(あをくさ)はほしいまゝに長じて趺石(ふせき)を掩はんと欲す。四邊(あたり)には既に刻める柱頭あり、(あら)ごなししたる石塊あり。許多(あまた)の工人は織るが如くに來往せり。

 時に一の旅人ありて我を(へだた)ること數歩の處に立ち、手簿(しゆぼ)()りて導者の言を記せり、年の頃は三十ばかりなるべし。胸には拿破里(ナポリ)の勳章二つを懸けたり。此旅人の迫持(せりもち)の石柱を仰ぎ見るに及びて、我はそのベルナルドオなるを()りぬ。彼方も亦直ちに我を認め得つとおぼしく、何の猶豫(ためら)ふさまもなく、我側に歩み寄りて我胸を抱き、めづらしきかな、アントニオ、われ等の相別れし夕は賑やかなりき、われ等は祝砲をさへ放ちたり、されど想ふに我等の友情は(もと)の如くなるべしといひぬ。我は(はだへ)(あは)を生ずる心地しつゝ、(わづか)に口を開きて、さてはベルナルドオなりしよ、(はか)らざりき、おん身と伊太利の北のはてなる、アルピイ山の麓にて相見んとはと答へつ。

 我等は共に歩みて新劇場の邊に往き、轉じて(まち)(くるわ)に入りぬ。ベルナルドオは道すがら語りていふやう。汝は此地を指してアルピイ山の麓といへり。われはまことのアルピイの(いただき)に登りて世界の四極(よものはて)を見たり。(さき)に拿破里に在りし時、獨逸の士官等の、瑞西(スイス)の山水を説くを聞き、一たび往いて觀んことを願ふこと漸く切なるに、汽船もて達し易きジエノワを距ること遠くもあらぬを知れば、意を決して往くことゝしつ。シヤムニイの谿(たに)をも渡りぬ。モンブランの頂にも、ユングフラウの頂にも登りぬ。()にユングフラウは「ベルラ、ラガツツア」(美少女)なれど、かくまで冷かなる女子は復た有るべからず。これよりはジエノワに往きて、約束せし妻とその父母とを(とぶら)はんとす。もはや眞面目なる一家のあるじとならんも遠からぬ程なるべし。汝若し我が昔日の生涯を語らず、彼の馴るゝ小鳥の事、愛らしき歌妓の事などを祕せんと誓はゞ、われは汝を伴ひてジエノワに往くべし。いかに、三日の後に我と共に發足せずやといひぬ。われ。否々、我は明日(あす)此地を立たんとす。ベルナルドオ。そは何處(いづく)へ往くにか。われ。ヱネチアに往くなり。ベルナルドオ。汝が漫遊の日程は、よも變更を(ゆる)さぬにはあらざるべし。()げて我言に從はずや。われはベルナルドオにかく説き勸められて、反復しておのれのヱネチアに往かざるべからざるを辯じ、果は自らこの漫然口を衝いて發せし語の、實にその故あるが如きを覺ゆるに至りぬ。

 われは客舍に返りて、不可思議なる力に役せらるゝものゝ如く、倉皇(さうくわう)我行李を整へ、あるじに明朝の(はつじん)を告げたり。此夜は臥床(ふしど)に入れども、胸打ち騷ぎて熱を病むものゝ如く、眠をなさゞること久しかりき。翌朝ベルナルドオを訪ひて、我が爲めに善くその未來の妻に傳へんことを頼み聞え、忙はしく車を驅りてヱネチアに向ひぬ、二月前に去りしヱネチアに。

   心疾身病

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