探検実記 地中の秘密 07 末吉の貝塚

1話 探検実記 地中の秘密 07 末吉の貝塚

3,823字 約8分 2012年3月12日 公開

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――神奈川方面不有望――草刈と大衝突――家族擧つての發掘――非學術の大發掘――土器一箇千圓の價?――

 玉川向(たまかはむか)ふ、(すなは)神奈川縣下(かながはけんか)(ぞく)する方面(はうめん)には、(あま)有望(いうぼう)貝塚(かひづか)()い。いや貝塚(かひづか)としては面積(めんせき)(ひろ)く、貝層(かひそう)(ふか)いのが()いでも()いが、土器(どき)出方(でかた)(はなは)(わる)い。矢上(やがみ)(しか)り、高田(たかた)(しか)り、子母口(しぼぐち)(しか)り、駒岡(こまをか)子安(こやす)篠原(しのはら)(たる)箕輪(みのわ)(もつと)不有望(ふいうぼう)

 其中(そのなか)で、末吉(すゑよし)貝塚(かひづか)は、(やゝ)(のぞ)みがある。望蜀生(ぼうしよくせい)完全(くわんぜん)なる土器(どき)(ふた)掘出(ほりだ)して()たので、(きふ)()きたい()()り、三十六(ねん)十二(ぐわつ)十四()に、幻花翁(げんくわおう)望蜀生(ぼうしよくせい)玄川子(げんせんし)との四人連(にんづれ)品川(しながは)から汽車(きしや)鶴見(つるみ)、それから一里弱(りじやく)下末吉村(しもすゑよしむら)へと()つた。

 一寸(ちよつと)()(にく)(ところ)である。遺跡(ゐせき)(ひろ)いが、先年(せんねん)、チヤンバーレン()大發掘(だいはつくつ)(こゝろ)みたとかで、畑地(はたち)(はう)斷念(だんねん)して、臺地北側(だいちきたかは)荒地(あれち)緩斜面(くわんしやめん)(なか)に四(にん)(はい)つた。

 (ちひ)さな(すぎ)や、(たけ)よりも(なが)枯萱(かれかや)(しげ)つて()るので、(たれ)何處(どこ)()るのやら(わか)らぬ。

 右端(うたん)玄子(げんし)。それから()。それから幻翁(げんおう)。それから左端(さたん)望生(ぼうせい)。これで緩斜面(くわんしやめん)()りつゝ押登(おしのぼ)らうといふ陣立(ぢんだて)

 ()()(くさ)()邪魔(じやま)をして、却々(なか/\)()(にく)い。それに()(あた)らぬ。(さむ)くて(たま)らぬ。蠻勇(ばんゆう)(ふる)つて(やうや)(あせ)(おぼ)えた(ころ)に、玄子(げんし)石劒(せきけん)柄部(へいぶ)()した。

 その()からは、一(かう)珍品(ちんぴん)()ぬ。破片(はへん)(おほ)いけれど、()いで()(やう)なのは()ぬ。中食後(ちうじきご)に、()は、土瓶(どびん)(くち)上下(うへした)に、ツリを()つた破片(はへん)()した(くらゐ)

 玄翁(げんおう)望生(ぼうせい)とは、(しゆ)附着(ふちやく)せる貝殼(かひがら)()したのみ。

 失敗(しつぱい)して此日(このひ)切上(きりあ)げた。

 三十七(ねん)正月(しやうぐわつ)()掘初(ほりそめ)として()望玄(ぼうげん)()(したが)へて()つて()ると、()如何(いか)に、()りかけて()(あな)附近(ふきん)に、大男(おほをとこ)が六七(にん)()る。()うして枯萱(かれかや)()つて()る。ちと具合(ぐあひ)(わる)いので、三(にん)其所(そこ)()つて()ると、それと()つた男子達(をとこたち)は、(きこ)えよがしに高話(たかばなし)である。何處(どこ)(やつ)だか、()んな大穴(おほあな)穿()けやアがつた。今度(こんど)見附次第(みつけしだい)叩殺(たゝきころ)してやるといふ血腥(ちなまぐさ)鼻息(はないき)

 ()むを()ず、一()松林(まつばやし)(かた)退却(たいきやく)したが、如何(どう)()りたくて()えられぬ。それで()玄子(げんし)とは松林(まつばやし)()ち、望生(ぼうせい)(にん)()つて『いくらか()すから、()らして()れ』と申込(まをしこ)ましたのである。

 いくら()つても望生(ぼうせい)(もど)つて()ぬ。これに心配(しんぱい)しながら二人(ふたり)()つて()ると、大變(たいへん)だ。殺氣立(さつきだ)つて()る。

 草刈連(くさかりれん)大鎌(おほがま)(ひね)くつて()る。

 望生(ぼうせい)萬鍬(まんぐわ)握〆(にぎりし)めて()る。

 望生(ぼうせい)余等(よら)(かほ)()て、(おほ)いに()(つよ)くしたか。

()らせんといふなら()らん。()らうと(おも)へば、どんな(こと)()つても(きつ)()つて()せるが、ナニ、()んな(くそ)ツたれ貝塚(かひづか)なんか()りたくは()い』と(さけ)ぶのである。

()んと()ツても駄目(だめ)だア。子供位(こどもくら)正直(しやうぢき)(もの)はねえからね』と(むか)ふではいふ。

 形勢(けいせい)(はなは)不穩(ふおん)なので、()()(かく)も、望蜀生(ぼうしよくせい)()んで、小聲(こごゑ)で。

如何(どう)したのか』

不穩(ふおん)です。()げませう』と望生(ぼうせい)小聲(こごゑ)()ふ。

 それで三(にん)相談(さうだん)する(やう)(かほ)をして、一端(いつたん)松林(まつばやし)まで退(しりぞ)き、姿(すがた)彼等(かれら)視線(しせん)から(かく)れるや(いな)や、それツとばかり間道(かんだう)逃出(にげだ)して、(うら)(いけ)(かた)から、駒岡(こまをか)(かた)韋駄天走(ゐだてんばし)り。

 ()大丈夫(だいじやうぶ)だといふ(ところ)で、望生(ぼうせい)に一(たい)如何(どう)したのかと()うて()ると、草刈(くさかり)(なが)に、子供(こども)()て、去年(きよねん)(くれ)此處(こゝ)大穴(おほあな)()けたのは、此人達(このひとたち)だと()げた(ため)に、いくらお前達(まへたち)(ねこ)(かぶ)つても駄目(だめ)だと、發掘(はつくつ)承知(しようち)せぬので、(はら)()つたから惡口(あくこう)()いたら、先方(せんぱう)(おこ)つたといふ説明(せつめい)

 それは此方(こつち)矢張(やつぱり)(わる)い。()げろ/\と初掘(はつぼ)りの大失敗(だいしつぱい)

 それから十(ちやう)(へだ)たつて()らぬ加瀬(かせ)貝塚(かひづか)(まは)つて、小發掘(せうはつくつ)(こゝろ)み、相變(あひかは)らず失敗(しつぱい)して歸宅(きたく)した。

 その(のち)飯田氏(いひだし)發掘(はつくつ)(こゝろ)みたといふ(はなし)()いた。

 三十八(ねん)、三十九(ねん)()電車(でんしや)(つう)じたし。ちよい/\(ねん)に四五回位(くわいくら)ゐは、(ほか)表面採集(へうめんさいしふ)(つい)でに立寄(たちよ)つて、磨石斧(ませきふ)石劒折(せきけんをれ)打石斧(だせきふ)其他(そのた)(ひろ)つて()たが、四十(ねん)(ぐわつ)十四()に、一人(ひとり)加瀬(かせ)駒岡(こまをか)から、此方(こつち)採集(さいしふ)()(とき)も、(はた)(なか)で一農夫(のうふ)()つた。其人(そのひと)()うて()ると、自分(じぶん)持地(もちち)からは澤山(たくさん)破片(はへん)()るが、()(たれ)發掘(はつくつ)した(こと)()いといふ。()らば近日(きんじつ)發掘(はつくつ)をさして()れと其場(そのば)手金(てきん)()つた。

 同月(どうげつ)十七(にち)、いよ/\發掘(はつくつ)()(こと)としたが家人(かじん)其状態(そのじやうたい)()たいといふので、()らば其用意(そのえうい)して()くべしとて、(さい)()とに糧食(れうしよく)(たづさ)へさせ、()(あい)する親族(しんぞく)の六(さい)幼女(えうぢよ)()()ひ、玄子(げんし)器具(きぐ)など(かつ)ぎ、鶴見(つるみ)にて電車(でんしや)()り、徒歩(とほ)にて末吉(すゑよし)()いた。それが八時半頃(じはんごろ)であつた。

 四()緑葉(りよくえふ)(はやし)でめぐらして()る、其中(そのなか)畑地(はたち)(ほか)には人一個(ひとひとり)()えぬ。

 一家族(かぞく)無人島(むじんたう)漂着(へうちやく)した(やう)氣持(きもち)である。

 玄子(げんし)()とは()(はやし)()りて、()(えだ)()(きた)り、それを(はしら)として畑中(はたなか)()て、日避(ひよけ)布片(きれ)天幕(てんと)(ごと)()り、(まめ)(くき)(たば)にしてあるのを()(きた)つて、()()き、其上(そのうへ)布呂敷(ふろしき)シオルなど()いて、座敷(ざしき)(つく)り、此中(このなか)に三(ぢよ)()らしめた。

 遊牧民(ゆうぼくみん)

 其前(そのまへ)四五(しやく)(ところ)を、()玄子(げんし)とは發掘(はつくつ)(はじ)めた。

 (なに)()ない。――()ないけれど面白(おもしろ)い。疲勞(ひらう)しては天幕(てんと)()り、菓物(くわぶつ)()ひ、サイダを()む。(いきほ)ひを()ては(また)()りに(かゝ)るが、(はなは)だしく(なに)()()ない。

 見物(けんぶつ)(たい)して(きま)りが(わる)(くら)ひだ。

 おまけに小雨(こさめ)さへ()()したので、一先(ひとま)(あや)しき天幕(てんと)(した)に、それを()けて()ると、(うしろ)(はたけ)にごそめく(おと)がするので、()ると唯一人(たゞひとり)、十六七の少女(せうぢよ)が、(はた)(なか)(くさ)()つて()る。

 ()れるだらうから、此方(こつち)(はい)つたら()からうとすゝめ、菓子(くわし)などを(あた)へて()(うち)に、(あめ)小歇(こやみ)となり、(また)正午(ひる)(ちか)くなつた。

 少女(せうぢよ)()らうとする。

 もし(また)()るならば、(みづ)此瓶(このびん)()れて()てよと()うた。サイダやビールでは米飯(めし)()へぬからである。

 少女(せうぢよ)(たちま)(はし)()つて、大藥鑵(おほやくゝわん)()()かし、茶道具(ちやだうぐ)さへ()つて()()れた。

 大喜(おほよろこ)びで、其禮(そのれい)に、若干(そこばく)銀貨(ぎんくわ)(あた)へやうとしたが、如何(どう)しても()らぬ。(しひ)()らしめたら、今度(こんど)重箱(ぢうばこ)味噌漬(みそづけ)()れて()つて()()れた。

 ()の一()(こと/″\)涙含(なみだぐ)んだ。(この)(やさ)しい少女(せうぢよ)境遇(きやうぐう)(かは)つて()たのと、天候(てんかう)(くも)(がち)なのとで、一(そう)我々(われ/\)(ひと)(こゝろ)(やさ)しさが(かん)じられたのであらう。

 午後(ごゞ)(いた)りて、如何(どう)天候(てんこう)不良(ふれう)である。それで女連(をんなれん)だけ()きへ()へさうとした。

 すると幼女(えうぢよ)が、叔父(をぢ)さんと一(しよ)でなければ(かへ)らぬといふ。さらば、叔母達(をばたち)()きへ(かへ)るが、それでも()いかと()ふに、それにても()しといふ。

 ()よ、(ほか)人一個(ひとひとり)()らぬ畑中(はたなか)其所(そこ)にわびしき天幕(てんと)()りて、()るや()らずの(なか)()る。それで叔母達(をばたち)()るとも、叔父(をぢ)(とも)此所(こゝ)(とゞま)るといふ。

 蠻勇(ばんゆう)()(ごと)きを、()くまでに(した)ふかを(おも)へば、(うれ)しいよりも(かな)しさが(うか)んで()る。

 土器(どき)(なに)()るものかと、此時(このとき)ばかりは(かんが)へた。

 それなら一()(こと)()んなで(かへ)らうとて、發掘(はつくつ)中止(ちうし)し、天幕(てんと)(たゝ)み、飮餘(のみあま)したる麥酒(ビール)(びん)(たづさ)へて、(うら)池邊(ちへん)()き、其所(そこ)にて(また)小宴(せうえん)()り、食物(しよくもつ)(のこ)りを(いけ)(うを)投與(とうよ)して、()(かる)くし、(ふたゝ)()幼女(えうぢよ)背負(せお)ひて、歸路(きろ)()いた。

 ()ける土器(どき)(おも)かつた(こと)

 それからは霎時(しばらく)(とほ)ざかつて()たが、四十一(ねん)(ぐわつ)()に、一人(ひとり)寺尾(てらを)子安(こやす)篠原(しのはら)大網(おほあみ)(たる)駒岡(こまをか)諸遺跡(しよゐせき)()ぎて、末吉(すゑよし)(かゝ)つて()ると、()()如何(いか)に、()如何(いか)にである。

 最初(さいしよ)余等(よら)發掘(はつくつ)した方面(はうめん)(あた)つて、(ひと)(すう)男女(だんぢよ)(がつ)して十二三(にん)大發掘(だいはつくつ)をつゞけて()るのを發見(はつけん)した。

 何者(なにもの)だらうか?

 (あるひ)はマンロー()大發掘(だいはつくつ)では()るまいかと、(くび)(かたむ)けながら()つて()ると、それは土方氏(どかたし)非學術的大發掘(ひがくじゆつてきだいはつくつ)であつた。

 土方(どかた)親方(おやかた)(つい)()いて()ると、(すで)一月以上(ひとつきいじやう)發掘(はつくつ)(つゞ)けて()るので、()う二三(にち)此所(こゝ)終局(しうきよく)だ。これは貝灰(かひばい)()原料(げんれう)として、横濱(よこはま)石灰製造所(いしばいせいざうしよ)()つたのだといふ。

 (なに)()たかと()ひながらも、()を四(はう)(くば)つて()ると、掘出(ほりだ)した(かひ)は、一々(いち/\)(ふるひ)(ふる)つて、(かひ)(かひ)だけとして、(やま)(ごと)()んである。破片(はへん)其所此所(そこここ)散亂(さんらん)して()る。(むね)土器々々(どき/\)である。

 親分氏(おやぶんし)は、(すこぶ)()(かろ)()()る『(なに)()ねえよ』と()つて、せツせと仕事(しごと)從事(じうじ)して()る。

 乾漢(こぶん)らしいのが、大聲(おほごゑ)で『一個(ひとつ)百兩(ひやくれう)にでも()れるのなら、()つても()い』と()ふ。

 串戯(じやうだん)()ツちやいけぬと(おも)ひながら『一個(ひとつ)千兩(せんれう)でも()ふよ』と(わら)ふて(こた)へると、親分(おやぶん)がそれを打消(うちけ)して。

()せえやい。(なん)()ふなやい』と()めるのである。

 それで()()發掘場(はつくつば)()(めぐ)りして()ると、珍把手(ちんとつて)珍破片(ちんはへん)(すくな)からず()(なか)に、大々土瓶(だい/″\どびん)口邊(こうへん)の、(もつと)複雜(ふくざつ)なる破片(はへん)()る。完全(くわんぜん)()つたら懸價無(かけねな)しの天下(てんか)(ぴん)だ。いや、破片(はへん)でも大珍品(だいちんぴん)たるを(うしな)はぬ。

 それで『()んな破片(はへん)(もら)つても()えかね』と()うて()ると『そんな(もの)ならいくらでも()つて()きねえ』といふ。

 難有(ありがた)いと、それを(かばん)()れて()ると、(ふるひ)(かひ)()つて()女土方(をんなどかた)が、(ちい)さな(こゑ)で。

『あんな(こと)()つて、親分(おやぶん)トボケて()るが、面白(おもしろ)土瓶(どびん)()たやうな(もの)だの、香爐(かうろ)()たやうな(もの)だの、澤山(たくさん)掘出(ほりだ)して()つて()るだよ』と(をし)へて()れた。

 其所(そこ)()(あらた)めて、親分(おやぶん)談判(だんぱん)(こゝろ)みたが、(ぐわん)として(おう)じない。

 横濱(よこはま)西洋人(せいやうじん)()れば、一箇(ひとつ)百兩(ひやくれう)にはなるんだなんて、(ゆめ)()()馬鹿(ばか)らしさ。

 (けつ)して()ういふ相場(さうば)()るものでは()いと(べん)(ふる)つて()いて()たが、()かぬ。

 お(まへ)はそんな(こと)()つて、胡麻化(ごまくわ)すんだ。(きつ)仲買(なかがひ)して(ある)くんだらうと、いや、はや、沒分曉漢(わからずや)親分(おやぶん)

 ()()つて、それ()()引揚(ひきあ)げたが、如何(どう)()()つて()えられぬので、(ふたゝ)談判(だんぱん)()かうと(おも)つて()ると、友人(いうじん)眉山子(びさんし)(れい)自殺(じさつ)

 それでいろ/\()()けなくつて、(やうや)く七(ぐわつ)十一(にち)末吉(すゑよし)駈付(かけつ)けて()ると、貝殼(かひがら)(やま)だけ(しろ)(のこ)つて、あゝ因業(ゐんがう)親分等(おやぶんら)は、一人(ひとり)(かげ)()せぬのであつた。

 土瓶形(どびんがた)香爐形(かうろがた)洋人(やうじん)百圓宛(ひやくえんづゝ)()つたらうか。(おそ)らく今頃(いまごろ)は、あの(をとこ)に、十箇(とを)二錢(にせん)(りん)()つた(はう)()かつたと、後悔(こうくわい)をして()るであらうよ。

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