21話 二つの繪 女人たち
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芥川は六月の二十五日には「晩飯を食ひにゆかうや、」といつて、まだ晝をすませて間もないときに、僕を下宿から伴れだし、谷中の墓詣りをすませ、(芥川の實家新原家の墓)その足で淺草の春日にいつて小かめに別れをつげてゐる。芥川はその日、小かめに別れをつげてしまふまでは全く僕と口をきかなかつた。もつとも、僕のはうもいつもとはちがつた芥川の顏つきをみてて口をきかずにゐたのだが、小かめに別れをつげてしまふまでに、芥川が口をきいたといへば、氷川神社のところで「久保田万太郎」と顎で久保田の家を教へ、谷中の墓地のまん中の通りにでるその角の墓の低い圍ひの鎖り? を、すばやくひよいと跨いで墓石の横から正面へ、さうしてそのまま左から石のまはりをぐるつとまはつてまた正面に向つて立つてて、今度はぴよこんとお時儀をしてから僕をふりかへり「僕の家の墓」と教へたときの、二度ともせかせかとして言つてゐたそれだけのことである。僕がなんだかけふは歩かせるなと思つてゐると、淺草にでて名前だけは聞いてゐた春日にはいつた。
芥川はつる助(女將の藝者のときの名、)に、「小かめに出の着物のでなくともいいすぐ」と言つて飯をたのんだ。(まだ夕飯にははやい時刻でなにを食べたのか記憶はない。)飯を食べかけた頃かに小かめがきて茶を貰つた覺えはあるが、食べをはるとすぐ僕らは小かめといつしよにおもてにでてしまつた。春日から十二階のところまで歩いて(まだ十二階がとり片づけられてゐなかつた)そこで右左りに、小かめとは別れたのだが、大柄の小かめと芥川が寄添つて歩きながら話をしてゐるのを、うしろからみてゐるとなにか兄と妹の親しさといつたものにみえてゐて似合だと思つた。
つる助は芥川が僕を紹介すると、「へえ、これがいい男?」といつて僕の顏をみては、「へえ、」をばかり繰返してゐた。宇野の名も言つてゐたから、芥川と宇野がなにかつる助に冗談を言つてゐたことがあるのだらう。つる助のはうはいい男を美男と考へこんでたとみえるのだが、芥川のはうはつる助にただ「うむ――」と言つてるだけであつた。
小かめに別れてもまだ日は暮れのこり、人の別れといふものをみてゐていささか感慨にしづんでゐると、芥川は、
「あの爪を見たか?」
と言つた。磨きのかかつた冷たい黒色の魅力――
「爪いろ?」「見た、」
と僕は答へた。すると芥川はたちまち能辯に小かめが母親三代の藝妓であること、それによる氣質、顏つき、皮膚のいろなどをいつて、小かめなどは江戸の名殘りを傳へた最も藝者らしい藝者だとタクシーを拾ふ間言つてゐた。
小かめは告別式のとき谷中にきたがちよつと人々の目をそばたたせた立派な女であつた。
僕に小かめを見せる前、ホテル事件の後いくらもたたないときに、少し歩かうと芥川は僕を誘ひだして、
「もうこれで自分の知つてゐる女の、ひととほりは君にも紹介してしまつたし、もう言つておくこともないし、すると……」
と、片山さん、ささき・ふさ、(ふさ子さんの養父は自殺した人のやうに聞いてゐた。佐多稻子は自殺しようとした。芥川はさういふ人達には自分の氣持がわかつて貰へると思つたのか?)せい子、小町園のおかみさんといつたやうな芥川のいふ賢い女人の名をあげてゐた。
僕は手のつけられない病人、芥川の腦神經は棕梠の葉つぱの裂けたやうなものだと思ひながら、聞いてゐたが、支那旅行の中途上海で風邪で入院してゐて譫語に「おつかさん。」と言つて看護婦に笑はれた芥川に母親があり、妹があつたのならば、と僕は今日でも思つてゐる。
芥川が僕に芥川の言ふ賢い女人たちの名をあげてゐるので、僕は麻素子さん以外のまたほかの女人たちに縋らうとする芥川の氣持を感じた。さうして芥川は依然として片山さんを第一に頭のなかにいれてゐると見てゐた。片山さん、またはその他の女人たちのだれにもせよ、ホテルの繰返しをされるやうでは、芥川のためにも、僕自身もたまらんと思つたので、
「相談するなら小町園のおかみさんがいい。小町園のおかみさんなら大丈夫後日のまちがひもないし、ことによるとあの人ならいい智惠があるかも知れない、」と言ふと、
「ほんとに君もさう思ふかね、」
と言ふので、
「ほんたうだよ。ほかの人ではだめだよ。」
と言つたら、
「ほんとに君もさう思ふのかえ、」と急ににこにこして僕の顏をみてた芥川は、芥川を知らない人からみれば全くもつて糞味噌な芥川であつたらう。
芥川は汽車に乘つて(湘南電車といふものはまだなかつた)鎌倉の小町園のおかみさんに會ひにいつてゐる。おかみさんも突然のことで驚いたのは事貫であらうが、困つたといふより仕方のない困つた芥川の話をおかみさんは笑つてもゐなかつたやうであつた。落ちこまず落ちついた注意を芥川の身に配つたことも疑へない。しかし、一と月、二た月の間に芥川は既に死體となつてしまつてゐた。
昔、僕のところでジュオルジュ・リヴヱールのルノワール・ヱ・セザミーの中の SUR LA TERRASSE をみてゐて、「僕はかういふ顏の婦人が好きなのだ。この本が古本屋にあつたら是非買つておいておくれ、」と言つてゐた頃の芥川はよかつた。芥川はまだ死ぬ話などをもちださなかつたから――
芥川は精力絶倫ではなかつたか? 三宅やす子、九條武子と芥川との關係は? といふことを昔、僕は人に聞かれたものであるが、いづれも僕と芥川との間になにも話のなかつたことなので、なにも知らない。