白峰の麓

1話 白峰の麓(1)

8,568字 約17分 2010年3月12日 公開

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      一

 小島烏水(こじまうすい)氏は甲斐(かい)白峰(しらね)を世に紹介した率先者である。私は雑誌『山岳』によって烏水氏の白峰に関する記述を見、その山の空と相咬む波状の輪廓、朝日をうけては(くれない)に、夕日に映えてはオレンジに、かつ暮刻々その色を変えてゆく純潔なる高峰の雪を想うて、いつかはその峰に近づいて、その威厳ある形、その麗美なる色彩を、わが画幀に捉うべく、絶えず機会をうかがっていた。

 私が白峰連嶺を初めて見たのは、四十一年の秋、甲州山中湖に遊んだおりで、宿雨のようやく()れたあした、湖を巡りて東の岸に立った時、地平線上、低く西北に連なる雪の山を見た。白峰! と思ったが、まだ疑いはある。ポケットから地図を出す、磁石を出す、そして初めて白峰! と叫んだ。今自分の立っているところからはよく見えぬ。私は岸を東へ東へと走った、やがて道は尽きた、崖と水とは相接して足がかりは僅かに数寸、私は辛うじてそこをも通った。岩を伝わった。樹根に(すが)った。こうして往けるだけ往った。そしてささやかなる平地に三脚を据えて、山中の湖に浮べる如きなつかしき白峰の一部を写したことがあった。

 翌年の三月某日、これも雨後の朝、鎌倉にゆく途中、六郷鉄橋の辺から、再び玲瓏たる姿に接した。描きたい、描きたいという念は、いっそう深くなった。

 白峰を写すには何処がよかろう、十重二十重(とえはたえ)山は深い。富士のように何処(どこ)からも見えるというわけにはゆかぬ。地図を調べ人にもきいた。近く見るには西山峠、遠く見るには笹子峠、この二つが一番よいようである。私は五月某日、(つい)に笹子に向った。

 初鹿野(はじかの)で汽車を下りて、駅前の(あわ)れな宿屋に二晩泊ったが、折あしく雨が続くのでそこを去った。そしてその夕、甲府を経て右左口(うばぐち)にゆく途中で、乱雲の間から北岳の一角を見て胸の透くのを覚えた。

 翌日は右左口峠を登りつつ、雲の間から連峰の一部をちらちら見た。峠の上では急いでスケッチもした。女阪峠を上る時も片鱗はいく度も見たが、全形を眺むることは出来なかった。

 精進(しょうじ)を過ぎ本栖(もとす)発足()って駿甲の境なる割石峠の辺から白峰が見える。霞たつ暖い日で、山は空と溶け合うて、ややともすればその輪廓を見失うほど、(はる)かに、そして(かす)かなものであった。

      二

 甲州西山は、白峰の前岳で、早川の東、富士川の西に介在せる、五、六千尺の一帯の山脈である。この峠に立ったなら、白峰は指呼(しこ)の間に見えよう、信州徳本(とくごう)峠から穂高山を見るように、目睫(もくしょう)の間にその鮮かな姿に接することが出来ないまでも、日野春(ひのはる)から駒ヶ岳に対するほどの眺めはあろう。早川渓谷の秋も(うるわ)しかろう。湯島の温泉も愉快であろう。西山へ、西山へ、画板に紙を()る時も、新しく絵具を求むる時も、夜ごとの夢も、まだ見ぬ西山の景色や白峰の雪に(おも)いを()せていた。

 東京を発足()ったのは十一月一日、少し霧のある朝で、西の空には月が懸っていた。中野あたりの麦畑が霞んで、松二、三本、それを透して富士がボーっと夢のよう、何というやさしい景色だろうと、()かず眺めつつ過ぎた。小仏(こぼとけ)、与瀬、猿橋、大月と、このあたりの紅葉はまだ少し早いが、いつもはつまらぬところでも捨てがたい趣きを見せていた。

 長いトンネルを出ると初鹿野、ここから塩山(えんざん)までの間に白峰は見えるはずだ。席を左に移して窓際に身をピッタリ。

 果然、雪の白峰連嶺は、飽くまで(あお)い空に、クッキリとその全身を露わしている。水の垂れそうな秋の空、凍ったような純白の雪、この崇高な山の威霊にうたれて、私は思わず戦慄(せんりつ)した。(たもと)にスケッチブックのあることを忘れた。もう西山までゆかなくともよいと思った。

 雪の山はトンネルのために、幾度となく隠れ、また現われた。その度ごとに、私は曇ったガラスを()いて、瞬時でも見逃がすまいと(ひとみ)()らした。三度五度、ついには全くその姿を失うて、車は大なるカーブを画き、南の方無格恰(ぶかっこう)な富士の頂を見た時、夢から()めたような思いがした。そしてこの時ほど富士山を醜く見たことはない。

 十二時半に甲府に着いて、すぐ鉄道馬車の客となった。今にも(こわ)れそうな馬車だ。馬は車に()れず、動かじと(たたず)むかと思うと、また(にわ)かに走り出す。車の右は西山一帯の丘陵で、その高低参差(しんし)たる間から、時々白い山が見える。南湖の手前で少しく川に沿うて堤の上をゆく。咲き残りの月見草が(わび)しげに風に動いている。柳は()びた色をしてこれも風に(なび)いている。ちょっと景色のよいところだと思うた。

 青柳という町を過ぎる。近きにお祭があるというので、軒提灯(のきぢょうちん)を吊して(うるわ)しく飾っていた。

 形面白(おもしろ)き柳の巨木の、水に臨んで、幾株か並んでいる広い河原、そこに()けたる手摺(てすり)なき長い橋を渡ると鰍沢(かじかざわ)の町だ。私は右側の粉奈屋という旅店に投じた。丁度三時半。

 二階から富士が見える。やはり形が悪い。富士の美しいのは裾野が(ひら)いているからだ。裾を隠して頂だけでは、尖端鋭き金峰山などの方が遥かに美しい。富士は頭を隠してもよい、裾野は隠れてはいけない。

 宿の背後はすぐ山で、社やら寺やら、高地に建物が見え、樹が繁っている。紅葉の色もよい、山上の見晴しもよかろう。

 番頭に明日西山行の人夫を頼む。女中のお竹さん、西山の景勝を説くこと極めて詳、ただし湯島近所から雪の山が見えるとはいわないので、少しく心許(こころもと)なく思う。

 隣家の素人義太夫(しろうとぎだゆう)をききながら夢に入る。

      三

 翌朝五時半には、私どもは粉奈屋を()った。空は薄く曇っているが、月があるので明るい。新しい草鞋(わらじ)に、少しく湿った土を踏んでゆく心持はよい。細い流れに沿うてゆく、鼠色の柳が水を(のぞ)いている、道は少しずつの上りで沢を渡り田の(あぜ)を通る、朝仕事にゆく馬を曳いた男にも逢う、稲を刈りにゆく赤い帯をした女にも逢う、空は漸く明るくなって時々日の目をもらす。

 往手にあたって黒い大きな門が見える。刈ったばかりの稲束が、五つ六つ柱によせかけてある、人夫は「これが小室の妙法寺で、本堂は一、二年前に焼けました、立派なお堂だったが惜しいことをした」という。門へ入る、両側に人家がある、宿屋もある、犬が(しき)りに吠える。

 山門を潜ったが、奥にはゆかず、道を左に取って山田の畦をゆく。家の形も面白く、森や林の姿もよい、四、五日の材料はあろうと思った。

 道は漸く急になる。右に左にうねりつつ登る。上には松に吹く風の音、下にはカサコソと落葉を踏む音、それのみで天地は極めて静である。空は次第に晴れて来て、ジリジリと背を照らす日は暑い。汗で身体は濡れる。外套(がいとう)を取って人夫に持たせる。上衣を()いで自分で持つ。峠の曲り角では必ず休む。

 かなり高く登った。振向(ふりむ)いて見ると、富士はいつの間にか姿を出している。甲府盆地で見た時とは違って雄大の感がある。麓の方一条の白い河原は、富士川で、淡く煙りの立つあたりは鰍沢だと人夫は指す。

 道の傍に小さな池がある、七面の池という、枯蘆が茂った中に濁った水が少し見える。このあたりは落葉松(からまつ)の林で、葉は僅かに色づいて、ハラハラと地に落ちる。暗い緑の苔と、そして細かき落葉で地は見えない、その上を歩むと、軽く(はじ)かれるようでしっとりした感じが爪先から腹にまでも伝わって来るようだ。

 池を離れてからは、短い雑木や芒の山で、日を(さえぎ)るものがなく、暑さは前にも増して(はげ)しい。人夫の間違で、草刈道を三、四丁迷い込んで跡へ戻った時は、少々忌々(いまいま)しかった。ところどころ(もみ)の大木がある。富士はいよいよ高くいよいよ大きく見える。

 鰍沢から歩むこと三時間半、道程三里にしてデッチョーの茶屋というに着いた。峠の頂上で、出頂とか絶頂とか書くのであろう。茶屋は少し山蔭の平地に()って、ただ一軒の(きた)ない小屋にすぎない、家の前には、近所の山から採って来た雑木(ぞうき)が盆栽的に並んでいる。真暗な家の中には、夫婦に小供二、三人住んでいる。この子たちはどうして学校へゆくのだろうと気になる。暗い中に曲物(まげもの)が沢山ある。(あわ)(あめ)を造って土産に売るのだそうな。握飯を一つ片づけ、渋茶をすすって暫くここに休む。

      四

 茶屋から先は下り一方ではあるが、久しく歩行(ある)かぬためか、足の運びが鈍い、爪先が痛む、コムラが痛む、膝節がいたむ、(もも)がいたむ、(つい)には腰までも痛む、今からこんなことではと気を鼓しつつ進む。

 道は山の裾に沿うて、たえず左に暗い谷を見ながらゆく。(おお)(かぶ)さるように枝を延している紅葉の色の(うるわ)しさは、比ぶるにものがない。前には常盤木(ときわぎ)の繁れる源氏山が(そび)えている。後の方は今来た道を、遠く富士が頂きを見せている。源氏山の中腹を過ぎると、早川に沿うた連嶺が眼前に展開され、(はる)かに水の音がきこえる。細い白樺もチラホラ見える。草山の出鼻を曲ると、やや曇った西の空に、蝙蝠傘(こうもりがさ)(ひろ)げたような雪の山が現われた。

 待ち(こが)れた雪の山、私の足は地から生えたように動かなくなった。前には華やかな色の樺の若木が五、六本、後には暖い鼠色をした早川連嶺が、二重三重と輪廓を画く、その上から顔を出している雪の峰、白峰! 白峰!

 人夫はその名を知らなかった。地図も見たがあまりに南へ寄っているので北岳ではない。農鳥(のうとり)でもない、大井川を()えて赤石(あかいし)が見えるのかとも思った。後に聞いたら赤石山系の悪沢(わるさわ)岳であった。

 私どものゆく道は新道で、旧道七曲峠の方からは白峰もかなりよく見えるという。それを楽しみに歩を運んだ。急坂を下ると河原に出る。橋を渡ってまた水を遥かの下に見て、曲り曲りて北を指してゆく。

 渓の水音が遥かにきこえる。対岸に幾棟かの(わら)屋根が見える。そこは上湯島だという。長い釣橋が一直線に見える。(みつまた)や山桐や桑や、人の植えた木が道に沿うてチラホラ見える。焼畑には哀れな粟や豆が作られてある、村人が三三五五それらの穀物を刈っている。豆がらを焼く煙が紫に立ち昇って、鼠色の空にうすれてゆく。

「もう一里ほどです」と人夫はいう。道は細く、山から(すべ)り落ちた角のある石の片けが、土を見せない。急な下り道では、足は石車に乗って、心ならずも数間を走らねばならぬ。人夫の背負うていた私の写生箱は、いつか細引の(いまし)めを逃れて、カラカラと左の(たに)へ落ちた。ハッと思って下を(のぞ)くと、幸いに十数間の下で樹の根に(さえぎら)れて止まっている。崖は傾斜が急で下りられない。大迂回をして漸く拾い上げたが、一時は(わが)(こと)終れりと悲観したのであった。

 川に近く下って、右に曲ると、上り坂だ。湯川の水の音は耳を聾するようである。見上げると三階建の大きな家がある、右の崖の上にも新しい家が見える。前なるは古湯で後なるは新湯、私は新湯の玄関に荷物を下させた。

      五

 紺の裾短かな着物を着た若い女中が出て来た。黒光りの長い縁側を通って、初めに見た新しい二階の一室に入る、天井の低い、壁のない、畳の凸凹な、極めて粗末な部屋だが、新しいので我慢も出来よう。主人はやって来て「小島サンもこの室に御泊でした、この夏山岳会の大勢の御方の時は、ここと隣りの部屋とにおられました」と語る。親しい友の、幾夜さかを過した座敷かと思うと何となく懐かしい。

 着いた時に、パッと明るく障子に射していた午後二時の日の光は、三十分もたたぬうちに前の山に隠れてしまった。いまはまだ一日に一時間位い、この谷に日は照らすが、冬になると全く日の目を見ないそうだ。さぞ寒かろうと思う。

 浴衣を貸してくれる、珍しくも裾は(かかと)まである、人並より背の高い私は、貸浴衣の(たけ)は膝までにきまったものと、今まで思っていたのだ。

 浴槽は入口の近くにあって、五、六坪もあろう、中を二つに仕切ってあって、湯は中央のあたりに、竹樋から滔々(とうとう)と落ちている。玉を溶かしたように美しいが、少し微温(ぬる)いので、いつまでも(つか)っていなくてはならない。流し場もなければ桶一つない、あたりに水もない殺風景なものだ。湯は温微でも風邪にはかからぬと宿の人は保証する、風邪のときも湯に入ると治りますという、近在から来ている二、三の湯治客は、幾度も幾度も湯に入り、いつまでもいつまでも湯の中にいるのである。

 長火鉢、これはこの火鉢が出来て以来、中の灰は掃除したことがあるまい。きっとないと請合(うけあ)える位いの(きた)なさだが、火も炭も惜気もなく沢山持って来られるのは、肌寒き秋の旅には嬉しいものの一つである。宿から出してくれた凍りがけの茶受には手は出ない。持参の「ココア」を一杯飲んで、湯上りの身体を横たえた時はよい心持だった。

 縁に立って西の方を見ると、間近く山が(せま)って来て、下の方遥かに早川の水が僅かに見える。湯川に架れる釣橋も見える。紅葉はまだ少し早く、崖の下草のみ秋の色を誇っている。裏の窓を明けると、目の下に古湯の建物が見え、その背後に湯川が滝のように落下している。南の方からも水は来て、すぐ窓の下を轟々(ごうごう)と音たてて流れている。(たに)は狭い、信州上高地のように、湯に漬りながら雪の山を見るという贅沢(ぜいたく)は出来ない、明日は七曲峠の上で白峰を見たいものだと思う。

 ここから上湯島へ三十丁、下湯島へ一里、奈良田へは一里半もあるという、郵便は近頃毎日配達されるが、甲府から四日目でなくては着かぬそうだ。

      六

 その夜は快く眠った。明くれば天長節、満空一点の雲もない好天気だ。裏の滝壺で顔を洗う、握飯を腰にして平林道の峠を上る、幾十折、雑木を抜けると焼畑がある。また林に入る。暑さに苦しみながら十四、五丁も上ると、北の方に忽然(こつぜん)雪の山が現われた。白河内(しろこうち)岳という白峰連山の一部であるそうだが、この時はやはり名を知らない。高く上れば多く見えるわけだ。(あし)は痛いが勉強して上る。初め三角形に白かった山は、肌が見えて来る。赭色をした地辷(じすべ)りも露われてくる。もう少しもう少しと上るうちに、南の方にもまた一つ白い峰が顔を出す。これは昨日見た悪沢(わるさわ)岳だ。更に上り上って、終に一里あまりも来て、大きな山毛欅(ぶな)を前景に、三、四時間ばかり一生懸命に写生をした。

 日は南へ廻って、雪の蔭は淡くコバルト色になる。前岳は濃いオルトラマリンに変る。近くには半ば葉の()ちた巨木の枝が参差(しんし)として「サルオガセ」が頼りなげにかかっている。朝から人にも逢わぬ。獣も見ぬ、鳥さえも()かぬ、山中の白日は深夜よりもなお静かである。

 写生が終った時は、日もよほど傾いた。元の道を下ること十余丁、山と前景の色の面白いところで、一枚のスケッチをして宿に帰った。まだ四時前なのに、もうランプが()いていた。

      七

 四日は曇っていた。今にも降りそうなので躊躇(ちゅうちょ)したが、十時頃出て見た。まず下の早川の岸へゆく、二、三丁のところだけれど、石道の急坂で、途中に水溜りもあるので、下駄(げた)ではゆけない。脚絆(きゃはん)もつけ草鞋も穿()いて武装しなければならない。坂を下ると人の住まぬ古家がある。たけ高き草が茂っている、家の前には釣橋がある、針金を編んで、真中に幅広からぬ板が一枚置かれてある。夏の頃、湯の客が毎晩来ては動かして遊んだとかいうので、足をかけるとグラグラと揺れて、僅か四、五間の板を蹈むにもよい心持はしない。

 渡り終って、左の崖の崩れを()いて下ると小さな河原がある。上流から木を流す時、浅瀬に乗り岩に()かれたおりに、水の中心に押やるため、幾人かの山人が木と共に下って来る。その人たちの歩む道が、砂の上岩の角に印を止めている。粘板岩というのであろう。薄く()がれる黒い大きな岩を越えると、水際で、澄みわたった水は矢よりも早く流れてゆく、あたりには青い石も赤い石もある。霧のかかった上流の山、紅に染まった両岸の林、(うるわ)しい秋の絵が一枚出来そうである。

 私は、刻んで動く水を好まない。この川の上流は野呂川とよばれて、水は油のように、山影を浮べたまま静かに静かに流れているという、私はそういうところを画きたいが、この空模様で二里三里の奥へゆく勇気もなく、終にここの河原に写生箱を開くことにした。

 空は漸く暗くなって、水の色が鉛のように光る。霧の()れた山はおりおり頂を見せる。足下に流るる水を筆洗(ひっせん)に汲んで鼠色の雲を画き浅緑の岩を画く。傅彩(ふさい)画面の半ばにも至らぬころ、ポツリポツリと雨は落ちて来て、手にせるパレットの紅を散らし紫を溶かす、傘をかざしてやや暫くは辛抱したが、いつ()むとも思えぬ空合に、詮方なく宿に帰った。

 この夜、大雨の中を、宿のおかみさんは青柳から帰って来た。このあたりでは、六、七歳位いまでの子供を「ボコ」という、その「ボコ」を二人連れて、七里の山道を、天長節のお祭見物に青柳へ泊りがけで往っていたのだという。女中のお吉さんは、雨のふりしきる中を、一里あまり峠上の飴の茶屋まで出迎にゆき、「ボコ」を負うて帰って来たが辛かったとこぼす。お吉さんはさっぱりとした気性の、よく働く娘で、平林のものだという。おかみさんのお伴に往ったお春という女中も帰って来た。「お祭は面白かったかね」と問うたら「往きにも帰りにも、また青柳でも『ボコ』を背負い詰めで、何の面白いどころかからだが砕けそうだ」とこれも少からず不平をいっていた。

      八

 晩秋は雨の少い季節だのに、五日になってもまだ降っている。うす暗い座敷で写生を突ついたり書物を見たりして暮らす。ラスキンの伝記も見た。トルストイの「ホワット・イズ・アート」も読んだ。昼前に若い一人の男が来て、兎を一羽買ってくれという。副食物の単調に閉口しているおりだから早速三十銭で求める。いろいろ近所の山の話をして男は帰った。

 昼には兎を煮てきてくれた。おかみさんは鍋を火鉢にかけながら、兎の価が高いというてうるさいほど口小言をいう、こちらはそんなことはかまわない。塩引鱒(しおびきます)や筋の多い牛の「やまと煮」よりは、この方が結構である。

 退屈紛れに幾度も湯に入る。浴槽の天井には一坪ほどの窓があって、明放しだから、湯の中に雨が降り込む、入口も明け放しで、渓の紅葉の濡色(ぬれいろ)が美しい。湯に全身を浸している時は馬鹿に心持はよいが、出ると寒くってゾーっとする、も少し熱かったらと残念に思われる。

 雨の日や夜分は、便所の通いもいささか厄介(やっかい)である。母屋を離れて細い崖の上を二十間もゆくので、それもあまり綺麗ではない。時としては下駄のないこともある。あっても濡れていて無気味なこともある、夜は往々ただ一つの燈火が消えていて、谷へ落ちはしまいかとおそるおそる足を運ばなければならない。

      九

 六日には(ようや)く晴れた。結束して奈良田の方へ往った。白雲の去来(はげ)しく、少しく寒い朝であった。

 早川渓谷の秋は、いまは真盛りで、いたるところの草木の色は(うるわ)しい。細い細い道を辿ってゆくと、時として杉の林の小暗(おぐら)きところに出る、時として(まぶ)しいような紅葉の明るいところに出る、宿から半道も来た頃、崖崩れのために道は絶えた。

 見ると四、五十間の広さに、大石小石のナダレをなしている。幾百丈の上より幾十丈の渓底まで、八十度位い、殆ど直立同様の傾きで、あたかも滝のように、そして僅かの振動にも、石はカラカラと落ちて下りゆくほど勢いは加わり、初めの一つは忽ち十となり百となり千となりて、個々の発する恐しき叫びと共に、絶えず渓を埋めようとしている。五間おきには、小屋くらいある大きな岩が、今にも転がろうと、ただ一突の指先を待っているかのような姿勢で渓を(のぞ)いている。何という恐しい光景であろう。

 下草の(こす)れているところを、少し斜めに歩を移すと、向うの崖に通ずる一条の道がたえだえに見られる。崩れたところを、僅かの足がかりを求めて踏固めたのであろう。湯島から奈良田へゆく人、奈良田から湯島へ来る人は、この道を急いで通るのであろう。もし道の半ばにして、あの上の大きな石の一つが動いたなら、そのままこの早川渓の鬼とならねばならぬ。

 君子は危うきに近よらずという。私はここから引返そうと思った。虎穴に入らずんば虎児を得ずという。私は前へ進もうと思った。そして奈良田にゆけば雪の山が見えよう。雪の山を見たいという私の欲望は、終にこの危うき道を、三斗の冷汗を流しながらも通過さしたのである。

 幸いに事なく過ぎて私は(かえり)みた、そして帰途再びこの冒険を敢てしなければならぬと思うて、慄然(りつぜん)として恐れたのである。ゆくこと四、五丁、山角を廻ると、太く大なる山毛欅の木がある。その暗き枝を透かして、向うに見える明るき山の色の(うるわ)しさは、この世のものではない。(しばら)佇立(ちょりつ)したが、とても短い時間で写せそうもないので割愛して進んだ。

 沢近く下ってまた上ると、ボツボツ藁屋根が見える、中には石を()せた板屋根もある。白壁も見える、麦の畑桑の畑も見える、早川谷最奥の部落奈良田であろう。

 村に入ると、四、五人の子供が出て来た。いずれも目を大にして私を見上げ見下している。「異人だ異人だ」というのもある、「アンだろう」というのもある。無遠慮な一人はズカズカと傍へよって来て「オマイは誰だ」という、「この辺から白峰は見えるか」と問うと、「タケー見に来たのか、『メガネー』持ってるか、オマイの持っているのは何するンか」という「これは腰掛だ」と三脚を示したら、「コシイ掛けて、遠眼鏡でタケー岳見るのか」と肝心の山の見える見えないには答えもせでゾロゾロとあとについて来た。

      十

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