3話 三
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下宿生活の準備と登校準備で三四日経過した。出るときはあれもこれもと思って出ても、放浪的に歩いて何一つ買わないで帰る日もある。スパルテホルツの解剖図とラウベルの解剖学とを買う考えで、本屋の前まで来ると、学生が五六人もいてあまりにぎやかだから、そこにはいるのがいやでしばらくあたりをうろついてる間に、了見が変わり上野に行って、博物館を見たり、動物園を見たり、理屈もなく遊んでしまった日もある。それでも宿へ帰る時は、何か必要な用事があって歩いて来たというふうに、袴羽織に物の包みをかかえてさっさと帰って来る。宿の亭主や女房にていねいにあいさつされると少しおかしいけれど、いよいよまじめなふうをして通ってしまう。
こんなふうにやるのがかえっていいかも知れぬと思う。医書を買うのは、何かまじめな事務に取りかかるような気がしておっくうでならない。矢野はこういう調子に日を送るのが、自分には出来ないことなのを二三日自然にやり得たから、それが得意にも思われるけれど、なんとなし物足らなくも思われる。でも、しかたがないからできるようにやるさと、ひとりでおぼつかなく考えをまとめて寝てしまう。
中島も木島も時々来る。矢野もときどきふたりのところへゆく。ふたりはずいぶん乱暴にさわぎもするけれど、よく勉強もする。中島と木島とはもとより話の合うべき性質ではないが、矢野の目から見るふたりは、やろうと思う事を力かぎりやって、疲れては投げだしたように休む。する事がきびきびとしていて、苦労なんかは少しもないようだ。矢野には何をしたって、そうきびきびとはやれない。ふたりの話を聞けば、苦しくもあり心配もあるというけれど、矢野の目に映ずる彼等の苦しみとか心配とかいう事は、心の底からいうことではなく思われる。
鋭利なきりで物をとおす、もちろん相当な力を要するけれども、とおらぬ懸念はない。矢野がふたりを見る目はそうであるが、自分を考えると、先のとまったきりで物をとおそうとするような思いがしてならぬ。大木のいましめたのもここだ、なんでも君は心を心外に移せ、そうして心外の物事に興味を発見しろ、できるだけ自分を考えないようにせよ、といわれた。
先のとまったきりで無理にとおそうとするより、先の鋭がるようにせよとの心だ、わかってはいるがどうもそうばかり行かない、批評的にそばからみれば、わけのない事でも、自分の事となると、考えた通りにわが心がなってくれない。
中島や木島にはどうしても矢野の苦痛とするところはわからない。したがって三人が合っても、退屈しのぎのらちもない話ならば、ともに笑うこともできるけれど、真に思いやった話はできない。木島などはすこぶるおもしろい男だが、とうてい矢野の友ではない。足の弱い奴なんぞ相手にしていられるもんかと、自分の健脚に任せてさっさと友を置き去りにして行ってしまいそうに思われる。
それは木島ばかりではない。中島だってそうだ。いや世間の人はみんなそうだ。健康な人、位置のある人、学問のある人、金のある人、それぞれ自分の力に任せて、自分のやりたい事をやりつつ、人がどんなに困っていようとて、そんな事は見向きもしない。社会活動の渦からはねとばされ、もしくははねとばされんとしつつ、なにもかも思うようにできないで、失意に嘆いてる人などに、ひとりだって同情するものはない。同情するような口振りもし態度もするけれど、心の底から同情するものはひとりもないのだ。思うようにゆかないのが人世だなどと、社会の悲劇を慰みものにしてさわいでる人間が多い。
弱く生まれたのが自分の不幸には相違ないが、人間というものは実際いやなものだ。考えれば考えるほど生きているのがばかばかしくてならない。それだから世間には自殺する奴も多いのだ。さらばといって自殺したとて世間の奴らは屁とも思って見やしない。だから死ぬのもばかばかしい。なんだかいまいましくてたまらないような気がする。
矢野は手をふところにして机により掛かりながら、一筋にこう考えつめて来て、ハッと気づいた。また自分の事に考えが落ちてきた。おれはこれだからいけない、まったく病気のせいだろう。自分のなすべき事は、ただおっくうで気が向かなく、とかくこんなふうにばかり考え込む、こりゃいけない。
矢野はこうなると、いつでもすぐ大木のところへ出かける。矢野は大木に会えば、会ったばかりで胸のこりが半分とけてしまう。だから会っても深酷な話はひとつもない。例のごとく、こしゃこしゃした笑顔で、不順序に思う事をいう。矢野が少し話をすれば大木はすぐのみこんで同情する。抱いて暖めるような態度で、大木に慰められるとたわいもなく心が落ちつく。
「東京で君毎日何人ぐらいづつ人が死ぬと思う。おれは不仕合わせだ、おれにはなにもできないらしいと、一筋に思うその心が君を不仕合わせにするのだ。飢えて飢えてたまらない時ににぎりめし一つは君非常にうれしいだろう。人間は自分を零にしてかかれば、一日でも世に生きているということがありがたくなる。自分を不仕合わせにするような考えはやるもんでない。」
矢野も大学生だからこのくらいのことはわかってる。わかっておったとて、人間がそう無造作に自分を零にされるものではない。矢野は苦しくなれば大木の話を聞くよりほかに慰藉の道はないと思ってる上に、大木のいうことはさからうことのできない、適切な実証についての話だから、矢野もそれで心を決定せねばならぬように押しつけられる。
矢野はいよいよとなればすべての希望をなげうつことができるように思うけれど、ただ一つ悲しいことがある。容易に自分を零にできないことがある。それがためにわが運命の解決にまようほどの事なのだ。これはまだ大木に白状しない胸中の秘密で、いうまでもなくそれは恋だ。
矢野は手紙でしばしば大木にあかそうとしたけれど、あかす機会もなかった。今夜は口の先まで出かけたけれど、話のできない矢野はついに話す機会を失ってしまった。またこの事だけは大木に話しても、自分勝手に求めた苦悶でみだりに先輩たる人に語るべき事でないような気もする。これを軽々しく話すは自分の人格を傷つけるような気もする。病人のくせに恋もないもんだと思われるような恥ずかしい気もする。
自分からじゅうぶん胸を開いてしまわないのだから、今日ばかりは大木の慰藉によって、ことごとく胸の曇りをなくしたというわけにはゆかない。けれどそれでも帰りにはいつものごとく、心じょうぶに愉快になって、それほど失望するにも及ばないような心地で帰られた。
矢野は上京以来とにかく心にひまがなかった。今は登校の準備もととのい、しばらくぶりで、大木の話も聞き、幾分心にくつろぎができたところから、にわかにみ篶子の事を思うようになったのである。帰る道々み篶子の事ばかり思いつつ帰って来た。み篶子は矢野が父の友人の娘で今年まだ十六にしかならない。矢野が大学を卒業すれば、み篶子が矢野に嫁するということは、誰が話すともなくきまっている。み篶子は心が若くてまだとりとめた恋心もないらしいが、矢野は深くみ篶子を愛している。ふたりが直接に話し合ったことはないにしてもうたがいのある間がらではない。
元来矢野は意志の力が強く天品詩人的な男だから、浮薄な名誉心などに動かされる質ではないけれど、み篶子ゆえには世俗的の名誉も求めねばならないような気がしているのも事実である。み篶子という人がなかったらば、矢野は平気で一年休学したかも知れなかった。しかし矢野が幾多の不安をいだいて上京するに至ったのは深き家庭の事情に原因していることもちろんだ。