4話 崩れる鬼影(4)
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しかしながら恐いもの見たさという譬えのとおり、私はこわごわそッと目を開いてみました。すると、ああ、なんという不思議なことでしょう。猛然と突進していった筈の機関車が、急に速力も衰え、やがて反対にジリジリと後へ下ってくるのでありました。見ると、驚いたことに例の二人の怪人が、機関車の前に立って後へ押しかえしているのです。なんという恐ろしい力でしょう。それは到底人間業とは思われません。機関車はあえぎつつ、ジリジリと下ってくる一方です。
そのときピピーッと汽笛が鳴ると、こんどは機関車の方が優勢になったものか、逆に向うへジリジリと押しかえしてゆきます。怪人は機関車の前に噛りついたまま押しかえされてゆきます。まるで怪人と機関車の力較べです。しかし私はそのとき、変な事を発見しました。それは怪人の足が地上についていないということです。地上に足がつかないでいて、どうしてあのような力が出せるのでしょう。これは一向腑に落ちません。
「もしや……」
とそのとき気のついた私は、探照灯の光の下に、尚も怪人の身体を仔細に注意して見ました。
「おお、思ったとおりだッ」
私は思わず大きい声を立てました。怪人の身体は機関車にピタリと密着していないのです。怪人の身体と機関車との間には、三十センチほどの間隙があきらかに認められました。前に兄が谷村博士邸で、天井に逆にぶら下っていたとき、私は下から洋書を投げつけたことがあります。あのとき、どうしたものか、投げた洋書は兄の身体に当らずして、いつも三十センチほど手前でパッと跳ねかえるのでした。何か兄の身体の上に三十センチほどの厚さのものが蔽っている――としか考えられない有様でした。あとから兄に聞いたところによれば、あのとき兄は化物に胴中をギュッと締められているように感じたという話でした。
では、この場合、あの機関車を後へ押しているのは、あの怪人だけではなく、あの怪人に纏いついている化物の仕業ではありますまいか。イヤそうに違いありません。やっぱりあの化物です。しかし化物がどうして怪人と力を合わせているのでしょうか。
「何が思ったとおりだ」と兄が尋ねました。
「やっぱりあの化物が機関車を前から押しかえしているのですよ」
「ほう、お前にそれが解るか」
私はそのわけをこれこれですと、手短かに兄に話をしてきかせました。
ジリジリと機関車は尚も怪人を押しかえしてゆきました。そして機関車はとうとう、隧道の入口にさしかかりました。それでも機関車はグングン押してゆきます。怪人の姿は全く見えなくなりました。隧道の中に隠れてしまったのです。
そうこうしているうちに、突如として耳を破るような轟然たる大音響がしました。同時に隧道の入口からサッと大きな火の塊が抛りだされたように感じました。
グォーッ。ガラガラガラガラ。
天地も崩れるような物音とはあのときのことでしょう。私の耳はガーンといったまま、暫くはなにも聞こえなくなってしまいました
「隧道の爆発だッ」
「入口が崩れたッ」
という人々の立ち騒ぐ物声が、微かに耳に入ってきました。どうしたというのでしょう。
「うわーッ。逃げてきた逃げてきた」
「警官も鉄道の連中も、要領がいいぞオ」
そんな声も聞えます。
「あまりに乱暴じゃないですか。東京方面へ列車が出ませんよ」
と抗議しているのはどうやら兄らしいです。
「いや仕方が無い。報告の内容から推して考えると、ああするより外に道はないのです。むしろ思い切って決行したところを褒めてやって下さい。なにしろ化物は完全に隧道の中に生き埋めだ」
「隧道の向うが開いているでしょう」
「なに鴨の宮の方の入口も、あれと同時に爆発して完全に閉じてしまったのです。化け物は袋の鼠です。もうなかなか出られやしません」と白木警部は一人で感心していました。
後で詳しく聞いた話ですけれど、二人の怪人の戦慄すべき暴行について、小田原署の署長さんは一世一代の智慧をふりしぼって、あの非常手段をやっつけたのでした。その儘放って置けば、あの怪人や化物は何をするか判らないのです。お終いには東京の方へ飛んでいって空襲よりもなお恐ろしい惨禍を撒きちらすかも知れません。そんなことがあっては一大事です。署長さんは、あの怪人の背後に、例の化物団が居ると見て、これを釣り出すために機関車隊を編成させ、力較べをさせたのです。恐さを知らぬ化物団は、勝っているうちはよかったが、力負けがしてくると大焦りに焦って、大真面目に機関車を後へ押し返そうと皆で揃ってワッショイワッショイやっているうちに、いつの間にか隧道の中へ押し籠められたのです。それに夢中になっている間に、爆破隊が例の入口封鎖を見事にやってのけました。むろん機関車にのっていた警官や乗務員連中は爆破の前に車から飛び降りて、安全な場所までひっかえしてきたわけでありました。
こうして正体の解らない化物は封鎖されてしまった形ですが、こんなことで大丈夫でしょうか。化物はもう残っていないのでしょうか。残っていたら、それこそ大変です。それから気にかかるのは、谷村博士と黒田警官の行方です。それも今夜は尋ねようがありません。
警備の人々は帽子を脱いでホッと溜息を洩らしました。そして道傍にゴロリと横になると、積り積った疲労が一時に出て、間もなく皆は泥のような熟睡に落ちました。
山頂の怪
警備の人達の苦労を知らぬ気に、いくばくもなく東の空が白んできました。生き残った雄鶏が元気なときをつくると、やがて夜はほのぼのと明け放れました。
「やあ」
「やあ」
目醒めた警備の人々は、相手の真黒に汚れた顔を見てふきだしたい位でした。瞼は腫れあがり、眼は真赤に充血し、顔の色は土のように色を失い、血か泥かわからぬようなものが、あっちこっちに附着していました。しかしそれは自分の顔のよごれ方と同じであったのですが、始めは気がつきませんでした。
「化物はどうしたな、オイ巡視だッ」白木警部の呶鳴る声がしました。
私もその声に、ハッキリと目が醒めました。ハッと思って傍を見ると、一緒にいた筈の兄の荘六の姿が見えません。
「兄さん――」
呼んでみても、誰も返事をする者がありません。
「もしもし、兄を知りませんか」
「帆村君かネ」と警部さんも訝しそうにあたりを振りかえってみました。「そこにいたと思ったが、見えないネ」
私は急に不安になりました。
警部さんは巡視隊を編成すると、勇しく先頭に立って歩きはじめました。
「私も連れていって下さい」
「ああ、恐ろしくなければ、ついて来給え」
そういって呉れたので、私も隊伍のうしろに随って歩き出しました。
歩いているうちにも、化物の封鎖された隧道のことよりも、兄のことが心配になってたまりません。私はあたりをキョロキョロ眺めながら歩いてゆくので、幾度となく線路や枕木に蹴つまずいて、倒れそうになりました。
隧道の入口に近づいてみますと、昨夜とはちがって白昼だけにその惨状は眼もあてられません。崩れた岩石の間から、半分ばかり無惨な胴体をはみ出している機関車、飛び散っている車輪、根まで露出している大きな松の樹など、その惨状は筆にも紙にもつくせません。しかし幸いにも、一向あとから掘りかえした跡もありません。まず西口は大丈夫だということがわかりました。
一行はなおも隧道の全体にわたって異状がないかどうかを調べるために、崩れた崖をよじのぼって、隧道の屋根にあたる山の上を綿密に検べてゆくことになりました。
「どうやら大丈夫のようだね」
「すると化物は、皆この足の下に閉じこめられているというわけなんだな」
巡視隊の警官も、さすがに気味わるがって、足音をしのばせて歩いていました。
「オヤッ」
「オヤ、これはどうだ」
「オヤオヤオヤオヤ」
安心しきっていた一行は、急に壁につきあたりでもしたかのように、立ち止りました。私も遅れ馳せに駈けつけてみましたが、鳴呼これは一体どうしたというのでしょう。山の上に、まるで噴火口でもあるかのように、ポッカリと大穴が明いているのです。穴から下を覗いてみますと、底はどこまでも続いているとも知れず、真暗見透しがつきません。
「こんな穴は、以前から有ったろうか」白木警部は不安に閃く眼を一同の方に向けました。
「いいえ、ありませんです。ここはずッと盆地のように平になっていて、青い草が生えていたばかりですよ」
「ほほう、すると何時の間に出来たのだろうか」
「もしや……」
「もしや何だッ」と警部は声をはりあげて聞きかえしました。
「もしや、あの化物が明けたのでは……」
「そんなことかも知れん。天井の壁さえ抜けば、あとは軟い土ばかりだったのかも知れない」
「すると化物は、どッどこに……」
「さあ――」と警部が不図傍らの土塊に眼をうつしますと、妙なものを発見しました。
「おお、そこに人間の足が見えるではないか」
一行はあまりに近くへ寄りすぎて、穴ばかりに気をとられ、傍らの堆高い土塊に気がつかなかったのです。そこから二本の足がニョッキリと出ています。全く裸の脚です。誰の足でしょう。行方不明になった谷村博士も黒田警官も洋服を着ている筈です。兄は私と同じく和服でありました。するとこの裸の足は、ああ……
私はそう思うと、頭がクラクラとしました。謎を包んだ大きい穴が、急にスーと小さくなって、釦の穴ほどに縮まったような気がいたしました。それっきりでした。私は大きい衝動にたえきれないで、恐ろしい現場を前に、あらゆる知覚を失ってしまいました。暗い世界に落ちてゆくような気がしたのが最後で、なにもかも解らなくなったのです。
覚醒のあと
或るときは、月光の下に、得体の知れぬ鬼影を映しだす怪物、また或るときは、変な衣裳を着て闊歩する怪物、その怪物を、うまく隧道の中に閉じこめたつもりであった警官隊でありましたが、隧道の上に、なんとしたことか、大きい穴が明いていたのです。もしやこれが、怪物の逃げ出した穴ではないかしらと、白木警部はじめ一同が、その穴の縁に近づいたとき、傍らの盛土の中から、二本の足がニョッキリ出ているのを発見して大騒ぎになり、私は、その足の主が、きっと兄の帆村荘六だろうと考え、なんという浅ましい光景を見るものかなと思ったとき、気を失ってしまいました。――と、そこまではお話しましたっけネ。
それから、どのくらい経ったのか、私には時間の推移がサッパリ解りませんでした。フッと気がついたときには、あの凄惨な小田原の隧道の上かと思いの外、身はフワリと軟いベッドの上に、長々と横になっているのでありました。
「ああーッ」
私は思わず、声を放ちました。(ああ、気がついたようだ)(もう大丈夫)などという囁きがボソボソと聞えます。ハッと気がついて周囲をキョロキョロと見廻すと、これはどうしたというのでしょう。傍らに立って、こちらへ優しく笑額を向けているのは、あの悲歎の主、谷村博士の老夫人だったのです。いや駭きと意外とは、そればかりではありません。いまのいままで、惨死したとばかり思っていた兄の荘六までが、警官や手術衣の人達の肩越しに、私の方を向いてニコニコ笑っているではありませんか。ああ私は何か夢を見ていたのでしょうか。
「に、にいさん――」
「おお、気がついたナ、民ちゃん」
兄は私の手を握ると、顔を寄せました。
「どうしたんです。兄さん。――博士夫人も笑っていらっしゃるじゃありませんか」
「はッはッ。では夫人に訳を伺ってごらん」
「イエあたくしからお話申しましょうネ。早く申せば、私のつれあい――つまり谷村が無事で帰って来たのです。兄さんたちのお骨折りの結果です」
「どうして無事だったんです。誰か死んでいましたよ、隧道の上で……」
「あれなら大丈夫。あれは僕だったんですよ」
と、そういって脇から逞しい男が出て来ました。見れば、どこかで見たような顔です。
「僕――黒田巡査です」
「ああ、黒田さん」
「僕が土に埋められたところを、皆さんで掘り出して下すったのです。僕だけではなく、博士も助かったんです。これは怪物が隧道から飛び出すときに、私達を土と一緒に跳ねとばして埋めてしまったんです」
「ああ、すると怪物はやはり隧道から逃げてしまったのですネ」
「そうです、逃げてしまったのです――但し一匹を除いてはネ」
「一匹ですって?」私は思わず大声に訊きかえしました。「一匹は逃げなかったんですか」
「そうなんだよ、民ちゃん」と今度は兄が横から引取って云いました。「一匹だけ、僕等の手に捕えることができたんだよ。それも、お前の手柄から来ているんだ」
「手柄ですって? なんだか、なにもかも判らない尽しだナ」
「そうだろう。いや、夜が明けると、何も彼もが、まるで様子が違っちまったのだからネ」
そういって、やがて兄が顛末を話してくれました。それはまったく思いもかけなかったような新事実でありました。
谷村博士の研究録
兄は、私から渡された例の白毛のことを思い出し、それの正体を一刻も早く知りたい気持で一ぱいで、小田原の警備隊の中からひとり脱け出でると、この谷村博士邸へ帰ってきたのだそうです。私はいま、博士邸に来ているのだそうですから、驚きますネ。
兄はこの怪物について、きっと博士の研究があるものだと考え、博士夫人の力を借りて研究室をいろいろ探したのです。すると果して書類函の一つの抽出に、「月世界の生物について」と題する論文集を発見いたしました。
怪物が月に関係のあることは、兄はすでに感づいていたそうです。それでパラパラと論文を開いてゆくうちに、次のような文面を発見しました。
「月世界には、一つの生物がいるが、それは殆んど見わけがつかない。それは人間の眼では透明としか見えない身体をもっているからだ。その生物は形というものを持っていない。まるで水のように、あっちへ流れ、こっちへ飛びする。そして思いのままの形態をとることができる。液体的生物だ。アミーバーの発達した大きいものだと思えばよい。この生物は、もし地球上で大きくなったとしたら、必ず人間や猿のように固体となるべきものであるが、月世界の圧力と熱との関係で、液体を保って成長したのである。
恐らくこの生物は、アミーバーから出発したもので、人間より稍すぐれた智慧をもっているものと思われる。それは、今日盛んに、この地球へ向って、信号を送っているからである。人間界には、この生物のあることを知っている者が殆んど居ない。それはあの透明な月の住民たちの身体を見る方法がなかったからだ。然るに予は、特殊の偏光装置を使って、これを着色して認めることに成功した。その装置については、別項の論文に詳解しておいた。
ここに注意すべきは、このルナ・アミーバーとも名付くべき生物は、地球の人類に先んじて月と地球との横断を試みたい意志のあることである。おそらく、それは成功することであろう。彼等は地球へ渡航したときに、身体の変質変形をうけることを恐れて、何かの手段を考え出すことであろうと思われる。予の考うるところでは、多分そのルナ・アミーバーは身体を耐熱耐圧性に富み、その上、伸縮自在の特殊材料でもって外皮を作り、その中に流動性の身体を安全に包んで渡航してくるであろう。その材料について、予は左記の如き分子式を想像するが、この中には、地球にない元素が四つも交っているので、もしルナ・アミーバーが渡来したときには、面白い研究材料が出来ることであろう、云々」
ルナ・アミーバーという、透明で、流動性の生物があることは、博士の論文を見て始めて知ったのです。これは恐らく、博士夫妻の外に知った人間は、兄が最初だったことでしょう。兄は勇躍して、その白毛のようなものをポケットから取り出しました。これは私が曾て、壊れた窓硝子の光った縁から採取したものでした。あの怪物が室内から飛び出すときに、鋭い硝子の刃状になったところで、切開したものと思います。
兄は理学士ですから、スペクトル分析はお手のものです。博士の研究室のスペトロスコープを使って、その白毛みたいなものを、真空容器の中で熱し、吸収スペクトルを測定してみました。すると、どうでしょう。その結果が、博士の論文に掲げられた分子式と、ピッタリ一致したのです。
「ああ、ルナ・アミーバーだッ。ルナ・アミーバーの襲来だッ」
兄は、気が変になったように、その室の中をグルグル廻って歩いたのです。
「どうしたのです、帆村さん」
と博士夫人が階下から駈けつけられる。説明をしているうちに、夜がほのぼのと明けはなれ、そこへ白木警部一行が、掘り当てた谷村博士と黒田警官とを護って、急行で引っかえして来たのでありました。
博士も黒田警官も、殆んど死人のように見えましたが、博士の用意してあった回生薬のお蔭で、極く僅かの時間に、メキメキと元気を恢復することが出来たのだそうです。
この不思議な話を聞いて、私はもう寝ているわけにはゆかなくなりました。そして皆の停めるのも聞かず、ガバと床の上に、起き直りました。
室の向うは、博士の研究室です。なんだかモーターがブルンブルンと廻っているような音も聞え、ポスポスという喞筒らしい音もします。イヤに騒々しいので、私は眉を顰めました。
「だから無理だよ。もっと寝ていなさい」と兄はやさしく云いました。
「イヤ身体はいいのです。もう大丈夫。――それよりも向うの部屋で、一体なにが始まっているんですか」
「はッはッ、とうとう嗅ぎつけたネ」と兄は笑いながら、「あれはネ、たいへんな実験が始まっているのだ」
「大変て、どんな実験ですか」
「実はルナ・アミーバーを一匹掴えたんだ。そいつは、この門の近くの沼に浮いているのを見付けたんだ。なにしろ沼の水面が、なんにも浸っていないのに、一部分が抉りとったように穴ぼこになっていたのだ。地球の上ではあり得ない水面の形だ。それで、この所にルナ・アミーバーが浮いているんだなということが判ったんでいま引張りあげ、博士が先頭に立って実験中なんだ」
「私にも見せて下さい――」
私はもうたまらなくなって、寝台の上から滑り下りました。
ルナ・アミーバーの実験