誤まれる姓名の逆列

1話 誤まれる姓名の逆列

3,174字 約6分 2007年12月2日 公開

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       一 姓名の由來と順位

 わが(はい)はかつて『國語尊重(こくごそんちやう)』と(だい)して、わが(くに)固有(こいう)言語(げんご)(こと)固有名(こいうめい)尊重(そんちやう)せらるべきゆゑんをのべた。(いま)またこれに關聯(くわんれん)して、わが國民(こくみん)姓名(せいめい)()(かた)について一(げん)したいと(おも)ふ。

 わが(くに)姓名(せいめい)發生(はつせい)發達(はつたつ)歴史(れきし)はこゝに()べないが、(えう)するに今日(こんにち)吾人(ごじん)(せい)(しやう)するものは(じつ)は苗字といふべきもので、苗字と姓と(うじ)とはその出處(でどころ)(こと)にするものである。

 (せい)元來(ぐわんらい)身分(みぶん)分類(ぶんるゐ)で、(たと)へば(おみ)(むらじ)宿禰(すくね)朝臣(あそん)などの(るゐ)であり、(うぢ)家系(かけい)分類(ぶんるゐ)で、(たと)へば藤原(ふじはら)(みなもと)(たひら)菅原(すがはら)()などの(るゐ)である。

 苗字(めうじ)個人(こじん)(いへ)()で、(おほ)くは土地(とち)()()つたものである。(たと)へば那須の()一、熊谷の直實(なほざね)、秩父の重忠(しげたゞ)、鎌倉の(ごん)(らう)、三浦の大介(おほすけ)、佐野の源左衛門(げんざゑもん)といふの(るゐ)である。

 (むかし)苗字(めうじ)武士階級(ぶしかいきふ)以上(いじやう)(かぎ)られたが、維新(いしん)以來(いらい)(しやう)町人(ちやうにん)(すべ)苗字(めうじ)(ゆる)されたので、種々雜多(しゆ/″\ざつた)苗字(めうじ)出現(しゆつげん)し、苗字(めうじ)(うぢ)とも(せい)とも()(こと)になつて今日(こんにち)にいたつたのである。

 わが(くに)固有(こいう)風俗(ふうぞく)として家名(かめい)尊重(そんちやう)する關係上(くわんけいじやう)當然(たうぜん)苗字(めうじ)(さき)にし()(あと)にし、苗字(めうじ)()とを連合(れんがふ)して一つの固有名(こいうめい)(かたち)づくり、これを(もつ)個人(こじん)名稱(めいしやう)としたので、苗字(めうじ)(さき)にするといふことに、歴史的意味(れきしてきいみ)深長(しんちやう)なるものがあることを(かんが)へねばならぬ。

 東洋民族(とうやうみんぞく)(がい)して苗字(めうじ)(さき)にし()(あと)にするの風習(ふうしふ)である。支那人(しなじん)はその適例(てきれい)である。

 ヨーロツパでもハンガリーなどでは(すなは)ちマギアール(ぞく)東洋民族(とうやうみんぞく)であるから、苗字(めうじ)(さき)にし、()(あと)にする。

 西洋(せいやう)では(いへ)よりも個人(こじん)尊重(そんちやう)するの風習(ふうしふ)から()たのか(いな)かよく()らぬが、(がい)して(せい)(あと)にし()(さき)にする。

 ジヨージ・ワシントン。ジヨン・ラスキン。ジエームス・ワツト。ペーテル・ペーレンス。バウル・ゴーガンなどの(るゐ)で、前名(ぜんみやう)(すなは)個人(こじん)のキリスト教名(けうめい)後名(こうめい)(すなは)家族名(かぞくめい)である。

 印度(いんど)地理上(ちりじやう)東洋(とうやう)(ぞく)するが、民族(みんぞく)がアールヤ(けい)であるから、矢張(やは)()(さき)にし(せい)(あと)にする。ラビンドラナート・タゴールといへば、前名(ぜんみやう)(すなは)個人名(こじんめい)で、後名(ごめい)のタゴールは家名(かめい)である。

       二 歐風模倣の惡例

 現今(げんこん)日本(にほん)では、歐文(おうぶん)通信(つうしん)著作(ちよさく)や、その()各種(かくしゆ)(ぶん)()場合(ばあひ)に、その署名(しよめい)歐米風(おうべいふう)にローマ()()(さき)(せい)(あと)()くことにしてゐるが、これは由々(ゆゝ)しい誤謬(ごべう)である。(ちひ)さい問題(もんだい)のやうで(じつ)重大(ぢうだい)なる問題(もんだい)である。

 わが(はい)()伊東忠太(いとうちうた)であつて、忠太伊東(ちうたいとう)ではない。苗字(めうじ)()とを連接(れんせつ)した伊東忠太(いとうちうた)といふ一つの固有名(こいうめい)を二つに切斷(せつだん)して、これを逆列(ぎやくれつ)するといふ無法(むはふ)なことはない(はず)である。

 個人(こじん)固有名(こゆうめい)神聖(しんせい)なもので、それ/″\(ふか)因縁(いんねん)(ゆう)する。みだりにこれをいぢくり(まは)すべきものでない。

 (しか)るに今日(こんにち)(ぱん)にこの轉倒(てんたふ)逆列(ぎやくれつ)(もち)ゐて(あや)しまぬのは、畢竟(ひつきやう)歐米文明(おうべいぶんめい)渡來(とらい)(さい)何事(なにごと)歐米(おうべい)風習(ふうしう)模倣(もほう)することを理想(りさう)とした時代(じだい)に、何人(なにびと)かゞ()かる惡例(あくれい)(つく)つたのが(つひ)に一つの慣例(くわんれい)となつたのであらう。

 今更(いまさら)これを(あらた)めて苗字(めうじ)(さき)にし()(のち)にするにも(およ)ばない。餘計(よけい)(こと)であるといふ(ひと)もあるが、わが(はい)はさうは(おも)はない。(あやま)ちて(あらた)むるに(はゞか)るなかれとは先哲(せんてつ)名訓(めいくん)である。

 (いは)んや()しも歐米流(おうべいりう)姓名(せいめい)轉倒(てんたふ)するときは、こゝに覿面(てきめん)(おこ)難問(なんもん)がある。それは過去(くわこ)歴史的人物(れきしてきじんぶつ)()(とき)如何(いか)にするかといふ(こと)である。

 徳川家康(とくがはいへやす)()かずして家康徳川(いへやすとくがは)といい、楠正成(くすのきまさしげ)()かずして正成楠(まさしげくすのき)といひ、紀貫之(きのつらゆき)()かずして貫之紀(つらゆきき)といふべきか。これは餘程(よほど)(へん)なものであらう。

 過去(くわこ)(ひと)姓名(せいめい)順位(じゆんゐ)にならべ、現在(げんざい)(ひと)逆轉(ぎやくてん)してならべるといふが(ごと)きは勿論(もちろん)不合理(ふがふり)であるばかりでなく、實際(じつさい)においてその取扱(とりあつか)(かた)(きう)することになる。

 この(てん)において支那(しな)はさすがに徹底(てつてい)してゐる。如何(いか)なる場合(ばあひ)にも姓名(せいめい)轉倒(てんたう)するやうな()(えん)じない。

 張作霖(てうさくりん)如何(いか)なる場合(ばあひ)にも作霖張(さくりんてう)とは名乘(なの)るまい。李鴻章(りこうせう)世界(せかい)何國(なにぐに)(ひと)にも鴻章李(こうせうり)()ばれ、または()かれたことがない。

 世界(せかい)何國(なにぐに)(ひと)支那(しな)では(せい)(さき)にし、()(あと)にすることを()つてをり、支那(しな)風習(ふうしふ)(したが)つてゐる。世界(せかい)何國(なにぐに)(ひと)日本(にほん)では(せい)(さき)にし、()(あと)にすることを()つてゐる(はず)であるが、日本人(にほんじん)率先(そつせん)して(みづか)姓名(せいめい)轉倒(てんたふ)するから、外人(ぐわいじん)もこれに(したが)ふのである。

       三 彼我互に慣習を尊重せよ

 或人(あるひと)は、日本人(にほんじん)(みづか)姓名(せいめい)轉倒(てんたふ)して()(こと)國際的(こくさいてき)有意義(ゆういぎ)であり、歐米人(おうべいじん)のために便宜(べんぎ)(おほ)きのみならず、吾人(ごじん)日本人(にほんじん)()つても都合(つがふ)がよいといふが、自分(じぶん)はさう(おも)はぬ。

 結局(けつきよく)無識(むしき)歐米人(おうべいじん)をして、日本(にほん)でも(せい)(あと)()(まえ)()風習(ふうしふ)であると誤解(ごかい)せしめ、有識(ゆうしき)歐米人(おうべいじん)をして、日本人(にほんじん)固有(こゆう)風習(ふうしふ)()てゝ外國(ぐわいこく)慣習(くわんしふ)にならうは如何(いか)にも外國(ぐわいこく)(たい)して柔順過(じうじゆんす)ぎるといふ怪訝(けげん)(かん)(おこ)さしむるに()ぎぬと(おも)ふ。

 それよりも、吾人(ごじん)(かなら)(つね)姓前(せいぜん)名後(めいご)徹底的(てつていてき)勵行(れいかう)し、世界(せかい)日本(にほん)國風(こくふう)了解(れうかい)させたならば各國(かくこく)(ひと)日本(にほん)慣例(くわんれい)尊重(そんちよう)してこれに(したが)ふに相違(さうゐ)ない。

 餘談(よだん)(わた)るが(そう)じて歐米(おうべい)慣習(くわんれい)日本(にほん)慣習(くわんしふ)とが(まつた)正反對(せいはんたい)である實例(じつれい)(はなは)(おほ)い。

 (たと)へば年紀(ねんき)(しる)すのに、日本(にほん)では(ねん)(げつ)()(だい)より(せう)()り、歐米(おうべい)では、()(げつ)(ねん)(ぎやく)(せう)より(だい)()る。

 所在(しよざい)(しる)すのに、日本(にほん)では、(くに)府縣(ふけん)()(ちやう)番地(ばんち)(だい)より(せう)()るに、歐米(おうべい)では、番地(ばんち)(ちやう)()府縣(ふけん)(くに)と、(ぎやく)(せう)より(だい)()る。

 日本人(にほんじん)歐文(おうぶん)()場合(ばあひ)、この慣例(くわんれい)尊重(そんちよう)して、(せう)より(だい)()るのは差支(さしつかへ)ないが、その(うち)固有名(こいうめい)斷然(だんぜん)いぢくられてはならぬ。

 (たと)へば地名(ちめい)(なか)にも姓名(せいめい)(そな)ふるらしいのがあるが、この場合(ばあひ)姓名(せいめい)轉倒(てんたふ)するのは絶對(ぜつたい)不可(ふか)である。

 東京市(とうきやうし)の「櫻田本郷町(さくらだほんごうちやう)」を「本郷町(ほんごうちやう)櫻田(さくらだ)」としてはいけない。鐵道(てつだう)驛名(えきめい)の「羽前向町(うぜんむかふまち)」を「向町(むかふまち)羽前(うぜん)」としてはいけない。(おな)理由(りゆう)で「伊東忠太(いとうちうた)」を「忠太伊東(ちうたいとう)」としてはいけないのである。

 日本人(にほんじん)歐文(おうぶん)飜譯(ほんやく)するとき、年紀(ねんき)所在地(しよざいち)()(かた)は、これを日本流(にほんりう)(だい)より(せう)への筆法(ひつぱふ)(なほ)すが、固有名(こゆうめい)矢張(やは)尊重(そんちよう)して(かれ)筆法(ひつぱふ)(したが)ふのである。

 (たと)へばジヨージ・ワシントンと()(さき)(せい)(あと)にして、日本流(にほんりう)にワシントン・ジヨージとは()かない。

 (しか)らば歐米人(おうべいじん)日本(にほん)固有名(こゆうめい)日本流(にほんりう)()くのが當然(たうぜん)であり、日本人(にほんじん)(みづか)らは、なほ(さら)徹底的(てつていてき)日本固有(にほんこゆう)慣習(くわんしふ)(したが)ふのが、當然過(たうぜんす)ぎる(ほど)當然(たうぜん)ではないか。

       四 斷じて姓名を逆列するな

 わが(はい)のこの所見(しよけん)(たい)して、或人(あるひと)はこれを學究(がくきう)過敏(くわびん)なる迂論(うろん)であると(へう)し、齒牙(しが)にかくるに()らぬ些細(ささい)問題(もんだい)だといつたが、自分(じぶん)にはさう(かんが)へられぬ。

 これは()つてわが(はい)が「國語尊重(こくごそんちよう)」の題下(だいか)でわが(くに)國號(こくがう)日本(にほん)であるのに、外人(ぐわいじん)訛傳(くわでん)追從(つひじう)して(みづか)らジヤパンと名乘(なの)るのは國辱(こくじよく)であると(ろん)じたのと(おな)筆法(ひつぱふ)で、姓名轉倒(せいめいてんたふ)矢張(やは)り一つの國辱(こくじよく)であると(おも)ふのである。

 或人(あるひと)(また)いつた、(なんぢ)所論(しよろん)は一理窟(りくつ)あるが實際的(じつさいてき)でない。(なんぢ)歐文(おうぶん)年紀(ねんき)(しる)すとき西暦(せいれき)(もち)ゐて神武紀元(しんむきげん)(もち)ゐないのは何故(なにゆえ)か、いはゆる自家撞着(じかどうちやく)ではないかと。

 わが(はい)はこれについて一(げん)(べん)じて()きたい。年紀(ねんき)時間(じかん)(はか)基準(きじゆん)問題(もんだい)である。これは國號(こくがう)姓名(せいめい)などの固有名(こゆうめい)問題(もんだい)とは全然(ぜん/″\)意味(いみ)(ちが)ふ。

 歐文(おうぶん)日本歴史(にほんれきし)()くとき、便宜上(べんぎじやう)日本年紀(にほんねんき)(とも)西歴(せいれき)(ちう)して彼我(ひが)對照(たいせう)便(べん)()するは最適當(さいてきたう)方法(はうはふ)であり、歐文(おうぶん)歐洲歴史(おうしうれきし)()くとき、西歴(せいれき)(したが)ふは勿論(もちろん)である。

 (えう)するに世間(せけん)(いま)固有名(こゆうめい)なるものゝ意味(いみ)了解(れうかい)してをらぬのであらう。固有名(こゆうめい)普通名(ふつうめい)(どう)程度(ていど)()てゐるのであらう。

 普通名(ふつうめい)(いた)(ところ)稱呼(せうこ)(こと)にするが、固有名(こゆうめい)絶對性(ぜつたいせい)のものであり、一あつて二なきものである。

 (すなは)日本人(にほんじん)姓名(せいめい)()()二である。(せい)(めい)連續(れんぞく)して一つの固有名(こゆうめい)(かたち)づくる。

 外人(ぐわいじん)がこれを如何(いか)取扱(とりあつか)はうとも、それは外人(ぐわいじん)勝手(かつて)である。たゞ吾人(ごじん)(だん)じて外人(ぐわいじん)取扱(とりあつか)ひに模倣(もほう)し、(せい)(めい)とを()(はな)しこれを逆列(ぎやくれつ)してはならぬ。

 それは丁度(ちやうど)日本(にほん)國號(こくがう)外人(ぐわいじん)(なん)()(なん)()かうとも、吾人(ごじん)(かなら)(つね)日本(にほん)()日本(にほん)()かねばならぬのと(おな)理窟(りくつ)である。(完)

(大正十五年二月「東京日日新聞」)

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