日本建築の発達と地震

1話 日本建築の発達と地震

4,600字 約9分 2007年12月6日 公開

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       一 太古の家と地震

 (むかし)歐米(おうべい)旅客(りよきやく)日本(にほん)()て、地震(ぢしん)のおほいのにおどろくと同時(どうじ)に、日本(にほん)家屋(かをく)が、こと/″\く軟弱(なんじやく)なる木造(もくざう)であつて、しかも高層建築(かうそうけんちく)のないのを()て、これ畢竟(ひつきやう)地震(ぢしん)(たい)する災害(さいがい)輕減(けいげん)するがためであると(かい)してくれた。

 何事(なにごと)外國人(ぐわいこくじん)(せつ)妄信(まうしん)する日本人(にほんじん)は、これを()いて(おほ)いに感服(かんふく)したもので、識見(しきけん)高邁(かうまい)(せう)せられた()岡倉(をかくら)(かく)()(ごと)きも、この(せつ)敷衍(ふえん)して日本美術史(にほんびじゆつし)劈頭(へきとう)にこれを高唱(かうしやう)したものであるが今日(こんにち)においても、なほこの(せつ)(しん)ずる(ひと)(すくな)くないかと(おも)ふ。

 (すくな)くとも日本建築(にほんけんちく)古來(こらい)地震(ぢしん)考慮(かうりよ)(なか)(くは)へ、材料(ざいれう)構造(こうさう)工風(くふう)()らし、(つひ)特殊(とくしゆ)耐震的樣式手法(たいしんてきやうしきしゆはふ)大成(たいせい)したと推測(すゐそく)する(ひと)(すくな)くないやうである。

 ()はこれに(たい)して(まつた)反對(はんたい)意見(いけん)をもつてゐる。(いま)(こゝろ)みにこれを()べて()批評(ひへう)()ひたいと(おも)

         *     *     *     *     *

 外人(ぐわいじん)地震説(ぢしんせつ)は一(けん)(はなは)適切(てきせつ)であるが(ごと)くであるが、(えう)するにそは、今日(こんにち)世態(せたい)をもつて、いにしへの世態(せたい)(りつ)せんとするもので、いはゆる自家(じか)(ちから)(もつ)自家(じか)強壓(けうあつ)するものであると(おも)ふ。

 換言(くわんげん)すれば、一(しゆ)自家中毒(じかちうどく)であると(おも)ふ。

 そも/\日本(にほん)には天地開闢以來(てんちかいびやくいらい)(ほとん)連續的(れんぞくてき)地震(ぢしん)()こつてゐたに相違(さうゐ)ない。その程度(ていど)安政(あんせい)大正(たいしやう)大震(だいしん)同等(どうとう)()しくはそれ以上(いじやう)のものも(すくな)くなかつたらう。

 しかし太古(たいこ)における日本(にほん)世態(せたい)(けつ)してこれが(ため)(だい)なる慘害(さんがい)(かうむ)らなかつたことは明瞭(めいれう)である。

 太古(たいこ)日本家屋(にほんかおく)は、匠家(せうか)のいはゆる天地根元宮造(てんちこんげんみやづくり)(しやう)するもので無造作(むざうさ)()ごろの()合掌(がつしやう)(しば)つたのを地上(ちじやう)()てならべ棟木(むなぎ)(もつ)てその(いたゞき)()(わた)し、(くさ)(もつ)測面(そくめん)(おほ)うたものであつた。

 つまり木造(もくざう)草葺(くさふき)の三角形(かくけい)屋根(やね)ばかりのバラツクであつた。

 いつしかこれが發達(はつたつ)して、(はしら)()てゝその(うへ)に三(かく)のバラツクを()せたのが今日(こんにち)普通民家(ふつうみんか)原型(げんけい)である。

 ()くの(ごと)材料(ざいれう)構造(こうざう)矮小(わいせう)軟弱(なんじやく)なる家屋(かをく)(ほとん)如何(いか)なる激震(げきしん)もこれを潰倒(くわいたう)することが出來(でき)ない。

 たとひ潰倒(くわいたう)しても(ひと)生命(せいめい)危害(きがい)(あたふ)ることは(まづ)ないといつてもよい。

 (すなは)太古(たいこ)國民(こくみん)は、頻々(ひん/\)たる地震(ぢしん)(たい)して、案外(あんぐわい)平氣(へいき)であつたらうと(おも)ふ。

       二 何故太古に地震の傳説がないか

 頻々(ひん/\)たる地震(ぢしん)(たい)しても、古代(こだい)國民(こくみん)案外(あんぐわい)平氣(へいき)であつた。いはんや太古(たいこ)にあつては都市(とし)といふものがない。

 こゝかしこに三々五々のバラツクが散在(さんざい)してゐたに()ぎない。巨大(きよだい)なる建築物(けんちくぶつ)もない。

 たとひ(ある)一二の(いへ)潰倒(くわいたう)しても、(ひき)つゞいて火災(くわさい)()こしても、それは(ほとん)問題(もんだい)でない。

 罹災者(りさいしや)(たゞち)にまた(みづか)自然林(しぜんりん)から()()つて()咄嗟(とつさ)()にバラツクを(つく)るので、(がう)生活上(せいくわつじやう)苦痛(くつう)(かん)じない。

 いはんやまた(いへ)(つぶ)すほどの大震(たいしん)は、一(しやう)に一()あるかなしである。太古(たいこ)(たみ)(なん)地震(ぢしん)(おそ)れることがあらう。また(なん)(いへ)耐震的(たいしんてき)にするなどといふ(かんが)へが()こり()やう。

 それよりは(すこ)しでも(うつく)しい立派(りつぱ)な、快適(くわいてき)(いへ)(つく)りたいといふ(かんが)へが先立(さきだ)つて()たらねばならぬ。

 ()しも太古(たいこ)において國民(こくみん)が、地震(ぢしん)をそれほどに(おそ)れたとすれば、當然(たうぜん)地震(ぢしん)(くわん)する傳説(でんせつ)太古(たいこ)から發生(はつせい)してゐる(はず)であるが、それは(とん)見當(みあ)たらぬ。

 (だい)日本(にほん)神話(しんわ)地震(ぢしん)(くわん)する(けん)がないやうである。

 有史時代(いうしじだい)()つてはじめて地震(ぢしん)傳説(でんせつ)()えるのは、孝靈天皇(かうれいてんのう)の五(ねん)近江國(あふみのくに)()けて琵琶湖(びはこ)出來(でき)同時(どうじ)富士山(ふじさん)噴出(ふんしゆつ)して駿(すん)(かふ)()(さう)()がおびたゞしく震動(しんどう)したといふのであるが、その無稽(むけい)であることはいふまでもない。

 つぎに允恭天皇(いんけうてんのう)の五(ねん)丙辰(ひのえたつ)(ぐわつ)廿四()地震(ぢしん)宮殿(きうでん)舍屋(しやをく)(やぶ)るとある。

 ()ぎに推古天皇(すゐこてんのう)の七(ねん)乙未(きのとひつじ)(ぐわつ)廿七(にち)大地震(おほぢしん)があつた。

 日本書紀(にほんしよき)に七年夏四月乙未朔辛酉、地動、舍屋悉破、則令四方俾祭地震神とあるが、地震神(ぢしんかみ)といふ特殊(とくしゆ)(かみ)()られてゐない。

 (えう)するに、このごろに(いた)つて地震(ぢしん)(おそ)ろしさが(やうや)()かつたので、(かみ)(まつ)つてその(いか)りを()かんとしたのであらう。

 爾來(じらい)地震(ぢしん)記事(きじ)は、かなり詳細(せうさい)文献(ぶんけん)(あらは)れてをり、その慘害(さんがい)(じやう)想像(さうざう)されるが、これを建築發達史(けんちくはつたつし)から()て、地震(ぢしん)のために如何(いか)なる程度(ていど)において、構造上(こうざうぜう)考慮(かうりよ)(くは)へられたかは疑問(ぎもん)である。

       三 なぜ古來木造の家ばかり建てたか

 論者(ろんしや)(いは)く、『日本太古(にほんたいこ)原始的家屋(げんしてきかをく)はともかくも、(すで)に三(かん)支那(しな)交通(かうつう)して、()()建築(けんちく)輸入(ゆにふ)されるに(あた)つて、日本人(にほんじん)(なに)ゆゑに()()において賞用(しやうよう)せられた(いし)(せん)構造(こうざう)()けて、()くまで木造(もくざう)(てん)()りで(すゝ)んだか、これは畢竟(ひつけう)地震(ぢしん)考慮(かうりよ)したゝめではなからうか』と。

 なるほど、一(おう)理屈(りくつ)はあるやうであるが、()()(ところ)全然(ぜん/\)これに(こと)なる。

 問題(もんだい)(けつ)してしかく單純(たんじゆん)なものではなくして、(べつ)(ふか)精神的理由(せいしんてきりゆう)があると(おも)ふ。

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 日本(にほん)建築(けんちく)古來(こらい)木造(もくざう)(もつ)て一(くわん)して()原因(げんいん)は、(だい)一に、わが(くに)木材(もくざい)豊富(ほうふ)であつたからである。

 今日(こんにち)ですら日本全土(にほんぜんど)の七十パーセントは樹木(じゆもく)(もつ)(おほ)はれてをり、(やく)四十五パーセントは森林(しんりん)()づくべきものである。

 いはんや太古(たいこ)にありては、(おそ)らく九十パーセントは樹林(じゆりん)であつたらうと(おも)はれる。

 この樹林(じゆりん)は、(ひのき)(すぎ)松等(まつとう)優良(いうれう)なる建築材(けんちくざい)であるから、國民(こくみん)必然(ひつぜん)これを()つて(いへ)をつくつたのである。

 そしてそれが朽敗(きうはい)または燒失(せうしつ)すれば、また(たゞち)にこれを再造(さいざう)した。が、()れども()きぬ自然(しぜん)(とみ)は、(つひ)國民(こくみん)をし、木材以外(もくざいいぐわい)材料(ざいれう)(もち)ふるの機會(きくわい)()ざらしめた。

 かくて國民(こくみん)は一時的(じてき)のバラツクに()まひ()れて、一時的(じてき)主義(しゆぎ)思想(しさう)養成(やうせい)された。

 家屋(かおく)は一(だい)かぎりのもので、子孫繼承(しそんけいしやう)して()まふものでないといふ思想(しさう)(ふか)根柢(こんてい)をなした。

 (いな)、一(だい)のうちでも、(いへ)死者(ししや)出來(でき)れば、その(いへ)(けが)れたものと(かんが)へ、(しかばね)放棄(はうき)して、(べつ)(あたら)しい(いへ)(つく)つたのである。

 奧津棄戸(おきつすたへ)といふ()(すなは)ちこれである。

 しかし國民(こくみん)生活(せいくわつ)の一時的(じてき)なるを()ると同時(どうじ)に、()恒久的(こうきうてき)なるを()つてゐた。

 ゆゑにその(しかばね)をいるゝ(ところ)棺槨(くわんくわく)には恒久的材料(こうきうてきざいれう)なる石材(せきざい)(もち)ひた。もつとも棺槨(くわんくわく)最初(さいしよ)木材(もくざい)(つく)つたが、發達(はつたつ)して石材(せきざい)となつたのである。

 (すなは)太古(たいこ)國民(こくみん)(かなら)ずしも(いし)工作(こうさく)して家屋(かをく)をつくることを()らなかつたのではない。たゞその心理(しんり)から、これを必要(ひつえう)としなかつたまでゞある。

 ()しも太古(たいこ)(たみ)地震(ぢしん)(おそ)れて、石造(せきざう)家屋(かをく)(つく)らなかつたと解釋(かいしやく)するならば、その(まへ)に、(なに)ゆゑにかれ()火災(くわさい)(おそ)れて石造(せきざう)(いへ)(つく)らなかつたかを説明(せつめい)せねばならぬ。

 火災(くわさい)震災(しんさい)よりも、より頻繁(ひんぱん)()こり、より悲慘(ひさん)なる結果(けつくわ)(しやう)ずるではないか。

       四 耐震的考慮の動機

 一(をく)(たい)主義(しゆぎ)慣習(くわんしふ)(もつと)雄辯(ゆうべん)説明(せつめい)するものゝ一は(すなは)歴代(れきだい)遷都(せんと)史實(しじつ)である。

 (たれ)でも、國史(こくし)(ひもと)(ひと)は、(かなら)歴代(れきだい)天皇(てんのう)がその(みやこ)(せん)したまへることを()るであらう。それは神武天皇即位(じんむてんのうそくゐ)から、持統天皇(ぢとうてんのう)(ねん)まで四十二(だい)、千三百五十三年間(ねんかん)繼續(けいぞく)した。

 この遷都(せんと)は、しかし、今日(こんにち)吾人(ごじん)(かんが)へるやうな手重(ておも)なものでなく、一(をく)(だい)慣習(くわんしふ)によつて、轉轉(てん/\)近所(きんじよ)へお引越(ひきこし)になつたのである。

 この目的(もくてき)のためには、賢實(けんじつ)なる石造(せきざう)または甎造(せんざう)恒久的宮殿(こうきうてききうでん)造營(ざうえい)する(こと)都合(つがふ)(わる)いのである。

 ()ぎに持統(ぢとう)文武(もんぶ)兩帝(りやうてい)藤原宮(ふじはらぐう)(みやこ)したまひ、元明天皇(げんめうてんのう)から光仁天皇(くわうにんてんのう)まで七(だい)奈良(なら)(みやこ)したまひ、桓武天皇以來(かんむてんのういらい)孝明天皇(かうめいてんのう)まで七十一(だい)京都(けうと)(みやこ)したまひたるにて、漸次(ぜんじ)帝都(ていと)恒久的(こうきうてき)となり、これに(したが)つて都市(とし)漸次(ぜんじ)整備(せいび)()たつたのである。

 一(ぱん)民家(みんか)もまたこれに(おう)じて一(だい)主義(しゆぎ)から漸次(ぜんじ)永代主義(えいだいしゆぎ)(すゝ)んだ。

 しかしその材料(ざいれう)構造(こうざう)依然(いぜん)として舊來(きうらい)のまゝで、耐震的工風(たいしんてきくふう)(くは)ふるが(ごと)事實(じじつ)はなかつたので、たゞ漸次(ぜんじ)工作(こうさく)技術(ぎじゆつ)精巧(せいこう)(すゝ)んだまでである。

 それは(たと)へば堂塔(だうたふ)伽藍(がらん)(つく)場合(ばあひ)に、巨大(きよだい)なる(おも)屋根(やね)(さゝ)へる必要上(ひつえうじやう)軸部(ぢくぶ)充分(じうぶん)頑丈(ぐわんぜう)()(かた)めるとか、宮殿(きうでん)(つく)場合(ばあひ)に、その格式(かくしき)(たも)ち、品位(ひんゐ)(そな)へるために、優良(いうれう)なる材料(ざいれう)(もち)ひ、入念(にふねん)仕事(しごと)(ほどこ)すので、(とく)地震(ぢしん)考慮(かうりよ)して特殊(とくしゆ)工夫(くふう)(くは)へたのではない。

 しかし本來(ほんらい)耐震性(たいしんせい)()木造建築(もくざうけんちく)に、特別(とくべつ)周到(しうたう)精巧(せいかう)なる工作(こうさく)(ほどこ)したのであるから、自然(しぜん)耐震的能率(たいしんてきのうりつ)()すのは當然(たうぜん)である。

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 建築(けんちく)耐震的考慮(たいしんてきかうりよ)(くは)ふるとは、地震(ぢしん)現象(げんしやう)考究(かうきう)して、材料(ざいれう)構造(こうざう)特殊(とくしゆ)改善(かいぜん)(くは)ふることで、これは餘程(よほど)人智(じんち)發達(はつたつ)し、社會(しやくわい)進歩(しんぽ)してからのことである。(いま)その動機(どうき)について(こゝろ)みに三要件(えうけん)()げて()よう。

 (だい)一は、國民(こくみん)眞劍(しんけん)生命(せいめい)財産(ざいさん)尊重(そんてう)するに(いた)ることである。生命(せいめい)毫毛(こうもう)よりも(かろ)んじ、財産(ざいさん)塵芥(ぢんかい)よりも(けが)らはしとする時代(じだい)においては、地震(ぢしん)などは問題(もんだい)でない。

 日本(にほん)國民(こくみん)(しん)生命(せいめい)(たふと)きを()り、財産(ざいさん)(おも)んずべきを()つたのは、ツイ(ちか)ごろのことである。

 (したが)つて(しん)耐震家屋(たいしんかおく)について考慮(かうりよ)()したのは、あまり(ふる)いことでない。

       五 耐震的建築の大成

 建築(けんちく)耐震的考慮(たいしんてきかうりよ)(くは)ふるやうになつた(だい)一の動機(どうき)は都市の建設である。

 人家密集(じんかみつしふ)都市(とし)(なか)に、巨大(きよだい)なる建築(けんちく)(そび)ゆるに(いた)つて、はじめて震災(しんさい)(おそ)るべきことが覿面(てきめん)(かん)ぜられる。

 いはゆる文化的都市(ぶんくわてきとし)發達(はつたつ)すればするほど、災害(さいがい)慘憺(さんたん)となる。(したが)つて震災(しんさい)(たい)しても防備(ばうび)(かんが)へが()こる。が、これも比較的(ひかくてき)(あた)らしい時代(じだい)(ぞく)する。

 (だい)三の動機(どうき)は、科學の進歩である。地震(ぢしん)如何(いか)なる有樣(ありさま)(おい)家屋(かをく)震盪(しんたう)し、潰倒(くわいたう)するかを觀察(くわんさつ)破壞(はくわい)した家屋(かおく)についてその禍根(くわこん)闡明(せんめゐ)するの科學的知識(くわがくてきちしき)がなければ、これに(たい)する防備的考察(ばうびてきかうさつ)()かばない。

 (いにしへ)國民(こくみん)地震(ぢしん)()つても、科學的素養(くわがくてきそやう)()けてゐるから、たゞ不可抗力(ふかかうりよく)現象(げんしやう)としてあきらめるだけで、これに對抗(たいかう)する方法(はうはふ)案出(あんしゆつ)()ない。

 日本(にほん)でも徳川柳營(とくがはりうえい)において、いつのころからか『地震(ぢしん)()』と(しやう)して、()はめて頑丈(ぐわんぜう)な一(しつ)をつくり、地震(ぢしん)(さい)()げこむことを(かんが)へ、安政大震(あんせいだいしん)(のち)江戸(えど)町醫者(まちいしや)小田東叡(をだとうえい)安政(あんせい)(ねん)十二(ぐわつ)出版(しゆつぱん)防火策圖解(ばうくわさくづかい))なるものか(かべ)(すぢ)かひを()れることを唱道(しやうだう)した(くらゐ)のことでそれ以前(いぜん)(べつ)耐震的工夫(たいしんてきくふう)提案(ていあん)されたことは()かぬのである。

 以上(いじやう)略述(りやくじゆつ)した(ごと)く、日本家屋(にほんかをく)木造(もくざう)(もつ)出發(しゆつぱつ)し、木造(もくざう)(もつ)發達(はつたつ)したのは、國土(こくど)特産(とくさん)する豊富(ほうふ)なる木材(もくざい)のためであつて、地震(ぢしん)(ため)ではない。

 三(かん)支那(しな)建築(けんちく)木材(もくざい)(せん)(いし)との混用(こんよう)であるが、これも()()における木材(もくざい)比較的(ひかくてき)貧少(ひんせう)であるのと、石材(せきざい)(およ)(せん)(てき)する材料(ざいれう)豊富(ほうふ)であるがためである。

 その建築(けんちく)日本(にほん)輸入(ゆにふ)せられて、しかも純木造(じゆんもくざう)改竄(かいざん)されたのは、やはり材料(ざいれう)國民性(こくみんせい)とのためで地震(ぢしん)考慮(かうりよ)したためではない。

 爾來(じらい)日本建築(にほんけんちく)漸次(ぜんじ)進歩(しんぽ)して堅牢(けんらう)精巧(せいかう)なものを(しやう)ずるに(いた)つたが、これは高級建築(かうきふけんちく)必然的條件(ひつぜんてきでうけん)として(あらは)れたので、地震(ぢしん)考慮(かうりよ)したためではない。

 日本(にほん)往時(わうじ)高層建築(かうそうけんちく)はおほくなかつた。たゞ(たふ)には十三(ぢう)まであり、城堡(ぜうほう)には七(ぢう)天守閣(てんしゆかく)まであり、宮室(きうしつ)には三層閣(さうかく)(れい)があるが、一(ぱん)には單層(たんそう)標準(へうじゆん)とする。

 これは多層建築(たそうけんちく)必要(ひつえう)()なかつたためで、地震(ぢしん)考慮(かうりよ)したためではない。

 地震(ぢしん)考慮(かうりよ)するやうになつたのは、各個人(かくこじん)眞劍(しんけん)生命(せいめい)財産(ざいさん)尊重(そんてう)するやうになり、都市(とし)發達(はつたつ)科學思想(くわがくしさう)普及(ふきふ)してからのことで、(ちか)く三百年來(ねんらい)のことと(おも)はれる。

 (いま)社會(しやくわい)は一回轉(くわいてん)した。各個人(かくこじん)極端(きよくたん)生命(せいめい)(おも)んじ財産(ざいさん)(たつと)ぶ、都市(とし)は十(ぶん)發達(はつたつ)して、魁偉(くわいゐ)なる建築(けんちく)公衆(こうしゆ)威嚇(ゐかく)する。科學(くわがく)()(つき)進歩(しんぽ)する。

 國民(こくみん)はこゝにおいてか眞劍(しんけん)耐震的建築(たいしんてきけんちく)大成(たいせい)絶叫(ぜつけう)しつゝあるのである。(完)

(大正十三年四月「東京日日新聞」)

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