15話 近づく月面
読み方を変える
艇長辻中佐は、司令塔より、号令をかけるのにいそがしい。風間三郎少年は、そのそばについていて、ただもう、胸がわくわくするばかりだった。
ああ月! 月の上に上陸するなんて、全くおもいがけないことだ!
「重力装置を徐々に戻せ」
艇長の号令がとびだした。
「重力装置を徐々に戻せ」
信号員が、伝声管の中へ、こえをふきこむ。するとそのこえは、機関部へ伝わって、重力装置が元へ戻されていくのであった。
重力装置を戻すと、どんなことになるであろうか。
「おや、なんだか、身体が急に軽くなった」
風間三郎は、おどろいて口に出していった。身体がふわりと浮き上るような気持になった。それもその筈であった。今までは、地球の上にいるのと同じくらいの重力が、乗組員たちの身体に加えられていたのだ。ところが今、それがしずかに減らされていったのである。重力が減るから、身体が軽くなる道理であった。
「おやおや、これはふしぎだ。重い宇宙服をきているのに、らくに歩けるようになったよ。金属製の宇宙服をきているとは思われない。まるで冬の外套を一枚きているぐらいのかるさだ」
三郎は、ふしぎそうに司令塔の中をこつこつとあるいてみた。
ところが、おどろきは、そのくらいではおわらなかった。彼の身体は、もっとかるくなっていったのである。冬の外套ぐらいの重さに感じていた宇宙服が、もっとかるくなって、やがて浴衣をきているくらいのかるさになってしまったから、三郎は、全くびっくりしてしまいました。
「どうした、風間三郎」
艇長辻中佐が、こえをかけた。三郎が、あんまりへんな顔をしていたからであろう。
「は、どうも気持がへんです」
「気持がへんだって。胸がむかむかしてきたのかね」
「いえ、そうではありませんです。この宇宙服の重さが急になくなって気持がへんなのです。まるで紙でこしらえた鎧をきているようで、狐に化かされたような感じです。艇長は、へんな気持がしませんか」
「はははは。そんなことは、べつにふしぎでないよ。月の上で、身体が自由にうごくようにと、この宇宙服の重さがはじめからきめられてあるんだ。これでいいのだよ」
艇長のいうことは、三郎には、はっきりわかりかねたが、心配のことだけは、よくわかったので安心した。
その艇長は、腕時計をちょっと見て、それからまた別な号令をかけた。
「窓を開け!」
すると信号員が、窓を開けと、号令をくりかえした。
窓が開くのだ。
ごとごとごとと、妙な音がきこえたと思ったら、急にあたりがしずかになった。それまでにきこえていたエンジンのひびきも、司令塔内の話ごえも、みな急に消えてしまった。なんだか気がとおくなりそうであった。三郎はあわてて、あたりをきょろきょろ見まわした。
それと気がついたのであろう、艇長は三郎の腕を、ぎゅっとつかんでくれた。
「あ、艇長……」
と、三郎は叫んだ。がそのこえは、いつものこえとはちがって、たよりなかった。
「おい、風間艇夫。おどろいちゃいけないね。お前も、日本少年じゃないか。しっかりしろ」
艇長のこえが、三郎の耳もとで、がんがんとひびいた。
三郎は、艇長のこえに、元気をとりもどした。
「すみません、すみません」
三郎は叫んだ。
「おい艇夫、お前は何かいっているらしいが、喋るときはお前の兜から下っている二本の触角を、わしの触角につけてから喋らないと、お前が何をいっているのやら、わしには一向お前の声がきこえないよ」
艇長が注意をした。
「ああ、そうそう。それをすっかりわすれていた」
三郎は、やっと気がついた。そして彼の触角を、艇長の触角の方へもっていきながら、
「ええ、たいへん失礼ですが、艇長の触角にさわらせていただきます。あのう、艇長、今まできこえていた声が、急にきこえなくなったので、おどろいたのです」
と、目をくるくるうごかしていうと、艇長の目が兜の中で笑って、
「さっき、わしが号令をかけて、窓をあけさせたのは知っているね」
「ええ、知っていますよ」
三郎は、自分の触角を艇長の触角からはずすまいと、一生けんめいに首をつきだしている。首の骨がいたい。
「窓をあけると、わが噴行艇の中の空気は、一せいに外へながれだして、艇内に空気がなくなったのだ。音は空気の波だから、空気がなくなれば、音は急にきこえなくなったのだ。それくらいのことは、お前にもわかるじゃろう」
「ははあ、なるほど」
噴行艇のそとには、空気がすこしもないのである。だから窓をあけると、空気はどっと外へにげて、ひろがってしまったのである。音がきこえなくなったのは、このわけであるか。三郎はそのわけがやっとのみこめた。
「艇夫。そこの窓から、下をのぞいてみるがいい。これから着陸しようとする月の陸地が見えているよ。しかし、おどろかないがいいぞ」
と、丸い窓を指さして、艇長はいった。