23話 恐るべき発見 傷ついた透明人間
読み方を変える
それから五分もたったであろうか……。
博士には、ながい時間がたったようにも思われた。
もう一度カーテンがゆれ動き、なかから、ぼんやりと、血のにじんだほうたいでぐるぐる巻きにした頭があらわれてきた。
頭だけだ。空中にぼんやり浮かびあがったほうたいまきの頭は、目もなければ鼻もない。いや頭ぜんたいがないのだ。ほうたいだけが、しっかりとまきつけられている。
もちろん手も足もありはしない。
たいていの者なら、ひと目みただけで気絶してしまうところだ。
が、気丈な博士はまっさおになりながら、じっとそのふしぎなものを見つめていた。
「ケンプ!」
ふしぎなものは博士をよんだ。
「え?」
「おどろいてるな。ぼくはグリッフィンなんだよ。ほら大学で同級だったグリッフィンだよ。おぼえてるだろう」
「グリッフィンだって……なにをばかなことを……この化けものめ!」
博士はいきなり、ほうたいのほうへ手をのばした。と、どうだろう……。
人の体にふれたではないか!
ぎょっとして手をひっこめ、まじまじと空中にうかぶおかしなものをみた。
「おちついてくれよ、ケンプ。おれはまちがいなくグリッフィンなんだ。ただおれはふとしたことで体がすきとおってしまい、人の目に見えなくなってしまったんだ。世間のやつらが透明人間だとさわいでいるだろう」
透明人間は目に見えぬ手で、しっかりと博士の手をにぎりしめて、いっしんに話した。
しかし、博士は、その手をふりほどき、めちゃめちゃに手をふりまわして、透明人間にぶつかってきた。
「しずかにしろ! ケンプ、話せばわかることなんだ、話をきいてくれ」
「なにを、このやろう、このばけものめ。話もなにもあるものか、ふんづかまえてやるぞ」
「だまれ、おれがおまえなんかにつかまるものか……」
透明人間は、むかっ腹をたてたらしく、とうとう、博士の足をえいっとすくい、ベッドの上にほうりだし、大声をあげて助けをよびそうにしている口の中へ、シーツのはしをぐっとねじこんだ。博士は、こうなっては手足をばたばたさせて、もがくばかりだった。
「しずかにしてくれたまえよ、ケンプ。きみをおどしたり、きみに害をくわえるつもりできたんではないんだ。ぼくはいまこまっているんだ。きみの助けがほしくてやってきたんだよ」
博士は、このうえ手むかってもむだだと考えたのか、おとなしくなった。透明人間は、口におしこんだシーツをとりのぞき、
「ねえ、きみ、どうかぼくの言うことを信じてくれたまえ。ぼくは大学にいたときと同じグリッフィンなんだ。ただ、あることで姿が見えなくなったが、人さまの目に見えないだけで、ぼく自身は、なんにも変わったことはないんだ。心も体も昔のままのグリッフィンなんだよ」
博士は物わかりのいい人だったし、頭の慟きのするどい人だったので、姿の見えないほうたいの化ものの言葉に真実のあることを見ぬき、
「ずいぶんきばつな話だが、話をきけばあるいはわかるかもしれん。話してみたまえ。それにきみの言うように、わしの目には、きみの姿は見えないが、たしかに体はあるらしいな。わしの手がたしかにさわったし、きみの腕がわしをなげとばしたからな」
「そうなんだ、そうなんだ。たしかにぼくは頭もある手足もあるんだ……。おそろしい化けものなんぞじゃないんだ。ただ研究の結果でこんなことになってしまったんだ」
「研究の結果だって? 研究の結果できみが透明人間になったというのかい?」
「そうだよ」
「信じられないね。だいいち、透明人間がグリッフィンだと言ったところで、たしかにかれだという証拠はないわけだ。顔をみることもできんし……もっとも声はグリッフィンらしいが」
「きみ、まだそんなことを言うのかい……ぼくはまちがいなくグリッフィンだよ。ゆっくり話せば疑いははれるよ。信じてくれたまえ、ケンプ!」
「では、話してみたまえ」
「話そう、が、そのまえにすまないがウィスキーと食事と着る物がほしいんだよ。じつはけがをしているので、傷はいたむし疲れきっているんだよ」
「食べ物に着物だって……すこし待ちたまえ、なにかあるだろう。が、家のものをさわがしたくないから、まにあわせだよ」
博士は、落ちつきをとりもどしていた。科学者らしく、ちみつに頭を働かし、このふしぎな透明人間の秘密をできるかぎり探りだしてやろうと考えていた。
「なんでもけっこうだよ。死ぬほどつかれているんだ。なにか食べてゆっくりと眠りたいだけなんだ」
博士は衣裳戸棚から、古くなったガウンをとりだして、
「これでまにあうかね?」
「けっこうだよ。それにズボン下とくつした、そしてスリッパがあれば申し分ないが……」
空中の声がへんじをするといっしょに、博士の手からガウンがとりあげられ、空中でばたばたとゆれていたが、そのうち、透明人間が着こんだらしく、しゃんと立ってボタンがひとつずつかけられていった。
「やれやれ、これで身じたくがととのったよ。あとはウィスキーに食べ物があればいいんだ。裸で腹をすかせているのは、まったくつらいよ。まだ夜になると裸ではこおりつきそうに寒いし、腹がすいてたおれそうになるし、まったくつらかったよ」
透明人間は、服をきてしまうと、ゆっくりといすに腰をおろした。
「ねえ、ケンプ。早くウィスキーを飲ませてくれないか」
透明人間は、せかせかとさいそくした。
「いま持ってくるよ。だが、こんなきちがいじみたことにであうのは、生まれてはじめてだよ。ぼくは催眠術にかかっているのかな?」
「ばかなことを言いたまえ、ぼくは催眠術なんぞやらないよ」
博士は、足音をしのばせて台所におりてゆくと、冷えたカツレツとパンを手にしてもどってきた。
「ウィスキーはここにある。さあ食べたまえ」
博士はサイドテーブルにそれらをならべると、ほうたいとナイト・ガウンの化けものに声をかけた。ウィスキーをグラスについでやると、ナイト・ガウンの袖が動いて、すっとグラスを持ちあげた。グラスを持ちあげたというより、グラスがひとりで空中に浮かびあがっていったような感じだった。
口のあたりと思われるところでグラスがかたむくと、みるまにウィスキーは飲みほされた。
「ああ、うまい」
つぎに、カツレツが空中に舞いあがった。つづいてパンも……。
「なるほど、見えないよ。で、傷をしているといったが、どこを傷つけられたんだね」
「傷はたいしたことはないんだ」
透明人間はがつがつと口いっぱいにほおばって、むさぼるように食べながら言った。
見るまにウィスキーも食べものも、へっていった。
「ああ、うまい、それにしてもぼくがほうたいをさがしてまよいこんだのが、きみの家だったとはふしぎだな。ぼくは運がよかったよ。こん夜は泊めてもらいたいね。ひさしぶりにゆっくり眠りたいんだ。ベッドを血でよごしてすまなかったね。体は透明になっていても、血だけはかたまると見えてくるんだよ……。そのためにさっきも、あやうくつかまるところを、きみの所ににげこんでたすかったんだ」
「また、どうしてピストルでうちあいなんかやったんだね」
「ばかなやつが、ぼくの金を盗もうとしたんだ。そいつはぼくがなかまにしようと思ってた男だのに……」
「そいつも透明なのかい?」
「いいや、かれはふつうの人間だよ。あいつはぼくを恐れてびくびくしていたくせに、ぼくをうらぎろうとしたんだ。あいつめ、こんど会ったらぶち殺してやる。ちくしょうめ!」
透明人間は、はげしく体をふるわして怒りだした。ナイト・ガウンがそれにつれてぶるぶるとふるえた。
博士は、グリッフィンが大学生のころから、ひどくおこりっぽい感情のはげしい男だったのを思いだして、一生けんめいになだめた。透明人間は、ようやく怒りをしずめ、
「ぼくは武器をつかったりなんかしなかったんだ。それだのに、やつらはおれにむかって、つづけざまにピストルをうつんだ。たいていのやつらはぼくをこわがって、ぼくを追っぱらおうとして乱暴するんだよ」
「なるほど、が、きみがそんな体になったいきさつを、話してきかせてほしいな」
「それはゆっくり話すよ。そのまえに、たばこがほしいんだが」
博士はいわれるままに、たばこを透明人間にあたえた。ところが、見るからに奇怪なことが起こった。それは透明人間が、うまそうにたばこを吸いはじめると、たばこの煙が流れるにしたがって、口からのど、そして鼻と、そのかたちがぼんやりとうきあがってきたのだ。
「ありがたい。きみのおかげで、寒さからも空腹からものがれることができたよ。そのうえ、おちついてたばこをすうことまでできたんだ。まったく感謝するよ。しかし、ケンプ、きみは学生時代と、ちっとも変わっていないな。きみのようにどんなときでも落ちつきはらって、てきぱきと物ごとをかたづけてゆける人間こそたよりになるんだ。これからどうか、ぼくをたすけてくれたまえ」
透明人間が言った。博士は、じぶんもちびちびとウィスキーをのみながら、
「いったいきみはぼくに、なにをやれというのだね。ぼくは人をたすけるどころか、ぼく自身どうしたらいいかと思いまよっているんだよ」
と、博士はくらい表情でこたえた。そのうち透明人間は、にわかにうめき声をあげ、体をえびのようにまげ、頭をかかえこんだ。
熱がでてきて、傷がいたみはじめたのだ。
「きみ、この部屋で朝までゆっくり眠りたまえ。そうすればきっと、あすの朝は気分もさわやかになるだろうから……」
博士は親切にすすめた。ところが透明人間は、苦しそうにうなり声をたてながら、どうしても眠ろうとしなかった。
「きみ、えんりょしないで眠りたまえ。そうすれば気分もよくなるし……」
透明人間は、なにを思ったのか、しばらくだまって博士をじっと見つめていたが、
「ぼくは、心をゆるした人間につかまるのはいやだね」
と言った。博士はぎくりとした。
なにもかも見すかしたような透明人間のことばは、博士の心をぐさりと突きさした。