人類の将来

8話

3,218字 約6分 2015年11月18日 公開

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 人類の将来などと云ふ問題は到底四十頁や五十頁で詳に論ぜられるものではないから、此所には素より極めて大体の筋道だけを述べたに過ぎぬが、之に依つても人類が今如何なる方向に進みつゝあるかと云ふ事だけは多少明かに知る事が出来やう。即ち人類は其始め脳と手との力に依つて他の動物に打ち勝ち、絶対に優勢な位地を占めることを得たが、其の脳と手との働きの進んだ結果、今後は貧富の懸隔が甚しくなり、生活の困難が増し、身体は退化し、神経は過敏となり、不平懐疑の念が進み、私慾のみが盛になつて、協力一致の働きが出来なく成るべき運命を有するに至つたのである。人類の場合に於ても、初め生存競争上最も有効であつた其の同じ性質が限りなく発達して、後には却て禍をなして、今後は滅亡の方向に進むの外なくなつたのであるから、彼の中世代のアトラントサウルスが初め他の動物に勝つ際に有効であつた体力が過度に発達し、終にはその為敏捷を欠いて滅亡したのと全く同一の径路を進みつつあると推測するの外はない。されば其の終局も地質学上の各時代に一時全盛を極めて居た他の諸動物と同じく、恐らくは次の時代までに略々(ほぼ)全滅するを免かれぬものと見做すが適当であらう。

 斯様に考へて見ると、今日の人類は恰も不治の病の初期に罹つて居る有様で、各民族は未だ軽いながらも到底全快の見込みのない不治の病人に比較すべきものである。一個人が不治の病の初期に罹つた場合には、他事を投げ擲つて安楽に静養する事も出来るが、地球の表面に於ける各民族は常に互に睨み合うて、僅の隙でもあらば相倒さうと待つて居るのであるから、専ら病を養ふのみに掛かつては居られぬ。必ず外に向うては武備を固めて敵の侮を防ぎ、内は出来るだけの方法を講じて一刻でも病勢の進むことを止めて寿命を長くすることを務めねばならぬ。今後に於ける各民族間の競争は恰も不治の病人が相闘うて居る様なもの故、武備の劣つたものが先づ敗ける憂があるは明であると同時に、病気の急に進んだ者も忽ち敵に倒されるは疑ない。されば各民族ともに全力を尽して、此の両方面に於て常に他の民族に優るやうに務めることが必要である。

 小医は人を医し、大医は国を医すと云ふが、若し人類の不治の病なる世道の廃頽を医し得る者があつたならば、これこそ大医の更に大なるものである。世は澆季なりとは三千年の昔から絶えず人の云ひ来つたことであるが、其間に之を憂へて、世を救はうと志した人は素より多数に有つた。その中で死後の崇拝者に担がれて今日まで名を伝へられたものにはキリスト、孔子などがあるが、此等の人々の教へた事は根本は極めて簡単で且つ同一である。即ち「己の欲する所、之を人に施せ」若しくは「己の欲せざる所、之を人に施す勿れ」と云ふことに帰着するが、此の訓へは実行が出来さへすれば、世道の廃頽も人心の堕落も即座に撤回することが出来て、世は忽ち極楽浄土と成る筈であるから極めて結構であるが、惜しいかな今の世の中では実行が到底覚束ない。今日まで之に依つて世道人心の堕落を防ぎ得なかつたことは、過去の歴史の証明する通りであるが、今後とても同様である。生存競争の劇烈な世の中では、一刻でも他に先んじて此の訓へに従ふた者は忽ち取り返しの附かぬ苦境に陥る虞がある故、一民族内の総べての個人が、一、二、三の号令と共に悉く打ち揃うて此の訓へを守る様になる時の外は到底その実行を望むことは出来ぬ。

 根本的の治療法が無いとすれば、其他の方法を求めるの外に道はないが、他の方法は今日既に文明諸国に沢山に行はれて居る。養育院、感化院、孤児院、慈善会、出獄者保護会、安価食物供給所、無銭宿泊所、労働者養老金、貧困者慰問其他種々の救済法は皆この類である。此等は病の原因を除くのではなく単に現れた症状に対する療法である故、素より姑息なるを免れぬが、適当に行はれゝば、其だけの効は充分にあるべき筈である。時としてはトラスト征伐、累進的相続税法等の稍々外科的治療に類する方法が案出せられることもある。また身体の退化を防ぐためには、米国の或る州で現に行うて居る如くに、遺伝性の悪病患者には強制的に生殖を禁ずることも出来る。之に就て人権云々と論ずる人もあるが、斯かる論は足の先が壊疽に罹つて腐り始めたときに細胞権を云々して患部を切断することを躊躇するのと同様な迂論である。人類の過去に鑑み将来を慮れば、前に挙げた如き諸種の救済法は何れも今後益々奨励して出来得る限り協力一致の精神を失はぬやうに努めねばならぬ。これが、軍備の充実と共に、他の民族の間に介在して他の民族に敗けぬための唯一の手段である。

 終りになほ一言したいことがある。我等は一昨年の一月中央公論紙上に「所謂文明の弊の源」と題する一篇を掲げたが、其後或る人から斯様な論は読者をして悲観に陥らしめる患はないかとの注意を受けた。今此所に述べたことに対しても或は同様の懸念をする人が無いとも限らぬが、我等は断じて左様な心配は無用であると考へるのである。

 人間には一定の寿命があつて早晩死なねばならぬことは、誰も承知して居らぬものはないが、其のために悲観に陥つたと云ふ人は嘗て聞かぬ。また此の地球は其の始め火の塊であつたのが、漸々冷却して固形の地殻が生じ、凹んだ所へ水が溜り、其の後諸種の生物が生じて、今日の有様までに進み来つた。今後は更に冷却して今日の月に見る如く、水は凍つて氷となり、土は凍つて石となり、空気も凍つて液体となり、更に固形体となるであらうが、斯くなつては生物は到底生活は出来ぬ故、今見る如き生物は其前に総べて消え失せて趾を留めぬであらうとは、地球を論じた書物には悉く明記してある。また太陽と若干の稍々大きな遊星と無数の小遊星とより成る太陽系なるものも、其の初めは今日望遠鏡で実際幾つも見える如き星雲であつたのが、漸次凝固して今日の姿までに成つたのであるから、今後もなほ変化し続けるべきものである。其の上、太陽はこれに附属する無数の星と共にヘルクレス星座の方へ非常な速力で進みつゝあるとのこと故、終には如何に成り行くか分らぬ。年々歳々何の変化も無い様に思ふのは、人の命が短かいために変化を知るべき時間が無いからで、恰も大きな円の周辺の一小部が直線と異ならぬのと同じ理である。我等が此所に述べたのは、たゞ人類は脳と手との働きの進んだ結果、今日既に滅亡の方向に進みつゝある故、地球が冷却して生物が全滅すべき時期を待たず、それより遙に前に滅び失せるであらうと予言したのみである故、従来人の云ひ来つたことに比して期限の少しく違ふ外には余り多く異つて居らぬ。盛者必滅とは常に人の唱へ来つたことで、始めあるもの必ず終りあるは、これ生滅の法である。天長く地久しくとか、天地無窮とか、終り無き世とか云ふのは梨子を「有りの実」と唱び硯箱を「当り箱」と名づけるのと同じく縁喜を祝ふ仮の言葉で、数日の後には必ず枯れるに定まつた松の切り枝を立てて常磐の栄を願ふ徴しとするのと同じ心持で常に唱へて居るに過ぎぬ。

 総じて、来るか来ぬか分らぬ危害は、全く来ないものと見做し、来ることは確であつても、其の来る時の定まらぬ危害は当分は来ぬものと見做して、気に掛けずに生活して居ることが健康な人の常態である。汽車に乗つて旅行すれば何時衝突して顛覆せぬとも限らぬが、乗つてから降りるまで絶えずこれを心配して居る者は一人もない。また人間は老少不定と云うて何時死ぬか分らぬものであるが、毎日この事を考へて悲観し続ける者は一人もない。斯様なことを常に憂ひて暮すのはたゞ幽鬱性の精神病患者のみである。されば万一この文を読んで悲観に傾く人があつたならば、其の人は已に現時流行の神経衰弱症に罹つて居ると診断せざるを得ぬ故、我等は其の人に向うて、病勢の募らぬ内に速に療養に取り掛ることを切に勧告する。

(明治四十二年十一月)

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