二葉亭余談

5話 五 犬と猫

4,573字 約9分 2011年7月20日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 俗曲よりも好きだったのは犬と猫であった。俗曲と家畜を一緒にするのは変であるが二葉亭の趣味問題としていうと、俗曲の方には好き嫌いや註文があって、誰が何を語っても感服したのではなかったが、家畜の方は少しも()り好みがなく、どんな犬でも猫でも平等に愛していた。『浮雲』時代の日記に、「常に馴れたる近隣の飼犬のこの頃は余を見ても尾を振りもせず(あと)をも追はず、その傍を打通れば鼻つらをさしのべて臭ひを()ぐのみにて余所(よそ)を向く、この頃は《さかな》を食する事(まれ)なれば残りを()まする事もしばしばあらざればと心の中に思ひたり、ただこう思ひたるばかりにてさして心に留めざりしかど何となく快からず」とあるは犬に与える(ざんこう)にだも不自由をして(なつ)いた犬に(そむ)かれたのを心淋しく感じたのであろう。

『平凡』の中の犬の一節は二葉亭の作中屈指の評判物であるが、あれは仲猿楽町時代の飼犬の実話を書いたものである。あの行衛(ゆくえ)知れずになった犬というはポインターとブルテリヤの醜い処を搗交(つきま)ぜたような下等雑種であって、『平凡』にある通りに誰の目にも余り見っとも()くない(いや)な犬であった。『平凡』では棄てられてクンクン鳴いていた犬の子を拾って育て上げたように書いてあるが、事実は役所の帰途(かえりみち)()いて来た野良犬(のらいぬ)をズルズルベッタリに飼犬としてしまったので、『平凡』にある通りな狐のような厭な犬であったから、家族は誰も(いや)がって碌々(ろくろく)(かま)いつけなかった。が、犬ぶりに由て愛憎を二つにしない二葉亭は不便(ふびん)がって面倒を見てやったから、犬の方でも懐いて、二葉亭が出る度毎(たんび)に跟を追って困るので、役所へ行く時は格子(こうし)の中に閉じ込めて何処へも出られないようにして置いた。その留守中は淋しそうにションボリして時々悲しい低い声を出して鳴いていたが、二葉亭が帰って来て格子を()けると(うれ)しそうに飛付き、(かまち)に腰を掛けて靴を脱ごうとする(ひざ)へ飛上って、前脚を肩へ掛けてはベロベロと(ほっ)ぺたを()めた。「こらこら、そんな所為(まね)をする()」と二葉亭は(やさ)しく制しながらも平気で舐めさしていた。時に由ると、嬉しくて堪らぬように(あと)から泥足(どろあし)のまま座敷まで追掛けて来てジャレ付いた。ジャレ付くのが可愛いような犬ではなかったが、二葉亭はホクホクしながら、「こらこら、畳の上が泥になる、」と細い眼をして(しか)りつけ、庭先きへ追出しては麺麭(パン)を投げてやった。これが一日の中の何よりの(たのし)みであった。『平凡』に「……ポチが私に(むか)うと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか?……どっちだかそれは解らんが、とにかく相互の熱情熱愛に人畜の差別を撥無(はつむ)して、渾然(こんぜん)として一如となる、」とあるはこの瞬間の心持をいったもんだ。

 この犬が或る日、二葉亭が出勤した留守中、お客が来て格子を()けた途端に飛出し、何処へか逃げてしまってそれ切り帰らなかった。丁度一週間ほど(おとな)いも訪われもしないで或る夕方()と尋ねると、いつでも(きま)って飛付く犬がいないので、どうした犬はと()くと、潮垂(しおた)れ返った元気のない声で、「逃げたのか、取られたのか、いなくなってしまった」と、見えなくなった顛末(てんまつ)を語って(ほっ)嘆息(ためいき)()いた。「まるきり踪跡(ゆくえ)が解らんのかい?」と重ねて訊くと、それ以来毎日役所から帰ると処々方々を捜しに歩くが皆目(かいもく)解らない、「多分最う殺されてしまったろう」と(しお)れ返っていた。「昨日(きのう)は酒屋の御用が来て、こちらさまのに()く似た犬の首玉に児供が縄を縛り付けて引摺(ひきず)って行くのを壱岐殿坂(いきどのざか)で見掛けたといったから、直ぐ飛んでって其処(そこ)ら中を()いて見たが、(かい)くれ解らなかった。児供に(いじ)め殺された乎、犬殺しの手に掛ったか、どの道モウいないものと断念(あきら)めにゃならない」と、自分の児供を()くした時でもこれほど落胆すまいと思うほどに弱り込んでいた。家庭の不幸でもあるなら悔みの言葉のいいようもあるが、犬では何と言って慰めて()いか見当が付かないので、「犬なんてものは何処(どっ)かへ行ってしまったと思うと、飛んでもない時分に戻って来るもんだ。今に(きっ)と帰って来るよ、」といって見た。が、二葉亭は「イヤ、最う断念(あきら)めた!」と黙り込んでしまったので、この上最早言葉の接穂(つぎほ)がなかった。

 その当座は犬の事ばかりに屈托して、得意の人生論や下層研究も余り口に出なかった。あたかも私の友人の家で純粋セッター種の()が生れたので、或る時セッター種の深い長い艶々(つやつや)した天鵞絨(ビロード)よりも美くしい毛並(けなみ)と、性質が怜悧(りこう)敏捷(すばし)こく、勇気に富みながら平生は沈着(おちつ)いて鷹揚(おうよう)である(はなし)をして、一匹仔犬を世話をしようかというと、苦々しい顔をして、「イヤ、(もら)う気はしない、先妻が死んで日柄(ひがら)が経たない(うち)に、どんな美人があるからッて後妻を貰う気になれるかい、」と喪くなった醜い犬を追懐して惻々(そくそく)の情に堪えないようだった。

 犬よりも最う一倍酷愛していたのは猫であった。皆川町時代から飯田町、東片町の家に出入したものは誰でも知ってる、白いムクムクと(ふと)った大きな牝猫(めねこ)が、いつでも二葉亭の(ひざ)の廻りを離れなかったものだ。東片町時代には大分老耄(ろうもう)して居睡(いねむり)ばかりしていたが、この婆さん猫が時々二葉亭の膝へ這上(はいあが)って甘垂(あまった)れ声をして倦怠(けったる)そうに(じゃ)れていた。人間なら()(とし)をした梅干婆(うめぼしばあ)さんが十五、六の小娘(こむすめ)嬌態(しな)を作って甘っ垂れるようなもんだから、(こいや)らしくて()り倒してやりたい処だが、猫だからそれほど妙にも見えないで、二葉亭はお祖父(じい)さんが孫を可愛がるようにホクホクして甘やかしていた。

 この猫も()とは皆川町時代に何処からか(まぐ)れ込んで来た迷い猫であって、毛並から面付(つらつき)までが余り()くなかった。が、二葉亭は、「誰も()めてくれ手がなくても、大事な可愛いい娘だ、」と、猫を(かか)えて頬摺りしながら能く言ったもんだ。「人間の標準から見て、猫の容貌(きりょう)()いの悪いのというは間違ってる、この猫だって誰も褒めてくれ手がなくても猫同士が見たら案外な美人であるかも知れない、その証拠には交孳(さかり)の時には牡猫が多勢(おおぜい)()りに来る、」と。

 かつ曰く、「仮に容貌(きりょう)が悪いにしても、容貌の好悪(よしあし)で好き嫌いをするのは真に愛する所以(ゆえん)ではない。自分の娘が醜いからといって親の情愛に変りがないと同様に、猫にだってやはり同じ人情がなければならないはずだ。犬や猫の容貌が()いの悪いのといって好いたり嫌ったりするは人間として実に恥かしい事だ、」と。

 二葉亭の家では主人の次には猫が大切(だいじ)にされた。主人の留守に猫に(そそう)があっては大変だといって、家中(うちじゅう)がどれほど猫を荷厄介(にやっかい)にして心配したか知れない。出入(でいり)八百屋(やおや)の女房が飛んで来て、「大変でござります、唯今こちらさまのお猫さんが横町の犬に追われて向うの路次(ろじ)に逃込みました、」と目の色変えて註進に及んだという珍談もあった。

 《さかな》を買うにも主人の次には猫の分を取った。(あまり)を当てがうような事は決してなかった。時々は「猫になりたい」という影口(かげぐち)もあった。下世話(げせわ)に、犬は貰われる時お子様方はお幾たりと尋ねるが猫は孩児(がき)は何匹だと()くという通りに、猫は犬と違って児供に(いじ)られるのを(うる)さがるものだが、二葉亭の家では猫は主人の寵幸(ちょうこう)であって児供が翫弄(おもちゃ)にするのを許さなかった。児供の方でも父の秘蔵を呑込んで、先年死んだ長男の玄太郎が五ツ六ツの悪戯盛(いたずらざか)りにも「あれは(とう)ちゃんのおにゃん子」といって指一本も決して触れなかった。

 この猫は主人の寵愛に馴れて頗る行儀が悪るかった。客が来て食物(くいもの)が出ると、必ず何処からかヌウッと現われ、ノソノソ食物の(そば)へ行って臭いを()ぐ。世間の猫はコソコソ忍び足で近づいては、油断を見済まして引攫(ひっさら)うものだが、二葉亭の猫は叱られた事がないから(こわ)いという事を知らない。鷹揚にノソノソやって来て、自分の好きな塩煎餅(しおせんべい)掻餅(かきもち)でもあろうもんなら、()もこの()のものは(かまど)の下の灰までが(おれ)の物だというような顔をして、平気で菓子鉢に顔を突込んではボリボリと喰べ初める。すると二葉亭は眼を細くして、「これこれ、()たそんな意地汚(いじきた)なをする」と静かに膝へ抱取(だきと)って掌上(てのひら)へ菓子を取って喰わせながら、「放任教育だから行儀が悪くて困る、」と猫の頭を()で撫で「が、本来猫に行儀を仕込むッてのが間違ってる、人間の道徳で猫を縛ろうとするのは人間の我儘(わがまま)で、猫に取っては迷惑千万な咄だ、」といった。けれどもお膳が出てから、生腥(なまぐさ)い臭いにいよいよ鼻をムクムクさして、お客のお膳であろうと一向お関いなしに顔を突出(つきだ)し、傍若無人にお先きへ失敬しようとする時は、いくら放任教育でも有繋(さすが)にお客の(さかな)掠奪(りゃくだつ)するを打棄(うっちゃ)って置けないから、そういう時は自分の膝元へ引寄せてお(わん)(ふた)なり小皿(こざら)なりに肴を取分けて陪食させた。が、この腕白(わんぱく)猫めは(すこぶ)る健啖家で、(ちっ)とやそっとのお裾分(すそわけ)では満足しなかった。刺身(さしみ)の一と皿位は独り占めにベロリと平らげてなお飽足らずに、首を伸ばして主人が(はし)(はさ)んで口まで持って行こうとするのをやにわに横取りをする。すると二葉亭は眼を細くして、「ドウモ敏捷(すばしっ)こい(やつ)だ!」と莞爾々々(にこにこ)しながら悦に入ったもんだ。

 二葉亭の猫におけるや、丁度若い母親が初めて産んだ子を甘やかすように、始終(ふとこ)ろに入れたり肩へ載せたり、夜は抱いて寝て、チョッカイでも出せば()けるような顔をして頬摺(ほおずり)したり接吻(せっぷん)したりした。猫めの方でも大甘垂れに甘垂れて舌を出してはベロベロと二葉亭の顔を()めた。「接吻だけは()せというが、こうしずにはいられない」と状貌魁偉(かいい)と形容しそうな相好(そうごう)(くず)して、(あご)の下に猫を(かか)え込んでは小娘のように嬉しがって舐めたり(さす)ったりした。

 飯田町にいた時分、或る日曜日の朝十時頃に尋ねると、今起きたばかりだといって眠そうな顔をしていた。なんぼ日曜日でも()と寝坊が過ぎるというと、「昨宵(ゆうべ)は猫のお産で到底寝られなかった、」といった。段々訊くと、(かね)てから猫の産月(うみづき)が近づいたので、書斎の戸棚(とだな)行李(こうり)準備(ようい)し、小さい座蒲団を敷いて産所に()てていたところ、昨夜(ゆうべ)(よい)から容子が変なので行李の産所へ入れるとは直ぐ飛出して息遣(いきづか)いも苦しそうに(ニヤニヤ)()きながら頻りと身体(からだ)をこすりつけて変な容子をする。(ここ)産落(うみおと)されては大変と、(むり)に行李へ入れて押え付けつつ静かに背中から腰を(さす)ってやると、()い気持そうに(やっ)と落付いて、暫らくしてから一匹産落し、とうとう払暁(あけがた)まで掛って九匹を取上げたと、猫のお産の話を事細やかに説明して、「お産の取上爺(とりあげじじい)となったのは弁慶と僕だけだろう。が、(きょう)(きみ)よりは猫の方がよっぽど(えら)かった、」と手柄顔(てがらがお)をした。それから以来習慣が付き、子を産む度毎(たんび)に必ず助産のお役を勤め、「犬猫の産科病院が出来ればさしずめ院長になれる経歴が出来た、」と大得意だった。

 不思議な事にはこれほど大切に可愛がっていたが、この猫には名がなかった。家族(うちのもの)は便宜上「白」と呼んでいたが、二葉亭は決して名を呼ばなかった。「名なんかドウでも好い、なくても好い、猫に名なんか付けるのは人間の繁文縟礼(はんぶんじょくれい)で、猫は名を呼ばれたって決して喜ばない、」といっていた。こんな処にも空名虚誉を喜ばない二葉亭の面目が現れていた。

 最一つ不思議な事は、この位に猫や犬を可愛がっていても、ツイぞ一度人から貰った事がない。「棄てられたり(まぐ)れたりして来たから拾って育ててやるので、犬や猫を飼うのは(たのし)みよりは(くるし)みである。わざわざ求めて飼うもんじゃ決してない、」といっていた。二葉亭の犬や猫に対するや人間の子を愛すると同じ心持であった。

目次に戻る

目次