5話 五 犬と猫
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俗曲よりも好きだったのは犬と猫であった。俗曲と家畜を一緒にするのは変であるが二葉亭の趣味問題としていうと、俗曲の方には好き嫌いや註文があって、誰が何を語っても感服したのではなかったが、家畜の方は少しも択り好みがなく、どんな犬でも猫でも平等に愛していた。『浮雲』時代の日記に、「常に馴れたる近隣の飼犬のこの頃は余を見ても尾を振りもせず跟をも追はず、その傍を打通れば鼻つらをさしのべて臭ひを嗅ぐのみにて余所を向く、この頃は《さかな》を食する事稀なれば残りを食まする事もしばしばあらざればと心の中に思ひたり、ただこう思ひたるばかりにてさして心に留めざりしかど何となく快からず」とあるは犬に与える残にだも不自由をして懐いた犬に背かれたのを心淋しく感じたのであろう。
『平凡』の中の犬の一節は二葉亭の作中屈指の評判物であるが、あれは仲猿楽町時代の飼犬の実話を書いたものである。あの行衛知れずになった犬というはポインターとブルテリヤの醜い処を搗交ぜたような下等雑種であって、『平凡』にある通りに誰の目にも余り見っとも好くない厭な犬であった。『平凡』では棄てられてクンクン鳴いていた犬の子を拾って育て上げたように書いてあるが、事実は役所の帰途に随いて来た野良犬をズルズルベッタリに飼犬としてしまったので、『平凡』にある通りな狐のような厭な犬であったから、家族は誰も嫌がって碌々関いつけなかった。が、犬ぶりに由て愛憎を二つにしない二葉亭は不便がって面倒を見てやったから、犬の方でも懐いて、二葉亭が出る度毎に跟を追って困るので、役所へ行く時は格子の中に閉じ込めて何処へも出られないようにして置いた。その留守中は淋しそうにションボリして時々悲しい低い声を出して鳴いていたが、二葉亭が帰って来て格子を開けると嬉しそうに飛付き、框に腰を掛けて靴を脱ごうとする膝へ飛上って、前脚を肩へ掛けてはベロベロと頬ぺたを舐めた。「こらこら、そんな所為をする勿」と二葉亭は柔しく制しながらも平気で舐めさしていた。時に由ると、嬉しくて堪らぬように踵から泥足のまま座敷まで追掛けて来てジャレ付いた。ジャレ付くのが可愛いような犬ではなかったが、二葉亭はホクホクしながら、「こらこら、畳の上が泥になる、」と細い眼をして叱りつけ、庭先きへ追出しては麺麭を投げてやった。これが一日の中の何よりの楽みであった。『平凡』に「……ポチが私に対うと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか?……どっちだかそれは解らんが、とにかく相互の熱情熱愛に人畜の差別を撥無して、渾然として一如となる、」とあるはこの瞬間の心持をいったもんだ。
この犬が或る日、二葉亭が出勤した留守中、お客が来て格子を排けた途端に飛出し、何処へか逃げてしまってそれ切り帰らなかった。丁度一週間ほど訪いも訪われもしないで或る夕方偶と尋ねると、いつでも定って飛付く犬がいないので、どうした犬はと訊くと、潮垂れ返った元気のない声で、「逃げたのか、取られたのか、いなくなってしまった」と、見えなくなった顛末を語って吻と嘆息を吐いた。「まるきり踪跡が解らんのかい?」と重ねて訊くと、それ以来毎日役所から帰ると処々方々を捜しに歩くが皆目解らない、「多分最う殺されてしまったろう」と悄れ返っていた。「昨日は酒屋の御用が来て、こちらさまのに善く似た犬の首玉に児供が縄を縛り付けて引摺って行くのを壱岐殿坂で見掛けたといったから、直ぐ飛んでって其処ら中を訊いて見たが、皆くれ解らなかった。児供に虐め殺された乎、犬殺しの手に掛ったか、どの道モウいないものと断念めにゃならない」と、自分の児供を喪くした時でもこれほど落胆すまいと思うほどに弱り込んでいた。家庭の不幸でもあるなら悔みの言葉のいいようもあるが、犬では何と言って慰めて宜いか見当が付かないので、「犬なんてものは何処かへ行ってしまったと思うと、飛んでもない時分に戻って来るもんだ。今に必と帰って来るよ、」といって見た。が、二葉亭は「イヤ、最う断念めた!」と黙り込んでしまったので、この上最早言葉の接穂がなかった。
その当座は犬の事ばかりに屈托して、得意の人生論や下層研究も余り口に出なかった。あたかも私の友人の家で純粋セッター種の仔が生れたので、或る時セッター種の深い長い艶々した天鵞絨よりも美くしい毛並と、性質が怜悧で敏捷こく、勇気に富みながら平生は沈着いて鷹揚である咄をして、一匹仔犬を世話をしようかというと、苦々しい顔をして、「イヤ、貰う気はしない、先妻が死んで日柄が経たない中に、どんな美人があるからッて後妻を貰う気になれるかい、」と喪くなった醜い犬を追懐して惻々の情に堪えないようだった。
犬よりも最う一倍酷愛していたのは猫であった。皆川町時代から飯田町、東片町の家に出入したものは誰でも知ってる、白いムクムクと肥った大きな牝猫が、いつでも二葉亭の膝の廻りを離れなかったものだ。東片町時代には大分老耄して居睡ばかりしていたが、この婆さん猫が時々二葉亭の膝へ這上って甘垂れ声をして倦怠そうに戯れていた。人間なら好い齢をした梅干婆さんが十五、六の小娘の嬌態を作って甘っ垂れるようなもんだから、小らしくて撲り倒してやりたい処だが、猫だからそれほど妙にも見えないで、二葉亭はお祖父さんが孫を可愛がるようにホクホクして甘やかしていた。
この猫も本とは皆川町時代に何処からか紛れ込んで来た迷い猫であって、毛並から面付までが余り宜くなかった。が、二葉亭は、「誰も褒めてくれ手がなくても、大事な可愛いい娘だ、」と、猫を抱えて頬摺りしながら能く言ったもんだ。「人間の標準から見て、猫の容貌が好いの悪いのというは間違ってる、この猫だって誰も褒めてくれ手がなくても猫同士が見たら案外な美人であるかも知れない、その証拠には交孳の時には牡猫が多勢張りに来る、」と。
かつ曰く、「仮に容貌が悪いにしても、容貌の好悪で好き嫌いをするのは真に愛する所以ではない。自分の娘が醜いからといって親の情愛に変りがないと同様に、猫にだってやはり同じ人情がなければならないはずだ。犬や猫の容貌が好いの悪いのといって好いたり嫌ったりするは人間として実に恥かしい事だ、」と。
二葉亭の家では主人の次には猫が大切にされた。主人の留守に猫に粗があっては大変だといって、家中がどれほど猫を荷厄介にして心配したか知れない。出入の八百屋の女房が飛んで来て、「大変でござります、唯今こちらさまのお猫さんが横町の犬に追われて向うの路次に逃込みました、」と目の色変えて註進に及んだという珍談もあった。
《さかな》を買うにも主人の次には猫の分を取った。残を当てがうような事は決してなかった。時々は「猫になりたい」という影口もあった。下世話に、犬は貰われる時お子様方はお幾たりと尋ねるが猫は孩児は何匹だと訊くという通りに、猫は犬と違って児供に弄られるのを煩さがるものだが、二葉亭の家では猫は主人の寵幸であって児供が翫弄にするのを許さなかった。児供の方でも父の秘蔵を呑込んで、先年死んだ長男の玄太郎が五ツ六ツの悪戯盛りにも「あれは父ちゃんのおにゃん子」といって指一本も決して触れなかった。
この猫は主人の寵愛に馴れて頗る行儀が悪るかった。客が来て食物が出ると、必ず何処からかヌウッと現われ、ノソノソ食物の傍へ行って臭いを嗅ぐ。世間の猫はコソコソ忍び足で近づいては、油断を見済まして引攫うものだが、二葉亭の猫は叱られた事がないから恐いという事を知らない。鷹揚にノソノソやって来て、自分の好きな塩煎餅か掻餅でもあろうもんなら、宛もこの家のものは竈の下の灰までが俺の物だというような顔をして、平気で菓子鉢に顔を突込んではボリボリと喰べ初める。すると二葉亭は眼を細くして、「これこれ、復たそんな意地汚なをする」と静かに膝へ抱取って掌上へ菓子を取って喰わせながら、「放任教育だから行儀が悪くて困る、」と猫の頭を撫で撫で「が、本来猫に行儀を仕込むッてのが間違ってる、人間の道徳で猫を縛ろうとするのは人間の我儘で、猫に取っては迷惑千万な咄だ、」といった。けれどもお膳が出てから、生腥い臭いにいよいよ鼻をムクムクさして、お客のお膳であろうと一向お関いなしに顔を突出し、傍若無人にお先きへ失敬しようとする時は、いくら放任教育でも有繋にお客の肴を掠奪するを打棄って置けないから、そういう時は自分の膝元へ引寄せてお椀の蓋なり小皿なりに肴を取分けて陪食させた。が、この腕白猫めは頗る健啖家で、少とやそっとのお裾分では満足しなかった。刺身の一と皿位は独り占めにベロリと平らげてなお飽足らずに、首を伸ばして主人が箸に挿んで口まで持って行こうとするのをやにわに横取りをする。すると二葉亭は眼を細くして、「ドウモ敏捷こい奴だ!」と莞爾々々しながら悦に入ったもんだ。
二葉亭の猫におけるや、丁度若い母親が初めて産んだ子を甘やかすように、始終懐ろに入れたり肩へ載せたり、夜は抱いて寝て、チョッカイでも出せば溶けるような顔をして頬摺したり接吻したりした。猫めの方でも大甘垂れに甘垂れて舌を出してはベロベロと二葉亭の顔を舐めた。「接吻だけは止せというが、こうしずにはいられない」と状貌魁偉と形容しそうな相好を壊して、頤の下に猫を抱え込んでは小娘のように嬉しがって舐めたり撫ったりした。
飯田町にいた時分、或る日曜日の朝十時頃に尋ねると、今起きたばかりだといって眠そうな顔をしていた。なんぼ日曜日でも少と寝坊が過ぎるというと、「昨宵は猫のお産で到底寝られなかった、」といった。段々訊くと、予てから猫の産月が近づいたので、書斎の戸棚に行李を準備し、小さい座蒲団を敷いて産所に充てていたところ、昨夜は宵から容子が変なので行李の産所へ入れるとは直ぐ飛出して息遣いも苦しそうに々啼きながら頻りと身体をこすりつけて変な容子をする。爰で産落されては大変と、強に行李へ入れて押え付けつつ静かに背中から腰を撫ってやると、快い気持そうに漸と落付いて、暫らくしてから一匹産落し、とうとう払暁まで掛って九匹を取上げたと、猫のお産の話を事細やかに説明して、「お産の取上爺となったのは弁慶と僕だけだろう。が、卿の君よりは猫の方がよっぽど豪かった、」と手柄顔をした。それから以来習慣が付き、子を産む度毎に必ず助産のお役を勤め、「犬猫の産科病院が出来ればさしずめ院長になれる経歴が出来た、」と大得意だった。
不思議な事にはこれほど大切に可愛がっていたが、この猫には名がなかった。家族は便宜上「白」と呼んでいたが、二葉亭は決して名を呼ばなかった。「名なんかドウでも好い、なくても好い、猫に名なんか付けるのは人間の繁文縟礼で、猫は名を呼ばれたって決して喜ばない、」といっていた。こんな処にも空名虚誉を喜ばない二葉亭の面目が現れていた。
最一つ不思議な事は、この位に猫や犬を可愛がっていても、ツイぞ一度人から貰った事がない。「棄てられたり紛れたりして来たから拾って育ててやるので、犬や猫を飼うのは楽みよりは苦みである。わざわざ求めて飼うもんじゃ決してない、」といっていた。二葉亭の犬や猫に対するや人間の子を愛すると同じ心持であった。