伊勢之巻

3話

1,551字 約3分 2006年3月17日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

「はい、あの軒ごと、()ごと、(むこう)三軒両隣と申しました工合(ぐあい)に、玉転(たまころが)し、射的だの、あなた、賭的(かけまと)がござりまして、山のように積んだ景物の数ほど、(あかり)が沢山()きまして、いつも花盛りのような、(にぎやか)な処でござります。」

 客は火鉢に手を(かざ)し、

「どの店にも大きな人形を飾ってあるじゃないか、赤い裲襠(しかけ)を着た姐様(ねえさん)もあれば、向う顱巻(はちまき)をした道化もあるし、牛若もあれば、弥次郎兵衛(やじろべえ)もある。屋根へ手をかけそうな大蛸(おおだこ)が居るかと思うと、腰蓑(こしみの)村雨(むらさめ)が隣の店に立っているか、下駄屋にまで飾ったな。(みんな)極彩色だね。中にあの三間間口(げんまぐち)一杯の布袋(ほてい)が小山のような腹を据えて、仕掛けだろう、福相な柔和な目も、人形が大きいからこの皿ぐらいあるのを、ぱくりと()っちゃ、手に持った団扇(うちわ)をばさりばさり、往来を(あお)いで招くが、道幅の狭い処へ、道中双六(どうちゅうすごろく)で見覚えの旅の人の姿が小さいから、吹飛ばされそうです。それに、墨の法衣(ころも)の絵具が破れて、肌の斑兀(まだらはげ)の様子なんざ、余程(すご)い。」

(まねき)善悪(よしあし)でござりまして、姫方や小児衆(こどもしゅう)(こわ)いとおっしゃって、旅籠屋(はたごや)(うな)されるお方もござりますそうでござりまする。それではお気味が悪くって、さっさと通り抜けておしまいなされましたか。」

(つま)らないことを。」

 客は引緊(ひきしま)った口許(くちもと)に微笑した。

「しかし、土地にも因るだろうが、奥州の原か、飛騨(ひだ)の山で見た日には、気絶をしないじゃ済むまいけれど、伊勢というだけに、何しろ、電信柱に附着(くッつ)けた、ペンキ(ぬり)の広告まで、土佐絵を見るような心持のする国だから、赤い唐縮緬(とうちりめん)を着た姐さんでも、京人形ぐらいには美しく見える。こっちへ来るというので道中も余所(よそ)とは違って、あの、長良川、揖斐川(いびがわ)、木曾川の、どんよりと三条(みすじ)並んだ上を、晩方通ったが、水が油のようだから、汽車の音もしないまでに、(かささぎ)の橋を(すべ)って銀河(あまのがわ)を渡ったと思った、それからというものは、夜に()ってこの伊勢路へかかるのが、何か、雲の上の国へでも入るようだったもの、どうして、あの人形に、心持を悪くしてなるものか。」

「これは、旦那様(だんなさま)お世辞の()い、土地を()められまして何より嬉しゅうござります。で何でござりまするか、一刻も早く御参詣(ごさんけい)を遊ばそう思召(おぼしめし)で、ここらまで乗切っていらっしゃいました?」

「そういうわけでもないが、伊勢音頭を見物するつもりもなく、古市より相の山、第一名が()いではないか、あいの山。」

 客は何思いけん手を(ほお)にあてて、片手で弱々と胸を(いだ)いたが、

「お(ばあ)さん、昔から聞馴染(ききなじみ)の、お杉お玉というのは今でもあるのか。」

「それはござりますよ。ついこの前途(さき)をたらたらと上りました、道で申せばまず峠のような処に観世物(みせもの)の小屋がけになって、やっぱり紅白粉(べにおしろい)をつけましたのが、三味線(さみせん)でお鳥目(ちょうもく)を受けるのでござります、それよりは旦那様、前方(さき)に行って御覧じゃりまし、川原に立っておりますが、三十人、五十人、橋を通行(ゆきき)のお方から、お(あし)(つぶて)を投げて頂いて、手ン手に長棹(ながざお)(さき)へ網を張りましたので、宙で受け留めまするが、秋口蜻蛉(とんぼ)の飛びますようでござります。橋の(たもと)には、女房達が、ずらりと大地に並びまして、一文二文に両換(りょうがえ)をいたします。さあ、この橋が宇治橋と申しまして、内宮様(ないぐうさま)へ入口でござりまする。川は御存じの五十鈴川(いすずがわ)、山は神路山(かみじやま)。その姿の優しいこと、気高いこと、尊いこと、清いこと、この水に向うて立ちますと、人膚(ひとはだ)背後(うしろ)から皮を(とお)して透いて見えます位、急にも流れず、(よど)みもしませず、(なみ)の立つ、瀬というものもござりませぬから、色も、(あお)くも見えず、白くも見えず、緑の(ふち)にもなりませず、一様に、(ほん)の水色というのでござりましょ。

 渡りますと、それから三千年の杉の森、神代(かみよ)から昼も薄暗い中を、ちらちらと流れまする五十鈴川を真中(まんなか)に、神路山が(つつ)みまして、いつも(しずか)に、神風がここから吹きます、ここに白木造(しろきづくり)の尊いお宮がござりまする。」

目次に戻る

目次