1話 四つの都 一 口縄坂。
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カメラは坂下からじっと見上げているが、坂には誰もいない。しんとした寂しい黄昏が木木の緑に吸い込まれている。
やがて、坂下の通りから遠い唄声が聞えて来る。
福島少佐シベリヤ行の歌だ。
「一日二日は晴れたれど
三日四日五日は雨に風」
唄声はだん/\近づいて来る。やがて、唄の主の、新聞配達の少年、新吉が石段を登って行く。
「道の悪しさに乗る駒も
踏みわずらいて野路病」
登って行く新吉の眼に、坂の上の露地で少年達が胴乗り遊び(馬飛びともいう)をしているのが見える。途端に、新吉は胴乗りの調子を真似て、一度に三段、石段を飛び登ろうとする。その拍子に倒れて、膝をしたゝか打って擦り剥く。
新吉、半泣きの顔で歯をくいしばっている。が、急に平気な顔を装って起ち上ろうとする。
小谷初枝と尾形清子の両訓導が急いで坂を登って来る姿を見つけたからだ。しかし、新吉がこの二人を見つけるより早く、二人は新吉を見つけていた。しかもその倒れた姿を。
新吉「あ、先生……」
あとの「……お帰り…」は、口の中でもぐ/\言って、頭をピョコンと下げる。姿勢を正すと、苦痛が一層こたえる。
初枝「痛む? 見せてごらん、擦りむいたんでしょう?」
新吉はなぜか狼狽する。怪我をしたのを知られるのが怖いかのようである。
しかし、清子はあっという間に、新吉の足もとにしゃがんで、膝小僧の傷を見る。
新吉はと見れば――
新吉は棒のように突っ立って、胴乗り遊びの方を見ている。新吉にはふと遠い眺めである。そして新吉は、清子の「小谷先生、ヨードチンキあって?」という言葉を聴いている。ヨードチンキは渡されたらしい。初枝が「しむから我慢しなさい」と言っている。
新吉「はい」
答えたものゝ確かにしむ。痛い、涙がにじんで来たらしい。その証拠に胴乗り遊びが霞んで見える。その遊びの動作もなにか急に鈍くゆるやかになって見える。繃帯が捲かれている。
新吉「先生、お父っちゃんに僕が怪我したこと言わんようにして下さい」
清子「どうして……?」
新吉「僕、あした名古屋の工場へ働きに行くんです、怪我したと判ったら、お父っちゃん余計心配しますさかい」
新吉ペコンと頭を下げて、
新吉「おおけに、さいなら」
と、言ったかと思うと、石段を登って行く。ビッコを引きながら。新吉が胴乗り遊びの処まで来た時、馬の胴になって、背中にばかに肥った子供を乗せてフウフウ言っていた一人の子供が、半分四つ這いの姿勢のまゝ、ひょいと横眼を使ったとたんに石段を登って来る初枝、清子両先生の姿を斜めの視線の中にとらえる。
子供「あ、先生や」
そう叫んで、起ち上って挨拶しようとした拍子に、馬全体がくずれてしまって、上に乗っている者が倒れ、胴の者はその下敷になる。
混乱。
新吉はこの混乱をよそに、坂上の露地の家々へ、新聞を投げ込みながら、露地を抜けると、通りへ折れて、黄昏の中へ姿を消す。その後ろ姿の痛々しいが、しかし、どこか活々した感じ!
犬の声がする。新吉が吠えられたのであろう。露地の向うの通りを、夜店出しが荷車をひいて通る。
やがて、露地の角を初枝と清子が新吉と反対の方へ折れて行く。
その二人の後を追うて、あわてゝ折れて行く男がある。
蜂谷十吉だ。新聞記者だが、新聞記者らしくない。たとえば鳥打帽など被っていず、無帽である。その代り蝙蝠傘を持っている。この男、年齢がない。本当は若いのだろうが。どこか瓢々とした感じ!