日本橋

4話 檜木笠 四

1,226字 約2分 2015年11月4日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

「そりゃ、(かな手本。)の御連中、あすこで呼んでいさっしゃる。」

 潮を踏んだ飴屋は老功。赤い涎掛(よだれかけ)を荷の正面へ出して、小児の捌口(はけくち)へ水を向ける。

「僕の事かい。」

 と猶予(ためら)いながら、笹ッ葉の竹棹(たけざお)を、素直(まっすぐ)()いた下に、(びん)のほつれに手を当てて、おくれを()いた若い妓の姿は、(ねがい)の糸を掛けた(さま)に、七夕らしく美しい。

「お前様方でのうて、忠臣蔵がどこに有るかな。」と飴屋は(うなず)くように頤杖(あごづえ)を支いて言う。

「一所においでよ、(みんな)。」

「おい。」

 義士の人数(にんず)、六人の同勢は、羽根のように、ぽんぽんと発奮(はず)んで出て()く。

 坊主は、笠ながら会釈して、

「貴殿は大高源吾どの?」

 笹を持ったのが、(気を付け。)の姿勢になった。

「ええ、そうです。」

「こなたはな。」

 見向かれた、ひょろ竹は、なぜか、ごしごしと天窓(あたま)を掻いた。

「僕は赤鞘(あかざや)の安兵衛てんです。」

「ははあ、堀部(うじ)でおいでなさる。」

「千崎弥五郎だよ。」

 矮小(ちび)は唇を、もぐもぐと()る。

「成程――その他いずれもお揃いでありますな。」

 と、六人をずらりと見渡し、

「いや、これは誰方(どなた)も、はじめまして御意を得ます。」

 ここで(あらた)めてまた慇懃(いんぎん)挨拶(あいさつ)した。小児等はきょとんとする。

 中に大高源吾が、笠を覗込(のぞきこ)んで、前へ(かが)み、

「坊さんは誰なんです。」

怜悧(りこう)だな。何、天晴(あっぱれ)御会釈。いかさま、御姓名を承りますに、こなたから先へ氏素姓を申上げぬという作法はありませなんだ。しかし御覧の通り、木の(はし)同然のものでありますので、別に名告(なの)りますほどの苗字とてもありませぬ。愚僧は泉岳寺の味噌摺(みそすり)坊主でござる。」

 事実元禄義士扱い。で、言葉も時代に、鄭重(ていちょう)に、生真面目(きまじめ)応対(あいしらい)。小児等は気を取られて、この味噌摺坊主に、笑うことも忘れて(うっか)りでいる。

「ええ、さて各自(おのおの)には、すでに御本望をお遂げなされたのでありまするか。それとも、また今夜(こよい)にも吉良邸へお討入りに相成りますかな。」

 小児等は同じように顔を合せて、猿眼(さるまなこ)に、猫の目、上り目、下り目、団栗目(どんぐりめ)、いろいろなのがぱちくるのみ。

 自ら名告(なの)った味噌摺坊主は、手甲の手の腕組して、

「ははあ、御思考最中と見えますな。いや、何にいたせ、貴方(あなた)がたを義士の御連中とお見掛け申して、ちと折入って、お話し申したい事があります。余り端近。な、ここは余り端近で、それそれ通りがかりの人目も多い。もそっとこれへ、ちょっと向うへ。あの四角(よつかど)の処まで、手前と御同道が願いたい。

 決して悪いことではありませぬ。さあさあ誰方も。」

 と云うより早く、すたすたと通りの方へ。

 松屋あたりの、人通(ひとどおり)。どっちが(端近。)なのかそれさえ分らず、小児等は魅せられたようになって、ぞろぞろと後に続く。

 電車が来る、と物をも言わず、味噌摺坊主は飛乗(とびのり)飜然(ひらり)、と乗った。で、その小笠をかなぐって脱いだ時は、早や乗合の中に紛れたのである。――白い火が飛ぶ上野行。――文明の利器もこう使うと、魔術よりも重宝である。

 角店の硝子(がらす)窓の前に、六個(むッつ)の影が、ぼやりとして、中には総毛立って、震えたのがあった。

目次に戻る

目次