66話 あわせかがみ 六十六
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「これは、いらっしゃいまし。」
そこへ、お千世に介抱されつつ、二階から下りて来たお孝が、儀式正しく、ぴたりと手を支いて挨拶をした。肩の位に、大客を恐れない品格が備わって、取乱した人とは思われなかった、が、清葉も改めて会釈をする時、それは誰にするのやら分らないことを悟った。
「いらっしゃいまし。」
今度は澄まして在らぬ方の、店を向いて手を支いたのである。
「お孝さん、分りますか。」
清葉は声を曇らしながら、二階で弄んで欄干越、柳がくれに落したのを、袖で受けて膝に持った、銀地の舞扇を開いて立って、長火鉢の向う正面に、縁起棚の前にきらりと翳すと、お孝が、肩を落して、仰向いて見つつ。
「お月様でしょう。――大事のお月様雲めがかくす。――とても隠すなら金屏風で、」
と唄うかと思えば、
「おお、寒い、おお寒い、もう寝ようよ。」と身ぶるいをする。
お千世が、その膝を抱くように附添って、はだけて、乳のすくお孝の襟を、掻合せ、掻合せするのを見て、清葉は座にと着きあえず、扇子で顔を隠して泣いた。
背後へ廻って、肩を抱いて、
「お大事になさいよ、静にお寝みなさいまし、お孝さん、ちょいとお千世さんを借りますよ。――お座敷にして。」
と顧みて、あとは阿婆に云った。
「から、意気地も、だらしも有りませんやね、我ままの罰だ、業だ。」
と時々刻んで呟いた阿婆が、お座敷と聞くと笑傾け、
「そらよ、お千世や、天から降ったような口が掛った。さあ、着換えて、」
直ぐに連れて出ると心得た阿婆が、他には無い、お孝の乱心にゆかしがって着ていた、その段鹿子を脱がせようと、お千世が遮る手を払って、いきなりお孝の帯に手を掛けて、かなぐり取ろうとしたのである。
「叔母さん、まあ、」
とお千世はおろおろ。……
「失礼をいたします。」と、何の事やらまた慇懃に、お孝が、清葉に手を支いたのは涙ならずや。
「これが可厭なら、よく稼いで、可い旦那を取ってな、貴女方を、」
と、清葉を頤、
「見習って幾枚でも拵えろ、そこを退かぬかい。」と突退ける。
「お待ちなさいまし。」
凜と留めて、
「切火を打って、座敷へ出ます、芸者の衣物を着せるには作法があるんです。……お素人方には分りません、手が違うと怪我をします。貴方、お控えなさいまし。――千世ちゃん、今(箱さん。)を寄越すから、着換えないでいらっしゃいよ。姉さんを気をつけて。お孝さん、」
何も知らず横を向いたお孝に、端正と手を支いて、
「さようなら。――二人で、一度あわせものをしましょうね。」
と目を手巾で押えて帰った。……
襦袢はわざと、膚馴れたけれど、同一その段鹿子を、別に一組、縞物だったが対に揃えて、それは小女が定紋の藤の葉の風呂敷で届けて来た。
箱屋が来て、薄べりに、紅裏香う、衣紋を揃えて、長襦袢で立った、お千世のうしろへ、と構えた時が、摺半鐘で。
「木の臭がしますぜ、近い。」
と云うと、箱三の喜平はひょいと一飛。阿婆も続いて駆出した。
お千世の斬られた時、衣物はそこにそのままである。