日本橋

66話 あわせかがみ 六十六

1,242字 約2分 2015年11月4日 公開

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「これは、いらっしゃいまし。」

 そこへ、お千世に介抱されつつ、二階から下りて来たお孝が、儀式正しく、ぴたりと手を()いて挨拶をした。肩の位に、大客を恐れない品格が備わって、取乱した人とは思われなかった、が、清葉も改めて会釈をする時、それは誰にするのやら分らないことを悟った。

「いらっしゃいまし。」

 今度は澄まして在らぬ(かた)の、店を向いて手を支いたのである。

「お孝さん、分りますか。」

 清葉は声を曇らしながら、二階で(もてあそ)んで欄干(てすり)越、柳がくれに落したのを、袖で受けて膝に持った、銀地の舞扇を開いて立って、長火鉢の向う正面に、縁起棚の前にきらりと(かざ)すと、お孝が、肩を落して、仰向いて見つつ。

「お月様でしょう。――大事のお月様雲めがかくす。――とても隠すなら金屏風で、」

 と唄うかと思えば、

「おお、寒い、おお寒い、もう寝ようよ。」と身ぶるいをする。

 お千世が、その膝を抱くように附添って、はだけて、()のすくお孝の襟を、掻合(かきあわ)せ、掻合せするのを見て、清葉は座にと着きあえず、扇子(おうぎ)で顔を隠して泣いた。

 背後(うしろ)へ廻って、肩を抱いて、

「お大事になさいよ、(しずか)にお(やす)みなさいまし、お孝さん、ちょいとお千世さんを借りますよ。――お座敷にして。」

 と顧みて、あとは阿婆(おばあ)に云った。

「から、意気地も、だらしも有りませんやね、我ままの罰だ、(ごう)だ。」

 と時々刻んで(つぶや)いた阿婆が、お座敷と聞くと笑傾(えみかたむ)け、

「そらよ、お千世や、天から降ったような口が掛った。さあ、着換えて、」

 直ぐに連れて出ると心得た阿婆が、(ほか)には無い、お孝の乱心(みだれごころ)にゆかしがって着ていた、その段鹿子を脱がせようと、お千世が遮る手を払って、いきなりお孝の帯に手を掛けて、かなぐり取ろうとしたのである。

「叔母さん、まあ、」

 とお千世はおろおろ。……

「失礼をいたします。」と、何の事やらまた慇懃(いんぎん)に、お孝が、清葉に手を支いたのは涙ならずや。

「これが可厭(いや)なら、よく稼いで、可い旦那を取ってな、貴女方を、」

 と、清葉を(あご)

「見習って幾枚でも(こしら)えろ、そこを退()かぬかい。」と突退(つきの)ける。

「お待ちなさいまし。」

 (りん)と留めて、

「切火を打って、座敷へ出ます、芸者の衣物(きもの)を着せるには作法があるんです。……お素人方には分りません、手が違うと怪我をします。貴方、お控えなさいまし。――千世(ちい)ちゃん、今(箱さん。)を寄越すから、着換えないでいらっしゃいよ。姉さんを気をつけて。お孝さん、」

 何も知らず横を向いたお孝に、端正(ちゃん)と手を支いて、

「さようなら。――二人で、一度あわせものをしましょうね。」

 と目を手巾(ハンケチ)で押えて帰った。……

 襦袢はわざと、膚馴(はだな)れたけれど、同一(おなじ)その段鹿子を、別に一組、縞物(しまもの)だったが(つい)に揃えて、それは小女(こおんな)が定紋の藤の葉の風呂敷で届けて来た。

 箱屋が来て、薄べりに、紅裏(にお)う、衣紋を揃えて、長襦袢で立った、お千世のうしろへ、と構えた時が、摺半鐘(すりばん)で。

「木の(におい)がしますぜ、近い。」

 と云うと、箱三の喜平はひょいと一飛。阿婆(おばあ)も続いて駆出した。

 お千世の斬られた時、衣物(きもの)はそこにそのままである。

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