18話 第十二 幕政の変局(1)
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家貧うして良妻を懐い、時艱にして良相を懐う。徳川末世の晁錯たる水野越前守は、廃蟄後、未だ十箇月ならざるに、再び起って加判列の上席に坐しぬ。これ何故ぞ、外交の迫圧、余儀なくも幕閣をして、ここに至らしめたるのみ。曰く、和蘭国王は、軍艦を艤して、開国和親の忠告書を齎らしたる特命使節を派遣すべし、曰く、英仏交も琉球に迫り、交易を促がす。誰れかこの際において、身を抽んで、その措置に任ずるものぞ。敵も味方も、目指すものは、ただ水野あるのみ。
手負うたる猪は、さらに幾倍の速力を以て、突進直前す。彼は既に内政に失敗せり。彼が手腕はただ外交の上に剰されたり。彼は内政改革において、水戸烈公を援いて、その味方としたる如く、外交においても、彼と結托して、以て為す所あらんと欲せり。嘗て驕慢に募れりとの咎めを受けたる烈公は、再び顔を世に出だせり。羽翼既に成る、以て高飛すべし。彼の眼は将に来らんとするの大暴風を射れり。むしろ他より逼られて開国するよりも、我より進んで慶長、元和の規模に復り、内は既に潰敗したる士気を鼓舞し、外は進取の長計を取らんと欲せり。水戸烈公も七分までは、彼の賛成者たりき。彼は果してその経済を実行し得たるか、曰く、否、大いに否。
彼はその経済を以て、同僚に諮れり、同僚みな否とせり。彼は重ねて老中、若年寄、寺社奉行、勘定奉行、長崎奉行、大目付、御目付等の大評定を開けり。衆議みなこれを否とせり。彼はさらに御前評議をなせり、而して将軍またこれを否とせり。彼を用いんがために、再び彼を起したるの幕閣は、彼の意見を用うる能わず。彼が去るべきの時は早くも来れり。
彼は御前評議の席において、決然として曰く、「既にかく鎖国と決する上は、和の一字は、永劫未来、御用部屋に封禁して、再び口外する勿れ。満坐の方も果してその覚悟あるや。余が如きは不肖ながら、一旦外患の迫るにおいては、一死以て君に酬い、武門の面目を辱めざるべし。この心日光廟も、弓矢八幡も照覧あれ」と。将軍矍然たり、衆みな黙然たり。ただ彼が同僚阿部伊勢守は、涙眼以て答えて曰く、「委細承知仕りぬ」と。彼は弘化元年六月二十一日に出で、同二年二月二十二日を以て去る。この人一たび去りて、幕閣また済時の宰相なし。
外交の急迫は、櫛の歯を挽くが如し、和蘭の使節も来れり、忠告書をも受取れり。黒船の影は日一日より重くなれり、然れども幕閣は、閑々然として泰平を粧えり。嘉永五年に到りては、和蘭事務官は、明年において米国軍艦が、和親条約締結の目的を以て、その使節を乗せ来る警報を伝えたり。然れども首相阿部伊勢守を始めとして、幕閣は半信半疑にこれを放擲し、さらに何の準備もなさざりき。而して果然嘉永六年六月三日米国軍艦は、舳艫相銜み、忽然として天外より江戸湾の咽吭なる浦賀に落ち来れり。六無斎子平が、半世紀前に予言したる夢想は、今や実現せり。同六日米艦本牧に入る、幕閣みな震う、会議夜に徹して、さらに定まれる廟算なし。廟算上に定らざれは、驚慌下においてさらに甚し。当時の事情を記するもの曰く、
この時浦賀その外海岸諸家の陣屋より昼夜を分たず注進の汗馬、海陸飛脚の往来櫛歯を挽くよりも忙がわしく、江戸の大都繁華の巷も俄に修羅の衢に変じ、万の武器、調度を持運び、市中古着商う家には陣羽織、小袴、裁付、簑笠等をかけならべ、鍛冶を業とする者は家毎に甲冑、刀槍を鍛え、武器商う店には古き武器を累ねてその価平時に倍せり。海辺に家宅ある士民、老幼婦女の立退かんとて家財雑具を持運ぶ様、さしもにひろき府下の街衢も、奔走狼狽して錐を立つべき処もなし。訛言随って沸騰し、人心恟々として定まらず。
如何に大狼狽したるよ。元和偃武以来、蔵めて鞘にありし宝刀も、今はその心胆と共に錆びて、用に立つべきもあらず。和といい、戦という、共にこれ俳優的所作に過ぎず。独り封建社会の継児たる智勇弁力の徒が指点して待ちたる動乱の機は来れり。《ろう》上に太息せる陳勝、爼辺に大語せる陳平、窮巷に黙測する范増、上の書を玩味する子房、彼らが時は既に来れり。舞台変ずれば役者もまた変ぜざるべからず、今や変ずべきの時は来りしなり。松陰の如きまたその一人のみ。臥すもの起ち、起つもの奔る、天下動乱の機は既に熟したるなり。
統一せられたる政権は無意識的に分配せられたり。看よ、天下の大権を隻手に集めたる幕府は、今や余儀なくも、これを朝廷と諸侯とに分配せり。外交の事迫るや、その出来事を朝廷に奏聞せり、奏聞するは則ち勅裁を仰ぐの漸なり。和戦の議を諸侯に諮れり、諸侯に諮るは、諸侯に左右せらるるの階梯なり。而して朝廷の議も、諸侯の論も、みな彼の智勇弁力の徒が、その間に周旋煽揚したるに外ならず。ここにおいてか政権は沈黙の中に受授せられたり、社会は冥暗の中に革命せられたり。人は伏見、鳥羽の砲火によりて、革命の業行われたりという。焉んぞ知らん、その十五年前において、幕府は既に精神的自殺をなし遂げたるを。「外よりは手もつけられぬ要害を、内よりやぶる栗のいがかな」。幕府は倒れり、さらに誰を咎むべき。
徳川幕府の創業者の遺訓に曰く、「越方行末を思い新法を立て、家を新しくする勿れ、無調法なりとも、予が立置きたる家法を失い給うべからずと申すべし」と。然れども彼が夢想せざりし新要素は、政治の大難題となりて現われ出でたり。内に対しては幕府の制度は、随分便利なきにあらざれども、外に対してはこれほど面倒なるものはあらず。何となれば天皇必らずしも国家を統治せず、将軍必らずしも軍務の総督官のみならず。名においては諸侯みな天皇の臣なれども、実においては将軍の臣なり。かくの如く名実相違、自家衝突の中において、自から円融活滑の制をなしたるものなれども、外に対する点においては、かかる雑駁にして錯綜したる非論理的政制の甚だ不都合なるは、余儀なき次第といわざるを得ず。例えば誰が主人やら、家族やら、訳けの分らぬ所に面白味あれども、客に接する場合においては、主人相い識らざる家は、客も迷惑なるべく、此方も迷惑なるべし。苟くも事勢を揣摩するものは、天子親政の禁ずべからざる、藤田東湖を俟ちて、而して後これを知らざるなり。然らば則ち吾人は決して当時の幕閣の自からその利器を人に渡したるを怪しむべからざるなり。
吾人は阿部伊勢守を以て、庸相というべからず。彼は夏日恐るべき水野の後を承け、冬日親むべき政略を取れり。如何に彼が大奥の援引によりてその位を固うしたるにせよ、如何に彼が苟安を偸取したるの譏りは免るべからざるにせよ、如何に因循姑息の風を馴致し、また馴致せられ、弊船に坐して深淵に下るに一任したるにせよ、彼は少くとも大臣たるの器を具えたるを許さざるを得ず。彼は一身を以て朝廷、幕府、諸侯を連串するの鉄鎖となり、以て政権を三者に分配しつつも、なお幕府を以て中心点となし、上は朝廷に接し、下諸侯に連り、以て調和一致の働きをなさんと欲せり。彼はこれがために外藩諸侯の魁たる薩摩と結托せり。幕府の親藩にして朝廷に最も縁故ある水戸を馴撫せり。彼が世を終るまでは、諸侯に違言なく、水戸烈公の如きも、動もすれば牴牾扞挌したるに係らず、なお幕府の純臣たるを失わざりしなり。彼にして死せずんば、あるいは公武合体の変則制を霎時の間建立したるも未だ知るべからず。惜しむべし彼は安政四年六月を以て死せり。彼一たび死す、水戸老公はあたかも放たれたる虎の如し、その幕閣より遠ざかるに比例して朝廷と密着し、一孔生じて千瘡出で、遂に容易ならざる禍機を惹起せり。
幕閣は責任を分たんがために朝廷に奏上せり、諸侯に諮詢せり、而して未だ責任を分つに及ばずして、早くも政権を分てり。今は朝廷と諸侯とは、中間の幕府を通さずして直接の交渉を開けり。彼らは幕府が与うるに意なき政権のみを握りて、その与うるを目的としたる責任を辞せり。彼らは幕府に対しては総ての権理者にして一の義務者にあらず。幕府はただ彼らが無理なる注文に応じ、無理と知りつつ応ずる振りし、彼らが無責任なる行為の保険者となり、賠償者となり、遂にその奔命に疲れて自から斃れたり。豈にまた憐むべからずや。而してその彼らとは朝廷にあらず、諸侯にあらず、実に彼の知勇弁力の徒たるを忘るべからず。
阿部に継げる堀田正篤の如きは、その外交的智識よりすれば、当時において一省の長官たるにおいて余りあり。然れども双肩以て内憂外患を担う乱世の宰相たる器にあらず。もしそれ徳川最後の力ある宰相を求めば、吾人は猶予なく指を井伊直弼に屈せざるを得ず、彼はその力量と責任を知るとよりすれば、直ちに水野忠邦以後の一人なり。
彼の出で来る、継嗣論その楔子たる疑うまでもなし。当時位を極め、驕りを極め、徳川の隆運を極めたる家斉の孫家定、将軍の位に在り。彼多病にして懦質、固より将軍の器にあらず、故に前将軍家慶予じめその不肖を知り、水戸烈公の子慶喜をして一橋家を継がしめ、以て他日将軍たるの地を為さんとせり。水戸派に属する尊攘党は、彼が水戸烈公の愛子なるを以て、彼に思を属したり。幕府の当途者及び要衝に立つ能吏は、彼が一方においては尊攘党の望を負い、他方においては英才賢明なるの為人を聞き、彼に思を属したり。彼さえ将軍とならば、上は朝廷の思召にも叶い、下は諸侯の望をも帰し、内は幕府の中心点を固うし、外は天下の威信をも繋がんと思えり。約言すれば彼を以て公武合体、朝廷、幕府、諸侯、三位一体の権化となせり。諸侯を問わず、公卿を問わず、浮浪を問わず、幕臣を問わず、彼らが期せずして儲君擁立運動に従事したるも、また宜べならずや。
将軍家定は、賢明年長なる儲弐出で来る時には、己れは押込隠居とならざるべからざるを知れり。彼はその父前将軍の一橋慶喜を愛したるに反比例して、彼を好まざりき。いわんや幕政動機の潜伏処たる大奥の浸潤あるにおいてをや。ともかくも井伊直弼は、宮廷隠謀の中より幕閣の御用部屋に出で来れり。彼は一死を以て将に倒れんとしたる幕政を挽回せんと欲したり。然れども彼を援引したるものは、実に儲君論その主眼にして、彼は実に一橋党のために擁せられて、ここに至りたるを忘るべからず。
井伊直弼は、儲君論よりして、水戸派と反対したるか、水戸派と反対したるが故に、儲君論に反対したるか。その主客の何の辺にあるか、今日においてこれを揣摩する能わざれども、彼は確かに将軍家定の知遇に感激し、一死を以てこれに酬いんと欲したり。彼は確かに一橋卿を擁立するは、幕府の政権を孤弱ならしむる所以なるを看取したり。彼は確かに方今の大計は、阿部伊勢守以来、上朝廷に下諸侯に分配したる政権を、幕府に蒐集し、東照公以来独裁制を擁護するにあるを見せり。彼の満腹の経綸は、ただ幕政復古にあり、彼が満腔の熱血は、ただ幕府政権の一毫毛をも、他より手を触れしめざらんことにありき。彼が眼中国家ありしや、吾人これを知らず、彼が眼中徳川氏あり、これがためにその身を忘るるに至りては、吾人確かに保証せんと欲するなり。
死を知る易からず、彼既に身を献ぐ、彼は天下において一の恐るべきものを見ざるなり。彼は天下を相手として、赤手を揮うて大挑戦を試みたり。如何に彼が挙動の惨酷、猛烈なりしかは、左に掲ぐる冷かなる日暦これを証して余りあるにあらずや。
○安政五年四月二十三日、井伊直弼大老に任ず。
○同六月二十日、勅許を俟たず亜米利加仮条約に調印す。
○同六月二十二日、堀田備中守、松平伊賀守を退け、太田道醇、間部詮勝、松平和泉守を老中となす。
○同六月二十三日、一橋公登営、井伊と論判あり。
○同六月二十四日、水戸烈公、一橋卿、尾張卿、松平慶永登営、井伊と論判す。
○同六月二十五日、紀州宰相世子となる。
○同七月五日、尾卿隠居慎み、水戸烈公駒込に慎み、水戸慶篤卿、一橋慶喜卿の登営を停め、松平慶永に隠居慎みを命ず。
○同八月八日、将軍の喪を発す(実は七月五、六日の間にあり)。
○同八月八日、密勅水戸に下る(大獄の近因)。
○同八月十七日、鵜飼幸吉勅書を奉じて水戸邸に入る(勅書は井伊の集権統治政策とは、氷炭相容れざるもの)。
○同八月二十八日、間部、太田の両閣老水戸邸に至り勅書を示すことを停む。
○同九月三日、間部詮勝発途上京。
○同九月七日、梅田源次郎を捕う。
○同九月十七日、間部京都に入る。
○同九月十八日、水戸の京都留守鵜飼父子を捕う。
○同九月十九日、九条公復た出でて事を視、近衛公内覧を辞す(九条公は去る四日関東内応の非難を被り、公卿の衆議に迫られて辞職したるもの)。
○同九月二十二日、鷹司家、一条家の家臣其他数十人を捕う。鷹司公父子退く。
○同九月二十七日、日下部伊三治を江戸に捕う。
○同十月四日、藤森恭助就縛。
○同十一月二十三日、伊達遠江守を隠居せしむ。
○同十二月二十一日、三条実万民家に退居す。
○同十二月晦日、間部始めて参内す。
○安政六年二月六日、間部、九条公と謀り、水戸に下せし勅書を収還するの書を造る。
○同二月十八日、粟田宮を要して謹慎せしむ。
○同二月二十日、間部東帰す。
○同二月二十六日、山内豊信隠居(井伊諷して)。
○同三月十日、京囚下着、各大名に預けらる。
近衛殿老女村岡、御蔵小舎人山科出雲、三条殿家来丹羽豊前、一条殿家来若松杢、久我殿家来春日讃岐、三条殿家来森寺困幡、一条殿家来入江雅楽、大覚寺門跡内六物空万、三条殿家来富田織部。
○同四月十七日、水戸家老安島帯刀、九鬼長門守に預けらる。
○同五月三日、鷹司、近衛、三条三大臣の落飾。
○同五月二十四日、吉田松陰江戸に檻送を命ぜらる。
○同六月十五日、英国と交易の条約を定む。
○同六月二十四日、京都奉行大久保伊勢守西丸留守居に転ず(長野主膳のために陥れられたるなり)。
○同七月二十三日、露と条約を結ぶ。
○同八月二十八日、一橋慶喜隠居慎み、水戸烈公水戸表へ永蟄居、水戸慶篤卿差扣え、岩瀬、永井職禄を奪い謹慎、川路隠居慎み、太田備後守慎み。(この日死因処断多し)。
○同九月十日、駿府町奉行鵜殿民部少輔隠居差扣え、黒川嘉兵衛、平山謙二郎、平岡円四郎免官差扣え(一橋擁立の罪の嫌疑なり)。
○同十月七日、橋本左内、頼三樹三郎刑斬せらる。
○同十月十一日、亜国公使登営、松平容堂に慎みを命ず。
○同十月二十七日、吉田松陰刑斬せらる。
○同十二月一日、村垣、小栗、木村、勝、米国に本条約交換として派遣せらる。
○同十二月十六日、勅書返納の騒動水戸に起る。
○万延元年、安藤対馬守老中となる。
○二月、勅書返納の騒動水戸に熾んなり、烈公制する能わず。
○同三月三日、井伊直弼登営途中桜田門外において、水戸浪士のために襲殺せらる。
彼が職に在る、未だ二年に満たず、然れどもその険胆辣腕は、実に天下を震動せしめたり。彼は専ら威福を逞うせり、然れども威福を逞うせんがために然するにあらず、政権の分裂を杜ぎ、主権の統一を幕府に占めずんば、天下の事決して為すべからざるを信じたるがためのみ。而して彼は大勢の既に去りたるを知らざるなり。
彼は責任を知るの政治家なりき。然れども彼は一方においては事物の真相を察する烱眼あるに係らず、いわゆる天下の大勢を既に来れるに攫み、未だ至らざるに察し、将に成らんとするに備うるの経世的大眼孔と経世的大手腕とを欠けり。彼が水戸を押えて京都を圧したるが如き、あたかもこれ吭を縊して背を拊つの政策にして、眼快ならざるにあらず、手利ならざるにあらず。然れども彼は自から大勢調子の外に立てり。彼は経世的眼孔においては、水野に及ばず。その天下の大機を、平正穏当の間に補綴し、人をしてその然るを覚えずして然らしむる経世的器度においては、阿部に及ばず。阿部は骨弱く志薄しといえども、なお大政治家たる雅量あり。水野は気迫り意固しといえども、なお大政治家たる遠識と硬腕あり。井伊直弼に至りては、大宰相の特質たる一「忍」字と一「信」字を把持したるに相違なしといえども、憾むらくは彼が不学無術、短見狭量にして、遂に空しく惨禍に罹りしを。
三人の性行各々同じからざるは、彼らが水戸烈公に処したる措置を以て、その一斑を卜すべし。水野は烈公を籠絡して、自家薬籠中のものとなさんとせり。彼が天保の内政改革は、実に烈公の協賛を経てこれを行えり。彼が弘化の外政改革も、また烈公の協賛を経てこれを行わんとせり。彼果して烈公の傑物たるを認識して、かく倚頼したるか、そもそもその虚名の天下に高きを利用して、以て天下の望を納めんと欲したるか。
阿部に至りては、烈公の実に政治的大要素なるを看取したり、而して実に幕政の前途に横わる厄介物なるを看取したり。故に彼は慰撫馴養、あたかも驕児を遇する如く、その厄介をなさしめざらんと欲せり。彼が世を終るまで、烈公は不平ながらも、遂に幕閣に対して大なる遺言なく、また軌道外の彗星的運動をなさざりしなり。
直弼に至りては、彼を全く敵として遇せり。彼の力は能くその敵を挫きたるに相違なきも、彼を激せしめ、彼の同類を激せしめ、その末流を激せしめ、遂に天下の禍機を潰決せしめ、また収拾する能わざらしめたりき。
時勢同じからざるが故に、敢て一概に論ずる能わずとはいえ、とにかく彼らの人物如何を察するに足らん。吾人は井伊の胆略を嘉みすと同時に、その規模の小なりしを憐まざるを得ず。
幕政の総体について論ずれば、井伊は風の神にして阿部は太陽なり。井伊の猛疾風は、むしろ人をして外套を固緊せしめたり。吾人は井伊が責任を知る男児たるを許す、その経世の偉略ある政治家たるを許す能わず。
人あるいは井伊を目して開国家という、然り、彼は開国をなせり、然れども開国家にあらざりき。彼が勅許を経ずして米国仮条約に調印したるが如きは、開国に向って大歩急転したる偉業にして、彼が開国家としての功徳頌すべきもの浅からずといえども、これ彼が自動的に然せしにあらず、従来の行懸りに迫られ、岩瀬肥後守、松平伊賀守の苦請に応じ、満腔徳川氏の威信を重んずるよりして、止むを得ずここに至りしなり。その功は讃ずべし、その開国家たるの眼識は、漫に彼に許す能わず。
約言すれば水野は外交的大規模よりして、内政を緊張せり。井伊は内事的経過よりして、外交を拡張せり。彼が在職の日たる、外交上の一大過渡の一大時機たりしに係わらず、彼は事実においては、外交の上について多くの関渉を有せざりき。彼は自からその局に当らざりしのみならず、彼が思慮は、政権統一の一面に集注して、また外交問題に及ぶに遑あらざりしなり。彼は余儀なき場合に迫られて、余儀なくも断じたり。然れども外交の上について、彼が箇人的経綸の徴すべきものに至りては、吾人不幸にしてこれを見ず。吾人が経世的眼識において、むしろ水野に与して彼に与せざるは、職としてここに存す。
然りといえども一世の輿論と戦い、天下の趨勢に抗し、愚人と争い、智者と闘い、社会を挙げて、その敵たるも顧慮する所なく、猛然として驀進したるもの、豈にそれ威を弄し権を玩ぶためのみならんや。彼の述懐に曰く、「春浅み野中の清水氷り為て底の心を汲む人ぞなき」。吾人は今日においても、彼が苦衷を了せずんばあらず。而して当時その苦衷を了せられずして、遂に非命に死す。詩人歌うて曰く「落花紛々、雪紛々、雪を踏み花を蹴って伏兵起る。白昼に斬取す大臣の頭、噫時事知るべきのみ。落花紛々、雪紛々、あるいは恐る、天下の多事ここに兆すを」。然り、天下の多事はこれより兆せり、彼は明らかに彼の首を以て、その政策の失廃を天下に広告したり。
〔註〕左に掲ぐるは、和蘭王の忠告書、及び幕閣より与えたる、返書なり。
鍵箱の上書和解
この封印する箱には和蘭国王より 日本国君(征夷大将軍を指し奉るなり)に呈する書簡の鍵を納む。この書簡の事を司るべき命を受る貴臣のみ開封し給うべし。
暦数千八百四十四年二月十五日(天保十四年癸卯十二月二十七日に当る)
瓦剌汾法瓦(和蘭国都)に記す
和蘭国王密議庁主事
名花押(文字読むべからず)
長崎所訳名氏アー・ゲー・アーフアンラブハン
鍵箱の封印和解
王の密談所
書簡外箱上書和解
日本国君殿下和蘭国王
書簡和解