吉田松陰

19話 第十二 幕政の変局(2)

4,331字 約9分 2017年8月4日 公開

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 神徳に依頼する和蘭(オランダ)王兼阿郎月(オランユ)(払朗察(フランス)国の地名)納騒(ナスソウ)(独逸(ドイツ)国都の地名)のプリンス爵名、魯吉瑟謨勃児孤(リュキセムフルク)(和蘭(オランダ)国の地名)のコロートヘルトフ爵名微爾列謨(ウイルレム)第二世、謹んで江戸の政庁にまします徳威最高、威武隆盛なる大日本国君殿下に書を奉じて微忠を表す。冀(こいねがわ)くは殿下観覧を賜いて、安寧無為の福を稟(う)け給わん事を祈る。

一、今を距ること二百四十余年前に、世に誉れ高くまします 烈祖(れっそ)家康公より信牌を賜わり(慶長五年庚子(こうし)和蘭(オランダ)船始めて来り、同十四年己酉(きゆう)七月五日神祖(しんそ)より御朱印を賜う。己酉より今茲(ことし)甲辰(こうしん)に至り二百三十六年なり)、我国の人貴国に航して交易することを許せしよりこのかた、その待遇浅からず、甲必丹(カピタン)年を期して殿下に謁見するを許さる(右は甲必丹江府の拝礼毎年なりしに寛政二年庚戌(こうじゅつ)より五年目に定り、ここに年を期してというは蓋(けだ)し延年を指していえるなり)。聖恩の隆盛なる、実に感激に勝(た)えず。我もまた信義を以てこの変替無き恩義に答え奉(たてまつ)り、貴国の封内をして静謐(せいひつ)に、庶民をして安全ならしめんと欲す。然(しか)りといえども今に至るまで書を奉(たてまつ)るべき緊要の事無く、かつ交際の事及び尋常の風説は抜答非亜(バタビア)(瓜哇(ジャワ)島の府名なり。元和五年己未(きび)和蘭(オランダ)の人全島を奪い、闍瓦剌(ジャガタラ)城を改め抜答非亜(バタビア)という)の総督より告奉(つげたてまつ)るを以て、両国の書を通ずることあらざりし(両国の書を通ずることなしというは誤なり。○慶長十四年己酉(きゆう)七月二十五日、同十九年壬子(じんし)十月神祖(しんそ)より和蘭(オランダ)国王へ御復書あり。蓋(けだ)し和蘭歴代治平の日少きを以て、文献徴すべきことなきに由るのみ)。

 今ここに観望し難き一大事起れり。素(もと)より両国の交易に拘るに非ず、貴国の政事に関係する事なるを以て、未然の患を憂えて始めて殿下に書を奉る。伏して望む、この忠告に因(よ)りてその未然の患を免れ給わん事を。

一、近来英吉利(イギリス)国王より支那国帝に対し兵を出して烈しく戦争をせし本末(ほんまつ)は、我国の船毎年長崎に到って呈する風説にて既に知り給うべし。威武盛んなる支那帝国も、久々戦いて利あらず、欧羅巴(ヨーロッパ)洲の兵学に長ずるに辟易(へきえき)して、終に英吉利国に和親を為せり。これよりして支那国古来の政法甚(はなは)だ錯乱し、海口五処を開いて欧羅巴人の地となさしむ(五所の地方は即ち広州、福州、寧波(ニンポー)、厦門(アモイ)、上海という)。その禍乱の原(もと)を尋ぬるに、今を距る事三十年前、欧羅巴の大乱治平せしとき(寛政の比(ころ)に当りて、払朗察(フランス)国にポナパルテなる者あり、国乱を払い鎮めて自立して王たり。ここにおいて兵を出して諸国を併呑(へいどん)せんとし、欧羅巴洲大いに乱る。文化十二年諸国相謀(はか)りてポナパルテを擒(とりこ)にして流竄(りゅうざん)し、連年の兵乱を治平せり。今ここに甲辰(こうしん)に至りて正に三十年なり)、諸民みな永く治化に浴せん事を願う。その時に当って、古賢の教を奉ずる帝王は、諸民のために多く商売の道を開きて民蕃殖せり。然(しか)りしより器械を造るの術及び分離の術(万物を離合してその質を究理する事なり)に因(よ)って種々の奇巧を発明し、人力を費やさずして貨物を製する事を得しかば、諸邦に商売蔓延して、反りて国用乏しきに至りぬ。就中(なかんずく)武威世に輝きし英吉利(イギリス)は、国力豊饒にして民みな巧智ありといえども、国用の乏しき時々甚だし。故に商売の正路に拠らずして速(すみや)かに利潤を得んと欲し、あるいは外国と争端を起し、時勢止むべからざるを以て本国より力を尽しその争論を助くるに至る。これらの事に依りてその商賈、支那国の官吏と広東にて争論の端を開き、終には兵乱を起せしなり。支那国にては戦争利なく国人数千戦死し、かつ数府を侵掠(しんりゃく)敗壊せらるるのみならず、数百万金を出して火政の費を購(あがな)うに至れり。

一、貴国もまたかくの如き災害に罹(かか)り給わんとす。およそ災害は倉卒(そうそつ)に発するものなり。今より日本海に異国船の漂い浮む事古(いにしえ)よりも多くなりゆきて、これがためにその船兵のものと貴国の民と忽(たちま)ち争端を開き、終(つい)には兵乱を起すに到らん。これを熟察して深く心を痛ましむ。 殿下高明の見ましませば、必ずその災害を避る事を知り給うべし。我もまた安寧の策あらんを望む。

一、殿下の聡明にまします事は、暦数千八百四十二年(天保十三年壬寅(じんいん)に当る)貴国の八月十三日、長崎奉行の前にて甲必丹(カピタン)に読聞せし令書に因(よ)ってなり(令書に曰く、異船日本の沖合へ渡り来る時、打払(うちはらい)方の儀厳(おごそ)かに取計(はか)らうに付き、阿蘭(オランダ)船も長崎の外へ乗り寄る事有るまじきことにてもこれ無く、船の形似寄り候えば、兼(かね)てその旨を相心得、不慮の過これ無きよう心掛け通船致すべき旨、文政八年中渡し置き候処、当時何に寄らず御仁恵を致されたしとの有難き思召に付き、外国の者にても難風にあい、漂流等にて食物薪水を乞うまでに渡来候を、その事情に拘わらず一円に弓、鉄砲を打放し候は、外国へ対し信義を失い候御所置(しょち)に付き、自今(いまより)以後は異国人渡来候とも、食物薪水等を乞い候類は打払わず、乞う旨に任せ帰帆致さすべく取計うの間、因(よ)っては阿蘭(オランダ)人も心安く通船致すべく候。外国の者たりとも、かほどにまで信義厚く思召す有がたき儀よくよく相弁(わきま)うべし)。その書中に異国人を厚遇すべき事を詳(つまびら)かに載するといえども、恐らくはなお未(いま)だ尽さざる処あらんか。その主とする処の意は難風に逢いあるいは食物薪水に乏しくして、貴国の海浜に漂着する船の所置(しょち)のみにして、もし信義を表し、あるいは他の謂(いわ)れありて貴国の海浜を訪う船あらん時の所置は見えず。これらの船を冒昧に排擯(はいひん)し給わば、必ず争端を開かん。争端は兵乱を起し、兵乱は国の荒廃を招く。二百余年来我国の人貴国留居の恩恵を謝し奉らんがために、貴国をしてこの災害を免れしめんと欲す。古賢の言に曰く、災害なからしめんと欲せば、険危に臨むこと勿(なか)れ、安静を求めんと欲せば、紛冗を致すこと勿(なか)れ。

一、謹みて古今の時勢を通考するに、天下の民は速かに相親む者にして、その勢は人力の能(よ)く防ぐ所に非(あら)ず。蒸気船(蒸気船は水車と蒸気筒とを設け、石炭を焚(た)きて蒸気筒中の水を沸騰して、その蒸気に因(よ)って水車を旋転せしめ、風雨に拘らず自由に進退せしむる船なり。文化四丁卯(ていぼう)の歳創製する所という)を創成せしより以来、各国相距る事遠きもなお近きに異ならず。かくの如く互に好(よしみ)を通ずる時に当って、独り国を鎖(とざ)して万国と相親まざるは、人の好(よ)みする処に非(あら)ず。 貴国歴代の法に異国の人と交りを結ぶ事を厳禁し給うは、欧羅巴(ヨーロッパ)洲にて遍(あまね)く知る所なり。老子曰く、賢者位に在(あ)るは特に能(よ)く治平を保護す(この意に当るべき語老子に見えず。後の考を待つ)。故に古法を堅く遵守して反(かえ)って乱を醸(かも)さんとせば、その禁を弛(ゆるむ)るは賢者の常経(じょうけい)のみ。これ 殿下に丁寧に忠告する処なり。今貴国の幸福なる地をして兵乱のため荒廃せざらしめんと欲せば、異国の人を厳禁する法を弛(ゆる)め給うべし。これ素(もと)より誠意に出づる所にして、我国の利を謀(はか)るには非(あら)ず。それ、平和を行うは懇(ねんご)ろに好(よしみ)を通ずるに在り。懇(ねんご)ろに好(よしみ)を通ずるは交易に在(あ)り。冀(こいねが)わくは叡智を以て熟計し給わん事を。

一、この忠告を採用し給わんと欲せば 殿下親筆を以て返翰を賜わるべく、然(しか)らばまた腹心の臣を奉らん。この書には概略を挙ぐるのみ。故に詳(つまびら)かなる事はその使臣に問い給うべし。

一、我は遠く隔てて貴国の幸福治安を謀(はか)るため甚(はなは)だ心を痛ましむ。これに加うるに、在位二十八年にして四年以前譲位せし我父微爾列謨(ウイルレム)第一世王も、遠行して悲哀に沈めり(ウイルレム第一世は安永元年壬辰(じんしん)に生れ、文化十二年乙亥(いつがい)に王位に封ぜられ、天保十一年庚子(こうし)今王に位を譲り、同十四年癸卯(きぼう)に卒(しゅっ)す。癸酉(きゆう)より庚子(こうし)に至りて在位二十八年、寿七十二歳)。殿下またこれらの事を聞給わば、我と憂愁を同じうし給わん事明らかなり。

一、この書を奉るに軍艦を以てするは、殿下の返翰を護し帰らんためのみ。また我が肖像を呈し奉るは、至誠なる信義を現わさんがためなり。その余別幅に録する品々は、我が封内に盛んに行わるる学術の依りて致す処なり。不腆(ふてん)といえども、我国の人年来恩遇を受けしを聊(いささ)か謝し奉らんがために献貢す。向来(きょうらい)不易(ふえき)の恩恵を希(ねが)うのみ。

一、世に誉れ高くまします父君の治世久しく多福を膺受(ようじゅ)し給いしを眷顧(けんこ)せる神徳によりて、殿下もまた多福を受け、大日本に永世疆(かぎ)り無き天幸を得て、静謐(せいひつ)敦睦(とんぼく)ならん事を祈る。

即位より四年、暦数千八百四十四年二月十五日

瓦剌汾法瓦(ガラーヘンハーガ)(和蘭(オランダ)国都)の宮中において書す

デ・ミニストル・ハン・コロニイン外国の事を司(つかさ)どる大臣の官名

微爾列謨瑪(ウイルレムマード)

以上は天文方渋川六蔵の訳する所にして、その註疏(ちゅうそ)もまた彼の挿入する所なり。

      ―――――――――――

和蘭(オランダ)摂政大臣に返復するの書翰

 去歳七月、貴国の使介船、国王の書翰を齎(もたら)し、我が肥前長崎港に到る。崎尹(きいん)伊沢美作守(みまさかのかみ)、受けてこれを江戸府に達す。我が主、親しくこれを読む。貴国王、二百年来の通商の故(ゆえ)を以て、遙かに我が国の利病(りへい)を察するありて、忠告せらるるの一事、その言極めて懇款(こんかん)たり。かつ別に珍品若干種を恵まる。我が主、良(まこと)に用(もっ)て感荷(かんか)す。理宜(よろ)しく布報すべし。然(しか)れども今、然(しか)る能(あた)わざるものあり。我が祖宗創業の際、海外諸邦の通信貿易、固(もと)より一定なることなし。後に通信の国、通商の国を議定するに及び、通信は朝鮮、琉球に限り、通商は貴国と支那とに限る。これより外は則ち一切新たに交通を為すことを許さず。貴国は我において従来通商ありて通信なし。信と商とはまた各(おのおの)別なり。今、これに布報を為さんと欲せば、則ち祖宗に違背す。故に臣らをしてこの意を公らに達し、これを貴国王に稟せしむ。事、不恭に似たり。然れども祖法の厳なることかくの如し。已(や)むを得ざる所以(ゆえん)、請う、これを諒せよ。礼物を恵せらるるに至っては、また辞すべき所在り。然り而して厚意の寓する所、遐方(かほう)より送致す。《も》し并せて返納せば、益々(ますます)不恭に渉(わた)らん。因って今、領受し、薄く土宜(どぎ)数種を晋(すす)め、以て報謝を表す。具(つぶ)さに別幅に録す。却(しりぞ)くるなくんば幸甚なり。

 そもそも祖法一たび定まれば、嗣孫(しそん)は遵(したが)わざるべからず。後来の往復は幸いに停められよ。あるいはその然らずして、再三に至るといえども、受くる能(あた)わず。幸いにして訝を為すなかれ。公らの書翰に至っても、またこれに準じて報を為さざるなり。ただ、貴国の通商は則ち旧約に遵(したが)いて替(かわ)るなし。またこれ慎しんで祖法を守るのみ。幸いにこれを国王に稟せよ。則ちしかいうといえども、国王の忠告誠意に至っては、則ち我もまた深く感銘し、敢て疎外せざるなり。因って今、臣らをして具さに陳(の)べしむ。言は意を尽くさず、千万諒察せよ。不備。

阿蘭陀政府諸公閣下

弘化二年乙巳(いっし)六月朔日阿部伊勢守正弘印

牧野備前守忠雅印

青山下野守忠良印

戸田山城守忠温印

 如何に忠告書の親切にして、返書の冷淡無意義なるを見よ。彼理(ペリー)江戸湾に闖入(ちんにゅう)するに際し、蒼皇(そうこう)措置を失したる、また宜(う)べならずや。外交の紛雑、幕閣豈(あ)に責なしとせんや。

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