19話 第十二 幕政の変局(2)
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神徳に依頼する和蘭王兼阿郎月(払朗察国の地名)納騒(独逸国都の地名)のプリンス爵名、魯吉瑟謨勃児孤(和蘭国の地名)のコロートヘルトフ爵名微爾列謨第二世、謹んで江戸の政庁にまします徳威最高、威武隆盛なる大日本国君殿下に書を奉じて微忠を表す。冀くは殿下観覧を賜いて、安寧無為の福を稟け給わん事を祈る。
一、今を距ること二百四十余年前に、世に誉れ高くまします 烈祖家康公より信牌を賜わり(慶長五年庚子和蘭船始めて来り、同十四年己酉七月五日神祖より御朱印を賜う。己酉より今茲甲辰に至り二百三十六年なり)、我国の人貴国に航して交易することを許せしよりこのかた、その待遇浅からず、甲必丹年を期して殿下に謁見するを許さる(右は甲必丹江府の拝礼毎年なりしに寛政二年庚戌より五年目に定り、ここに年を期してというは蓋し延年を指していえるなり)。聖恩の隆盛なる、実に感激に勝えず。我もまた信義を以てこの変替無き恩義に答え奉り、貴国の封内をして静謐に、庶民をして安全ならしめんと欲す。然りといえども今に至るまで書を奉るべき緊要の事無く、かつ交際の事及び尋常の風説は抜答非亜(瓜哇島の府名なり。元和五年己未和蘭の人全島を奪い、闍瓦剌城を改め抜答非亜という)の総督より告奉るを以て、両国の書を通ずることあらざりし(両国の書を通ずることなしというは誤なり。○慶長十四年己酉七月二十五日、同十九年壬子十月神祖より和蘭国王へ御復書あり。蓋し和蘭歴代治平の日少きを以て、文献徴すべきことなきに由るのみ)。
今ここに観望し難き一大事起れり。素より両国の交易に拘るに非ず、貴国の政事に関係する事なるを以て、未然の患を憂えて始めて殿下に書を奉る。伏して望む、この忠告に因りてその未然の患を免れ給わん事を。
一、近来英吉利国王より支那国帝に対し兵を出して烈しく戦争をせし本末は、我国の船毎年長崎に到って呈する風説にて既に知り給うべし。威武盛んなる支那帝国も、久々戦いて利あらず、欧羅巴洲の兵学に長ずるに辟易して、終に英吉利国に和親を為せり。これよりして支那国古来の政法甚だ錯乱し、海口五処を開いて欧羅巴人の地となさしむ(五所の地方は即ち広州、福州、寧波、厦門、上海という)。その禍乱の原を尋ぬるに、今を距る事三十年前、欧羅巴の大乱治平せしとき(寛政の比に当りて、払朗察国にポナパルテなる者あり、国乱を払い鎮めて自立して王たり。ここにおいて兵を出して諸国を併呑せんとし、欧羅巴洲大いに乱る。文化十二年諸国相謀りてポナパルテを擒にして流竄し、連年の兵乱を治平せり。今ここに甲辰に至りて正に三十年なり)、諸民みな永く治化に浴せん事を願う。その時に当って、古賢の教を奉ずる帝王は、諸民のために多く商売の道を開きて民蕃殖せり。然りしより器械を造るの術及び分離の術(万物を離合してその質を究理する事なり)に因って種々の奇巧を発明し、人力を費やさずして貨物を製する事を得しかば、諸邦に商売蔓延して、反りて国用乏しきに至りぬ。就中武威世に輝きし英吉利は、国力豊饒にして民みな巧智ありといえども、国用の乏しき時々甚だし。故に商売の正路に拠らずして速かに利潤を得んと欲し、あるいは外国と争端を起し、時勢止むべからざるを以て本国より力を尽しその争論を助くるに至る。これらの事に依りてその商賈、支那国の官吏と広東にて争論の端を開き、終には兵乱を起せしなり。支那国にては戦争利なく国人数千戦死し、かつ数府を侵掠敗壊せらるるのみならず、数百万金を出して火政の費を購うに至れり。
一、貴国もまたかくの如き災害に罹り給わんとす。およそ災害は倉卒に発するものなり。今より日本海に異国船の漂い浮む事古よりも多くなりゆきて、これがためにその船兵のものと貴国の民と忽ち争端を開き、終には兵乱を起すに到らん。これを熟察して深く心を痛ましむ。 殿下高明の見ましませば、必ずその災害を避る事を知り給うべし。我もまた安寧の策あらんを望む。
一、殿下の聡明にまします事は、暦数千八百四十二年(天保十三年壬寅に当る)貴国の八月十三日、長崎奉行の前にて甲必丹に読聞せし令書に因ってなり(令書に曰く、異船日本の沖合へ渡り来る時、打払方の儀厳かに取計らうに付き、阿蘭船も長崎の外へ乗り寄る事有るまじきことにてもこれ無く、船の形似寄り候えば、兼てその旨を相心得、不慮の過これ無きよう心掛け通船致すべき旨、文政八年中渡し置き候処、当時何に寄らず御仁恵を致されたしとの有難き思召に付き、外国の者にても難風にあい、漂流等にて食物薪水を乞うまでに渡来候を、その事情に拘わらず一円に弓、鉄砲を打放し候は、外国へ対し信義を失い候御所置に付き、自今以後は異国人渡来候とも、食物薪水等を乞い候類は打払わず、乞う旨に任せ帰帆致さすべく取計うの間、因っては阿蘭人も心安く通船致すべく候。外国の者たりとも、かほどにまで信義厚く思召す有がたき儀よくよく相弁うべし)。その書中に異国人を厚遇すべき事を詳かに載するといえども、恐らくはなお未だ尽さざる処あらんか。その主とする処の意は難風に逢いあるいは食物薪水に乏しくして、貴国の海浜に漂着する船の所置のみにして、もし信義を表し、あるいは他の謂れありて貴国の海浜を訪う船あらん時の所置は見えず。これらの船を冒昧に排擯し給わば、必ず争端を開かん。争端は兵乱を起し、兵乱は国の荒廃を招く。二百余年来我国の人貴国留居の恩恵を謝し奉らんがために、貴国をしてこの災害を免れしめんと欲す。古賢の言に曰く、災害なからしめんと欲せば、険危に臨むこと勿れ、安静を求めんと欲せば、紛冗を致すこと勿れ。
一、謹みて古今の時勢を通考するに、天下の民は速かに相親む者にして、その勢は人力の能く防ぐ所に非ず。蒸気船(蒸気船は水車と蒸気筒とを設け、石炭を焚きて蒸気筒中の水を沸騰して、その蒸気に因って水車を旋転せしめ、風雨に拘らず自由に進退せしむる船なり。文化四丁卯の歳創製する所という)を創成せしより以来、各国相距る事遠きもなお近きに異ならず。かくの如く互に好を通ずる時に当って、独り国を鎖して万国と相親まざるは、人の好みする処に非ず。 貴国歴代の法に異国の人と交りを結ぶ事を厳禁し給うは、欧羅巴洲にて遍く知る所なり。老子曰く、賢者位に在るは特に能く治平を保護す(この意に当るべき語老子に見えず。後の考を待つ)。故に古法を堅く遵守して反って乱を醸さんとせば、その禁を弛るは賢者の常経のみ。これ 殿下に丁寧に忠告する処なり。今貴国の幸福なる地をして兵乱のため荒廃せざらしめんと欲せば、異国の人を厳禁する法を弛め給うべし。これ素より誠意に出づる所にして、我国の利を謀るには非ず。それ、平和を行うは懇ろに好を通ずるに在り。懇ろに好を通ずるは交易に在り。冀わくは叡智を以て熟計し給わん事を。
一、この忠告を採用し給わんと欲せば 殿下親筆を以て返翰を賜わるべく、然らばまた腹心の臣を奉らん。この書には概略を挙ぐるのみ。故に詳かなる事はその使臣に問い給うべし。
一、我は遠く隔てて貴国の幸福治安を謀るため甚だ心を痛ましむ。これに加うるに、在位二十八年にして四年以前譲位せし我父微爾列謨第一世王も、遠行して悲哀に沈めり(ウイルレム第一世は安永元年壬辰に生れ、文化十二年乙亥に王位に封ぜられ、天保十一年庚子今王に位を譲り、同十四年癸卯に卒す。癸酉より庚子に至りて在位二十八年、寿七十二歳)。殿下またこれらの事を聞給わば、我と憂愁を同じうし給わん事明らかなり。
一、この書を奉るに軍艦を以てするは、殿下の返翰を護し帰らんためのみ。また我が肖像を呈し奉るは、至誠なる信義を現わさんがためなり。その余別幅に録する品々は、我が封内に盛んに行わるる学術の依りて致す処なり。不腆といえども、我国の人年来恩遇を受けしを聊か謝し奉らんがために献貢す。向来不易の恩恵を希うのみ。
一、世に誉れ高くまします父君の治世久しく多福を膺受し給いしを眷顧せる神徳によりて、殿下もまた多福を受け、大日本に永世疆り無き天幸を得て、静謐敦睦ならん事を祈る。
即位より四年、暦数千八百四十四年二月十五日
瓦剌汾法瓦(和蘭国都)の宮中において書す
デ・ミニストル・ハン・コロニイン外国の事を司どる大臣の官名
微爾列謨瑪
以上は天文方渋川六蔵の訳する所にして、その註疏もまた彼の挿入する所なり。
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和蘭摂政大臣に返復するの書翰
去歳七月、貴国の使介船、国王の書翰を齎し、我が肥前長崎港に到る。崎尹伊沢美作守、受けてこれを江戸府に達す。我が主、親しくこれを読む。貴国王、二百年来の通商の故を以て、遙かに我が国の利病を察するありて、忠告せらるるの一事、その言極めて懇款たり。かつ別に珍品若干種を恵まる。我が主、良に用て感荷す。理宜しく布報すべし。然れども今、然る能わざるものあり。我が祖宗創業の際、海外諸邦の通信貿易、固より一定なることなし。後に通信の国、通商の国を議定するに及び、通信は朝鮮、琉球に限り、通商は貴国と支那とに限る。これより外は則ち一切新たに交通を為すことを許さず。貴国は我において従来通商ありて通信なし。信と商とはまた各別なり。今、これに布報を為さんと欲せば、則ち祖宗に違背す。故に臣らをしてこの意を公らに達し、これを貴国王に稟せしむ。事、不恭に似たり。然れども祖法の厳なることかくの如し。已むを得ざる所以、請う、これを諒せよ。礼物を恵せらるるに至っては、また辞すべき所在り。然り而して厚意の寓する所、遐方より送致す。《も》し并せて返納せば、益々不恭に渉らん。因って今、領受し、薄く土宜数種を晋め、以て報謝を表す。具さに別幅に録す。却くるなくんば幸甚なり。
そもそも祖法一たび定まれば、嗣孫は遵わざるべからず。後来の往復は幸いに停められよ。あるいはその然らずして、再三に至るといえども、受くる能わず。幸いにして訝を為すなかれ。公らの書翰に至っても、またこれに準じて報を為さざるなり。ただ、貴国の通商は則ち旧約に遵いて替るなし。またこれ慎しんで祖法を守るのみ。幸いにこれを国王に稟せよ。則ちしかいうといえども、国王の忠告誠意に至っては、則ち我もまた深く感銘し、敢て疎外せざるなり。因って今、臣らをして具さに陳べしむ。言は意を尽くさず、千万諒察せよ。不備。
阿蘭陀政府諸公閣下
弘化二年乙巳六月朔日阿部伊勢守正弘印
牧野備前守忠雅印
青山下野守忠良印
戸田山城守忠温印
如何に忠告書の親切にして、返書の冷淡無意義なるを見よ。彼理江戸湾に闖入するに際し、蒼皇措置を失したる、また宜べならずや。外交の紛雑、幕閣豈に責なしとせんや。