3話 第一 誰ぞ 吉田松陰とは
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玉川に遊ぶ者は、路世田が谷村を経ん。東京城の西、青山街道を行く里余、平岡逶として起伏し、碧蕪疎林その間を点綴し、鶏犬の声相聞う。街道より迂折する数百歩、忽ち茅葺の小祠堂あり、ああこれ吉田松陰の幽魂を祭る処。
祠後の小杉槍尖の如く、森然として天を刺す。これを径すれば、幾多の小碑、行儀能く屏列するを見る。その左右に在るは、同志、同難諸人の墳墓にして、彼はあたかも幽界の大統領たるかの如く、その中央に安眠す。数株の蒼松は、桜樹に接して、その墓門を護し、一個の花崗石の鳥居は、「王政一新之歳、大江孝允」の字を刻して、長えに無韻の悼歌を伝う。
三十五年前、日本国を荒れに暴らしたる電火的革命家も、今はここに鎮坐して、静かなる神となり。春雨秋風人の訪うなく、謖々たる松声は、日本男児の記念たる桜花の雪に和して吟じ、喞々たる虫語は武蔵野の原より出でて原に入る明月の清光を帯んで咽ぶ。
未死の幽魂、尋ねんと欲するも、今何の処にかある。請う、吾人をして彼を九原の下より起し、少しく彼に就いて語らしめよ。
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吉田松陰は、関原の役において、西軍の殿将として、大坂を守り、徳川氏に向って弓を挽ける、毛利家の世臣なり。彼は杉氏の子、出でて叔父吉田氏を続ぎ、禄五十七石を食む。彼は固より微禄の士。天保元年八月長門国萩城の東郊に生れ、安政六年十月国事犯罪人として、江戸において首を斬らる。その間僅かに三十年、而して彼が社会に馳駆したるは嘉永四年侯駕に扈して江戸に赴きたるより以来、最後の七、八年に過ぎず。彼の社会的生涯かくの如く短命なり。彼果して伝うべきものあるか。
曰く、然り。
彼は多くの企謀を有し、一の成功あらざりき。彼の歴史は蹉跌の歴史なり。彼の一代は失敗の一代なり。然りといえども彼は維新革命における、一箇の革命的急先鋒なり。もし維新革命にして伝うべくんば、彼もまた伝えざるべからず。彼はあたかも難産したる母の如し。自から死せりといえども、その赤児は成育せり、長大となれり。彼れ豈に伝うべからざらんや。