吉田松陰

3話 第一 誰ぞ 吉田松陰とは

866字 約2分 2017年8月4日 公開

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 玉川に遊ぶ者は、路(みち)世田が谷村を経(へ)ん。東京城の西、青山街道を行く里余(りよ)、平岡逶(いい)として起伏し、碧蕪(へきぶ)疎林(そりん)その間を点綴(てんてい)し、鶏犬の声相聞う。街道より迂折(うせつ)する数百歩、忽(たちま)ち茅葺(かやぶき)の小祠堂あり、ああこれ吉田松陰の幽魂を祭る処。

 祠後の小杉(しょうさん)槍尖(そうせん)の如く、森然(しんぜん)として天を刺す。これを径(けい)すれば、幾多の小碑、行儀(ぎょうぎ)能(よ)く屏列(へいれつ)するを見る。その左右に在(あ)るは、同志、同難諸人の墳墓にして、彼はあたかも幽界の大統領たるかの如く、その中央に安眠す。数株の蒼松(そうしょう)は、桜樹に接して、その墓門を護し、一個の花崗石(かこうせき)の鳥居は、「王政一新之歳、大江孝允(おおえたかよし)」の字を刻して、長(とこし)えに無韻(むいん)の悼歌(とうか)を伝う。

 三十五年前、日本国を荒れに暴(あ)らしたる電火的革命家も、今はここに鎮坐(ちんざ)して、静かなる神となり。春雨秋風人の訪(と)うなく、謖々(しょくしょく)たる松声は、日本男児の記念たる桜花の雪に和して吟じ、喞々(しょくしょく)たる虫語は武蔵野の原より出でて原に入る明月の清光を帯んで咽(むせ)ぶ。

 未死の幽魂、尋ねんと欲するも、今何(いずれ)の処にかある。請う、吾人(ごじん)をして彼を九原(きゅうげん)の下より起し、少しく彼に就(つ)いて語らしめよ。

       *   *   *   *   *

 吉田松陰は、関原(せきがはら)の役において、西軍の殿将として、大坂を守り、徳川氏に向って弓を挽(ひ)ける、毛利家の世臣(せいしん)なり。彼は杉氏の子、出でて叔父吉田氏を続(つ)ぎ、禄五十七石を食(は)む。彼は固(もと)より微禄の士。天保元年八月長門(ながと)国萩(はぎ)城の東郊に生れ、安政六年十月国事犯罪人として、江戸において首を斬らる。その間僅(わず)かに三十年、而(しこう)して彼が社会に馳駆(ちく)したるは嘉永四年侯駕(こうが)に扈(こ)して江戸に赴(おもむ)きたるより以来、最後の七、八年に過ぎず。彼の社会的生涯かくの如く短命なり。彼果して伝うべきものあるか。

 曰く、然(しか)り。

 彼は多くの企謀を有し、一の成功あらざりき。彼の歴史は蹉跌(さてつ)の歴史なり。彼の一代は失敗の一代なり。然(しか)りといえども彼は維新革命における、一箇の革命的急先鋒なり。もし維新革命にして伝うべくんば、彼もまた伝えざるべからず。彼はあたかも難産したる母の如し。自(みず)から死せりといえども、その赤児は成育せり、長大となれり。彼れ豈(あ)に伝うべからざらんや。

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