10話 十
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いつのまにか、義雄は氷峰の家の客の樣になつてしまつた。小樽へ出した手紙の宿所もここにしてあつたから、ここへその返事が來た。
森本春雄からので、義雄はそれを顫ひつくほど熱心な態度で讀んで見たが、それを卷き納める時は、失望の體に見えた。
「ことわりか」と、氷峰は原稿を書きながら聽く。
「なアに、主人が旅行中でまだ相談出來ないと、さ――會計主任からの返事で、松田は漁業組合總會出席の爲め函館へ行つた。」かう云つて、義雄は卷き納めたのを封筒に返した。
「そりや困つた、なア。」氷峰も筆を擱いて卷煙草に火をつける。「いつ歸ると云ふのか?」
「まア、今月一杯はあちらにゐるらしい。」
「當てにせずに待つ、さ。」
「會計主任もあさつて頃は函館へ行くと書いてある。それに、行つたら必ず雜誌の相談もまとめるつもりだから、この手紙着次第直ぐ印刷上の見積りをどこか札幌の印刷屋でさして、郵送して呉れと云ふんだ。」かう云つて、義雄は氷峰に、この主任なる人と自分との間に、一種の他の話が進行しかかつてゐることを語る。
實は、森本の關係ある漁場は樺太の西海岸に於いて多少勢力があるのを利用して、森本は西海岸の漁業家を誘引し、今ある組合と衝突しない範圍に於いて、一つの團體を作り、政廳の施政方針に當る一雜誌を持たうとしてゐる。
初めは新聞を起さうと企ててゐたのだ。然し、それは森本の青年的客氣にまかせて、無學な主人の事業的意氣込みに訴へたに過ぎないから、餘り無謀過ぎるだらうと、義雄が忠告した。では、東京の一新聞を相當の金で抱き込まうかと云ふことであつた。それも、義雄は無駄だらうと判定した。そして、結局、ちよツとした新聞體の月刊雜誌がよからうと云ふことになつた。そして、その編輯者は、名を出さないでもいいのなら、義雄が樺太にゐる片手間にやらうと云ふ相談になつてゐる。
鑵詰製造上の協同が成り立つ上に、その雜誌の關係がつくとすれば、義雄の樺太に於ける位置は一層確かになるにきまつてゐるから、渠も一と肩入れる氣になつたのである。體裁も大體は決めてあるのだから、高見呑牛のやつてゐる週刊北星を持つて行つて、氷峰の出さうとする北海實業雜誌の印刷屋で見積り書を取り、それを小樽へ郵送するついでに、
「協同問題の件もしツかり頼みます」と云ふことを附け加へた。
全體、樺太の西海岸と東海岸とは全く利害を異にしてゐる。西は鰊を專らとし、東は鮭鱒を主とする。同じ建網税問題でも、前者に不利益なことが後者にさう痛痒を感じない。現に、函館に於ける總會も別々で、西海岸の組合のがあつた後で、東海岸並びに亞庭灣のがある。兩者の利害が一致しないのを政廳はつけ込みどころとしてゐるらしい。
かう云ふ事情を解するに至つてから、義雄は目前實際の政治的問題にも興味を有する樣になつてゐるので、自分の製造事業の協同は勿論、政治的意味の漁業雜誌を引き受けるのも亦面白いと思つてゐるのだ。