泡鳴五部作 03 放浪

4話

7,594字 約15分 2016年11月26日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 翌朝、義雄が有馬の家で目を覺ました時は、勇もお綱も食事を初めるのを待つてゐた。

 渠は手早く顏を洗ひ、渠等と共に食膳についた。味噌汁の中身(なかみ)がまたカイベツである。渠はこのカイベツと枝豆の漬け物とを味はつて、それらを渠の北海道生活に於ける最初の知己であるかの如く思つた。

 渠は食後勇を伴つて、きのふの云ひ置き通り、島田の家を訪問した。島田の家は有馬の家と同じ通り(すぢ)の六七丁目違つたところにあり、札幌を一直線に南北に仕切る水道の一つ手前の横町だ。柳やイタヤもみぢなどが青い葉を飾つて路傍に立ち並んでゐるその角は、ちひさい個人的な鐵工場で、その筋向うに、「北海實業雜誌社」といふおほきな看板が出してあつて、「島田氷峰」といふ表札が打つてあるのがそれである。島田は名を定吉といふが、氷峰の雅號を以つて諸方の新聞社をまはつてゐたので、その雅號の方が廣く北海道人士に知られてゐる。

 渠はもと東京に於ける某歌人の門弟で、十七八歳の時、既に出藍(しゆつらん)のほまれがあつた。且、その當時は、石部金吉の名で通つてゐただけ、同門婦人の間に評判がよく、その一人の如きは、渠が北海道の故郷に歸つたのを追ツかけて來て、慇懃を通じようとしたが、渠にはね附けられてしまつた。その後滿洲に於て一つの邦字新聞が出來ようとする時、その記者として出發しかけたが、突然それを斷念したのは、そこの一外交官の細君が自分を追ツかけて來たその女であるといふことを聽いたからである。

 渠は、義雄に三ヶ月前に初めて直接に會つた時、以上のことを誇りがに語つたのだ。然し、渠が歌よみとしての努力が薄らぎ、新聞記者としての生活に深入りするに從ひ、その性格は段々變化して行つたのであるとは、義雄も想像出來た。氷峰は今ではどの新聞にも關係はないが、いろんな新聞記者に後援をさせて、一つの實業雜誌を出さうとしてゐる。

 渠の話に據ると、渠は人に信用される年齡の來るのを待つて、北海道の政治界にうつて出たいのである、それに思ひ附いた一昨年から昨年の後半にかけて、渠は歌よみは勿論、新聞記者をもやめて、東京に於ける或私立大學の政治科へ入學してゐたが、その時期の過半は一種の花柳病の爲めに入院してゐた。そして、それが直り、病院を退くと同時に、東京の諸實業雜誌に似た樣なものを發刊するもくろみが立つたので、その準備に取りかかる爲め歸北した。

 然し徒手空拳(としゆくうけん)を以つては、その主意に賛成して呉れるものはあつても、なか/\資本を出して呉れるものがない。半歳ばかり札幌に於て流浪してゐるうち、生活上の困難がつみ重つて來たので、止むを得ず、一時の間に合はせに、再び新聞記者となり、道中の或方面へ出かける途中で、兄のゐる山へ立ち寄つた。そこで、話が一轉化した。

 渠の兄は某炭山の役員である。彼は一番末ツ子で、兄は一番うへの總領だから、年齡に於て親と子ほど違つてゐる。而も渠はこの兄の非常な贅澤な家で小學時代を送り、また中學時代の學費も世話になつた。今はさういい地位にはゐないが、そこへ、丁度、もと兄の世話になつた子分で、大分羽振りがよくなつてゐる受負師(うけおひし)川崎藤五郎といふのがやつて來て、渠氷峰を引きとめ、

「新聞記者の樣なきたない商賣などはよして、おれが資本を出してやるから、お前の考へ通りやつて見い」と云ふことになつた。

 何でも、一時に四五千圓出費するのだとは、義雄も氷峰から聽いてゐた。

 義雄が島田の玄關のがらす戸をあけたてするのは、きのふを加へて、けふで三度目である。最初、渠が氷峰と共にここから出て芝居に行き、薄野(すすきの)に行つた時は、翌朝早く、汽車時間の都合上、ここへは立寄らないで、何とか樓の赤い、あツたかい蒲團から、直ぐ停車場へ車で驅けつけたが、氷峰はその後からまた追ツかけて來て、寢ぼけたつらをして、義雄の出かかつてゐる汽車の窓のそとに立つたことを渠はひそかに思ひ出した。

 氷峰はゐなかつたが、ちよツと寫眞版屋へ行つたのだから、待つてゐて呉れろといふ云ひ殘しがあつたので、義雄等はあがり込んだ。大分準備がととのつて行くものと見え、書生兼用らしい寫字生もゐるし、編輯補助、會計、廣告取りなどらしい人々も數名ゐる。そのうちには、主筆なる氷峰よりずツと年うへらしい老人もある。書生が主人を呼びに出た跡で、他のものらも亦それぞれ用達しに出て行つた。

 その跡で、義雄等は狹い家の樣子をかへり見ると、玄關に隣つたおもての室が雇ひ人らの事務室で、それにつづく奧の一と間が主筆の編輯室らしい。社とは云ふものの、まだ不整頓の爲め、どこかの書生雜誌の編輯所と大して變らない。然し、「購讀者名簿」「原稿受入帳」、「廣告控帳」などの、既に出來てつるさがつてゐるのが見える。原稿用紙も澤山用意してある樣子だし、雜誌へ入れる寫眞銅版も大小七八組は主筆の机の上に積み重ねられてある。

 女中か家族のものか知らないが、前には一人の老婆がゐたのに、今回は二十一二歳の色は白い、然し田舍じみた樣子の女が、横手の茶の間から、茶を運んで來た。

 義雄は縁がはに出て、狹い裏庭から吹いて來る風に當つて、涼んでゐる。以前白い花を一面に吹き亂してゐたクロバは刈り取られて跡かたもないが、その代り、脊の低い芙蓉には白と赤とのつぼみを含んでゐ、その根にあやめの花が落ちて葉ばかりのや、蝦夷菊(えぞぎく)の咲いてゐるのがある。

 暫くすると、書生が歸つて來る。つづいて、氷峰が單衣(ひとへ)一つのへこ帶、握りぎんたまで、ぬツと這つて來る。

「やア、田村君」と云つて坐わつて、それでも渠は四角張つたお辭儀をして、「昨日お歸へりでしたと――あちらからの御返事は拜見いたしました。」

 義雄は、何よりも先きに、その返事以前にハガキが屆いたか、どうかを質問した。それと同時に勇に出したハガキが屆いてゐないからである。そして、氷峰へも屆いてゐないのを聽き知つた時、渠は自分とお鳥との關係にまだ望みがあるのかも知れないと思つた。蓋し、二人の間にも、往復封書の紛失もしくは不着したのがある爲め、意志の疏通を缺いてゐるのだらうかとも考へられる餘地が出來たからである。

「樺太郵便の不着が多いのは實に困る」と、義雄は眞底(しんそこ)から不平さうに云つたが、その不平の最も深い意味は、無論、他の二友には分らなかつたのである。

「それはさうと、御出發の際は」と、氷峰は義雄に向ひ、「實に失敬しました。つい、ああ云ふところでしたから」と、笑ひながら、「寢すごしまして、――僕が顏も洗らはないでステーシヨンへ驅けつけたので、漸くお見送りが出來たのでした。」

「いや、僕こそ――」義雄も丁寧に、「いろんな御厄介になつたのだ。然し」と、直ぐ碎けて、

「あれから用意はつづけてゐて、まだ雜誌は出來ないのか?」

「うん、まだ――」氷峰も隔てをゆるめて、「九月一日に初號を出すつもりであつたのが、多少(おく)れるかも知れん。」

 義雄と氷峰とは、文學上では、數年間手紙の上の友人であつたが、相會ふのはけふが二度目だ。後者が前者に向ふ態度には多少文學上の先輩に向ふといふ遠慮がないでもないが、前者は今詩と評論と小説とを殆ど全く鑵詰事業に換へたかの如くなつた跡であるし、後者も亦(げん)に歌よみと云はれるのを避けて、實業的方面に手を出しかけるのだから、先輩も後輩もあつたものではないと、義雄は思つてゐる。

「然し大分準備が整つて來た樣に見える、ね。」

「もう、漕ぎつけたも同じことぢや。ただ困るのは印刷と銅版で――ここにも」と、氷峰は机の上のをさはつて見、「こんなに寫眞銅版が出來て來たが、札幌だけでは間に合はんので、仙臺まで材料を送つて(こしら)へさすのぢや。東京などと違つて、萬事が不自由で困る。」

「そりやア仕方がない、さ。」義雄は卷煙草をつけ換へながら、「その代り、東京の雜誌や新聞の競爭を受けないで、北海道專門のものを廣めることが出來る便利を持つてゐるぢやアないか?」

「それもさうぢや。」氷峰も煙草を飮み初める。

「早く出し給へ、――早く。」

「出すのはわけアないが、金主の方が先づしぶり出して――五千圓出せば、三千圓を初號にかけ、その殘りを二號にまはさうとしたら、さう行かないうちに風向きが變つた――金主が山で一大失敗をやつたのぢや。」

「どこでも失敗はある、ね。」勇は義雄を見て微笑した。

「ところで、君の方は」と、氷峰は義雄の事業のことに及び、「どうです? 儲かりましたか?」

「僕ア君のぐづ/\してゐるうちに、三千圓ばかりの品物を擧げた、さ。」かう氷峰に云つて、義雄は勇の方をほほゑみながら見返す。

「ほう」と、氷峰は驚く。

「ところが、君」と、勇は口を出して、「全く失敗ださうだ。」

「そりやアまた――?」

「なアに、島田君」と、義雄は平氣をよそひながら、「みんな實費にかかつてしまつたの、さ。」

「は、は、は!」氷峰は笑つた、「藝者のあげ代も實費のうちへ這入りました、な。」

 義雄は自分の事業の失敗並にその囘復策に就て勇に話した通りのことを氷峰にも話した。

「君はまださういふ事業をやるには早かつたのぢや」と、氷峰も遠慮なく云つた。

「文學でこそ、田村義雄君と云つたら、一方の大家であるけれど、實業にかけては僕よりもまだあんこぢや、それが一躍して、千金を握らうとしたのはそも/\無理であつた。」

「僕も實はさう思つてゐたよ。」勇は胸を()らせて賛成した、「さう容易(たやす)く金が儲かるものなら、僕だツて、いつまでも學校などにぐづついてはゐない、さ。」

「さうぢや、君もかね黨の方であつた、な。」氷峰は勇をあしらつて置き、また義雄に、「然し君の大膽なのには、世間の人々は感服してをる。」

「そりやア月謝が餘り高過ぎる經驗だから、ねえ」と、義雄は受けた。

「僕等にやア」と、勇はもつともらしく云つた、「とてもやれないことだ。全體、田村君は初めから人並みはづれて思ひ切つたことをするから、僕等にやア、あぶなくツて、見てゐられないことがあるんだ。」

「君は然し」と、氷峰は勇に向ひ、「また人並みはづれて險呑がりぢやよ。それでは、田村君のどころではない、僕の事業をもあぶながつてをるんぢやらう?」

「いや、さういふわけぢやアない――」勇は少し尻ごみして、「君のは君の、田村君のは田村君のだ。」

「有馬君はまた」と、義雄もはたから口を出し、「引ツ込み思案過ぎるよ。相變はらずの教育家でつづいて來たには感心するが、餘り野心が少い。前にも直接に有馬君に云つたことだが、七年も八年も新開地に來てゐながら、何とか工夫して、さ、安い地面とか、拂ひ下げの山林とかを、買つて置く位のことアしてゐるべきものだ。」

「そりやア考へてゐないでもないが、ね、島田君も知つてる筈だが、なか/\手に入り難いものだよ。」

「それも、さ」と、氷峰は云つた、「行き方一つぢや。教師やへツぽこ官吏には六ヶしいとしても、農學校の教授とか、道廳の官吏などは、こツそりさきへまはつて、出る山林や土地を買ひ占めてしまふ。僕等もつまらんことをしたものの一人ぢやが、新聞記者をしてをると、何かの關係上、土地を少し貰つて置け、いいところがあるからと、向うから勸めて來ることが度々あつた。然しその時は意氣込みばかり高かつたから、土地などはいつでも得られる樣に思ひ、相手にもしなかつた。」

「A地のY先生などア隨分持つてるさうぢやアないか」と、勇が聽く。

「なアに、その時貰つた土地ぢや――僕も惜しいことをしたの、さ、こちらが必要を感じて、どこか欲しいと思ふ時には、頼んでも、向うから持つて來て呉れない。意地の惡いものぢや。」

「僕もどこか持ちたい、ね。」義雄は自分の窮境を救ふ一つの助けにもと空想して云ひ出す。

「そんなかねがあるのか?」

「ない、さ。」

「それぢやア駄目、さ。」

「無論、駄目の話だが――」

「金と云ふ物は、然し」と、氷峰はのんきさうに云つた、「天下のまはり物ぢやから、なア。然しこの頃は駄目ぢや、人の賣り物を買ふのは、不利益ぢやから――山林拂ひ下げの公布が出るのは、もツとさきぢや。」

「それにしても、君はいつまで滯在する? 當分をるのなら、僕等の方にも計畫があるのぢや」と云ふ氷峰の言葉に答へて、義雄は勇の方へ少し氣がねしながら、

「ゐられるなら、當分ゐたいと思ふのだ。樺太を研究したから、北海道をもついでに研究したいと思ふし、また、出來るなら、何かやるべき事業をも思ひつきたい。」

「やり給へ、北海道は新開地だけに、僕等の樣なあんこにでも仕事をさして呉れる。内地とは違つて、なか/\面白いよ。――君はどんな感じがする、ね?」

「何だか、外國じみた感じがする。然し、どことなく、なつかしくなつて來た、僕には。」

「さうだらう。僕は北海道が故郷も同前ぢやから、なつかしさも君のとは違ふだらうけれど、内地と變つて、萬事が大きい。第一、石狩原野や十勝原野の樣な廣漠たる風景はなからうし、諸方の炭山事業も規模のああ大きいのは他にすくなからうし、住んでをる人間その物が片田舍のどん百姓でもなか/\馬鹿にならん。君の著書などをも讀んでをるものは、隨分、あちらこちらにあつて、全體に讀書力が進んでをる。それぢやから、僕の雜誌も出さへすれば隨分見込みがあるのぢや。」

「兎に角、滯在してゐるうちに、どうかして、北海道を旅行して見なければ――」

「まはつて見給へ。有馬君は餘り出たことがない樣ぢやが、北海道を知るには、十勝原野を見なければならん。それも秋がよい。四方八方の紅葉した以平(いたらたらき)高原の如きは、天下無雙ぢやから、な。」

「島田君は十勝にゐたから」と、勇は義雄に説明した、「向うの方はよく知つてる筈だ。」

「僕には、十勝は第二の故郷ぢや。耽溺の記念も多いし、お安くないラバーもをるし、僕を信じて呉れるものもすくなくない。若し僕が代議士に打つて出る時になれば、あちらが根據地だらう。」

「君の雜誌さへうまく行きやア」と、義雄も渠の北海道通をうらやましくなつたといふ樣子で、

「君の政治的目的も着々はかどつて行くだらうよ。」

「僕はこの頃ます/\歌人としての狹い世界がいやになつた。氷峰とはあの歌讀みではないかなど云つて、僕を實際に知らない人間は僕の實業雜誌主筆たる信用を輕んずる向きがまだあるのぢや。――然し、北海道なるものを適切に歌つた短歌はおそらく僕のが初めだらう。○○氏の如きがゐ坐わつてをつて北海道を歌つたのなどと來ては、實にお話にならん――(かしは)の木一つの形容でも、その葉が實際にどう光るかといふことを知つてをらん。」

「そりやア實際だらう、さ。」

「島田君の」と、勇が口を出した、「歌集と云ふか、詩集と云ふかが出た時にやア、僕等の樣な古いあたまにはよく分らなかつたが、學校でもなか/\評判があつた。」

「それで思ひ出したが」と、氷峰は兩手をわざと堅く立てて膝につき、兩の肩をいからしてつき出す樣な眞似をしながら、義雄に、「僕の詩集の廣告を雜誌に出すつもりぢやから、君の著書も廣告したらどうぢやらう、餘地は與へるから?」

「それもよからう。出版元がただで廣告出來るんだから。」

「それよりも君が一人でも未見の友人のふえる方がよからう。」

「それが女ならいいが」と、義雄は寂しい微笑を浮べて、「野郎なら、もう會ひたくも見たくもない、現在の失敗的状態に於いてはだ。」

「さう失望したもんぢやアない。」氷峰は慰める樣に、「本道で何かすると云つても、知つてる人が多い方がよからう――こないだの時は餘り(せは)しかつたから、何とも仕やうがなかつたが、今囘は一つ歡迎會をやるつもりぢやから――それも、中學生や青年雜誌の投書家の樣なあんこ供は別にして、新聞記者を中心として集つて貰ひたいのぢや。」

「それもありがたいことは有難いが、それよりやア僕を一度その十勝原野の樣な廣いところの眞ン中へつれて行つて、獨りで思ふ存分寢たり、起きたりさせて貰ひたい、ね――あんまり、樺太で精神を勞したから、その餘波だらう、考へると、この現在でもあたまや胸が、――もう、からだ全體だが、――煮えくり返つた跡の樣に氣が遠くなるのをおぼえる。」

「そりやア神經衰弱だらう。僕等も新聞記者時代には、よくそんなことがあつた。社が貧乏の爲め退社するものが多くなり、社長兼主筆は燒け酒ばかり飮んでをるのを、僕ばかりで一面も二面も三面も書いたんだ。溜つたもんぢやない。一晩の徹夜で、頬ツぽねが神居古潭(かもゐこたん)の巖石の樣に出たと云はれた。」

「さう云やア」と、勇が受けて、「田村君は、こないだ見た時よりも、ずツと痩せた、ね。」

「さうかも知れない。」義雄は自分の頬ツぺたを撫でて見ながら、「僕は全體痩せた(たち)だが、この頃ア目の玉が引ツ込んだ樣な氣がするんだ。そして、見える物がすべて暗い光を發してゐる樣だ。」

「まア、大事にし給へ」と、氷峰は笑つた、「まだ氣違ひになるにやア早いから、なア。」

「大丈夫だよ」と、義雄も笑ふ。

「そりやアさうと、これからの方針はどう云ふ風にする、ね。」勇は相談でもかけるやうに云ひ出した、「小樽の方はまだ當てになるか、どうか分らないし、樺太から來るかねと云ふのもどうか分るまい――?」

 義雄は返事をしないで暫らく考へてゐる。

「さう見くびツたものでもなからう。」氷峰が氣を利かせたやうに返事を引き受けた、「小樽の松田などア、兄の方は道會議員でも目に一丁字なしの方で、兄弟とも分らず屋だから、どうせ駄目と見といてよからうが、まア、あせらずにゐ給へ。僕の雜誌さへ二三號まで出れば、かねの方はどうともなる、さ――僕と共同のもとにやつたツてかまふまいから。」

「さうなりやア、それに越したことはない、さ」と、義雄は少し勢ひづく。

「それよりやア、まア、僕のところへ來て遊んでゐ給へ、君さへかまはんなら。有馬君は妻子があるけれど、僕は獨身者(どくしんもの)ぢやから、遠慮はない。」

「さう頼みたい、ね。」

「なに、僕んところだツて、さしつかへはないよ」と、勇は調子を合はせたが、安心したといふ樣子がその顏に浮んだ。義雄はまた東京の妻子を見たくないこと、東京の友人に當分顏を會はせたくないことなどの意を氷峰にもらした。

 奧から林檎をむいて持つて來たのが、義雄には昨夜の枝豆につづいてうまかつた。

「北海道の林檎はどうか、ね?」氷峰はそのひと切れを手に取りあげながら聽いたので、

「僕は」と、義雄は口をもぐ/\させて、そのあますツぱいつゆを味はひながら、「正直に云ふと、島田君や有馬君に今度親しくなるよりも、この林檎やきのふの枝豆漬けの味の方が、先づ第一に、僕の疲れたからだに親しく沁み込む樣な氣がするのだ。」

「北海道の枝豆萬歳ぢや、な」と云ひながら、氷峰は立つて碁盤を持ち出して來る。三ヶ月前のかたきを打たう、少しは強くなつたから。」

 勇は、碁が分らないからと云つて失敬してしまつた。

目次に戻る

目次