魔術師

10話 肉仮面

4,408字 約9分 2022年7月28日 公開

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 明智は落ちついて食事を済ました。毒殺の心配はない。殺そうと思えば、眠っている間にいつでも殺せたのだから。食事をしながら見ると、部屋の一方に大きな本棚があって、ギッシリ金文字が詰まっている。その隣りの壁には西洋道化師のお面なども懸けてある。一方の隅の花瓶には、無雑作(むぞうさ)に投入れた野菊の花束。読物はあるし、部屋は立派だし、食事は贅沢だし、何一つ不足はない。監禁者というよりも、大切な御客様の待遇だ。

 食事が済むと、どこかで見張ってでもいた様に、ドアが()いて、さっきの娘が現われ、盆を下げる(ついで)に、葉巻の箱を置いて行く。至れり尽せりだ。

「やっと、僕の境遇が分りましたよ。それにしても、君は実によく気がつきますね。どっかに見張りの穴でもあるのですか」

 立去ろうとする娘の手首を掴んで、明智は笑いながら云った。

「そんなものありませんわ」

 娘はソッと手を振りほどいて、にこやかに答えた。

「僕手が洗いたいのだが」

 彼は真実必要に迫られていたのではない。そういう場合この鎖をどうするのかと、試して見たかったのだ。

 すると、娘は黙って彼の足元に(うずくま)ってポケットから小さな鍵を出し、足首の鉄の輪を解いてくれた。

「で、僕は自由になった訳ですね。逃げようと思えば逃げられる訳ですね」

 明智はニヤニヤ笑って云った。

「アア」娘は本当にびっくりしたらしく、サッと青ざめて、矢庭(やにわ)に服のうしろの方から、小型のピストルを取出したかと思うと、震える手に彼を狙った。

「逃げてはいけません。どうしたって逃げられないのです。あたしを困らせないで下さい。お願いです。お願いです」

 彼女は、悲し相な顔をして、本当に頼むのだ。どうも(うそ)ではないらしい。変だなと思ったが、今の明智はそんな事位構っていられない。

「冗談ですよ。冗談ですよ。逃げたりなんかするもんですか」

 と笑って見せて、娘の油断している(すき)に、一飛びに飛びついて、彼女のピストルを奪いとってしまった。

「アッ、あなたは何も御存知ないのです。いけません、いけません」

 と取り(すが)る娘を振りはらって、ドアの外へ飛出したが、廊下は真暗で、どちらへ行ってよいか分らぬ。ためらっていると、突然、背中へコツンと堅いものが当った。

「手を上げろ。ピストルを投げろ。さもないと、君の背中に穴があくぜ」

 背中の堅いものはピストルの筒口だった。闇の廊下に一人の覆面の大男が、彼を待受けていたのだ。

 で、結局、又しても動物園の熊に逆戻りだ。明智は足に鉄の輪をはめられながら、なる程こいつは厳重だわい。うっかり出来ないぞと心を引しめた。

「余計な手数をかけるもんじゃない。おとなしく寝ているがいい」

 覆面の男は云い捨てて、娘をつれて出て行ってしまった。

 明智は仕方なくソファの上に横になったが、彼の監禁が厳重であればある程、一方福田得二郎氏に対して行われている陰謀がどれ程重大なものか察しがつく訳だ。じっとしてはいられない。

 彼は眠ったふりを装って、今晩中に足の鎖を切断してやろうと決心した。で、三十分ばかり、(いびき)さえ立てて、寝入った(てい)に見せかけたのち、ドアの鍵穴に紙を詰め、室外の物音に耳をすましながら、ポケットナイフを取出し、鎖の切断作業に取かかった。切断したままそ知らぬ顔をしていて、娘が朝の食事を運んで来た時、部屋を飛出せばよい訳だ。

 非常に骨の折れる仕事であったが、四五時間もかかって、直径三()程もある鎖をやっと切り取ることが出来た。で、切断した(はし)を身体の下に隠して、何食わぬ顔をしていると、これはどうだ。まるで、鎖の切れるのを待兼ねていた様に、又してもドアが開いて、今度は二人の覆面の大男が、一人はピストルを構え、一人は長い麻繩を持って這入って来ると、唖の様にだんまりで、ソファに寝ていた明智を、そのままソファぐるみ、グルグル巻きにして、全く身動きも出来なくなったのを確め、黙ったまま、ノッソリと出て行ってしまった。

 さっきから、どうもそうではないかと思っていたが、これで、この部屋のどこかに見張りの穴があることが明瞭になった。

 一体どこから覗いているのかと、明智はソファに縛られたまま、首丈けを動かしてグルッと部屋を見廻したが、どこにもそれらしい隙間はない。ドアの鍵穴にはちゃんと紙が詰めてある。

 窓のない常夜(とこよ)の部屋、眩暈(めまい)の様にゆれる部屋、その上に、今は又、隙間もないのに、絶えずどこからか見張られていることが分った。凡てが普通でない。どこかしら、飛んでもない思い違いがある様な、名状(めいじょう)(がた)い不思議な気持だ。

 流石の明智小五郎も、(きつね)につままれた形で、次に採るべき手段も浮ばずぼんやりと正面の壁を見つめていた。

 丁度彼の目の行く(あたり)の壁に、例の装飾用のお面がある。真白な顔の頬と額に滑稽な赤丸を塗りつけ、細くした目の線と直角に、頓狂な縦の黒い(くま)を描き、紅白だんだらのとんがり帽を冠った、西洋道化師の土製のお面だ。

 彼は何気なく、そのお面を、長い間眺めていたが、そうしている内に、不思議なことに、明智の表情が変って来た。ぼんやりしていた目が、爛々(らんらん)と輝き出し、ゆるんでいた口元がキッと引締った。

「アハハハハ、おい、クラウン、ジョーカー、それとも君はピエロという名前かね。よくまあ、そうしてじっとしていられたもんだね。退屈じゃないかね。ハハハハハハハ、駄目だよ駄目だよ。ホラ(またた)きをした。ホラ口元が(ゆが)んだ。よし給え、よし給え。君が本物の人間だってことは、とっくに分っているんだから」

 と、驚くべきことが起った。壁にかけた土製のお面がカッと目を見開き、口を動かして、(これ)に答えたのだ。

「やっと分った様だね。だが名探偵明智小五郎にしては、ちと遅過ぎたよ」

 そこには元々土製の道化面が懸けてあったのだが、賊はそのお面と同じ化粧をして、時々壁の穴からお面を引込め、その跡へ自分の首を突出して、食事を運ぶ娘の見張りをしたり、一人ぽっちになった明智の行動を探ったりしていたのだ。

 その(のち)思い合わせると、この道化面の男は恐らく賊の主魁(しゅかい)であって、先の覆面の二人は、上野駅で明智を虜にした自動車運転手とその助手に化けていた奴であろう。

「で、君は僕の自由を奪って置いて、一体全体何をしようというのだね」

 横ざまにソファに縛りつけられた明智が云う。

「何をしようだって? それよりも、何をしたかって聞いて貰いたいね」

 壁の道化面が答える。何という珍妙不可思議な対話であろう。だが、この滑稽な姿の両人が喋る言葉は、一騎討ちの真剣勝負だ。

「エッ、それじゃ」明智は驚いて叫んだ「君はもうやっつけたのか」

「やっつけたとは? 福田の親爺のことかね」

「ヤ、それじゃ、貴様、福田氏をどうかしたんだな」

「首と胴とを別々にした丈けさ。……だが、俺の仕事はそれで終った訳じゃない。俺には先祖から伝わった大使命があるんだ。その使命の為に、俺は生れ、教育を受け、四十余年の間苦しみに苦しんで来たんだ。それが、やっと目的を達しようという時になって、貴様という邪魔者が現われた。俺は世界全体を敵に廻しても恐れない。それ丈けの用意は出来ている。だが、君という怪物のことまで、勘定に入れて置かなかった。警察も裁判所も世間も怖くはないが、君はちと苦手なんだ。俺は君がどんな男だか知っている。君なれば俺の仕事の邪魔が出来るということを知っている。問題は権力や武器や人数ではない。智力だ。残念ながら君の智力が恐ろしいのだ。そこで、少々お気の毒だが、恨みも何もない君を、こうして監禁した次第さ。だが、俺は使命を果す外に、人の命をあやめ()くない。俺は殺人魔じゃない。だから君も、じっとおとなしくしていてさえ()れれば、充分歓待はする積りだ。暫くの辛抱だ。頼みだ。じっとしていて呉れ」

 道化面は昂奮(こうふん)に筋張り、厚い白粉(おしろい)を通して、顔面が真赤に上気しているのが見える程であった。決して嘘を云っているのではないことが分る。

「いつまで?」

 明智は冷然として聞き返した。

「一ヶ月、長く見積って一ヶ月だ。どうかその間ここにじっとしていてくれ」

「なんだって。一ヶ月だって。じゃあ貴様は、福田氏の外にも……」

「そうなんだ。俺の相手はあの男一人ではないのだ。だから君に頼むのだ。どうか俺の使命を果たさせてくれ」

「イヤだ」明智は駄々子の様に云い放った「仮令(たとえ)君の使命が、君にとってどんなに正当なものであるにもせよ、今の世に私刑を許すことは出来ない。イヤイヤ、そんなことよりも、僕は君が気に入ったのだ、君の四十余年の陰謀と僕の正しい智慧とどちらが優れているか、それが試して見たいのだ。僕はどうしたって、ここを抜け出して見せる。繩目が何だ。錠前(じょうまえ)が何だ。そんなものは僕にとって、全く無意味であることを、君は知らないのか」

畜生(ちくしょう)ッ」道化面が(しぼ)り出す様な声で叫んだ。

「じゃ貴様こんなに頼んでも、ウンと云わないのだな。どうしても、俺に無駄な殺生(せっしょう)をさせる気だな。それ程命が不用なのか。……だが、明智君、もう一度考え直してはくれまいか。俺は使命の為には、君の命をとる位何でもないのだ。併し、罪も報いもない人を殺しては、俺の気持がにぶる。先祖以来の大使命の手前恥しい。頼みだ。頼みだ」

 薄暗い石油ランプの光線なので、明智は気づかなんだけれど、道化面の厚い白粉を溶かして顔一面に膩汗(あぶらあせ)の玉が浮んでいた。

 悪魔の所謂(いわゆる)使命とは何を意味するかはっきりは分らぬけれど、福田氏の外になお数人の命を奪うことであるらしい。仮令如何なる理由があるにもせよ。それは許すべからざる大罪だ。

 明智は如何にしても、その様ないまわしき使命に(くみ)する気にはなれぬ。で彼は云うのだ。

「それ程僕に手を引かせたければ、ここにたった一つの方法がある」

「それは何だ。それは何だ」

「つまり、君が大使命とやらを思い切るのさ」

「畜生ッ、その広言を忘れるな。望み通り今に息の根をとめてくれるから」

 云うかと思うと、スッポリ肉仮面が引込んで、あとの穴へ、向う側から本物の土のお面がはめこまれた。

 間もあらせず、ドアが開いて、総勢四人、ドヤドヤと這入って来た。化粧丈けでなく服装まで道化師のだんだら染めを着込んだ怪人物、二人の覆面の男、これ丈けは素顔を現わしたさっきの美しい娘。

 道化師は手に不気味な注射器を持ち、覆面の二人は各々ピストルを構えて、明智が身動きでもすれば、ぶっぱなす気勢を示し、娘は何ぜか青ざめて、物悲しげな様子である。

「だが安心するがいい、痛い思いはさせない。この部屋に血を流すのがいやだし、それに、君には何の恨みもないのだから、この注射針で極楽往生をさせてやる。言い残すことはないか。思い返して命を助かる気はないか」

 最後の宣告である。危い危い。身は十重二十重(とえはたえ)に縛りつけられ、二挺のピストルは胸の前に筒口を揃えている。鬼神(きじん)にあらぬ明智小五郎、如何にして、この絶体絶命の大危難を逃れ得るであろうか。

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