18話 大魔術
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一日二日とたつに従って、花園洋子の誘拐は確実となった。東京の女流音楽家、郊外の実家、その他心当りは漏れなく問合わせて見たが、洋子はどこにもいないことが分った。
二郎は音吉爺やの身辺を抜かりなく監視していたけれど、これといって、変なそぶりも見えぬ。
時々三十分か一時間程外出することはあるが、それは皆行先の分っているお使いばかりだ。
新聞記者は警視庁と競争の形で、花園洋子行衛捜索に走り廻った。各新聞の社会面は、玉村家怪事件で埋められ、その外のあらゆる記事は、おしげもなく編輯者の屑籠に放り込まれてしまった。
事件全体が、どうも正気の沙汰ではない。殊に玉村二郎にとって、この一ヶ月の出来事は、凡て凡て、一夜の悪夢としか考えられなかった。だが、夜が明けて日が暮れて、又夜が明けて日が暮れて、いつまでたっても事態は変化せぬ。夢ではない。夢ではない。では俺は気が狂ったのではないかしら。そして、一生涯、この恐ろしい幻を見続けるのではないかしら。
事実、彼は少々気が変になっていたのかも知れない。誰にしたって、恋人が水の様に蒸発してしまったら、この世が全く別のものに見えて来るのは当り前だ。
彼はもう余り考えなかった。ただ歩き廻った。邸の庭と云わず、邸の附近の町と云わず、ただ当てどもなく歩き廻った。心の隅では、どこかの木蔭から、或は軒下から、ヒョッコリ洋子が現われてくるのを期待しながら。
その日も、二郎は何の当てもなく、大森の町を歩き廻ったのだが、ふと気がつくと、今まで一度も通ったことのない、まるで異国の様な感じの町筋に出ていた。すぐ目の前に、田舎びた、古めかしい一軒の芝居小屋が建っている。ハタハタと冬空にはためく十数本の幟。そこには、一度も聞いたことのない奇術師の名前が染出してある。
「アア手品だな」
と空ろな頭で考えて、小屋の軒に並んだ絵看板を眺めると、様々な魔奇術の場面が、毒々しい油絵で、さも奇怪に、物凄く、描いてある。古風な骸骨踊り、水中美人、人間の胴中へ棒を通して担いでいる有様、テーブルの上で笑っている生首、どれもこれも、一世紀前の、手品全盛時代の、物懐しい場面ばかりだ。
虫が知らせたのであろうか、彼はその小屋へ、フラフラと這入って見る気になった。まだ夕方で、演芸も大物はやっていなかったけれど、それでも、久しく忘れていた少年時代の好奇心が蘇って、小奇術の一つ一つが、ひどく彼の興味をそそった。そうして、他愛もなく手品などに見入っていることが、この頃の彼にとっては、得難い休息でもあったのだ。
番数が進んで、日が暮れる頃から、段々大奇術に這入って行った。座長の手品師は、いつも鈴のついた尖り帽子を冠って、顔を白粉で塗りつぶし、西洋の道化服を着て登場したが、田舎廻りにも拘らず、その手並みの見事なことは、大人の二郎でさえ余りの不思議さに、あっけにとられる程だった。
水中美人、骸骨踊り、笑う生首、と演芸は一幕毎に佳境に這入って行った。見物達は、もうすっかり、奇怪な夢の国の住民になり切って、酔った様に舞台の神技に見入っていた。
二郎は何も知らなかったけれど、若し読者諸君が、この手品の見物の中に混っていたならば、舞台の上の一人物を見て、アッと叫声を発する程も、驚き恐れたに相違ない。何ぜといって、水中美人の演芸で、大きなガラス製タンクに横わった女、テーブルの上に、チョン切られた生首をのせて、ゲラゲラ笑った女は、諸君が亡き明智小五郎と共に、品川沖の怪汽船の中で出会ったことのある、あの怪物の娘の、文代という美しい少女であったからだ。して見ると、座長の道化服は、あの時明智に恐ろしい毒薬の注射針を擬した、復讐鬼その人であろうか。そうとしか考えられぬ。では、彼等は、狙う玉村一家に間近い、この大森の町に、手品師と化けて入り込んでいたのか。
何と云う大胆不敵。若し文代の顔を見覚えているものがあったらどうするのだ。併し、考えて見ると、文代が怪賊の娘だと知っている人は、明智小五郎の外には、この世に一人もいないのだ。その明智小五郎は死んでしまった。そこで一見無謀に見える賊の手品興行も、実は安全至極な一種の隠れ簑に過ぎなかった。
そうとも知らぬ二郎の前に、幾幕目かの緞帳が捲き上げられた。
背景は一面の黒天鵞絨、舞台も客席も真暗になって、スポットライトの様な、青白い光線が、舞台の一箇所を僅かに照らしている中に、たった一つ、玉座の様に立派な椅子が置いてあるばかりだ。そこへ、燕尾服の説明者が現われて、前口上を述べる。
「ここに演じまするは、当興行第一の呼び物、摩訶不思議の大魔術、座長欧米漫遊の節習い覚えましたる、美人解体術でございます。あれなる椅子に婦人をかけさせ、座長自ら剣を執って、首は首、手は手、足は足と、切断致し、バラバラになった五体を組み合わせて、再び元の婦人を作り上げる、一度死にました婦人が、立上ってニッコリ笑いまするという、名づけまして、美人解体の大魔術にござります」
説明者が引込むと、二郎には分らぬけれど、賊の娘の文代が、洋服美々しく着飾って現われる。続いて、例の道化姿の座長が、手に青竜刀の様な大ダンビラを提げて出て来る。
挨拶がすむと、文代は正面の椅子に腰かける。座長と二人の助手が、その前に立ちふさがって、文代の着物をはぎ取ってしまう。パッと飛びのく彼等のうしろに、現われた姿は、見るも恥かしい、赤はだかの若い娘だ。全身をぐるぐる捲きに縛られた上に、顔全体を隠す様な、巾の広い布の目隠しをされ、猿轡さえはめられている。
云うまでもなく、この三人がかりで、娘の姿を隠す様にして、着物をぬがせるのが、トリックで、その間に、椅子がクルリと廻転して、娘に似せた裸体人形が正面に現われ、本物の娘は、黒天絨鵞のうしろへ姿を消してしまうのだ。
そうとは知りながらも、現われ出でた裸体人形の、余りに見事な細工に、二郎は我目を疑わないではいられなかった。文楽の操り人形が、人形の癖に息使いをするのと同じに、この等身大の手品人形も、確かに呼吸をしている。青白いスポットライトが震えているのか、それとも、人形の胸が脈打っているのか、恐らくは幻覚であろうけど、ふっくらとした、二つの乳房が、ムクムクと動く様にさえ見えるのだ。
二郎は、両眼がボーッとして来る程も、裸体人形を見つめていた。見つめている内に、ムラムラと恐ろしい想像が湧上って来る。若しや、あれは本当の人間ではないかしら、あの笑いの面みたいな顔をした不気味な道化師は、何喰わぬ顔で、毎日毎日、一人ずつ生きた娘を殺しているのではあるまいか。
そればかりではない。あの人形の身体は、腿の線、乳のふくらみ、頸から顎へかけての特徴がどうも今見るのが初めてではない。どっかで見た様な、と思うと、その人形が、益々誰やらに似て来るのだ。
「アア、俺はまだ悪夢の続きを見ているのかしら」
二郎はともすれば、そんな気持になる。そして、一寸気を許すと、眩暈の様に、青や赤の風船玉みたいな物が、目の前を、滅多やたらに飛び違う。
さて、愈々美人解体が始まった。笑の面の道化師は、滑稽な程物々しい大ダンビラを、真向にふりかぶって、ヤッとかけ声諸共、裸体人形の腿に打ちおろした。パッと上る真赤な噴水。コロコロと舞台前方に転がり出す美人の片足。猿轡の中から、幽かに漏れる悲痛なうめき声。
人形がうめく筈はない。きっと黒幕のうしろで誰かが声丈け真似ているのだとは思いながら、二郎は、そのうめき声を聞くと、ハッと飛び上る程、驚かないではいられなかった。アア、やっと分った。あの身体、あの声、何から何まで、裸体人形は、花園洋子に生き写しなのだ。
已に両足を切落したダンビラが、右腕に及ぼうとした時、二郎は我を忘れて、座席を立上ると、いきなり花道へ飛上り相にしたが、ハッと気がついて、やっとのことで自から制した。
だが、この余りにも残虐なる魔術を見て、気が変になったのは二郎丈けではなかった。見物の婦人の多くは、悲鳴を上げて顔に手を当てた。中には脳貧血を起しそうになって、席を立った者もある。
舞台では、美人解体作業がグングン進んで、両手両足の切断を終り、次には、重いダンビラが横ざまにひらめいたかと見ると、チョン切られた美人の首が、毬の様に宙を飛んで、切口から仕掛けの赤インキが、滝津瀬とほとばしった。
紅に染まった生首、両手両足が、舞台のあちこちに、人喰い人種の部屋みたいに、ゴロゴロと転がっていた。
椅子の上に取り残された、首も手足もなんにもない胴体は、不気味なドラッグの蝋人形の様に、チョコンと坐っていた。
二郎はそのむごたらしい有様を見て、花園洋子その人が、その様な目に合ったと同じ恐れと悲しみに、唇の色を失って、ワナワナと震えていた。そんな馬鹿馬鹿しいことがある筈はないと、我と我が心を叱りながらも、胸の底からこみ上げて来る一種異様の戦慄をどうすることも出来なかったのだ。
手品師も、見物を余りに恐怖せしめることを憚かったのか、解体の残虐場面は、瞬く間に終って、次には、陽気な、美人組立て作業が始まった。
突如として起る、下座の華やかな行進曲。そのジンタジンタの楽隊に合わせて、道化師は、身振り面白く、舞台一面に転がった人形の首や手足を、拾っては、椅子の上の胴体へと投げつけるに従って、足は足、手は手と、元の場所へ、ピッタリと吸いつく、見る見る、バラバラの五体が一つに纒って行くのだ。
そして、最後に、ヒョイと首がのっかったかと思うと、その首がいきなりニコニコ笑い出す。道化師が繩をとき、猿轡をはずしてやると、美人は立上りさま、しっかりした足どりで、舞台の前方に進み出で、自分で目隠しをとって、艶かしく挨拶する。その顔は、まがいもなく、さっきの美しい女太夫、即ち賊の娘の文代なのだ。
二郎は、この美人組立てのトリックも知っていた。いつの間にか椅子が廻転して、本物の娘が、首手足を背景と同じ黒天鵞絨で隠し、胴体ばかりに見せかけて腰かけている。手品師は、バラバラの手足を投げると見せて、自分のうしろの背景の隙間に隠す、その刹那、娘の手足を覆った黒布が一つ一つ落ちて、丁度手足が生えて行く様に見えるのだ。
二郎が驚き恐れたのは、そんなトリックなどではなかった。さっき大ダンビラで切断された人形も、今立上って挨拶している娘と同じ様に生きてはいなかったか。吹き出したのは、赤インキではなくて、本当の血潮であり、あのうめき声は、真実断末魔のむごたらしい苦悶だったのではないか。という悪夢の様な考えであった。
二郎は、寒い気候にも拘らず、身体中にネットリ汗をかいて、已に卸された緞帳を見つめていたが、丁度舞台の娘が背景の裏へ這入ったなと思われる頃、幕のうしろから、たった一声ではあったが、「キャッ」という、確かに若い女の悲鳴が聞えた様に思った。
「アア、きっと、あの娘が、殺されたもう一人の娘の、バラバラの死体を見たのだ。そして、恐怖の余り叫び出そうとしたのを、誰かが口に手を当てて、黙らせてしまったのだ」
と、彼のいまわしい幻想は、どこまでも拡がって行くのである。
まだあとに幾幕か残っていたけれど、彼はもう、じっと手品を見ている気がしなかった。フラフラと立上って、無神経に笑い興じている見物達の間を通って、木戸口を出た。
小屋の外には、美しい星空の下に、真黒な家々が、シーンと押し黙って並んでいた。人通りも殆どなく、墓場の様に滅入った田舎町だ。
彼は邸へ帰る為に、五六歩あるきかけて、ふと立止った。何となく、この罪悪をとじこめた様な芝居小屋を、離れ去るにしのびない感じである。
彼はそこへ行って、何をするという確かな考えもなく、夢中遊行の様な足どりで、小屋の楽屋口へと歩いて行った。
角を曲って、建物の背面に出ると、そこに半間程の小さな出入口が、ポッカリ口を開いていた。薄暗い電燈が、ボンヤリと、地面を長方形に区切っている。その中に、異様な大入道みたいなものが映っているのは、入口を這入った所に、誰かが佇んでいるのであろう。
二郎はまるで泥棒みたいに、足音を盗んで、オズオズとそこへ近づいて行った。そして、出入口の板戸に手をかけ、ソーッと頭丈け突き出して、中を覗いて見た。
大劇場と違って、楽屋口の番人も何もいない。ガランとした、薄汚い廊下がある切りだ。その出入口の彼のすぐ目の前に、何をしているのか、一人の男が向うを向いたまま、人形ででもある様に、身動もせず突立っている。
その時、二郎が手をかけていた板戸が、身体の重みで、カタンと鳴った。ハッとうろたえて、覗いていた首を引込めようとした瞬間、物音に驚いた目の前の男が、ヒョイとこちらを振向いた。
顔と顔とがぶつかった。
二郎は一目その顔を見ると、まるでお化けにでも出会った様に、「ワッ」と、途方もない叫声を立てたかと思うと、いきなりクルッと向きを変えて、滅茶苦茶に駈け出した。そのお化けが、うしろから追っかけて来るかの様に。
楽屋口に佇んでいた男というのは、意外千万にも、或は当然至極にも、彼が数日来疑い恐れていた、あの庭掃除の音吉爺やであったのだ。