19話 麻の袋
読み方を変える
駈け足が、急ぎ足となり、やがて並足となった。いつ方角を取り違えたのか、行っても行っても玉村の邸には出ず、同じ町筋を何度も何度もどうどう巡りをしている内に、二郎はいつか見も知らぬ町はずれの真暗な林の中を歩いていた。
木立ちを通して、向うの方にチラチラと人家の明りは見えているけれど、闇夜のせいか、或は立並ぶ年を経た樹木のせいか、深山へでも迷い込んだ様な気持である。大森の山の手には、こんな森とも林ともつかぬ空地が所々にあって、昼間なれば何でもないのだが、闇夜ではあり、さい前からの変な気持の続きで、やっぱりそれも、悪夢の中の物凄い場面の様に思いなされるのであった。
二郎には、それが、行っても行っても尽きぬ、怪談の森の様に感じられた。いや、彼は、もっと怖いことさえ考えていた。というのは、子供の時分よく聞かされた、お化けの話の中に、一人の子供が、真暗な町角で、朱盆みたいな顔をした、恐ろしいお化けに出会い、キャッと云って逃げ出して、別の町角まで来ると、よその小父さんに出会ったので、そのことを話す。小父さんが「そのお化けはこんな顔だったかえ」と云いながら、ニューッと顔を近づける。その顔が、何と、さっきのお化けとそっくりの朱盆に変っている。というのがあった。二郎は今、それと同じ恐怖を想像して、想像した丈けで、ゾーッと、髪の毛が逆立つ思いだった。
「きっと、きっと、あいつが、この林のどこかに隠れていて、今にも、バアと云って飛び出して来るに違いない」
彼は夢の中の心理状態で、それを妄信していた。「あいつ」というのは、勿論、音吉爺やであったのだ。
「今にも、今にも」
と、念仏みたいに、頭の中で繰り返しながら歩いていると、果して、行手の木蔭にうずくまっている、妙な人影を発見した。「ソラどうだ。あれが音吉に極っている」と闇をすかして、見れば見る程、やっぱり、それが音吉爺やのうしろ姿に相違ないことが分って来た。
ギャッと叫び相になるのを、やっとこらえて、消えて行く思考力を、一生懸命呼び戻しながら、自分も木蔭に身を隠して、じっと様子を見ていると、音吉の方でも、何か大木の向側にあるものを熱心に見守っている様子である。
何を見ているのかと、色々苦心をして、覗いて見るけれど、音吉の小楯にとっている大木の幹が邪魔になって、その上闇夜の暗さに、そう遠くまで見通しが利かぬので、ただもどかしい思いをするばかりだ。
暫くそうして我慢をしていると、突然、音吉の向うの闇の中に、もう一つ、蠢く黒影を発見した。ハッと思う間に、その黒い影がこちらへ歩いて来る。
次の瞬間、恐ろしいうめき声と共に、二つの黒影が闇の中にもつれ合った。音吉がその男に飛びついて行ったのだ。
二人は地上をコロコロ転がりながら、掴み合っている。相手も弱くはなかったが、老人の癖に音吉の腕力は恐ろしい程であった。
見る間に、男は音吉の為に組みしかれて、悲鳴を上げた。
事情は分らぬけれど、音吉を助ける筋はない。それに、相手の男は、今にも絞め殺され相な悲鳴を上げているのだ。
「コン畜生」
と叫びさま、二郎は音吉目がけて組みついて行った。
三つの黒影が、木の根にぶつかりながら、巴となって掴み合った。
だが、いくら強いといっても、一人と二人では勝負にならぬ。組みしかれていた男が、はね起きた。余る力で音吉を突き飛ばして置いて、サッと飛びのくと、いきなり闇の中へ逃げ去ってしまった。
取残された二郎こそ、迷惑である。彼は、まさか主人がこんな所へ来ているとは知らぬ音吉の為に、散々な目に合わされた末、先の男に代って、同じ様に組みしかれてしまった。
「貴様は何者だ」
老人とも思われぬ強い声が尋ねた。
「手を離せ。俺は君の主人の玉村二郎だ」
「エッ、あなた、二郎さんですか」
音吉は、さも驚いたらしく、押えていた手を離して立上った。
「どうして、こんな所へお出でなすったのです」
「君こそ、どうしてここにいるのだ。今の男をどうする積りだったのだ」
二郎は逃がすものかと、音吉の胸ぐらを掴みながら、詰問した。
「イヤ、何でもないのです」音吉はしらばくれて、「あなたの御存じのことではありません。サア、その手を離して下さいませ」
「離すものか」
「では、この爺をどうしようとおっしゃるのです」
「分り切っているじゃないか。警察へ引渡すのさ」
「警察ですって。……、あなた、なにか思い違いをしていらっしゃる」
「思い違いなもんか。俺はすっかり知っているぞ。貴様が犯人だ。福田の叔父さんを殺したのも、妙子や兄さんを傷つけたのも、洋子さんを誘拐したのも、みんな貴様の仕業だ。俺はそれをちゃんと知っているのだ」
「それが思い違いです。わたしは、あなたが疑っていらっしゃることは、薄々感づいていました。併し、こんな思いがけない邪魔をなさろうとは、まさか知らなかったです」
「邪魔だって。僕が何の邪魔をした。今の男を殺そうとする邪魔をしたとでもいうのか」
「アア、もう今から追駈けた所で間に合わぬ。奴等はどっかへ姿を隠してしまったに極っている。チェッ、飛んでもないことが起ったものだ」音吉は残念そうに舌打ちをしたが、ふと気を変えて、「それじゃ、あなたの疑いをはらす為に、御目にかけるものがありますから、こちらへ来てごらんなさい。わたしも、それを確めて見なければならないのですから」
二郎は、そんなことを云うのが、相手のトリックかも知れぬと考えたので、油断なく音吉の袂を掴んだまま、あとに従って行った。
「あなたマッチをお持ちでしたら、一寸すって見て下さいませんか」
音吉が云うので、二郎は、袂を離さず、あいている方の手で、ポケットから、ライターを取り出しカチッとそれを点火した。
音吉はゆらめく火影に、暫くあちこち地面を眺めていたが、
「アア、ここだ」
と呟いて、地面の一箇所を指さした。
見ると、三尺四方ばかり、今掘返した様に、土の色が変って、そのそばに、一挺の鍬が転がっている。
音吉は鍬を拾うと、いきなりその地面を掘り出した。
音吉が何か見せるものがあるというのは、嘘ではないらしい。二郎は、いくらか安心して、その時まで掴んでいた挟を離し、相手の土掘り仕事を助ける為に、ライターを地面に近づけてやった。
「そこに何があるのだ」
「はっきりしたことは分りません。併し、わたしの想像では……」
音吉は鍬を動かしながら答える。
「君の想像では?」
「非常に恐ろしいものです」
と云った切り、彼は、ムッツリ黙り込んで、土掘りに余念がない。
やがて、掘返された土の中に、麻の袋の様なものが見えて来た。
その時、二郎の頭に突如として、ある恐ろしい考えが閃いた。「そんなことがあるものか」と打消す下から、その想像は、段々はっきりと、毒々しい血の色で、彼の心中に拡って行った。
「サア、手伝って下さい」
音吉が云うままに、二郎はその袋に手をかけた。二人がかりでやっと持上る程の、重い袋だ。
「音吉、これは一体何だ、この袋の中に這入っているのは」
二郎は震え声で尋ねた。
「多分、わたしの想像していたものです。併し、あなた、この中を見る勇気がおありですか」
二郎は袋を放り出して、いきなり逃げ出し度い様な気がした。
「もう一度、明りをつけて下さい」
二郎が又ライターに点火すると、その淡い光の中で、音吉は袋の口を解いた。そして、底の方を持って、一振り振ると、袋の口から地面へ、ゴロゴロと転がり出したものは、……
大方それと察していた二郎も音吉も、実際その切り離された人間の腕や足を見た時には、思わずアッと叫んで、飛びのいた。
「人形ではなかった。やっぱり、生きた人間だった」
二郎が上ずった声で云った。
「そうです。あれは人形ではなかったのです」
音吉は、彼もやっぱり、さっきの美人解体術を見ていたかの様に、合槌を打った。
「で、一体、これは誰の死骸なのだ」
「それを確めなければならないのです」
二郎と音吉とは、じっとお互の目を睨み合った。二人共、調べて見るまでもなく、死骸の主を知っているのだ。
音吉は、袋の底から、死骸の首を探り出して、二郎のライターに近づけた。まだ目隠しをされたままだ。音吉は片手でそれを解いた。ハラリと落ちる布のうしろから、現われたのは、アア、果して、果して、行衛不明となっていた、二郎の恋人、花園洋子の、変り果てた面ざしであった。
「気違い! 気違い!」それを一目見るや、二郎自身気が違いでもした様にどなり出した。「気違いでなくて、あんな馬鹿馬鹿しいことをする奴があるものか。何の必要があって、千人の見物の前で、こんなむごたらしい目に合わせたのだ。気違いでなければ人殺しを見世物か何ぞの様に心得ている、極悪人だ」
「復讐ですよ」音吉が低い声で云った。「ホラ、忘れましたかね、隅田川の獄門舟を。あれと同じ思いつきです。犠牲者を、出来る限りむごたらしく、出来る限り多人数の前で、お仕置きするのが、犯人の目的なのですよ」
二郎は、音吉の静かな声におびえて、クラクラと眩暈を感じた。
「で、つまり、こうして、一度埋めた洋子さんの死骸を、僕の目の前で、態々掘出して見せるのも、やっぱり犯人の目的に叶う訳だね」
二郎は最後の意力を奮い起して云った。
「と、おっしゃるのは?」
「やっぱり、貴様が犯人だと云うのだ。でなくて、庭掃除の爺やが、何の為に今時分、こんな所へ来ているのだ。殺人事件の度毎に、いつも現場附近をうろついていたのは、どうした訳だ。それから、それから、パチンコで妙子を狙ったり、玄関の戸の暗号通信を拭きとると見せかけて、僕の注意を惹いたのは一体誰だったのか」
一寸の間、妙な沈黙が続いた。音吉が何かを決し兼ねている様子だ。が、暫くすると、突然、全く聞き覚えのない声が、音吉の口から響いて来た。
「アア、君はまだ疑っているのですね。どうも是非がない。では、二郎さん、僕の顔をよく見てごらんなさい」
音吉は、二郎のライター持つ手を、グッと引寄せて、自分の顔を照らして見せた。
そこには、一度も見たことのない、荒々しい一人の男が立っていた。かがんでいた腰がシャンと延びた。うなだれていた首が、まっすぐになった。
「まだ分りませんか」
云いながら、音吉は、白髪まじりの鬘をかなぐり捨て、着け眉毛をはぎ取り、胡麻鹽の無精髭をむしり去った。その下から現われたのは、(老人らしい皮膚の斑点や、陽に焼けた顔色は、咄嗟に洗いおとすことが出来なかったけれど)明らかに、まだ三十代の、精悍な一男子であった。
二郎はあっけにとられて、まじまじと相手の顔を見つめていたが、ハッとある相似に気付くと、真青になって、まるで幽霊にでも出逢った様に、ヨロヨロとあとじさりをした。
彼はある人物の写真を思い出したのだ。その写真と、今目の前に立ちはだかっている人物とが全く同じに見えることが、彼を極度に怖がらせたのだ。