25話 殺人映画
読み方を変える
結局、牛原氏の誘い上手に乗って、一同その小型映画を見ることになった。
「この部屋では駄目です。別に私のスタディオが出来ているのですよ。穴蔵というと、気味が悪いですが、ナアニ、この家の元の持主が作って置いた、小さな地下室があるのです。そこは、昼でも真暗なものですから、スタディオにはもってこいの場所で、映画の道具一式そこに置いてありますし、スクリーンも、そこの壁に張ってあるのです」
地下室と聞くと、一同の好奇心は一層募った。何か別世界を覗くといった、一種異様の興味が若い兄妹達をそそった。
牛原氏は先に立って、客間の隣りの、ガランとした空部屋に這入り、そこの押入れを明けると、中の床板が揚げ蓋になっていて、その下に、地下への階段が出来ていた。
「何だか気味が悪い様ですね」
玉村氏が笑いながら云った。
「酔狂な真似をしたものですね。ひょっとしたら、この家はもと賭博打ちか何かが住んでいたのかも知れませんよ」
牛原氏は事もなげに答えて、ズンズン階段を降りて行く。一同は主人の気軽な調子にはげまされ、薄気味悪く思いながらも、まさかあの様な深い企らみがあろうとは、知る由もなく、あとに従って地下室へと降りた。
降り切った所に、頑丈な鉄の扉があって、その外に沢山煉瓦が積んである。一体何をする為の煉瓦であろうか。
地下室というのは六畳敷き程の狭い部屋で、天井も床も四方の壁も、古風な赤煉瓦で出来ていて、一方の壁に映写用の白布が張ってあり、器械類、簡単な椅子テーブルなどがゴチャゴチャと並んでいる。
牛原氏は小型テーブルの様な台の上に、器械を据えて、映写の準備をしていたが、それが終ると、一同を椅子にかけさせ、
「サア、始めますよ」
と云いながら、パチンと電燈を消した。
あやめも分かぬ真の闇。闇の中で、カタカタカタとクランクの音が聞えると、正面のスクリーンに、薄ボンヤリと、抜けの悪い画が動き始めた。
よく見ると、牛原氏自身の邸が背景に使われている。そこの色々な部分が、巧みに取入れられ、その背景の前で、見知らぬ登場人物が、事件の筋を運んで行く。
素人現像のボンヤリした不明瞭な画面が、一種異様の凄味となり、何かこう、恐ろしい悪夢でも見ている様な気持だ。
音楽も説明も何もない沈黙の映画。音といえばクランクの廻転ばかり。登場人物は、黙々として笑い、泣き、語っている。真のパントマイムだ。
背景は現在のこの邸だけれど、物語の時代は明治の初期らしく、人物の髪の形、衣裳の着つけなどが、古い錦絵を思出させる、古風な姿である。
夜会巻きの美しい女が出て来る。ある男の愛妾だ。その二人の色っぽい場面が幾つも現われる。
この女には、幼馴染の情夫がある。それが主人のいない折を見て、忍んで来る。不義の幾場面が巧みに描かれる。
だが、ある時、遂に主人が、この忍男を発見する。すさまじき憤怒の形相。煩悶懊悩の痛ましい姿、彼は真底から女を愛していたからだ。
彼は、併し、何気ない体で、伝手を求めてその忍男と近づきになる。女の主人は四十歳位、忍男は五つ六つ年下だ。二人とも妻も子もある立派な暮しをしている。
恨みを包んだ不気味な笑顔。相手の真意を計り兼ねてビクビクしている不安の表情。
女の主人は、その奇妙な交際を続ける一方では、とある広い邸を買入れて、そこの地下に、煉瓦造りの穴蔵の様なものを作らせる。買入れた邸というのは、牛原氏のこの邸だ。地下の穴蔵というのは、今一同が映画を見ている、この地下室だ。
この頃から、見物達の頭に、不気味な錯覚が起り、映画と現実とが不思議な交錯を始める。
画面では、職人の手で穴蔵が殆ど完成する。あと半坪程、煉瓦の壁が残っているばかりだ。主人は、どういう訳か、そこで仕事を中止させて、職人達を帰してしまう。
彼は鍬を持って、未完成の部分の壁を、掘り始める。見る見る土の洞窟が出来て行く。その時代には珍らしい地下室、異国的な赤煉瓦、そこで奇妙な穴掘りを続ける、長い髪の毛の明治男。何とも云えぬ、不思議な景色である。
人一人這入れる程の穴が出来上った。
その穴を眺めた四十男のゾッとする様な笑い顔。
彼は穴蔵を出て、着物を着換えて、客間にじっと待っている。その客間というのは、映画を見ている一同が、さっき食事をした部屋だ。洋風家具がなくて、座蒲団と煙草盆に変っているが、部屋は同じあの部屋だ。
そこへ、約束があったものか、忍男が訪ねて来る。主客の前に酒肴が運ばれる。形は違うけれど、やっぱり今夜と同じ晩餐の饗応である。
「アア、きっと食事のあとで、地下室へ案内するのだ。全く同じことが起るのだ」
予想は的中した。主人は立上って、恨重なる忍男を伴い、次の部屋へ来ると、さっきと同じ押入れを開き、同じ上げ蓋を開いて、地下への階段を降り始めた。スクリーンの出来事と、さっきの現実とが、ピッタリ同じ順序で進んで行く。故意か偶然か。余りにもいぶかしき一致ではないか。
室内の場面には、玄人の様にライトが用いられ、地下室の暗黒も巧みに撮影されている。
主人も客も、フラフラに酔っぱらっている。主人が、恐ろしい意味をこめて、ゲラゲラ笑うと、まだ気づかぬ客も、同じ様にゲラゲラ笑った。二人の酔っぱらいの、不気味な大写し。
主人がさっき掘った洞穴を指さすと、客はそれを通路と誤ったらしく、壁の穴へとつき進んで、土の中へ転がり込む。
ハハハハハハ。ワハハハハハハハ。土の中へ転がったまま耐らぬ様に笑っている、可哀相な忍男の大写し。
と、主人の態度が一変した。彼は本当に酔っていたのではない。シャンとすると、驚くべき敏捷さで、そこに置いてあった煉瓦を取り、鏝を持ち、漆喰をすくって、壁の穴へ、煉瓦を二重に積み始めた。
壁の奥では、酔っぱらいが、何も知らずに笑っている。彼の前に、恐ろしい速度で煉瓦の壁が積上げられて行くのを、空ろな目で眺めている。
煉瓦積みの単調な場面が暫らく続く。
やがて、恐ろしい作業が殆ど完成した。あと五六個の煉瓦を余すばかりだ。
「アハハハハハハハ、こいつは耐らぬ。何という滑稽ないたずらだ。オイ、この思いつきは素敵だぞ。お前はうまいことを考えたものだね」
壁の中の、洞穴の大写し。そこに笑いこけた忍男が、そんなことをわめいているのが、ありありと想像される。
外の男は、とうとう最後の煉瓦をはめ込んで、ハタハタと着物の汚れをはたいている。満足そうな薄笑い。そして、穴蔵を出て、鉄の扉をしめて、足どりも軽く階段を昇り、元の客間へ帰ると、残っていた酒をガブガブ呑んで、舌なめずりをしながら、ニタニタと、身震いの出る様な笑い顔。
と、場面はもう一度穴蔵に戻る。完全にとじこめられた、壁の奥の真暗な土の中の大写し。酔っぱらいの忍び男は、もう一生涯そこを出る望みがないのも知らぬ体で、まだゲラゲラ笑い続けている。アア、何という戦慄すべき笑いであったろう。
それがパッと消えると、暫くは時間の経過を示す為の暗黒、そして、再び現われたのは、やっぱり元の壁の中だ。
男はもう笑っていない。すっかり酔が醒めたのだ。恐怖に飛出し相な両眼。何をわめくのか、大きく開いた唇。虚空を掴む断末魔の指先。
彼は凡てを悟ったのだ。女の主人が彼の不義を知っていて、恐ろしい復讐を為しとげたことを気づいたのだ。どんなに叫んでも、もがいても、永久に出ることの出来ない、生きながらの埋葬を悟ったのだ。早くも漆喰が固って、押しても叩いても厚い煉瓦の壁はビクともしない。
無駄とは分っていても、併し、彼はもがかぬ訳には行かなかった。土の中の見るも無残な気違い踊り。網にかかった鼠の様に、ガリガリと壁を掻いて狂い廻った。
この世のものとも思われぬ、恐怖の表情の大写し。そして、徐々に徐々に溶暗…………。
恐ろしき映画が終った。穴蔵の中は真の闇、感動の余り誰も口を利くものはない。死の様な沈黙の数秒。
やがて、闇の中から、牛原氏の妙に押しつけた声が聞えて来た。
「玉村さん。この写真の意味がお分りでしたか」
玉村氏は、恐ろしい予感に震えて、返事をする気力もない。
「お分りになりませんか。では、教えてあげましょう。今から五十年以前、ああしてこの穴蔵へとじこめられた、みじめな男は、かく云う私の父親なのです。そして、この世にも恐ろしい復讐をなしとげた人物は、玉村さん、あなたのお父さんの幸右衛門という人でした。あなたは、まさかこんな出来事があったのはご存じないかも知れぬ。だが、密通者奥村源次郎が、妻子を残して行方不明になったことは、お聞き及でしょう。世の中では、源次郎が何か悪いことをして、身を隠したのだと取沙汰しました。誰もこの恐ろしい復讐の犠牲になったことは知りませんでした。併し、たった一人、本当のことを知っている者があった。彼は苦心を重ねてこの穴蔵の秘密を探り出したのです。そして、とうとう源次郎の死体を発見し、源次郎が煉瓦を傷けて書き残した、異様な遺書を読んだのです。そして、彼の生涯を復讐事業に捧げる決心をしたのです。それが誰であったかは、云わずともお察しでしょう。源次郎の一子奥村源造です。即ちかく云う私なのです」
闇の中の声がパッタリ途絶えた。
「牛原さん、冗談はいい加減にして下さい。いたずらが過ぎますぜ。こうして私達を思う存分怖がらせて置いて、あとで大笑いをなさろうという訳でしょう。ハハハハハ。その手には乗りませんよ」
玉村氏は震え声で、夢中になって打消した。それを信じるのが、余りに恐ろしかったのだ。
「冗談ですって?」
闇の中の不気味な声が答えた。
「あなたは冗談やなんかでないことを、知り抜いておいでなさる。さっき、例のダイヤモンドをお見せした時から、あなたは心の隅で私を疑っていた。若しやこの男が、あの魔術師といわれる兇賊ではあるまいかとね。その通りですよ。私が得二郎氏を殺した本人であればこそ、あの宝石を持っていたのですよ。私は半生を復讐事業の為めに捧げました。ただ父の遺志を果す為に生きて来ました。そして、やっと、今晩、その目的を達したのです。玉村一家を亡ぼしてしまう時が来たのです。玉村さん。私の嬉しさが、あなたには分りますか。気違いになり相ですよ」
「少しも知らないことだ。わしの子供達は一層無関係だ。父親の仇を、その子と孫が受けなければならぬ道理はない。君は血迷っているのだ。気が違っているのだ。無関係なわし等を苦しめて、どうしようと云うのだ」
玉村氏は必死に抗弁した。
「それが知り度いのですか。知りたければ、スクリーンの裏の煉瓦の中を検べてごらんなさい。私がどうして、こんな気持になったか、分り過ぎる程分りますよ」
云ったかと思うと、ガタガタと走り去る足音、バタンと締る鉄扉の音、そして、その外から聞えて来る、ゾッとする様な悪魔の笑い声。
一郎と二郎とは、闇の中を扉に突進して、それを開こうとあせったが、頑丈な鉄板は二人や三人の力で、ビクともすることではない。
電燈をひねって見たが、外のスイッチが切ってあると見えて、点火しない。
「駄目です。お父さん、僕達はとじこめられてしまいました」
「お父さま、兄さん、どこにいらっしゃるのです。あたし怖い!」
「しっかりするのだ。みんな気を落してはいけない。ナアニ、まだ助からぬと極った訳ではないよ」
親子兄妹が、恐ろしい闇の中で呼び交わした。
扉の外では、五十年以前に、玉村幸右衛門氏がやったと同じことが行われていた。悪魔は、鉄扉の外へ更らに煉瓦を積上げているのだ。コトコトという物音はそれに違いない。さっき通りすがりに見た、煉瓦の山は、その為に用意されてあったのだ。
「こう暗くては、どうすることも出来ない。マッチはないか」
玉村氏の声に応じて、一郎は所持のライターを点火した。
赤黒く見える煉瓦の穴蔵、暗闇よりは一層物すさまじき光景である。
どんなにあせって見ても、急に出られぬことは分っている。それよりは、兎も角、奥村源造の云い残して行った、壁の中を検べて見よう。ひょっとしたら、その奥の土を掘って、外へ抜け出せぬものでもない。
玉村氏はそこへ気づくと、一郎のライターをたよりに、壁の側へよって、そこに下っているスクリーンを引きちぎった。
そのうしろの煉瓦の壁は、ところどころ漆喰がとれて、たやすく抜き出せる様になっている。
三人の男は、力を合わせて、煉瓦の抜き取りにかかった。一枚一枚、煉瓦を取り去るにつれて、ポッカリと、地獄の入口の様な、真暗な穴が拡がって行く。
間もなく、二尺程の空虚が出来た。
「それを貸しなさい。一つ中を覗いて見よう」
玉村氏は一郎のライターを受取って、それをかざしながら、中へ首をさし入れて、闇の洞穴を覗いた。
覗いたかと思うと、彼はアッと叫んで、大急ぎで首を引いた。何とも云えぬ恐怖の表情、土気色の顔、鼻の頭に浮んだ玉の油汗、子供等は嘗つて、この様に恐ろしい父親の顔を見たことがなかった。
一郎も二郎も、それにおびえて、思わずあとじさりした。
妙子は、余りの怖さに、キャーッと絹を裂く様な、叫声を立てた。