8話 八 おたけ
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おたけは暇を取って行った。おとなしくて能く働く女であったが、たった二週間ばかりで行ってしまった。
これまで奉公していたおよねは母が病気だというので急に国へ帰る事になった。その代りとしておたけが目見得に来たのは、七月の十七日であった。彼女は相州の大山街道に近い村の生れで、年は二十一だといっていたが、体の小さい割に老けて見えた。その目見得の晩に私の甥が急性腸胃加答児を発したので、夜半に医師を呼んで灌腸をするやら注射をするやら、一家が徹夜で立騒いだ。来たばかりのおたけは勝手が判らないのでよほど困ったらしいが、それでも一生懸命に働いてくれた。暗い夜を薬取りの使にも行ってくれた。目見得も済んで、翌日から私の家に居着くこととなった。
彼女は何方かといえば温順過ぎる位であった。寧ろ陰気な女であった。しかし柔順で正直で骨を惜まずに能く働いて、どんな場合にも決して忌そうな顔をしたことはなかった。好い奉公人を置き当てたと家内の者も喜んでいた。私も喜んでいた。すると四、五日経った後、妻は顔を皺めてこんなことを私に囁いた。
「おたけはどうもお腹が大きいようですよ。」
「そうかしら。」
私には能く判らなかった。なるほど、小作りの女としては、腹が少し横肥りのようにも思われたが、田舎生れの女には随分こんな体格の女がないでもない。私はさのみ気にも止めずに過ぎた。
おたけはいくらか文字の素養があると見えて、暇があると新聞などを読んでいた。手紙などを書いていた。ある時には非常に長い手紙を書いていたこともあった。彼女は用の他に殆ど口を利かなかった。いつも黙って働いていた。
彼女は私の家へ来る前に青山の某軍人の家に奉公していたといった。七人の兄妹のある中で、自分は末子であるといった。実家は農であるそうだが、あまり貧しい家ではないと見えて、奉公人としては普通以上に着物や帯なども持っていた。容貌はあまり好くなかったが、人間が正直で、能く働いて、相当の着物も持っているのであるから、奉公人としては先ず申分のない方であった。諄くもいう通り、甚く温順い女で、少し粗匆でもすると顔の色を変えて平謝りに謝まった。
彼女は「だいなし」という詞を無暗に遣う癖があった。ややもすると「だいなしに暑い」とか、「だいなしに遅くなった」とかいった。病気も追々に快くなった甥などはその口真似をして、頻りに「だいなし」を流行らせていた。
妻も彼女を可愛がっていた。私も眼をかけて遣れといっていた。が、折々に私たちの心の底に暗い影を投げるのは、彼女の腹に宿せる秘密であった。気をつけて見れば見るほどどうも可怪いようにも思われたので、私はいっそ本人に対って打付に問い糺して、その疑問を解こうかとも思ったが、可哀そうだからお止しなさいと妻はいった。私も何だか気の毒なようにも思ったので、詮議は先ずそのままにしてしばらく成行を窺っていた。
月末になると請宿の主人が来て、まことに相済まないがおたけに暇をくれといった。段々聞いてみると、彼女は果して妊娠六ヵ月であった。彼女は郷里にある時に同村の若い男と親しくなったが、男の家が甚だ貧しいのと昔からの家柄が違うとかいうので、彼女の老いたる両親は可愛い末の娘を男に渡すことを拒んだ。若い二人は引分けられた。彼女は男と遠ざかるために、この春のまだ寒い頃に東京へ奉公に出された。その当時既に妊娠していたことを誰も知らなかった。本人自身も心付かなかった。東京へ出て、漸次に月の重なるに随って、彼女は初めて自分の腹の中に動く物のあることを知った。
これを知った時の彼女の悲しい心持はどんなであったろう。彼女は故郷へこのことを書いて遣ったが、両親も兄も返事をくれなかった。帰るにも帰られない彼女は、苦しい胸と大きい腹とを抱えてやはり奉公をつづけていると、盆前になって突然に主人から暇が出た。ただならぬ彼女の身体が主人の眼に着いたのではあるまいか。主人は給金のほかに反物をくれた。
彼女はいよいよ重くなる腹の児を抱えて、再び奉公先を探した。探し当てたのが私の家であった。彼女としては辛くもあったろう、苦しくもあったろう、悲しくもあったろう。気心の知れない新しい主人の家へ来て、一生懸命に働いている間にも、彼女は思うことが沢山あったに相違ない。いくら陰陽がないといっても、主人には見せられぬ涙もあったろう。内所で書いていた長い手紙には、遣瀬ない思いの数々を筆にいわしていたかも知れない。彼女が陰った顔をしているのも無理はなかった。そんなこととは知らない私は、随分大きな声で彼女を呼んだ。遠慮なしに用をいい付けた。私は思い遣りのない主人であった。
それでも彼女は幸であった。彼女が奉公替をしたということを故郷へ知らせて遣った頃から、両親の心も和らいだ。子まで生したものを今更どうすることも能まいという兄たちの仲裁説も出た。結局彼女を呼び戻して、男に添わして遣ろうということになった。そう決ったらば旧の盂蘭盆前に嫁入させるが土地の習慣だとかいうので、二番目の兄が俄に上京した。おたけは兄に連れられて帰ることになったのである。
勿論、暇をくれるという話さえ決れば、代りの奉公人の来るまでは勤めてもいいとのことであったが、私たちはいつまでも彼女を引止めておくに忍びなかった。嫁入仕度の都合などもあろうから直に引取っても差支ないと答えた。彼女は明る日の午後に去った。
去る時に彼女は二階へ上って来て、わたしの椅子の下に手を突いて、叮寧に暇乞いの挨拶をした。彼女は白粉を着けて、何だか派手な帯を締めていた。
「私の方ではもっと奉公していてもらいたいと思うけれども、国へ帰った方がお前のためには都合がいいようだから――。」
私が笑いながらこういうと、彼女は少しく頬を染めて俯向いていた。彼女はさぞ嬉しかろう。貧乏であろうが、家柄が違おうが、そんなことはどうでもいい。彼女は自分の決めた男のところへ行くことが能るようになった。彼女は私生児の母とならずに済んだ。悲しい過去は夢となった。
私も「だいなし」に嬉しかった。
僅か二週間を私の家に送ったおたけは、こんな思い出を残して去った。