まあまあ居士の弁 私の歩いてきた道

3話 私は純粋社会党員でありたい

1,784字 約4分 2011年1月4日 公開

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 社会党は政党として結党したのであるが、時々左右の対立などと新聞に書かれて非常に損をして居るが、古い社会党員には戸籍みたいなものがある。私の戸籍は、強いて言えば日労党である。しかし、日労の前は、労働農民党であり、さらにその前は農民労働党である。要するに統一政党の中から生れたものであるが、しかしやはり日本の無産政党の陣営の戸籍がある。たとえば、片山哲氏といえば安部先生と共に、すぐ社会民衆党だと言い、私とか麻生氏、河上氏、三宅氏等は日労党のかたまりだと言う。日本無産党というと、鈴木、加藤と来る。社会党はこれらの戸籍を全部やめて、そういう古い社会主義者に新しい分子を加えてつくった統一政党であるが、やはり何か事があると、古い仲間が集って、どうだ、どうだということになる。そういうことが、党内に派閥があるかのごとく見られるのである。

 社会党は大衆政党であるから議論する場合、時には左的議論あり右的議論がある事は当然である。ただ左、右と固定化して派閥になることは警戒しなければならない。昨年一月の総選挙は共産党は四名から一躍三十五名になり自由党は二百七十名院内絶対過半数を穫得した所が、日本の労働階級は勝った共産党を求めないで敗れた社会党を選んで、国鉄、新産別、日教組、自治協、総同盟、炭労等々大量入党を開始した。亦四月大会では労組関係の六十五名の代議員を認めて再建方式を定めて社会党再建闘争に乗り出したのであるが、その成熟しない中に本年一月の大会で分裂の非運に遭遇したのであるが、日本勤労階級の社会党統一の要求は四月大会に於てその統一を完成し今回の参議院議員の改選には一大進出をなし、党内における労働階級の指導性は確立せられんとして居る。

 一月大会の分裂は党員によりよき教訓を与え此の自己批判の上に社会党躍進の大勢は整備されつつある。私は私年来の主張たる社会党一本の姿の具現の為にあらゆる努力を捧げたいと思って居る。私は右の信念の下に党の運営の為東奔西走しつつあるのであるが、よく人は私を「まあまあ居士」だとか「優柔不断」だとか「小心」だとか「消極的」だとか、いろいろ批評されているが、およそ大衆団体の中にあって行動するのには、一つの運動方針を決めてやって行くのだから、大会で決めた方針を皆が遵奉して行けば、そこには対立もなければ、分裂もないわけである。大会は大衆の意思で決まるのだから、その時にどう決っても、これはやむを得ない。たとえば、昨年の大会で、鈴木茂三郎が書記長と決ったとき、私は組織局長として一年間喜んで協力した。

 今は私が書記長であるが、加藤君が組織局長として協力してくれている。片山前委員長、鈴木前書記長、和田、三宅、波多野君にしても水谷君にしても、今度の選挙では、ほんとうに一本になって協力してくれました。だから、大会なり委員会で決ったことを、党員が私心を挟まないで行動して行けば、社会党には対立も、派閥も、分裂もないのである。ところがやはり人間のことだから、何度も一緒に集って飯を食ったりすると、ついやはり人情がうつるということもあろうと思うが、しかし大衆団体では、あくまでも全体の決定に従うということでなければならないと思う。少くとも私は、決ったことをやって行くというだけで、それ以外には何も考えていない。それで前に言ったような批評をされるのだと思うが、私はこの間の党の自己批判の時にも言ったのだが、皆が、純粋社会党員というか、俺は社会党員だ、右でも、左でもない、社会党員だという考えに皆がならなければならない。

 それからもう一つは、いろんなことを決めるときに、多数決で決めるといっても、これはデモクラシーの原則だから当然だが、政党は同志の集団なのだから、そこには話合いも、妥協もあっていいと思う。労働組合は利害中心の集団だが、社会党は日本の社会主義的な変革を民主主義的方途を以ってしようという同志の集団なのである。同志には話合いも妥協も時によっては必要である。また、いかに議論が百出しても、纏めるべき所で纏めるということがあっていいのではないかと思う。しかしそういう考え方が「まあまあ居士」と言われる所以かもしれない。社会党の如き大衆団体の中にはまとめ役とも称す可きものはあってもいいと思う。社会党にかけて居たのは斯かる役割の人ではないかと思う。

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