7話 七
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「さっきの、さっきの、」
と微笑みながら、謙造は四辺を《みまわ》し、
「さっきのが……声だよ。お前さん、そう恐がっちゃいかん。一生懸命のところじゃないか。」
「あの、梟が鳴くんですかねえ。私はまた何でしょうと吃驚しましたわ。」
と、寄添いながら、お君も莞爾。
二人は麓から坂を一ツ、曲ってもう一ツ、それからここの天神の宮を、梢に仰ぐ、石段を三段、次第に上って来て、これから隧道のように薄暗い、山の狭間の森の中なる、額堂を抜けて、見晴しへ出て、もう一坂越して、草原を通ると頂上の広場になる。かしこの回向堂を志して、ここまで来ると、あんなに日当りで、車は母衣さえおろすほどだったのが、梅雨期のならい、石段の下の、太鼓橋が掛った、乾いた池の、葉ばかりの菖蒲がざっと鳴ると、上の森へ、雲がかかったと見るや、こらえずさっと降出したのに、ざっと一濡れ。石段を駆けて上って、境内にちらほらとある、青梅の中を、裳はらはらでお君が潜って。
さてこの額堂へ入って、一息ついたのである。
「暮れるには間があるだろうが、暗くなったもんだから、ここを一番と威すんだ。悪い梟さ。この森にゃ昔からたくさん居る。良い月夜なんぞに来ると、身体が蒼い後光がさすように薄ぼんやりした態で、樹の間にむらむら居る。
それをまた、腕白の強がりが、よく賭博なんぞして、わざとここまで来たもんだからね。梟は仔細ないが、弱るのはこの額堂にゃ、古から評判の、鬼、」
「ええ、」
とまた擦寄った。謙造は昔懐しさと、お伽話でもする気とで、うっかり言ったが、なるほどこれは、と心着いて、急いで言い続けて、
「鬼の額だよ、額が上っているんだよ。」
「どこにでございます。」
と何にか押向けられたように顔を向ける。
「何、何でもない、ただ絵なんだけれど、小児の時は恐かったよ、見ない方がよかろう。はははは、そうか、見ないとなお恐しい、気が済まない、とあとへ残るか、それその額さ。」
と指したのは、蜘蛛の囲の間にかかって、一面漆を塗ったように古い額の、胡粉が白くくっきりと残った、目隈の蒼ずんだ中に、一双虎のごとき眼の光、凸に爛々たる、一体の般若、被の外へ躍出でて、虚空へさっと撞木を楫、渦いた風に乗って、緋の袴の狂いが火焔のように飜ったのを、よくも見ないで、
「ああ。」と云うと、ひしと謙造の胸につけた、遠慮の眉は間をおいたが、前髪は衣紋について、襟の雪がほんのり薫ると、袖に縋った手にばかり、言い知らず力が籠った。
謙造は、その時はまださまでにも思わずに、
「母様の記念を見に行くんじゃないか、そんなに弱くっては仕方がない。」
と半ば励ます気で云った。
「いいえ、母様が活きていて下されば、なおこんな時は甘えますわ。」
と取縋っているだけに、思い切って、おさないものいい。
何となく身に染みて、
「私が居るから恐くはないよ。」
「ですから、こうやって、こうやって居れば恐くはないのでございます。」
思わず背に手をかけながら、謙造は仰いで額を見た。
雨の滴々しとしとと屋根を打って、森の暗さが廂を通し、翠が黒く染込む絵の、鬼女が投げたる被を背にかけ、わずかに烏帽子の頭を払って、太刀に手をかけ、腹巻したる体を斜めに、ハタと睨んだ勇士の面。
と顔を合わせて、フトその腕を解いた時。
小松に触る雨の音、ざらざらと騒がしく、番傘を低く翳し、高下駄に、濡地をしゃきしゃきと蹈んで、からずね二本、痩せたのを裾端折で、大股に歩行いて来て額堂へ、頂の方の入口から、のさりと入ったものがある。