縁結び

8話

1,482字 約3分 2001年10月19日 公開

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「やあ、これからまたお(いで)かい。」

 と腹の底から出るような、奥底のない声をかけて、番傘を横に開いて、出した顔は見知越(みしりごし)一昨日(おととい)もちょっと顔を合わせた、(みね)の回向堂の堂守で、耳には数珠(じゅず)をかけていた。仁右衛門(にえもん)といって、いつもおんなじ年の(おやじ)である。

 その回向堂は、また庚申堂(こうしんどう)とも呼ぶが、別に庚申を祭ったのではない。さんぬる天保(てんぽう)庚申年に、山を開いて、共同墓地にした時に、居まわりに寺がないから、この御堂(みどう)建立(こんりゅう)して、家々の位牌(いはい)を預ける事にした、そこで回向堂とも(とな)うるので、この堂守ばかり、別に住職(じゅうしょく)居室(いま)もなければ、山法師(やまぼうし)も宿らぬのである。

「また、東京へ行きますから、もう一度と思って来ました。」

 と早、離れてはいたが、謙造は(かたわら)なる、手向(たむけ)にあらぬ花の姿に、心置かるる風情(ふぜい)で云った。

「よく、参らっしゃる、ちとまた休んでござれ。」

「ちょっと休まして頂くかも知れません。(じい)さんは、」

(わし)かい。講中にちっと折込(おれこ)みがあって、これから通夜(つや)じゃ、南無妙(なむみょう)、」

 と口をむぐむぐさしたが、

「はははは、(わし)ぐらいの年の(ばあ)さまじゃ、お目出たい事いの。位牌になって嫁入(よめい)りにござらっしゃる、南無妙。戸は閉めてきたがの、開けさっしゃりませ、掛金(かけがね)も何にもない、南無妙、」

 と二人を見て、

「ははあ、(かさ)なしじゃの、いや生憎(あいにく)の雨、これを進ぜましょ。持ってござらっしゃい。」

 とばッさり(すぼ)める。

「何、構やしないよ。」

「うんにゃよ、お前さまは構わっしゃらいでも、はははは、それ、そちらの《ねえ》さんが濡れるわ、さあさあ、ささっしゃい。」

「済みませんねえ、」

 と顔を赤らめながら、

「でも、お爺さん、あなたお濡れなさいましょう。」

「私は濡れても天日(てんぴ)で干すわさ。いや、またまこと困れば、天神様の神官殿別懇(かんぬしどのべっこん)じゃ、宿坊(しゅくぼう)で借りて行く……南無妙、」

 と(おっ)つけるように出してくれる。

 (ささ)げるように両手で取って、

大助(おおだすか)りです、ここに雨やみをしているもいいが、この人が、」

 と見返って、莞爾(にっこり)して、

「どうも、嬰児(ねんね)のように恐がって、取って食われそうに騒ぐんで、」

 と今の姿を見られたろう、と(きまり)の悪さにいいわけする。

 お君は俯向(うつむ)いて、(むらさき)半襟(はんえり)の、(ぬい)(うめ)を指でちょいと。

 仁右衛門(にえもん)、はッはと笑い、

「おお、名物の梟かい。」

「いいえ、それよりか、そのもみじ(がり)の額の鬼が、」

「ふむ、」

 と振仰いで、

「これかい、南無妙。これは似たような絵じゃが、余吾将軍維茂(よごしょうぐんこれもち)ではない。見さっしゃい。烏帽子素袍大紋(えぼしすおうだいもん)じゃ。手には小手(こて)(あし)にはすねあてをしているわ……大森彦七(おおもりひこしち)じゃ。南無妙、」

 と豊かに目を(つぶ)って、鼻の下を長くしたが、

山頬(やまぎわ)の細道を、直様(すぐさま)に通るに、年の程十七八(ばかり)なる女房(にょうぼう)の、赤き袴に、柳裏(やなぎうら)五衣(いつつぎぬ)着て、(びん)(ふか)()ぎたるが、南無妙。

 山の()の月に(えい)じて、ただ独り(たたず)みたり。……これからよ、南無妙。

 女ちと打笑うて、(うれ)しや候。さらば御桟敷(おんさじき)へ参り(そうら)わんと云いて、(あと)に付きてぞ歩みける。羅綺(らき)にだも不勝姿(たえざるすがた)(まこと)物痛(ものいたわ)しく、まだ一足も土をば不蹈人(ふまざるひと)よと覚えて、南無妙。

 彦七不怺(こらえず)(あまり)(つゆ)も深く候えば、あれまで負進(おいまいら)せ候わんとて、前に(ひざまず)きたれば、女房すこしも不辞(じせず)便(びん)のう、いかにかと云いながら、やがて(うしろ)にぞ(よりかか)りける、南無妙。

 白玉か何ぞと問いし(いにし)えも、かくやと思知(おもいしら)れつつ、(あらし)のつてに散花(ちるはな)の、袖に(かか)るよりも軽やかに、梅花(ばいか)(におい)なつかしく、蹈足(ふむあし)もたどたどしく、心も空に(うか)れつつ、半町(はんちょう)ばかり歩みけるが、南無妙。

 月すこし暗かりける処にて、南無妙、さしも(いつく)しかりけるこの女房、南無妙。」

 といいいい額堂を出ると、雨に濡らすまいと思ったか、数珠を取って。頂いて(ふところ)へ入れたが、身体(からだ)は平気で、石段、てく、てく。

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